新入生へのメッセージ(学部長祝辞)

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新入生へのメッセージ(学部長祝辞)

2020.04.01

祝  辞

 新型コロナウィルスによる感染者の数は、世界177カ国、70万人を超えました。亡くなった方は世界中で4万人に近づこうとしています。一ヶ月前には感染者87千人で、死者は3千人に届いていませんでした。それでも多すぎるほどの数でしたが、あっという間に感染者は9 倍、死者は10倍以上に拡大しています。適切な治療薬のまだ見出されていない現在、このウィルスとの闘いは長く続き、さらなる多くの被害をもたらすかもしれないことを覚悟しなければならないようです。
 14世紀や17世紀には黒死病といわれたペストがヨーロッパを中心に流行し、多くの死者をもたらしましたが、それ以来の惨禍であり、人類史においても重大な事件と言ってもいいでしょう。人類はこうした感染症による疫病を何度か体験し、大量の死と多くの悲劇がその都度、くりかえされました。14世紀のペストはアジアで流行が始まり、シルクロードを通して伝播し、ヨーロッパで猛威を振るいました。このときペスト禍のかたわらで書かれたのが、ボッカチオの『デカメロン』です。イタリアで散文による芸術的な読み物が生まれたのはこれが始まりでした。災厄は、中世からルネッサンスをへて近代へという大きな文明史的な転換をもたらしたのです。
 17世紀のペストは、ロンドンやミラノ、マルセイユなどを中心に間欠的に流行しましたが、アイザック・ニュートンが三大業績と言われる発見を行うのも、ペストから避難して、故郷に疎開していた時期のことです。微分積分学の確立、プリズムによる分光の実験、万有引力の法則の発見がそれにあたります。18ヶ月におよぶニュートンの疎開はのちに「創造的休暇」と呼ばれることになりました。つまり、巨大な災厄は恐ろしい、忌まわしいものである一方、それにともなう社会生活の変化、習慣からの離脱によって、世界の見え方が変わる。そういう思考や認識の枠組み(パラダイム)の転換をもたらすこともあるのです。
 果たして、今回の惨禍も同じようなパラダイムの転換をともなうのかどうか。いまたくさんの人々が苦しみ、痛みを抱えているなかで、そのようなことを軽々しく口にすべきではない、たしかにそう思います。亡くなられた方、その家族には心よりお悔やみを申し上げます。しかし、現実は1つのレイヤー(層)で成り立っているものではありません。いま現在の苦しみや痛みに寄り添う言葉や方法を探るとともに、この経験をふまえて、その先、未来の時間を見すえることが必要です。それが現実を複数のレイヤーとして捉える学問の役割です。ことによると人類の歴史において次の章が開かれようとしているのかもしれません。痛みを共有するとともに、私たちはページがどのようにめくられるのか、その先に何が現れるのかをしっかりと見届けなければならないと思います。
 お祝いを言う前に、残酷な現実に即した話になりました。あらためて新入生のみなさんに、日本大学文理学部の教職員を代表して、入学のお祝いを申し上げ、心より歓待の言葉を送ります。しかし、この苦しい現実から逃れることはできません。私たちはここから出発しなければならないのです。
 文理学部は、哲学科から化学科まで18もの学科で構成された大きな複合学部です。8000人の学生数は学部というより、1つの大学と言ってもいい規模です。それだけにパラダイム転換の時代にはふさわしい学びの環境だとも言えるでしょう。先ほど紹介したニュートンは、自然哲学者であり、同時に数学者、物理学者、天文学者、神学者でした。彼の前にあったのは一つの現実です。しかし、同じ現実をさまざまな視点でとらえることができることを、ニュートンは体現していたのです。
 もちろん、現代は学問がもっと細分化されています。世界はニュートンの時代よりはるかに複雑きわまりないことになっています。しかし、知性が生き生きとした躍動感をもつのは、複雑さに対する感度を鍛え、多様な視点の切り換えができるようになるときだと思います。ぜひ、このキャンパスで専門的な知識や技能を学ぶとともに、学科を超えたダイナミックな知性や共感能力を育てていただきたい。みなさんが歴史とともにめくる新たなページを前に、みずからもまたそこに飛び込む資格をもっているか、あるいは後景に退いて次世代に託すべきかを、旧世代である教職員ひとりひとりが問われることになる。歴史の転換とはそうした緊張をともなうものでもあります。
 おそらく、この2020年は、みなさんがこれからの人生においてくりかえし思い出す年になるでしょう。あれが自分たちの「創造的」時間の始まりだった、そう振り返るときが来ることを心より期待して、お祝いのメッセージとします。

令和2年4月1日
日本大学文理学部長
紅 野 謙 介
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