集合的写真観察法 −都市社会調査の新地平−
“Collective Photographic Observation”; a
Method for the“Sociology of Tokyo,” Noriaki Gotoh
後 藤 範 章
1.背景と課題 −−都市社会調査の方法論とデータ論
(1) 社会調査への反省的視角 −従来のあり方に対する異議申し立て−
近年、様々な学問分野で、実証研究の方法をめぐる論議が活発に展開され、新たな模索が積み重ねられるようになっている。社会学では、長らく量的方法(統計的方法)と質的方法(事例研究法)との優劣論争が繰り返されてきたが、実際には調査票を用いてデータを収集・集計し、量的に分析するという方法が主流となっていた。ところがここ数年来、そうした標準化調査中心のあり方に対する異議申し立てが目だってきたり、単一の技法に依拠した調査の枠組み(制度)への疑問や反省の声が強まっている。「一種の反省的視角」(吉原直樹)が社会調査に向けられるようになっているのである。これは、これまで依拠してきた調査方法では、益々複雑化し捉えにくくなっている「社会的現実」を、もはや切ることができなくなっていることの証左でもある。
(2) 自己認識と自己転回 −日本都市社会学会の取り組み−
日本都市社会学会でも、一九九四年度の大会でシンポジウム「日本都市社会学における社会調査の系譜と課題」、一九九五年度の大会でテーマ部会「都市社会調査における質的方法と量的方法」をそれぞれ開催し、一九九六年度にはそれらの成果をもとに機関誌で特集「都市社会調査のデータと方法」が組まれた。筆者も、企画者・司会者・報告者の一人として、また論文執筆者の一人として関わり続けたが(1)、そこでは、日本都市社会学が積み重ねてきた社会調査の展開過程を通して、いかに自己認識し自己転回を図るのかが改めて問い返され(後藤:一九九四)、量的−質的方法の優劣論争を「無毒化」(佐藤健二)する都市社会調査の新たな可能性が模索された(大谷・後藤:一九九六)。
筆者はその際に、こうした日本都市社会学会の取り組みに関連させて、都市社会調査の何をどのように検討すべきかについて、次のような指摘をした。
・ 「今日の都市的世界なり都市的現象の、細部に潜む個的状況から都市の全体性を透視する大状況に至る諸相を、リアルに捉えビビッドに描くことの出来る調査とは一体どのようなものであり、またそこから如何にして理論化が可能となるのか」(後藤:一九九四、七−八頁)。
・ 「都市における(都市に関わる)社会学的研究をもって都市社会学とする立場に立脚して、今後の実証的−理論的研究の新展開をはかるべきである。そして、都市社会学の再スタートには、狭く囲い込まれた『たこつぼ』の中でのみ有効な視点や方法や分析枠組を取り払って、社会学から広く人文・社会科学全般まで、同時に市民社会にも開かれ得る方法的革新が不可欠となるのではないか」(後藤:一九九五、三一頁)。
・ 「信頼性と妥当性の公準を共にクリアし、『トリヴィアリズム』でも『視野狭窄症的な調査』でもない、都市社会のリアリティを立体的かつ全体関連的に描き出し得る調査がなされ得るか否かが、実際の調査プロセスとアウトプットによって検証されるのは、言うまでもない。その際に鍵となるのは、対象(データの性質)と調査手法との、各調査手法間の、そして各調査研究者間の、約言すれば社会調査に関わるマトリックス間の、『インターフェイス』を明確に示し得るかどうかであり、調査(実証)と理論との架橋もこの点にかかっている」(後藤:一九九五、三七頁)。
この認識は、現時点においても変わりない。
(3) 感覚の主体性と認識のための想像力 −社会学と現実とを切り結ぶために−
社会調査のあり方に対する「反省」の機運は、多様な研究領域で同時代的に引き起こされ、また現在進行中のムーブメントである。一九九〇年以降、新しいスタイルの社会調査論のテキストや専門書が続々と出版されているし(2)、最近では関東社会学会が一九九七年度から「質的調査法」「社会学の方法と対象」を主題化して研究例会や大会(テーマ部会)を開催し続けていることが注目を集めてもいる(3)。
こうした動向から浮かび上がってくる傾向を筆者なりに整理しておくと、概ね次のような諸点となるであろう。
・ 量的方法と質的方法との優劣論争の終焉−−対立から対話へ
・ 社会調査の根元性(調査者の感性と社会認識を組み立てていく想像力)の捉え返し
・ 質的調査法への関心/再(新)評価のより一層の高まり
・ グラウンデッド・セオリー、構築主義的アプローチへの注目
・ 質的データの収集法・分析法の革新と洗練化
・ モノ・メソッドからマルチ・メソッドへ
このような状況の中で、今、「社会学はいかにして社会的現実を捉え、またそれについていかに社会学固有の仕方で語り得るのか」(4)、別言すれば、社会のリアリティをどのように実証プロセスの中へ組み込み再構成していくのか、が問い直されているのである。
本稿では、この課題を意識し、また社会調査をめぐる近年の動向と成果をも踏まえつつ、筆者が取り組んでいる“写真で語る:「東京」の社会学”プロジェクトを基に、都市社会調査の新地平を切り拓く可能性を探ってみたいと思う。
2.素材 −−“写真で語る:「東京」の社会学”の試み
(1) 社会学の教育・実習プログラム −「社会学する」こと−
“写真で語る:「東京」の社会学”は、筆者が学部学生を対象とした「社会学の教育・実習プログラム」として構想し、開発・実践したものである。今から六年前の一九九四年度のことであった。前項で都市社会調査の方法論とデータ論の展開を押さえたが、もともとはそうした文脈とは切り離されたところで発想したことを正直に告白しておかなければならない。では、何故「調査・研究用」ではなく、「教育・実習用のプログラム」として考えられたのか。この点は、今日の社会調査教育のあり方にも関わってくるので少し述べておきたい。
社会学系の学部・学科のカリキュラムには、「社会調査法/論」と共に「社会調査実習」を用意している大学が多い。調査実習の実際的な場面を想起すれば、この科目の担当者には、程度の差はあれ次のような思いが共有されるであろう。即ち、学生たちが、問題意識を深めそれに見合ったテーマを設定して、標準化された調査票を使った量的調査(調査票調査)を企画・設計し、サンプリングや実査(現地調査)を行い、エディティング、コーディング、データのコンピュータへのインプット、集計・分析、そして調査報告書(アウトプット)の刊行といった一連の作業(プロセス)を、一年間できちんとこなしていくのは困難極まりない、ということである。
筆者が経験してきた範囲で言えば、学生たちの自主性・主体性を尊重するスタンスをとると、調査の企画・設計段階で足踏み状態が続き、サンプリングを実施するのが秋口かそれ以降になってしまいがちである。こうなると、調査結果を多面的に検討して報告書や論文にまとめていくことなど、年度内にはとても期待できなくなる。他方、調査の全プロセスを学生に効率よく「実習」させることを第一に考えると、とかく時間のかかる調査の企画・設計と調査票の作成作業を実質的に教員がやってしまい(せいぜい学生の意向を一部採り入れる程度)、学生が全面的に関わるのは実査とデータの整理・集計・分析段階に留まってしまう傾向が強くなる。この場合は、“研究”に有用なデータを収集・分析する本格(学術)的な調査経験を味わえるといった利点もあるが、学生がややもするとロボット的な存在になりかねない。とりわけ調査票調査の場合、集計結果が出ないと成果を肌身で捉えることができにくいので、体の良い無償ボランティアになってしまう危険性がついて回ることになる。
筆者自身、そうした経験を重ねる中で、学生一人びとりが自らの生活世界や身体を介して社会的リアリティに迫り、なおかつ社会学の面白さや奥深さを“体感”できるような「実習」が、上記のような調査実習とは違った形式と内容でできないものかと思い悩んでいた。学生が調査票調査の実習経験を積むことは必要であり、社会調査教育の最も重要な柱であることは確かであるが、それとは別に、私たちが生きている社会、その中でうごめいている人間、現実の細部の中に宿っている「社会的な意味」や「人々の意図」をくみ取って、文字通り動詞型の「社会学する」ことに学生たちが内発的・積極的に取り組める新しい方法の開発・実践が急務である、と思われたのである。
“写真で語る:「東京」の社会学”は、こうしたことを背景にして産み落とされた。
(2) 講義のレポート課題とゼミでの作品化プロセス −「東京」の多元的リアリティ−
一九九四年度以降、筆者は本務校や非常勤校での担当講義科目(5)の開講時に、センス・オブ・ワンダーとソシオロジカル・イマジネーションの重要性(6)に言及して「社会観察のすすめ」を説いた上で、受講生に次のようなレポート課題を課している。共通テーマは「写真で語る:『東京』の社会学」、観察の対象は「東京」(一定の地域的な範域性=ある種の空間的な完結性・全体性を有した一つの都市を想定しているのでは必ずしもなく、むしろ現代都市あるいは現代社会にまで一般化して捉えることが可能)と「東京人」(同様に「都会人」や「現代人」にまで広げられ得る)にすえられる。受講生に求める実際の作業は、今日の「東京」や「東京人」のあり様を先鋭的・象徴的に表象すると考える場面を視覚的に捉えて(一枚の写真に収めて)データ化し、適切なタイトルを掲げると共に、社会学的な言説で四〇〇字程度の解説を加えてみる(社会学的に分析する)、というごくごく簡単なものである。
学生たちは、「東京」あるいは「東京人」の特徴が表わされていると判断した場面を写真に写し取るが、その対象となった社会事象に向けている<まなざし>の奥には、その学生自身の「東京」認識/現実認識が隠されている。従って、ある一断面を写真に収めるという行為は、実はその当人の「東京」認識をあぶり出すことにつながっていく。その点を意識して、なぜその場面を写真に撮ったのか、そしてそこにどういう点で「東京」や「東京人」の特徴(東京性/東京人性)を見いだしているのかを、自らとの<対話>を通して解説文としてまとめあげることで、ひとつの作品が出来上がっていく。
この課題は数ヶ月間かけて取り組まれ、夏休み前に提出される。他方、ゼミでも「東京」に関する学習と議論を積み重ね、ゼミ生が各自テーマを設定してそれに沿った写真を撮り、講義の受講生と同様に作品化する。こうして毎年二百から多い年で五百本ものレポートが上がってくるが、これらはそのまま「東京における多元的なリアリティが刻印された質的データ群」を構成するので、「東京」の社会学的研究の格好な素材となり得る。そこで数百本のレポートがゼミに引き渡たされ、毎年九月上旬にゼミ合宿が行われる。合宿では、「各人のまなざしが結晶化した一枚の写真は、どれほど鮮やかに『東京』や『東京人』の諸相を描き出し、そこにいかほどの社会学的な知を織り込むことができるのか」という観点から、徹底的な討議を経て約三十点の作品が選考される。その後ゼミ生たちは、約一ヶ月半をかけて、原作者の意図や解釈にとらわれずに、各作品を「社会学の眼(視点・方法・理論)」で改めて読み解き、タイトルや解説文に手を加えた新しい作品群に仕上げていって、成果を十一月初旬の学園祭で展示発表する。
このようなプロセスを経て、一九九四年度〜九九年度の六年間に展示発表された作品は合計一八五点を数える。
3.検討 −−写真論と社会調査論との立体交差
(1) 「写真で語る」ことの意味 −写真メディア論/写真行為論の文脈から−
写真は、「無意識が織り込まれた空間」(Benjamin, W.:一九三五−三六=一九九五、六二〇頁)である。Talbot,
W.H.やBarthes, R.らも刮目し、西村清和が的確に要約しているように、「写真は、肉眼の意識がとらえきれず、またその文化的バイアスのもとで見逃してしまう微細なディテイルをも公平に記録する、都市の無意識の標本断片」(西村:一九九七、三四頁)である。「意識的、無意識的に写りこんださまざまなディテイル」は、「さまざまなテクスト、多様な物語が語られる断片」であり、従って1枚の写真は「物語素の束」なのである(同:四五頁)。Baudrillard,
J.の表現を借りるなら、「世界はそっくりそのまま細部の中に屈折」(Baudrillard:一九九七、一一頁)し、「方程式や総和のないフラクタルな世界を映し出す」(同:一八頁)のであり、まさにこの点で写真は、「思想、ヴィジョン、あるいは運動によって、常にひとつの完結した形態を素描するアートや映画」と根本的に異なるのである(同:一八頁)。
絵画(清水太郎:一九六六、第一章)や音楽(見田宗介:一九七八、佐藤良明:一九九九)や小説(作田啓一:一九八一)や映画(山中速人:一九九三)なども社会を読み解く質的なデータ足り得るが、それらは原作者(画家や作詞家・作曲家や小説家や映画監督)の意図が隅々にまで行き渡って、一つの作品として完結するのに対して、写真には写真家の意図せざる要素までもが写り込む。「写真を撮るという操作は、自明な存在としての世界が行う自動筆記」(Baudrillard:一九九七、四三頁)であり、「写真(カメラ)の視覚」は、写真家の意図や意味が投影される「肉眼の視覚」を覆い尽くす。写真は、写真家の眼にとまらぬ「コードなきメッセージ」(Barthes,
R.=西村:一九九七、三二頁)が自動的に写し取られるところに、第三者による介入(自由な解読/再解釈)を許容する特異性を有している。
写真を、このように原作者の意図を離れて自由に読み解くことを可能にするメディアと捉えた時、そこに写り込んでいる「物語素」の一つ一つに応じたテクストの抽出が担保されることになる。しかも、「一枚の写真に、その時代や場所の歴史や社会構造がありありと写り」込む(飯沢耕太郎:一九九六、六頁)点を踏まえれば、写真は「社会をのぞき込む窓」として、社会学の研究対象(「東京」を解読するためのテクスト=社会学的な質的データ群)となるわけである(7)。
(2) まなざしの結晶化と解釈の相互作用 −不可視性の可視化と可知化−
“写真で語る:「東京」の社会学”は、「感覚の主体性」と「社会認識のための想像力」の回復をめざした新しい方法論的試み、と見なし得る。 まず強調しておきたいのは、「東京写真」(「東京」認識・経験の表象としてのフォトグラフィー)を集団的・集合的に解釈して作品化するプロセスで、解釈者たちの相互作用と認識の深まりに応じてリアリティに対する感応力と想像力が質的に転換して、それまで捉え切れていなかった諸事象の背後に隠れて見えにくい社会のプロセスや構造の可視化と可知化を促すという点である。 プロジェクト始動後二年間の経験を踏まえ、一九九六年の段階で述べたことを以下に引用しておきたい(後藤:一九九六、二三・二五〜二六頁)。
写真作品と元々のタイトルや解説文には、当の事象の観察者たる原作者の「状況規定」が反映しているが、写し取られた「東京」の諸断面を写真作品を通して観察し直すゼミの学生たちは、多くの場合、原作者の意図や解釈から離れて実に多様な解釈を試みる。
原作者が用意したタイトルと解説文を大幅に改変して、新しいものが出来上がるまでの間に展開される人間模様は、注目するに値する。各人が自らの「東京」認識を枠組みとして、蓄積された体験や知識を引き出しながら多様に解釈し合う中で、認識が問い返され、批判と反批判、同調と反目、駆け引きやせめぎ合いやなだめ合いが繰り広げられる。教師の「社会学的介入」(A.トゥレーヌ)(8)もまた、同時進行する。ゼミのメンバー二〇名の解釈(=対話)を介しての相互作用は、お互いに影響を与えないはずがない。自らのまなざしとそれに込められた意味は、他者のそれとの関わりを通していやを なしに相対化され、自己反省と自己転回を伴い、想像力や洞察力を高め、「東京」に対する認識の度合いを深めながら、新たな解釈を協同して練り上げていく。
「東京」の諸事象を直接観察した原作者のまなざし(認識)が結晶化された写真を、どう捉え読み説くかをめぐるドキュメンタリー。ここには、原作者のまなざしとゼミの学生一人一人のまなざしと教師のまなざしとがぶつかり合い、共感や戸惑いや疑問や反発などが交錯しながら展開するドラマティックな相互作用が刻み込まれている。その果てに出来上がった作品の一つ一つには、一枚の写真とたった四〇〇字の解説文の中にさえ、小さな「東京物語」が内に蔵される。
“写真で語る:「東京」の社会学”の作品化の過程には、学生たちが(少なからず筆者自身も)、「東京」や「東京人」に対する感性を研ぎ澄まし、洞察力や構想力、表現力を質的に高めていく過程が、紛れもなく含まれている。そしてそれはまた、リアリティを嗅ぎ取り、読み込み、共通の言葉を紡いでいくことによって、それまで捉え切れていなかった諸事象の背後に見え隠れしている社会プロセスが可視化されていく、という過程でもある。それは、僅か二年足らずの取り組みではあれ、内側からまなざし続けている筆者なりの現時点での手応えである。
(3) 六年間の積み重ねの中での質的転換 −実証性の高まり−
この点に関してはその後も何ら変化はないのだが、他方、この六年間の積み重ねの中で調査方法論上、質的に大きく転換したことにも言及しておかねばならない。
一口に言うと、写真を通して「東京」を観察(ダイレクト・オブザベーション)して、どう解釈するかの議論を重ね、最も説得力のある(妥当性の高い)解釈を採用し、タイトルと解説文を作っていく際の、対象となる事象との距離の取り方が「転回」したということである。
最初の段階では、写真に写り込んでいる事象を外側から<まなざす>ことによって解釈・分析が成り立っていた。いつどこで撮った写真なのかについても特に関心を払わず、ゼミ生たちが各自持っている「引き出し」から何が引き出されてくるかによって議論に方向性が与えられた。「社会学すること」の中身も、既知の社会学的概念、例えば、孤独な群衆、匿名性、イリンクス、バーチャルリアリティ、情報社会、モダンとポスト・モダン、都市的生活様式、ボーダレス化社会、カタルシス、電子メディア、第三空間、擬似環境の環境化、劇場都市、アーバニズム、世界都市化、記号の消費、アダルトチルドレン、人種的異質性などなどを、対象となる写真にどう当てはめるかに留まっていた。「類推」や「憶測」や「推量」によって「写真の意味」を「理解/解釈」して、作品が出来上がっていくという傾向が色濃かったわけである。
転機は、プロジェクト三年目が終わる時に訪れた。ゼミ生から、「今までの作品を見直してみると、電車の中吊り広告のコピーのようなタイトルが並んでいる。解説文を読んでも、どうもステレオタイプで、説得力がない。これが果たして社会学的な研究と言えるのだろうか。現場に立ち降りて原作者が切り取ってきた場面を検証する作業、フィールドワークが決定的に不足しているのではないか」、という根底的な疑問と批判が出されたのである。リアリティへの感応力と想像力の質的転換に伴って不可視性が可視化・可知化していくだけでは、実証研究とは言えないし、「東京の社会学」にもならない。写真を使って「東京」を分析するという基本線はよしとしても、検証作業が不十分である。原作者がその写真をどういう意図や意味を込めて撮影し解説文を作ったのかにも、もっとこだわった方が良い。原作者の意図・意味を離れて捉え直す場合も、写真の中に写り込んでいる現実そのものに身を置いて、もう一度検証し直してみることが不可欠である。
かつて筆者は、「結局のところ、方法と解釈の正否は系統的・多面的に探求され、マートンの言う『有無を言わさぬ確証』が得られるかどうか、要はその解釈の妥当性を他の方法によって検証(別個にテスト)できる余地が調査プロセスの中で担保されているかどうかにかかっている、という他にはない」(後藤:一九九六、二四頁)と述べながら、実のところこの点が全く十分ではなかったのである。
こうした「批判と反省」を契機に、プロジェクト四年目の一九九七年度からは、「場面の再現性」と「関係者の主観的意味の理解」が強く意識されるようになった。ゼミ生たちは、写真に写っている状況を兼ね備えている場面に入り込んで、該当する事象に関係性を有する人々にインタビューし、その事象にどのような思いや意味が込められているのかを必ず把握するようになった。インテンシブなインタビューだけでなく、統計データなどの既存資料の収集と分析、テーマに関連した先行研究のフォロー、量的調査の実施などもグループワークとして行われるようになり、作品一点毎に膨大なバックデータが蓄積され、「質的データ分析と量的データ分析との立体的な統合化」(視点と技法の重層性=マルチメソッド・アプローチ)と「分析の総合性」とが果たされる道筋が、はっきりと示されるようになったのである。
ここに至って、“写真で語る:「東京」の社会学”プロジェクトは、「集合的写真観察法」として社会調査論の文脈にのせて検討することを可能にした。
(4) 集合的写真観察法 −新しいビジュアル・リサーチメソッド−
「集合的写真観察法」というネーミングのもとになったのは、松平誠が都市祭礼集団の研究で採った「集団的参与観察法」である(松平:一九八〇、倉沢進:一九八七)。松平は、量的な調査を予備調査として実施・分析した上で、キーパーソンを含む複数の個人に関するライフヒストリーをゼミ生たちが体系だって聞き取る「集団の生活史」を方法として採用している。一人の研究者が一人のインフォーマントからライフヒストリーを聞くという方法では、解釈の恣意性が高く、一般化の妥当性が低いという難点がついて回る。そこで松平は、データの均質性を保証するための方法として、集団による参与観察や聴き取りを行う。学生たちが得たデータを相互に反証したり補強することで、均質性と信頼性が獲得されていくとして、「集団的参与観察法」を提唱・実践したのである。
ひるがえって、「集合的写真観察法」という場合の<集合>とは、@東京の多元的なリアリティが刻印された質的な<集合>データを用いること。A写真に織り込まれている「東京」や「東京人」の<集合>意識や<集合>現象をあぶり出して(写真からくみ取って)、社会学的に分析すること。Bゼミという場で展開するドラマティックな相互作用(対話)を介しての作品化プロセスで、共同主観性(間主観性)が<集合>性を構成する(相互作用を経て一人びとりの認識作用が融合して、<集合>的な解釈枠組みや解釈が織りなされていく)こと。そうした三重の意味での「集合性」が、写真観察をベースにしての実証(調査活動)によって、データの均質性や一般化の妥当性を高めることを担保するので、「集合的写真観察法」を新しいビジュアル・リサーチメソッド、ないしマルチメソッド・アプローチの一変種と位置づけることを可能にするのである。
4.今後の課題と展望 −−「東京」の社会学的研究のために
(1) オムニバスとしての“「東京」の社会学” −もう一つの<集合性>−
これまで述べてきたことを踏まえれば、一枚一枚の「東京写真」は、それ自体が独立したモノグラフ(エスノグラフィー)となり得る。「集合的写真観察法」は、第一義的には、個別の「東京写真」から「東京」や「東京人」に関わる<集合意識>や<集合現象>を見いだし、社会学的に分析するための方法であった。
しかしながら、「それら1つ1つの断片が相互に関連性を持って『ある種の物語性』を漂わせた時、それらの小作品群は1つの作品として自立し、フォトグラフィー(写真誌)と呼ぶに相応しい内実を獲得する可能性を秘めている」(後藤:一九九六、二六頁)ことを看過すべきではない。即ち、筆者はここから、「多数の小作品群からなる“オムニバスとしての『東京』の社会学”」を構想する。個々の作品が一つの完結した物語を構成すると同時に、それらが互いに紡ぎ合って(“せめぎ合いと紡ぎ合いのダイナミズム”=もう一つの<集合性>の獲得)、全体としても一つの作品(モノグラフ)として自立するのである。
勿論、ばらばらに散らばる個々の断片を、糸の切れた風船よろしく風に任せて放置し続けるだけでは「物語」は成立しないし、<集合性>は得られない。着地点を見定め、断片をオーガナイズしていくプロセスを考えておかねばならない。つまり、読み手が「ストーリーらしからぬストーリー」を集合的な作品群から読み解くだけではなく、書き手が「物語の構想」(モデル)に沿って予め小作品群を組み立てて(一つの作品に構成して)おく必要がある。こうした意味で、個々の作品の集積度と質の高さ、そして最終的にどのような作品を作り上げるか(物語るか)に関する構想力=モノグラフの書き手(編集者でもある)の力量、が問われることになる。
この点を、都市社会学の「危機」や「終焉」が語られる今日の都市的状況に引き寄せて考えると、都市社会学の一研究者として「構想すべきは何か」を詰めておく必要がでてくる。
「都市」が際限なく拡散し、「都市性」に収斂する現象が「部分(断片)」としては見い出せても、「都市の全体性」を透視し剥ぎ取ってくることはますます困難になっている。「東京」の場合も同様である。一体、「東京」をどのような広がりと特徴を持った都市として捉えるのか。「東京性」や「東京人性」をどう捉えるのか。「東京」はどこにあるのか。「東京」を「東京」たらしめるものは何か。答えは簡単には求められない。
研究対象となる「都市性」や「東京性」の中身をきちんと詰めて、一義的に規定できないようでは、「『東京』の都市社会学」は成り立ち得ないはずだ。にもかかわらず、現時点では、「都市性」や「東京性」を措定することなく、むしろ棚上げしてしまい、時には空間、時には心意や文化、時には関係性などで置き換えて、その中身を変幻自在に(都合良く)使い分けている。ここから、どのようにして立体的な「東京」を再構成・再構築すればよいのか。
(2) 「東京」と「東京人」のモンタージュ −祖型の素描−
筆者は、プロジェクトを一定期間(一〇年ほど)蓄積した上で、極めて多様な作品群の内容から様々な<集合性>を表象させることで、「都市性」や「東京性」を<逆照射>させることが可能である、と考えている。そしておそらくは、その時こそ「『東京』の社会学的研究」が成立するのであろうが、今回はそれへ向けての中間段階として、モノグラフの「祖型」を素描しておきたい。
「東京人」観察学会(日本大学文理学部社会学科・後藤ゼミ)のWebページ(9)に過去六年間の全作品を収録し、インターネット上で公開しているので、以下の作品No.とタイトルを頼りに読み込んでいただければ、「構想(物語)」の意図をくみ取っていただけるものと思う。具体的な説明を施さずに一覧表(目録)を示しておくに留めるのは、この故である。
「東京」と「東京人」のモンタージュ
(3) 方法論的な洗練化へ向けて −当面の課題−
「『東京』の都市社会学的研究」の今後の展望はひとまず置くとして、最後に検討しておかなければならないのは、「集合的写真観察法」の調査方法論上の課題についてである。何故なら、新しい社会調査法としての確立には、データ化と分析をめぐる方法の洗練化、別言すれば方法としての「標準化/客観化」、が不可欠となるからである。追試を含めて、誰でも行える調査方法にするためには、データの収集・整理・加工・分析が「主観」を離れて行えることが肝要なのである(10)。
この点で筆者が注目するのは、近年、イギリス社会学界で活発に議論されている質的アプローチに関する方法論議である。イギリスにおける社会調査の教育・研究活動をリードしている機関として、Qualidata
を主催するエセックス大学社会学科と、CAQDAS(Computer-Aided Qualitative Data Analysis)Networking
Projectを進め、SRO(Sociological Research Online)、SRU(Social Research Update)、JASSS(Journal
of Artificial Societies & Social Simulation)といったOnline Resourcesを編集・発行しているサリー大学社会学科をあげることができる。特に、サリー大学のCAQDASプロジェクトと社会調査の新地平を切り拓いているオンライン雑誌であるSRU誌(11)は、筆者の抱える課題をクリアする上で、大きな手がかりを与えてくれる。
そこで、SRUのバックナンバー(発表された論文のタイトル一覧)を以下に紹介しておきたい。SRUは一九九三年三月に創刊され、一九九九年冬に刊行された最新号で二七号を数えている。
Social Research Update(SRU); Previous Issues
|
Published
quarterly by the Department of Sociology, University of Surrey, England |
1. Analysing Qualitative Data by Computer, by Nigel
Fielding (University of Surrey)
2. Using Diaries in Social Research, by Louise Corti (University of Essex)
3. Computer Assisted Personal Interviewing, by Roy Sainsbury (University of
York), John Ditch (University of York) and Sandra Hutton (University of York)
4. Exploring the Internet, by Nicky Ferguson (University of Bristol)
5. Ethnographic Writing, by Martyn Hammersley (Open University)
6. Computer simulation of social processes, by Nigel Gilbert (University of
Surrey)
7. Correspondence Analysis, by Dianne Phillips (Manchester Metropolitan
University)
8. Telephone Interviewing, by Roger Thomas (Survey Methods Centre at Social and
Community Planning Research (SCPR))
9. Official Social Classifications in the UK, by David Rose (University of
Essex)
10. Archiving qualitative research data, by Louise Corti (University of Essex),
Janet Foster (University of Essex) and Paul Thompson (University of Essex)
11. Visual research methods, by Marcus Banks (University of Oxford)
12. Elicitation techniques with young people, by Neal Hazel (University of
Stirling)
13. Comparative research methods, by Linda Hantrais (Loughborough University)
14. Paying respondents and informants, by Sonia Thompson (University of Derby)
15. Collecting data through joint interviews, by Hilary Arksey (University of
York)
16. Occupational Gender Segregation, by Bob Blackburn (University of Cambridge)
and Jennifer Jarman (University of Dalhousie)
17. Open and Closed Questions, by Stephen Farrall (University of Oxford), Jon
Bannister (University of Glasgow), Jason Ditton (University of Sheffield) and
Elizabeth Gilchrist (University of Birmingham)
18. Complexity Theory and Social Research, by David Byrne (University of
Durham)
19. Focus groups, by Anita Gibbs (University of Oxford)
20. Finding information on the World Wide Web, by Stuart Peters (University of
Surrey)
21. Using e-mail as a research tool, by Neil Selwyn (University of Wales
Cardiff) and Kate Robson (University of Wales Cardiff)
22. Secondary analysis of qualitative data, by Janet Heaton (University of
York)
23. Multilevel models, by Ian Plewis (University of London)
24. Optimal Matching Analysis, by Tak Wing Chan (University of Surrey)
25. The Use of Vignettes in Qualitative Research, by Christine Barter
(University of Luton) and Emma Renold (NSPCC)
26. Examining the paradox of achievement gaps, by Stephen Gorard (University of
Cardiff)
27. Anticipating the problems of contract social research, by Anne Grinyer (University
of Lancaster)
コンピュータを用いた質的データの分析法、質的データの保存法、ヴィジュアルリサーチ法、比較調査法、WWWやE-mailを用いた調査法、質的データの二次的分析法などなど、興味深いテーマが目白押しである。特に、創刊第一号の論文は、CAQDASプロジェクトの中心的な推進者であるNigel Fielding(サリー大学)によるものであり、「集合的写真観察法」の確立(標準化)をはかる上で、質的データ分析へのコンピュータ・アシストの導入が戦略的に重要であると受け止める筆者にとって、極めて有益な視点と方法を提供してくれる。 まだ具体的な方途が定まっているわけではないが、幸いなことに、筆者は二〇〇〇年三月〜二〇〇一年三月の一年間、Surrey大学社会学科・社会調査研究所(Institute of Social Research)のInternational Visiting Research Scholarとして在外研究にあたる機会を得た(日本大学による一九九九年度の海外派遣)。事の成否は、ここでの成果にかかっている。
(注)
(1)日本都市社会学会の取り組みの概要については、さしあたり後藤(一九九四)、大谷・後藤(一九九六)を参照されたい。
(2)例えば、Plummer, K.(一九八三=一九九一)、佐藤郁哉(一九九二)、石川淳志・橋本和孝・浜谷正晴編著(一九九四)、中野卓・桜井厚編(一九九五)、Glaser,
B.G. & Strauss, A.L.(一九六七=一九九六)、谷富夫編(一九九六)、北沢毅・古賀正義編著(一九九七)、奥田道大・吉原直樹監修(一九九七〜)、Lofland,
J.&L.(一九七一=一九九七)、森岡清志編著(一九九八)、石川淳志・佐藤健二・山田一成編(一九九八)、Maanen, J.V.(一九八八=一九九九)、Emerson,
R.M., Fretz, R.I. & Shaw, L.L.(一九九五=一九九八)、箕浦康子編著(一九九九)、大谷信介・木下英二・後藤範章・小松洋・永野武編著(一九九九)など。
(3)関東社会学会による次のような一連の研究例会や大会のテーマ部会。質的調査法に関する一九九七年度の研究例会「今なぜ質的調査法なのか」(一九九七年十二月六日、於
立教大学)、第四六回大会でのテーマ部会「言語分析の方法と実践」(一九九八年六月一四日、於 日本大学文理学部)、一九九八年度の研究例会「質的調査研究における『信頼できる確からしさ』の根拠」(一九九九年一月九日、於
立教大学)、第四七回大会でのテーマ部会「質的調査研究における『確からしさ』」(一九九九年六月一二日、於 早稲田大学人間科学部)、一九九九年度の研究例会「社会学の方法と対象」(一九九九年十二月一八日、於
立教大学)。
(4)関東社会学会の一九九九年十二月一八日の研究例会「社会学の方法と対象」のポスター(関東社会学会事務局=慶應義塾大学・有末研究室の作成)に記載されている言葉。
(5)日本大学文理学部の「地域社会学」(一九九四〜一九九九年度)、法政大学社会学部の「社会学特殊講義T」(一九九四〜一九九八年度)及び「地域社会学」(一九九六・九九年度)、立正大学文学部の「現代社会論」(一九九七〜九九年度)及び「都市社会学」(一九九九年度)
(6)Carson, R.L.(一九六二=一九九一)、Mills, C.W.(一九五九=一九六五)、及び大谷・後藤他(一九九九、特に第二章及び第W部−1)
(7)都市写真や視覚文化の変容をめぐる以下の文献も参照されたい。伊藤俊治(一九九二)、佐藤健二(一九九四)、Crary,
J.(一九九二=一九九七)、菊池哲彦(一九九八)、同(一九九九)、港千尋(一九九八)、若林幹夫(一九九九)など。
(8)「社会学的介入」の具体的なあり方の一例を示すと、以下の通りである。仮に、写真作品に対する解釈が三通りあるとして、「介入」がなされないとしたら、採択には集団の中の力関係が反映されやすい。即ち、どのようなポジションにある学生の発言であるのかによって左右される傾向が強いのである。そこで筆者は「社会学的介入」を行い、ゼミ生たちに集団の中の力関係を意識させて、この場合であれば「集団力学の効果」を削ぎ落とすように試みる。つまり、解説文に納得してではなく、解釈者のポジショニングに引きずられて同調しているのかも知れないことを気づかせる。A君ではなくB君やCさんの解釈の方が本当に劣るのかどうかを、バイアスをかけずに判断できるように誘導するわけである。
こうした「介入」を行うと、最終的にはメンバーの多くが納得するかどうか(納得させられる材料を解釈者が用意できるかどうか)が基準となって、解釈が落ち着いていく。もっと言えば、フィールドワークの成果の善し悪しが大きく効いてくることになる。第一回目に受け入れられなかった学生たちがフィールドに戻って更にデータを集めてきて、それらを自分たちの考えを補強するものとして二回目にぶつける。そのことで、今まで同調者が少数しかいなかったものが増えていって、最後にはB説とA説が
逆転するということが起こり得るのである。
(9)「東京人」観察学会(日本大学文理学部社会学科・後藤ゼミ)のWebページ(一九九七年開設)「写真で語る:『東京』の社会学」(URL
http://www.chs.nihon-u.ac.jp/soc_dpt/ngotoh/tokyo/)。また、後藤編(一九九七)も参照のこと。
(10)この方法の筆者以外による実践例の一つとして、大倉健宏(一九九六)を挙げることができる。
(11)Social Research Updateは、次の通りである。URL http://www.soc.surrey.ac.uk/sru/sru.htm
【文献】
・ 有末賢(一九九九)『現代大都市の重層的構造−都市化社会における伝統と変容−』ミネルヴァ書房
・ Baudrillard, J(一九九七)L' Art de la Disparition(ジャン・ボードリヤール著、梅宮典子訳『消滅の技法』PARCO出版)
・ Benjamin, W.(一九三五−三六=一九九五)Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technisvhen
Reproduziierbarkeit(ヴァルター・ベンヤミン著、久保哲司訳「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』ちくま学芸文庫)
・ Carson, R.L.(一九六五=一九九一)The Sense of Wonder(レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳『センス・オブ・ワンダー』佑学社)
・ Crary, J.(一九九二=一九九七)Techniques of the Observer ; On Vision and Modernity in
the Nineteenth Century(ジョナサン・クレーリー著、遠藤知巳訳『観察者の系譜−視覚空間の変容とモダニティ−』十月社 )
・ Emerson, R.M., Fretz, R.I. & Shaw, L.L.(一九九五=一九九八)Writing Ethnographic
Fieldnotes (R.M.エマーソン・R.I.フレッツ・L.L.ショウ著、佐藤郁哉・好井裕明・山田富秋訳『方法としてのフィールドノート:現地取材から物語作成まで』新曜社)
・ Glaser, B.G. & Strauss, A.L.(一九六七=一九九六)The Discovery of Grounded Theory :
Strategies for Qualitative ・ Research(B.G.グレイザー・A.L.ストラウス著、後藤隆・大出春江・水野節夫訳『データ対話型理論の発見:調査からいかに理論を発見するか』新曜社
・ 後藤範章(一九九四)「日本都市社会学と社会調査−いかに自己認識し自己転回をはかるのか−」(日本都市社会学会『日本都市社会学会年報』第一二号)
・ 後藤範章(一九九五)「都市社会学と社会調査方法論−都市的社会のリアリティを求めて−」日本大学社会学会『社会学論叢』第一二三号
・ 後藤範章(一九九六)「マルチメソッドとダイレクト・オブザベーション−リアリティへの感応力−」(日本都市社会学会『日本都市社会学会年報』第一四号)
・ 後藤範章編(一九九七)「<まなざし>に込められた社会的意味の解読!−“写真で語る:「東京」の社会学”−」(日本大学文理学部『学叢』第五九号)
・ 飯沢耕太郎(一九九五)『東京写真』INAX出版 飯沢耕太郎(一九九六)『写真美術館へようこそ』講談社現代新書
・ 池岡義孝・木戸功・志田哲之・中正樹(一九九九)「単身生活者による家族の構造−構築主義的な家族研究のアプローチの試み−」(早稲田大学人間科学部『人間科学研究』第一二巻第一号)
・ 石川淳志・橋本和孝・浜谷正晴編著(一九九四)『社会調査:歴史と視点』ミネルヴァ書房
・ 石川淳志・佐藤健二・山田一成編(一九九八)『見えないものを見る力:社会調査という認識』八千代出版
・ 伊藤俊治(一九九二)『20世紀写真史』ちくま学芸文庫
・ 川又俊則(一九九七)「宗教調査論・序説−調査者とインフォーマントとの関係を中心に−」(「宗教と社会」学会『宗教と社会』第3号)
・ 菊池哲彦(一九九八)「写真の中の都市−19世紀写真における視覚の編成と都市のモダニティ−」(ソシオロゴス編集委員会『ソシオロゴス』第二二号)
・ 菊池哲彦(一九九九)「『爆発』のメタファー−都市の視覚性の変容について−」(千葉大学『社会文化科学研究』第三号)
・ 北澤毅・古賀正義編(一九九七)『<社会>を読み解く技法:質的調査法への招待』福村出版
・ 倉石忠彦(一九九八)「民俗と民間伝承」(都市民俗学研究会『都市民俗研究』第三号)
・ 倉沢進(一九八七)「シンポジウム『都市社会学と生活史法』」(日本都市社会学会編『日本都市社会学会年報』第五号)
・ Lofland, J.&L.(一九七一=一九九七)Analyzing Social Settings : A Guide to
Qualitative Observation and Analysis(J.&L.ロフランド著、進藤雄三・宝月誠訳『社会状況の分析:質的観察と分析の方法』恒星社厚生閣
・ Maanen, J.V.(一九八八=一九九九)Tales of the Field on Writing Ethnography(ジョン・ヴァン=マーネン著、森川渉訳『フィールドワークの物語:エスノグラフィーの文章作法』現代書館)
・ 松平誠(一九八〇)『祭の社会学』講談社現代新書
・ Mills, C.W.(一九五九=一九六五)The Sociological Imagination(ライト・ミルズ著、鈴木広訳『社会学的想像力』紀伊国屋書店)
・ 港千尋(一九九八)『写真という出来事−クロニクル1988-1994』河出書房新社
・ 箕浦康子編著(一九九九)『フィールドワークの技法と実際:マイクロ・エスノグラフィー入門』ミネルヴァ書房
・ 見田宗介(一九六五)「現代における不幸の諸類型」(『現代日本の精神構造』弘文堂)
・ 見田宗介(一九七八)『近代日本の心情の歴史−流行歌の社会心理−』講談社学術文庫
・ 森岡清志編著(一九九八)『ガイドブック社会調査』日本評論社
・ 内藤正敏(一九八五)『東京−都市の闇を幻視する−』名著出版
・ 中野卓・桜井厚編(一九九五)『ライフヒストリーの社会学』弘文堂
・ 西村清和(一九九七)『視線の物語・写真の哲学』講談社選書メチエ
・ 大倉健宏(一九九六)「社会学的視点の構築のために」(福島女子短期大学『研究紀要』第二六集)
・ 奥田道大・吉原直樹監修(一九九七〜)『シカゴ都市社会学古典シリーズ』ハーベスト社
・ 大谷信介・後藤範章(一九九六)「特集の言葉:都市社会調査のデータと方法」(日本都市社会学会編『日本都市社会学会年報』第一四号)
・ 大谷信介・木下栄二・後藤範章・小松洋・永野武編著(一九九九)『社会調査へのアプローチ−論理と方法−』ミネルヴァ書房
・ Plummer, K.(一九八三=一九九一)Documents of Life : An Introduction to the Problems and
Literature of a Humanistic Method(ケン・プラマー著、原田勝弘・川合隆男・下田平裕監訳『生活記録の社会学:方法としての生活史研究案内』光生館)
・ 作田啓一(一九八一)『個人主義の運命−近代小説と社会学−』岩波新書
・ 佐藤郁哉(一九九二)『フィールドワーク:書を持って街へ出よう』新曜社
・ 佐藤健二(一九九四)『風景の生産・風景の解放−メディアのアルケオロジー−』講談社選書メチエ
・ 佐藤良明(一九九九)『J-POP進化論−「ヨサホイ節」から「Automatic」へ−』平凡社新書
・ 清水幾太郎(一九六六)『現代思想』岩波全書
・ 玉野和志(一九九九)「都市祭礼の復興とその担い手層−『小山両社祭』を事例として−」(東京市政調査会『都市問題』第九〇巻第八号)
・ 谷富夫編(一九九六)『ライフヒストリーを学ぶ人のために』世界思想社
・ 東京都写真美術館(一九九五)『写真都市TOKYO』
・ 東京都写真美術館企画・監修(一九九八)『ウジェーヌ・アジェ回顧』淡交社
・ 東京都写真美術館(一九九〇)『東京|都市の視線』
・ 山中速人ほか(一九九三)『ビデオで社会学しませんか』有斐閣
・ 若林幹夫(一九九九)『都市のアレゴリー』INAX出版
(付記)
本稿は、関東社会学会の「質的調査法」に関する一九九七年度の研究例会「今なぜ質的調査法なのか」(一九九七年十二月六日、於 立教大学)及び現代伝承論研究会の第八回例会(一九九八年四月一八日、於
國學院大學)での筆者の報告、「社会的リアリティへの感応力と想像力−集合的写真観察法の試み−」(関東社会学会)と、「<まなざし>の相互作用−不可視性の可視化と可知化、あるいは、<見ること>を介しての社会学と民俗学との<対話>を求めて−」(現代伝承論研究会)を基に、加筆修正を施したものである。
報告する機会を与えていただいた有末賢(慶應義塾大学)、池岡義孝(早稲田大学)、倉石忠彦(國學院大學)の各氏をはじめ、様々な観点から極めて有益で刺激的なコメントを寄せてくださった多くの方々、そして“写真で語る:『東京』の社会学”プロジェクトを担っているゼミの学生と卒業生たちに、感謝の意を表したい。
(二〇〇〇年一月一日記)