古田智久 教授


氏   名

古田智久 (Furuta Tomohisa)

資   格

教授

専   攻

認識論・言語哲学

著   作

〈論文〉

・21世紀における哲学の方法
 −概念分析と思考実験,そして自然主義−
 『21世紀の学問方法論』(日本大学文理学部叢書9)
 冨山房インターナショナル(2013.4.18)71-134.
・飯田隆著『言語哲学大全』II巻・III巻(書評論文)
 『科学哲学』41巻1号(2008.7.30)95-119.
・21世紀知識論の見取り図
 ー自然主義的認識論の展開ー
 『知識構造科学の創造へ向けての基礎研究』
 日本大学精神文化研究所(2008.3.21)1-25.
・“Epistemology in Japan: 2000-2005, ”
   Annals of the Japan Association for
   Philosophy of Science,
Vol. 15, No. 2,
   2007, 1-27.
・外在主義的知識論から社会化された認識論へ
  『近現代知識論の動向とその21世紀的展望』
  日本大学精神文化研究所
  (2005.2.25)99-143.
・分析哲学の観点から見た哲学史の研究方法と時代区分
 −ローティ「哲学史の記述方法」を手がかりとして−
  『西洋哲学観と時代区分』昭和堂
  (2004.10.30)448-477.
・"Naturalized Epistemology and Its Problems,"
   Annals of the Japan Association for
   Philosophy of Science
, Vol. 11, No. 2
   (2003) 1-18.
・分析性と還元主義のささやかな復権
  『科学哲学』35巻2号(2002.11.10)1-14.
・「経験主義の二つのドグマ」の読み方
  『西洋哲学史の再構築に向けて』昭和堂
  (2000.4.30)414-439.
・翻訳の不確定性と心的性質の非法則性
  『哲學』第49号(1998.4.1)290-298.
・翻訳の不確定性とは何か
  『科学基礎論研究』第90号(1998.3.31)pp. 21-26.
・ホーリズムの諸相
  『科学基礎論研究』第84号(1995.3.31)23−29.
・クワインの行動主義
  『科学哲学』23(1990.11.10)93−104.
・「分析性」批判の諸相
  『科学哲学』19(1986.11.20)89−101.

私の
研究紹介
(学生の方々へ) 

 私は、哲学の勉強を始めて以来ずっと哲学(哲学史ではありません)の一領域である認識論(epistemology)あるいは知識論(theory of knowledge)と呼ばれる研究領域を専攻してきました。認識論とは、具体的には、次のような問題を考察する研究領域です。

(1) 我々人間の知識が構成されるプロセス、すなわち、人が外部世界から情報を獲得しそれを一般化・理論化していくプロセスの解明。動物も知識を保有すると見なす立場もありますが、私は人間だけが知識を有することができると考えます。
(2) 知識の定義。この問題は、単なる信念(我々の信念には偽なる信念もあります)と確実な知識とを区別するための基準を設定するという問題に繋がります。
(3) 知識とそれを裏付ける証拠との関係の解明。

 私のスタンスは、一貫して、経験主義という観点に立ってこれらの問題を考察する、というものです。
 ところで、古典的な経験主義では、知識を構成する基本的な単位が「観念」とされていましたが、これでは、認識論的には経験主義(つまり、我々の知識内容は経験を介して獲得されるとする立場)を標榜しながらも、方法論的(あるいは存在論的)には客観的に観察不可能な「観念」というものを(存在者として)基礎に据えているために、「観念論」というレッテルを付与されることになってしまいます。そこで、観念論に堕するという批判を回避するために、「観念」から「言葉」へという焦点の転換(linguistic turn)が図られることになりました。そのようなわけで、上記「専攻」欄に示しました「言語哲学」とは、認識論的な傾向の強いもの、認識論の中に包摂されるものという意味で御理解いただければ幸いです。
 以上のような私の哲学的志向(嗜好?)に合致する哲学者は、クワイン(W.V.O.Quine)です。したがって、私の研究は、クワイン哲学とその発展形態であるデイヴィドソン(D.Davidson)の哲学の研究を中心とするものとなっています。
 ところで、最近の哲学界の状況を概観しますと、ロック(J.Locke)以来哲学の最も重要な研究領域であった「認識論」が、「心の哲学(philosophy of mind)」に取って代わられたような印象を(私は)受けます。現在の哲学者は、知識という側面からのみ「心」にアプローチするのではなく、デカルト(R.Descartes)のように専ら「心」そのものを中心に据えて議論を展開することが圧倒的に多いように思われるのです。こうした心の哲学の隆盛/認識論の衰退の原因は、(1)脳科学の進歩、(2)ローティ(R.Rorty)による古典的認識論のプログラムの不毛性の糾弾、にあると思われます。しかしながら、私は、上述のような認識論的な問題が解決されたとも、またその解決を目指すことが不毛だとも考えていません。それどころか、私は、このような認識論的な問題について、クワインが示した路線に沿って(但し、クワイン哲学に大幅な修正を加えることになりますが)探究することが実りある成果をもたらすと信じて止みません。私の現在の関心は、古典的認識論の枠組を脱却した現代の知識論の主要な立場である「外在主義(externalism)」と「社会化(socializing)」という視点を、クワインの認識論と接合することにあります。

現在の研究

1.自然主義的認識論
2.分析哲学の方法論