![]() |
|||
![]() |
|
07.31
|
この日は、池間島から出るガラスボートに乗り、八重干瀬に行くことになる。重装備を求められ、行き道に水にぬれてもいい運動靴などを購入。この日は十五夜の満月のため、大潮で、沖合の海水が引き、海底のサンゴ礁があらわれてくるというのだ。ガラスボートというのは、ボートの船底の真ん中を透明ガラスにして、海中を観察できるようにしたもの。船に乗ると、船頭さんが八重干瀬は観光客で荒らされているから、大神島の干瀬の方がいいというので、そちらに行き先変更。行ってみると、これが衝撃的に美しい世界だった。池間島と大神島のあいだ、まさに沖合の真ん中、ふだんは2メートルほどの深さのところが浅瀬になっている。下りてみると、くるぶしぐらいのところもある。周囲はびっしりさまざまな種類のサンゴで、色とりどり。水中目がねで海中をのぞくと、それ以上にあざやかな色合いの魚たちが泳ぎ回っている。深いところはそのまま泳いでみると、水族館の熱帯魚コーナーを泳いでいるかのよう。すっかり童心にかえって、1時間、遊びまわりました。 その後、氷上邸に戻り、海水を洗い流す。出かけているあいだに、盛オジがカツオをさばいてくれていました。夜は、このカツオやアオブダイ、マチなどの刺し身を肴にする。今夜は知念さんが訪ねて来てくれて、二晩つづきでおつきあいいただく。夜中、請われるままに、知念さんが宮古民謡を披露。喝采をあびる。 知念さんとは初めて会うが、氷上さんが会わせたがっていたのがわかる。小学校の時に発病して、療養所生活を送り、差別と偏見のなかにいた人がこんなにおおらかで、魅力的である、そのことにあらためて驚いてしまう。 それにしても氷上さんという人はすごい。むかし、やはり同僚でロシア史学者の加藤史朗さんが「いままで会ってきたなかで氷上がほんとうのインテリだと思う」と語っていたが、あのときも思わずうなづいてしまった。学者稼業のヤクザなこと、大学教員だとか研究者だとか言っていることがむなしく聞こえてしまう。麻布時代を思い出しつつ、泡盛を飲みつづける。 |
||||||||||||
|
07.30
|
昨晩、同僚の藤木正次先生、急逝の報告が入る。ショック。肝臓ガンだったので、もしやとは思っていたけれど、沖縄に立つ二日前にお見舞いにうかがったばかりだった。そのときは顔色もよく、後期の授業について打合せたのだが、それからわずか数日後にお亡くなりになるなんて。文理国文の書道を一身に担っていただけに残念。オープンキャンパスの拓本実演も、去年のOC打ち上げのときに1年後には面白いことやりますと、そのアイデアに子供のように喜んでおられたのだが。ともあれ心よりご冥福をお祈りいたします。 このあとの旅程をどうするか迷ったが、もし何かあれば、辻先生、竹下先生に万事をたくすことになっている。仕事のできる助手たちもいるので、思い切って、予定通りに宮古島に移動することにする。 午前中、那覇の公設市場周辺を見学し、11時過ぎに宮古行きの飛行機に乗る。搭乗すること50分。眼下には真っ青な海に点在する島々がみえる。やがて宮古空港へ。空港では、氷上さんと長女の桃子さんが迎えに来てくれていた。 氷上夫人の実家に荷物を置き、さっそく宮古見学。まず、島内のメインストリートを見た後、夫人の球紀さんが看護婦としてはたらき、氷上さんがもう25年もボランティアに来ている宮古南静園というハンセン病の療養所に出かける。絶好のロケーションに立つ療養所だが、同時に患者の自由をうばう場所でもあったところだ。知りあいの患者さんたち数人をたずね、話をする。みなさんいずれもお年寄りだが、いろんな患者さんたちがいて、みんな話し相手を待っている様子。数日後には氷上さんを中心にしたボランティアグループ「南風の会」がやってくる。所内で「納涼まつり」も予定されていて、それを待ちかねているようだった。この南静園の歴史は近代日本のハンセン病の歴史でもある。ある医師の書いた「南静園の70年」という文章を紹介しておく。 市内にもどり、平良市役所を訪問。中心街を歩く。さらに美しい海岸線を眺めたあと、西平安名岬で夕陽をみる。大きな太陽と月が東西に対面。大海に沈みゆく夕陽はたしかに荘厳で宗教的感情を呼び起こさせるようだ。 夜、ハンセン病患者たちの国家賠償訴訟原告団の宮古南静園の事務局長をつとめた知念正勝さんのお宅を訪ねる。氷上さんの長年の友人である。このあいだの台風で軒屋根が吹っ飛んだという庭のテラスで乾杯。知念さんの闘病、そして闘争の歴史や、漁師としての海での日々を肴に泡盛を飲みつづける。 |
||||||||||||
|
07.29
|
那覇から一時間ほど離れた読谷村に出かける。ここで「よみたんガイド風の会」の比嘉さんと会い、朝9時から19時まで、10時間ものあいだ、村のなかを案内してもらう。ここは沖縄戦の激戦地で、米軍が最初に上陸してきた浜辺のすぐそばにあたる。避難した村民のうち、チビチリガマという洞窟では兵隊に行っていなかった老人と女性たちが子どもたちを道連れに集団自決した。比嘉さんにまず、このチビチリガマに案内してもらう。「風の会」は、中学高校の修学旅行をはじめ、総合学習・平和学習のためのガイドを組織している読谷村キモイリのグループで、比嘉さんは沖縄バスのガイド出身だそうだ。話してみて、まったくの同年代に気づく。同じ洞窟でも、千人の避難者が助かった近くのシムクガマにも行く。こちらは避難者のなかにハワイの出稼ぎから帰った老人が2名いたことにより、集団自決が回避されたという。 読谷村は、戦後、村の大半の土地が基地に接収された。北谷と同じく、広大な嘉手納基地があり、米軍の軍事訓練によって死者も出している。有名な米軍の通信施設で、「象のオリ」と呼ばれている楚辺通信所もこの村にある。ここでは通信傍受が目的とされていて、携帯電話の内容も傍受できると言われている。基地は、なぜか神社の鳥居をかたどったオブジェを入り口に設けたトリー・ステーションのように、出入りを厳重にとりしまり、周囲にフェンスをはりめぐらしたものから、まったくおおわれていないものまである。そのむきだしの場所は、いったん事あれば、軍事演習の舞台となり、グリーンベレーのパラシュート降下練習場になったりする。その降下中に、軍需物資のトレーラーが落ちてきて亡くなった小学生もいた。 この練習場のど真ん中に建つのが、読谷村村役場である。当時の山内徳信村長は、日米地位協定の条文のすき間をぬって、文化施設を基地のなかに建てることを計画。風水学などを根拠に(!)、文化施設を併設した村役場を建てたのである。これにより、米軍はここで軍事演習がしにくくなり、返還交渉に有利に働いたという。司令官が変われば、新司令官をすぐに読谷村の文化や歴史にふれさせるようにし、夫人には読谷村の織物を見せた。文化や歴史を知らせること、そうすれば軍事目的に利用することの不条理に気づくのだというわけだ。教条的ではない、実践的な基地返還闘争をつらぬいた場所、それが読谷村なのである。 実際の村役場に行ってみた。両サイドを演習場にはさまれながら、役場の展望台では基地を一望できる。敷地内には、憲法九条の碑や、村役場を建てたときの記念碑が立っている。人口3万人を超えるが、町制には移行せず、読谷村でいくという。政治家にロクな人はいないと思わされてばかり入るが、もっとも葛藤と苦悩の深い場所で、すぐれた地方行政家がいたんですね。 首里城の何倍もすばらしい景観の座喜味城趾を堪能したあと、読谷村のやちむんの里を訪ね、のぼり窯に火入れしているところに遭遇。お皿やガラスをいくつか購入。夕方、残波岬の夕陽を眺めていたら、近所でKiroroの2人が家族、スタッフらしき人々とともにバーベキューを楽しんでいました。いい風景でした。 金井さんとすっかり意気投合した比嘉さんに那覇まで送っていただき、ホテル側の「安里家」で晩飯。よく歩き回ったのですぐ熟睡。 |
||||||||||||
|
07.28
|
沖縄本島、那覇に到着。東京よりはるかにしのぎやすい。気温も32度で、先日の39度近かった本土より涼しい。日陰に入ると汗もひく。ただし、紫外線は強いらしく、直射日光は肌に射すようでした。空港からモノレールで牧志駅でおり、国際通りへ。ホテルに荷物をあずけたあと、昼食。郵便局で沖縄そばのおすすめの店を聞き出し、路地裏にある「ツルちゃん」というお店で、ソーキそばを一杯食する。スープがじつにおいしい。午後、市立の焼物博物館、やちむんの里、首里城公園を見学。夕方、「うりずん」で沖縄の料理をさかなに泡盛の古酒を飲む。 | ||||||||||||
|
07.27
|
定期健診のあと、大学へ。書類整理や学科内の打合せなどであっという間に時間がたってしまう。午後から某印刷会社の方たちと打合せ。 明日から、沖縄、宮古島に出かけます。宮古島では、麻布の校長の氷上信廣さんと会う予定。8月1日に戻る予定ですが、台風10号も近づいているようで、果たしてどうなることやら。 |
||||||||||||
|
07.25
|
オープンキャンパスが終わる。学部全体では、1日目が2226名、2日目が2608名で、合計4834名の来場者があったそうです。今回は、小平さんが広報委員で、ノベルティもなかなかお洒落な小物でした。 国文学科の展示室の方も、1日目が255名、2日目が248名で、合計して503名が署名されました。前年より数字は伸びているのはありがたいのですが、いささか付属高校の占める割合が高くなっているのが気がかりです。いまはもうどこの大学もオープンキャンパス花盛りで、オープンキャンパスのはしごも当たり前の状態。世田谷の立地もそう威張れるほどではないような気がします。次の作戦を練らないといけないな。 とはいえ、ぶじにこの行事も終了。手伝ってくれた学生さんたちと教員、25名で、打ち上げ会。ゼミの女子学生から、紅野のうわさをしていたら、国文の某女性教員2名から、「紅野先生の笑顔を信用してはいけない。あれはハリウッド・スマイル、ヨン様スマイルに過ぎない」と言われたとのこと。ヨン様にたとえられるのは光栄だけど、しょせん表だけの笑顔に「過ぎない」とはね。トホホ。 |
||||||||||||
|
07.24
|
オープンキャンパス初日。今回も、模擬授業のほかに、国文学科の展示室が2教室をとって行われる。従来と同じく、教員と学生による相談コーナーのほか、初版複製本や写本の展示、卒論サンプル、ゼミ展示、金子製作所の「ヴァーチャル世田谷文学散歩」や「クイズ百人一首」などのコンピュータゲーム、方言分析や声紋採取コーナーなどの企画。とにかく毎年、企画が増えているのは頼もしいかぎりで、好評の貴重書体験コーナーに加えて、今回は、書道で拓本の実演コーナーが用意された。これが大好評で、高校生が順番待ちするほど。やはり実技・実演の面白さがあり、なぜかアルバイト学生や教員までもが並んでいました。小平ゼミも強力で、東京文学散歩のほかに、1年生の前期授業による「現代日本文学ガイド」が冊子で並びました。これはなかなかの代物。後期分と合わせて、本格版が出来るそうですが、競争心がかきたてられました。
|
||||||||||||
|
07.10
|
日本大学国文学会の総会。ゲスト講演に三谷邦明さん。発表が院生2名に竹下さん。懇親会のあと、ぼくが「鮎の塩焼きを食べたい」と叫んだため、二次会は「爺」に移動。韓国・韓神大学の光安くんもあらわれ、終電近くまで大騒ぎ。 | ||||||||||||
|
07.04
|
大学院卒業生の夏目さんの結婚式に、大塚さんとともに出席。浜松の高層ホテルの最上階でした。遠州灘の波頭をながめながら、お2人の門出を祝いました。 | ||||||||||||
|
07.03
|
総合教育科目「映画論1」「歴史と社会1(戦争論)」の学期末レポート課題を掲げました。 | ||||||||||||
|
07.02
|
久しぶりの休日。新宿で行定勲監督の「世界の中心で、愛をさけぶ」を見てしまう。見てしまうと言いたくなるほど、なんだかセカチュウ・ブームなんだそうだが、まだ原作は読んでいない。だから比較は出来ないのだけれど、映画はやや長いものの、メロドラマとしては佳作なのではないでしょうか。内容的には、「愛と死をみつめて」以来の闘病・純愛物語に、「ノルウェイの森」と「ラブ・レター」を足したような話なんですね。そういうパッチワークみたいな物語を、いろいろ工夫して見せる映画にしていました。記憶や時間、手紙(テープ)と時差、配達人などの要素がちりばめられています。「GO」でもこの監督は、柴咲コウに裸足で路上を歩かせてましたが、ここでも森山未來くんが裸足で走るシーンがありました。今回は柴咲コウにブーツを履かせっぱなしなんですが、もう一人のヒロインの子にもさかんに足を見せるようにしてました。足にこだわりがあるんですね。 ただ、「世界の中心」として想定されるオーストラリアのエアーズロックの描き方がいかにも通俗的。これは原作の問題なんでしょうね。アボリジニの世界観もオリエンタリズムが出過ぎていて、興ざめ。結局、エアーズロックまで行かせずに終わるところが映画側のメッセージなのかな。 |
||||||||||||
|
06.27
|
卒業生の上田さんの結婚式に出席。川越の氷川会館で。むかしの卒業生数人にも会い、なつかしかったです。それ以外のひともみんな元気かな。 | ||||||||||||
|
06.19
|
午前中、青山学院大学の日本文学会で講演。「山中峯太郎と『少年倶楽部』ー『亜細亜の曙』の背景ー」という話。この間の大学院での授業をもとに、AppleのプレゼンソフトKeynoteを使ってみました。初めて青山学院正門横の高層ビルにのぼったのですが、こちらの日文科は向かいの国連大学や子どもの城を見下ろしているんですね。すごい景観でしたが、高所恐怖症のぼくとしてはちと不安。 3時から早稲田の「朗読の理論と実践の会」を聞きに行く。兵藤裕己さんと大津雄一さん、それに薩摩琵琶の実演もあるという。会場で石原千秋さん、島村輝さん、村瀬士朗さんと会う。デリダの「音声中心主義=形而上学」批判を再批判しながら、朗読を主体の複数化のレベルでとらえよというのが、兵藤さんの論旨。モノガタリを、モノに取り憑かれた語りととらえると、語りの主体は人格的一貫性を揺るがされてしまう。その例に白石加代子による「源氏」朗読をあげていました。ぼくの意見は、憑き物系の語りをどう考えるかも面白いけど、同時に落語や漫才のお笑い系の語りも考えようというもの。みんなで一体感をもつ朗読は気持ち悪いけど、落語や漫才の台本を朗読したらどうなるんでしょう。ちょっと面白いと思いませんか。 終了後、みんなで「花のあと」で宴会。今日もここの料理はピカイチでした。 |
||||||||||||
|
06.17
|
会議デー。そのあいまに「週刊読書人」に「ハンディで簡易な全集を期待する」という短いエッセイを書いて送る。 研究室会議、人文科学研究所紀要編集委員会、学科主任会議、合同教授会、大学院分科委員会と5つもの会議が終わったあと、今度は学術フロンティアの国文プロジェクトの会議を招集。広領域センターの部屋で、2時間ほど打ち合わせ。秋の経過報告会、1年後の中間報告会に向けて、「明月記」と喜多村文庫のDB化を進展させることで合意。会議の多さと長さにふぅー。11時から研究室会議を始めて、フロンティアの会議の終了が19時。合計8時間も会議のはしごをしていたんですね。 終了後、金子さんやPDの森井さん、大塚さんと「海晴亭」へ。 |
||||||||||||
|
06.14
|
11日の夜から新潟に出張。通信教育部のスクーリング授業のため。朝9時から夜6時まで3日間、15コマの授業をこなす。受講生も教員もへとへとになる。今回は講談社文芸文庫の「戦後短編小説の再発見」シリーズから『故郷と異郷の幻影』を選んだ。全部で12編の短編小説が収められていて、これを一気に全部、読んで、読書会のように進めた。12編もの小説を3日のあいだに読むというような授業体験はめったにないが、その分、しんどかったけど、面白かった。井伏鱒二の「貧乏性」に始まり、長谷川四郎「シルカ」や森敦「弥助」、島田雅彦「ミス・サハラを探して」まで。わずか9人の参加者だけど、どこが面白いのか分からないという感想の続出するなか、これをくぐりぬけて、いかに面白いかを説き伏せる。いやはや、我ながら香具師か興行師になったような気分でした。 | ||||||||||||
|
05.30
|
勉誠出版から雑誌「GYROS(ジャイロス)」3号がとどく。「国文学の死と再生」という特集で、前に書いたようにそこに「国文学ナショナリズムと『危機』の言説」という文章を書いたのです。雑誌本体を見るのはこれがはじめてでしたが、一読して、腕を組んでしまいました。この特集の組み方や雑誌の性格について、だいぶぼくの考えていることと開きがあるようです。うーん……。しかし、有馬朗人前文相や橋本治へのインタビューもあり、ぼく以外の書き手を見ても、有名研究者が多いし、話題にはなりそうです。しかし、……巻末に今後の予告が出ているんですが、そこには8月号の特集予定として「沖縄のやさしさが日本を救う」などと書かれていました。!?!?!? 明日31日は、NHKhiで「大菩薩峠」の特集番組が放送されます。午後7時過ぎから、途中ニュース中断をはさんで夜中の2時ぐらいまでつづくそうです。すごい長尺ですが、野間宏の会でお会いした寺田博さん(元『海燕』編集長)は試写で見て、とても面白かったそうな。1時間半ぐらいたったあたりで、文理学部で「映画論」の授業風景もちらっと出てきますので、どうぞお楽しみに。 |
||||||||||||
|
05.29
|
アルカディア市ケ谷に出かけ、野間宏の会で講演。「『人民文学』と野間宏」という演題。まったく経験のない半世紀以上前の50年問題を扱っての話。あくまでも公表された誌面から考えられることをめぐって話したが、あとで針生一郎さんや田所泉さんなどから足りない部分について話をうかがう。 夜、帰宅してから、NHKラジオ第一放送でデジタル・アーカイブスの放送を聞く。山田敦子さんの巧みな司会と、荻野アンナさんのノリの良さに対して、解説者の役割をこなしている感じ。まあ、そうだったろうなと自覚しつつも、自分で聞くといささかぎこちない感じもぬぐえず。それにしても谷崎潤一郎の声は一聞(?)に値します。 |
||||||||||||
|
05.27
|
人文研の共同研究「ナショナリズムとアナーキズムの交錯をめぐる超域的研究」の研究会で,米谷匡史さんを呼ぶ。テーマは「『東亜協同体論』の行方」。米谷さんが編集した『尾崎秀実時評集』(平凡社・東洋文庫)をもとに、近衛新体制の時期に昭和研究会に属していた尾崎や三木が唱えた「東亜協同体論」の意味と、それを誤読することによって帝国への反噬を試みた植民地知識人の言説が話題となった。近代ロシア史の土屋さんや現代中国語文学の山口さん、近代中国史の松重さんや研究員のSherif先生らが参加。国文の助手、PD、院生もかなり来ていて、論議が飛び交った。研究会のあとは「海晴亭」で18名ほどで懇親会。勉強会らしい、楽しい一夕でした。米谷さん、どうもありがとうございます。 | ||||||||||||
|
05.23
|
昨日今日と2日間の近代文学会。今日の午後は「戦後論の検討」というシンポジウム。おもしろいテーマではあるけれど、焦点を絞りきれずに拡散気味でした。吉見さんのアメリカニズムのイメージ分析、竹内さんの戦後文化運動の再検討、花田さんのローカリズムに根差した小さな物語への執着、それぞれだけでも十分に議論できるものなのだが、横に並列されるとなかなかつなげるのがむずかしい。やはり、これは500人規模の聴衆を対象にテーマ設定するので、あまり細かく限定できないことが制約になっているのではないでしょうか。分科会のパネル形式にも一長一短はあるが、制度的な欠陥を克服する模索を始めた方がいいように思います。これまで6月、9月、11月と例会を開き、5月、10月に大会を開いていたが、例会はすべて廃止し、2回の大会を複数会場による分科会形式にしていけば、発表数はこれまでの数を十分こなせるし、はるかに増やすことも出来ます。それで100人〜150人規模のものがいくつもある方が、テーマ設定も細かく出来るし、議論もしやすい。何もかも全員で一緒に議論し、考えましょうというのでは、もはや限界があります。それに各分科会のテーマは、これまでのように何もかも運営委員が決めるのではなく、発表者込みの持ち込み企画を募るようにして、司会だけ運営委員がやればいい。その方が一般会員が何人かと組んでシンポジウムを企画したりできるようになるでしょう。テクストの表現分析をやるパネルもあれば、作家研究や書誌のパネルもある、といったように多様なパネルがあることが望ましい。会場校は大変かもしれないけれど、年2回と割り切れば可能なのではないでしょうか。最初は、サクラの企画を運営委員が用意するにしても、軌道に乗ればその方がおもしろそうなんですがね。 | ||||||||||||
|
05.20
|
今度は大学院の近代専攻の院生たちのコンパ(ふたたび、in たつみ)。曾根、金子、小平先生たちも一緒。シェリフ先生やヘンリー君も参加し、わいわいがやがや。曾根先生の家の「塀書庫」の話で盛り上がる。「へぇ〜〜」と、やはり曾根先生は言いました。 | ||||||||||||
|
05.17
|
学部のゼミのコンパ(in たつみ)。幹事の手際がよく、ひとり2600円の値段であがる。ただし、隣のグループが大騒ぎで、こちらはよく声も聞き取れない始末。新歓シーズンはこれが困りますね。 | ||||||||||||
|
05.15
|
12日に大学時代の友人の女性が亡くなったという報を受け、昨夜はフィルムセンターのあとでお通夜に臨み、この日は告別式に出かける。大学時代といっても、映画のサークルの後輩で、2学年ほど下だった。卒業後、商社につとめていたりしたが、やがて退職し、同じサークルの仲間と結婚した。ぼくはその夫君の方と親しかったので、ずっと長く付き合いが続いたのである。結婚したときも知っているし、娘が生まれて母親になってからも、2,3年おきには必ず集まって、わいわいバカ話に花を咲かせていた。 2月に仲間のひとりから連絡があり、彼女の体調が悪く、手術のために入院したという知らせを受けた。3人ほどでつれだって、手術3日前の彼女を見舞った。肺に腫瘍の影が出たという話だったが、見た目は思いのほか元気で、病室のあるフロアのロビーで小一時間、話をした。途中で遅れて、夫君もあらわれた。見舞いに何がいいか迷った末に、手術後は体力が回復するまで文字を読む気にもなれないだろうからと思って、手元にあった荒木経惟の「いとしのチロ」を持っていった。そしたら予想以上に喜んで猫話をひとしきりしたあと、自宅に飼っている猫の写真を病室に持ってきているんだと言って、わざわざ取りに行った。持ってきたアルバムには、きれいに整えられた部屋のソファで長毛の猫と中学生の娘さんが写っていた。 「そうだ、新しく家を建てたって言ってたね」というと、もう2年になるという。夫君に、みんなを呼んでお披露目かたがたホームパーティしたいといっていたんだけど、なかなかその機会がなくてとあやまった。広告マンの夫君も、ぼくも、他の仲間たちもそれぞれ時間に追われているようなものだ。しかたないよ、今度、治ったら遊びにいくよ。そんな慰めのことばをかけた。 ほかのみんなが別の話をしていたとき、アルバムをくりながら、「もう覚悟をしてるの」といった。ことばを返せないでいると、「わたしはほんとうに何かしたいというものがなかったような気がする。でも、結婚して子どもができて、それで十分。子どももだいぶ大きくなったから、あとは大丈夫だと思うわ」とさらっと語った。ぼくは、ぼくの母親が「来年の桜はもう見れないかもしれない」と言いながら、もう十年以上も生きているよと語り、笑い話にまぎらせるしかなかったが、彼女のことばが咽喉に刺さったように感じた。 しかし、それにしても今ごろ、肺ガンですぐに亡くなるなんてことはないだろう、打ち消すようにそう思っていた。今度会ったときは、うちの猫の写真を見せるねと約束して、病院をあとにした。 それから2ヶ月半ぐらいしかたっていない。ぶじに手術は成功して退院したと聞き、いずれ夏にもまたみんなで集まるか、そんな気分でいたとき、11日の夜にやはり見舞いにいった仲間から、彼女の癌が再発し、全身にひろがっていることを知らされ、愕然とした。一週間もつかどうかだという。そしてその翌日、あっという間に訃報がとどいた。 カトリック教会での葬儀に参列し、神父の話を聞きながら、いろいろ彼女の思い出がよみがえった。初めて会ったとき、彼女は19歳だった。もう27年も前のことだ。当時まだ数少ない歯列矯正をしていた。そう、まだほんの女の子だったのだ。それから遅めの結婚までいろいろ苦労があって、結婚してからは身の回りの幸せをひとつひとつ確かめているような気配があった。 とりわけ最後に会ったときの「わたしはほんとうに何かしたいというものがなかったような気がする」ということばが思い出された。たしかに控えめでおとなしく、自分から何をやると言い出すタイプではなかった。ただ、声をかけると必ず律義にあらわれた。その意味では、自主映画の制作だの上映会だの、あるいは延々とつづくようなむだな遊びを思いついてばかりの仲間たちにつきあわせてばかりだったようにも思う。でも、「何かしたい」という男や女たちは、その「何か」がわからないまま迷走していただけなのかもしれない。その後、映画の世界に入り、活躍しているものもいるし、苦労を重ねているものもいる。自分の「何か」に納得するまで、他の仲間たちも時間がかかった。彼女の方がそうした仲間たちよりはやくに覚め、それでいながら遊びを楽しむ気持ちがあったのだろう。 生花にかこまれた遺影は、記憶のなかの彼女よりもふっくらしていて、凛としていた。すでに死を覚悟して洗礼を受けたときの写真だとあとで聞いた。この2ヶ月、想像を絶する苦痛のなかで彼女が何を思ったかは夫君以外は分からない。でも、超多忙な広告マンが仕事そっちのけでほんとによく付き合った。おそらく、それもあってだろう、写真のなかの彼女はこの間の苦しみも悲しみもひきうけた潔い顔をしていた。 二日間、よく会う仲間から、十数年ぶりのものまで入れ替わりにいろいろ集まった。結局、二晩つづいて飲み歩くことになったが、とうとう彼女にわが家の猫の写真を見せることはできないままとなった。 |
||||||||||||
|
05.14
|
Ann Sherifさんの紹介で、国立近代美術館フィルムセンターにおいて亀井文夫監督の記録映画「生きていてよかった」と「戦ふ兵隊」を見せてもらう。FCの試写室がとてもいい部屋で、一緒にいったメンバーはみな感動。映画をみながらメモを取れるようにデスクと小さなライトまである。大学院の研究科長を通して申請すれば閲覧可能であるとのこと(使用料金はありますが)。ビデオなどになっていなかったり、入手困難なフィルムについてはこの手があったんですね。 | ||||||||||||
|
05.09
|
宣伝二つほど。ラジオとテレビの番組に出演します。 5月29日(土)夜10:15〜55(ラジオ第1放送)、ラジオアーカイブス「あの時この音」。以前に書いた谷崎や武者小路の肉声テープをもとに話をしたものです。山田敦子アナウンサーが司会で、荻野アンナさんとともに話をします。 その2日後の5月31日(月)NHK BShiの夜7:30〜深夜1:40(9:50〜11:00中断あり)に放送予定のハイビジョン特集「大菩薩峠 中里介山・峠の旅人」にもちらっと出てきます。中断前の第一部の終わりあたりに出てくるそうです。これは1年前に取材を受けたもので、なぜか「映画論」の授業をしているところも映るようです。たぶん、話と合わせて数秒ではないかと思いますが。 |
||||||||||||
|
05.02
|
勉誠出版が創刊した「GYROS」という雑誌に原稿を書いて送る。学習院の諏訪春雄さんが編集されているそうだ。とりわけ、今度の3号目は「国文学の死と再生」というテーマ。うーん、いったん死ぬのかあと思いつつ、いったん死んだら再生はむずかしいとぼやきつつ、30枚強を書きました。「国文学ナショナリズムと『危機』の言説」という題名です。たぶん、数ヶ月以内に出るので、お楽しみに(?)。 近所のレンタル屋さんから、「さよなら、クロ」のDVDを借りて見る。松岡錠司監督は「バタアシ金魚」で筒井道隆を使ってましたが、今回の妻夫木くんも優柔不断な役どころ。でも、犬のクロが可愛くて泣けてしまいました。映画では妻夫木くんはだいぶいいものを選んでいるようですが、これはこの事務所に相当、脚本を読めるひとがいるのではないでしょうか。 日曜日なので、NHKの大河ドラマ「新選組!」を見る。大河ドラマはあまり見ないのだけれど、三谷幸喜のこれはかなり面白い。だいぶ評判が悪いそうだけど、まったくそうは思わない。このドラマ、幕末に大義を掲げながら、実質的にはテロリストになってしまった集団を描いているわけで、それがきわめて軽妙に描かれている。人を殺しても、ちょっと悩むだけで、あまり深刻にならない描き方こそ、リアルなんじゃないでしょうか。藤原竜也も勘太郎も堺雅人もいいじゃないですか。このあとどんどん内でも外でもテロの泥沼にはまっていくわけで、それを喜悲劇として書いていることを支持します。問題は、オペラ歌手の妙な主題歌で、ミスマッチを狙ったんでしょうかね。 |
||||||||||||
|
04.29
|
池上本門寺で黒テントの「新版・三文オペラ」を観劇。二日つづけて芝居をみるのは珍しい。昨日は金子夫人に誘われ、今日は金井さんが黒テントの女優さんとお友達なのでその縁で、内木さんとともに参加したのでした。会場でばったり兵藤裕己さんに再会。7時開始で2時間40分の予定でしたが、楽日でしかも超満員。おかしかったのは、1回目の休憩のときに本門寺の執事長という肩書きのお坊さんが登壇して、「イキイキのお話」という説法をされたこと。この黒テントの興行をサポートしたためでしょうが、短時間のあいさつとはいえ、とても良かったです。さすが本門寺ということで、みなさん暖かい拍手を送りました。最後のフィナーレも盛り上がり、終わってみれば10時半。西馬込のジョナサンで、今日も遅い夕食となりました。ひさしぶりでしたが、ずいぶん良くなってますね、ファミレスも。食後、ハーブのお茶も頼んだのですが、これが生ハーブでなかなか美味でした。 | ||||||||||||
|
04.28
|
金子さん夫婦、金井さんと一緒に、紀伊国屋サザンシアターで井上ひさしの「太鼓たたいて笛ふいて」を観劇。林芙美子の戦中戦後を描いた井上さん独特の文芸路線の1つ。大竹しのぶや梅沢昌代の熱演でおもしろかったけれど、かなりメッセージのはっきりした傾向演劇でした。林芙美子に島崎こま子をからませたところがミソで、これはたしかにアイデアです。神野三鈴がこま子を演じてましたが、「ひとりじゃない」の歌とともにとても魅力的でした。芝居のあと、高島屋のイタリア料理屋でワインを飲みながら遅い食事。 | ||||||||||||
|
04.26
|
GW前になり、新年度のもっとも多忙な時期を乗り切ったので、副手さん・助手さんを慰労して学科主任主催の焼き肉パーティ。研究室でホットプレートを使い、即席レストランとなりました。金子さんがご自慢の手料理を持参、夕飯目当てのご夫人も登場で、ますますにぎやかに。食事をひとくぎりしたあとは、デジタルアーカイブ研究室にある5.1chサウンドのホームシアター装置で、DVDを鑑賞。その音響効果は副手さんたちからも大好評でした。 | ||||||||||||
|
04.24
|
文理学部で昭和文学会の研究集会。会場を提供した学校から挨拶するということで「開会のあいさつ」を述べる。100人以上が集まり、盛況。懇親会も60人近く出席で、学会関係者はニコニコ。イベント請負側のわれわれはほっと一安心。みなさん、ごくろうさまでした。 | ||||||||||||
|
04.17
|
下高井戸シネマで「ゆきゆきて神軍」の上映とトーク。午後9時開始なので、終了時間が遅くならないよう、話は10分で終わらせる。何度も見た映画だけど、始まってしまうとつい見てしまう。やはり、すごい。神軍平等兵と称する奥崎謙三からすれば「自己責任」を言う前に、もともと戦争責任すらまともにとらなかったこの国で、「天罰」こそがまず論じられなければならないことなんだろうな。 | ||||||||||||
|
04.16
|
「自己責任」論がかまびすしいですが、あいかわらず「迷惑」と「世間」といった言葉でつくりだされるような言説が横行していて滑稽なばかり。突然、この人質批判になると、ものすごい共同体的なオジサン、オバサンの論理になってしまう。「かれらの勇気を評価すべきだ」と言ったパウエル・米国務長官の発言の方がまともなのが不思議です。小泉、石原といった自称「構造改革」派の頭のなかがまず「構造改革」されるべきで、かれらは単なる向こう三軒両隣の世界でしか生きていないひとだったということがよく分かりました。 そんなことを思っているなか、この日は、下高井戸シネマでドキュメンタリー特集の前夜祭。原一男監督の「全身小説家」上映と監督のトークなど、盛りだくさんのイベントがありました。井上光晴が癌で亡くなる最後の三年間を追いかけたドキュメンタリーで、公開当時、ベスト1位になった映画です。この日もほぼ満席。いやはや「うそつき光っちゃん」をもとに、文学がもつ意義と役割を功罪ふくめて考えることになりました。 |
||||||||||||
|
04.15
(続き) |
↓のように書いたら、その日の夜、人質解放のニュースとなりました。まずは良かったわけですが、他にも誘拐されたらしいひとが2人もいますし、日本人以外でも多くのひとがまだ人質となっています。イラク市民の死者も増大し、最悪の事態がつづいています。二度の声明文を読むかぎり、広島・長崎の名のもとに日本国民と日本政府を区別して、イラク撤退の声をあげるように促しているサラヤ・ムジャヒディンのメッセージの方がまともに見えるのはぼくだけでしょうか。 | ||||||||||||
|
04.15
|
のどかな景色が窓の外にひろがっていますが、国外ではイラクでの日本人誘拐事件が膠着状態のままつづいています。いったん解放の情報が流れたのに、結局、虚報のまま。テレビ等に出た人質の家族の発言に反発してか、いやがらせや中傷が頻発しているとのこと。被害者となった人質たちの「自己責任」といった言葉が飛び交っていますが、アメリカのしり馬に乗って自衛隊派遣を決めた日本国家の「自己責任」において、人質誘拐事件が起きたことは間違いありません。自衛隊派遣が民間人に危険をもたらすという懸念が以前から指摘されていたにもかかわらず、「戦争はすでに終結した」と主張し、どこが「戦闘地域か、非戦闘地域かは分からない」と答弁していたのは、どこの首相だったでしょうか。あれは方便であり、言葉のあやであり、それにうかうか乗って出かけたものが「自己責任」を問われるのか。そうであれば自衛隊に何があっても、それは「自己責任」ということになるのでしょうか。少なくとも、もっとも苦痛に満ちた日々を過ごしている人質の家族に非難や中傷が加えられるなどとは、最低の国家、最低の国民になりさがったことの証しであると思います。 今日の新聞広告では「週刊文春」「週刊新潮」などもまたこの中傷合戦に加わってきました。田中真紀子の長女をめぐるくだらない記事でいったん出版差し止めを受け、「表現の自由」を盾にとった日本のイエロー・ジャーナリズムはその愚劣さに加えて、最低の倫理綱領さえもたないことをあらわにしたのだと言えます。不快感をおさえることができません。 |
||||||||||||
|
04.08
|
入学式と学部開講式。実際には、すでに新入生ガイダンスはじめ、各学年や大学院のガイダンス期間が始まっているので、授業開始のセレモニーとでもいうべきもの。明日から授業開始です。 2004年度の授業時間割とシラバスをアップしました。左のメニューバーのLECTUREから見ることができます。 人文科学研究所の研究員としてAnn Sherif先生(Oberlin College)がみえました。今年の12月まで滞在。冷戦下の文学を研究されているSherif先生も大学院の授業に参加してくださるそうです。また、University of MichiganのポストドクターであるDavid Henryさんも国費留学生として来日。大学院に参加します。また、にぎやかになってきました。 |
||||||||||||
|
04.01
|
あっとういう間に新年度になりました。春休みはついにないまま。でも、桜が咲き、暖かくなってくると、浮かれてくるのはどうも体質でしょうか。 さて、4月となると下高井戸シネマのドキュメンタリー映画祭のシーズンです。今回は「原一男と壁を超えるシネマ」という特集です。4月16日の19時より、公開前夜祭として「全身小説家」上映および原一男監督のトークショー、ミニコンサートがあります。「全身小説家」は井上光晴をめぐるドキュメンタリーで、公開当時、たいへん話題になったものです。近代の戦後文学に興味のあるひとは必見です。この前夜祭のチケットをあずかっています。詳細は、こちらをご覧下さい。 |
||||||||||||
|
03.15
|
シアトルから帰国する日。ホテルを出て空港へ。最後までテッドさんにお世話になりました。 飛行機もぶじに発ったのですが、今度のフライトは10時間半。往きと2時間以上違うのは、地球の自転に逆らった動きからでしょうか。長い時間と、お隣の体格のすごい男性のため、ますます身体が縮こまって、かなりの苦痛でした。それでもNW機で上映されていた映画がまずまずのものだったので、気分転換できたのですが、最後、成田上空になって、発着の混雑のため降りられない。おまけに燃料が足りないというので、いったん羽田に降りて、給油したのち、成田に舞い戻るというていたらく。おかげで、さらに2時間以上のロスで、合計12時間以上、機内にとじこめられました。さすがにこれにはうんざり。 しかたないことではありますが、天気もいいのに、降りられないとは。帰宅したのは、東京時間の20時。3泊5日の旅がこれで終わりました。猫たちも無事でした。 |
||||||||||||
|
03.14
|
シアトル3日目。シアトルはスターバックスの発祥の地。カフェには事欠かない。しかも、カフェ・ラテがここの名物。朝食は近場のカフェに出かけて、ラテを飲みながら、パンをほお張る。早朝から店も開いているのがうれしい。 この日はシアトル美術館へ。クリスチャン・マークレーの特別展を開催していたが、これがじつにいい。むかしのLPレコードやCDのカバーを素材にしたコラージュ、楽器やカセットテープ、録音機などを題材にしたインスタレーションを展示。いわば複製の複製、ウォホールの破壊力はないが、その分、洗練と批評性のきいたモダンアートになっている。なかでも4面のビデオモニターを使い、古今東西の映画のなかの音楽シーン、音声の強調されるシーンを組み合わせたビデオ・インスタレーションが感動的でした。J・スチュワートがハーモニカを吹き、ハーポ・マルクスがハープを弾き、シナトラやサミー・デイビス・Jrが歌い、シンバルが鳴り、エルビスが銃で撃たれ、若尾文子が三味線をひき、カーク・ダグラスがトランペットを吹く、それら無数の場面が音響の衝突と調和をくりかえしながら、同時に4面で異なるシーンを展開していくというもの。この作家は要注目です。 その後、今度は水族館、そしてアイマックス・シアターを見学。じつはこの晩、ボウリング初体験という場面があったのですが、それは省略しておきましょう。 |
||||||||||||
|
03.13
|
午前中、ダウンタウンのマーケットを見学。小さな築地市場という感じでしょうか。ただし、店にならぶシーフードや野菜、果物、雑貨は観光客の目をふまえてみごとに陳列。パフォーマンスも見物でした。その後、テッドさんの案内で、郊外のBBQやワイナリーを見物。東京より気温で5度ぐらい低いのですが、すでに桜が満開、レンギョウなども咲き乱れ、シアトルは花の町になっていました。 | ||||||||||||
|
03.12
|
この日からシアトルのワシントン大学に出張。日大文理とUWの文理学部とが提携することになり、その調印の代理出席です。とはいえ、実態は、あちらのアジア言語文学科の日本文学メンバーと、こちらの国文学科の提携をベースにしているので、学科主任としてのお仕事のようなもの。テッド・マックさんと再会し、数日間、びっしり案内していただきました。 東京とシアトルの時差は−17時間。東京を午後3時に発って、8時間ほどのフライトで、同日の午前7時前に着くというスケジュール。タイムトンネルをくぐりぬけるこの移動により、東京時間だと、すでに夜中なのに朝を迎え、そのまま調印式・レセプションになだれこむ。いっとき、ホテルで2時間ほど仮眠させてもらったが、東京でいえば完徹して、朝の9時頃にセレモニーに参加する、そのようなタイムスケジュール。頭はぼーっとしているなかでしたが、ワシントン湖のみえるすばらしいファカルティ・クラブで先生方にお会いしました。ちょうど同学科のスカラーシップ・プログラムのスタートにもあたり、いい場面に参加させてもらいました。その後、日本文学の先生たちと会食。美味しいシーフードに堪能しました。 |
||||||||||||
|
03.07
|
福島県立図書館で「佐藤文庫」の調査。この文庫は、戦争史にかかわるさまざまな種類を集めた個人コレクションで知られる。ロシア史の土屋さんから教えられ、山口さん、金子さんら人文研の共同研究メンバーで出張して、調査することになったもの。途中、東北新幹線では雪が舞っていたので、覚悟してたものの、それほどの大雪ではなく一安心。県立図書館は、福島駅からさらにローカル線に乗っていったところにあるが、行ってみたらなんとも立派な建物に敷地に一同びっくり。 なかもオープンで開放的なつくり。司書の方もきちんとしていて、みごとな県立図書館でした。ここで2日間、文庫の調査にあたる。そのおいしい中味は……、いずれまたべつの機会に。 6日の晩、福島市内のビジネスホテルに泊るが、福島市の郷土料理を食べたいという声につられて、繁華街を徘徊。ところが、郷土料理らしきものがまるで見つからない。聞いてみると、福島市には名物はないのだという。そんな、ばかなとまた歩き回ること、30分。粉雪が舞い、気温はすでに零下になりかけている。やむなく、震えながら、もとのホテル近くの店に入って、ようやく食事にありつく。福島も郡山や会津若松などいろいろあるが、福島市自体はなかなか大変なんですね。 翌日の調査のあとは、みなで飯坂温泉へ。旅館「新飯坂」で立寄り湯をして夕食。しかし、ここも郷土料理らしいものはない。そんなもんなんですかねえ。県立図書館のみごとさと好対照で驚きました。 |
||||||||||||
|
02.20
|
文系、社系の入学試験もぶじに終了。国文学科の受験生は微増といったところでした。文系は増、社系が減で、プラスマイナスゼロでした。ただ理系はきつそうです。 朝日新聞社の本社にて資料展を見学。一部で記事になっていたので、さっそく見に行ったのですが、これがお粗末な内容。大阪市の文化財に指定された資料の展示というのですが、朝日新聞社の社史にかかわる中味なのに、数十点ぐらいしかない。漱石の入社について池辺三山の社長宛書簡だけなのは、あまりに有名だからいいとしても、二葉亭四迷も長谷川如是閑も言及されないし、三山にしても渋川玄耳にしても鳥居素川にしても、わずかにかする程度。谷崎の新聞連載「黒白」の原稿が文化財になったというのだけど、これだけ飾ってどうするのという気分。いかに朝日新聞社がみずからの社史にかかわる資料をおざなりにしているかがよく分かりました。「古書通信」の連載で、「日清戦争実記」などの雑誌を古本屋から買ったら、「朝日新聞社図書室所蔵」の印と、「除籍」の印がおしてあったと書いたけど、ほんとに資料を大事にしてないんだという実態がありあり。展示方法もキャプションも手抜きがみえみえで、朝日の社旗にいたっては、セロテープで壁にとめてありました。 その後、築地市場を見学。こちらの場内・場外市場の雰囲気の方がぐっと面白かったです。つづいて恵比寿に移動し、東京都の写真美術館で「中島健蔵展」と「田沼武能展」をはしごして見学する。中島健蔵のスナップ写真にうつされた井伏鱒二や伊藤整の肖像をみてうちわで爆笑。田沼武能も多くの文学者を写していました。顔、顔、顔をみて、夜、うなされたという人もいたといいます。 |
||||||||||||
|
02.19
|
「国語と国文学」3月号に、日比嘉高さんの『投機としての文学』の書評が掲載されました。「語文」117号に載った大野亮司さんの書評とともに、30代の研究者からの批評として受けとめました。ありがとうございました。 | ||||||||||||
|
02.11
|
久しぶりの休日。QuickTimeのページを見ていたら、こんな映画の予告編がありました。アメリカでノーカット版の上映は初めてなんですね。ほぼ半世紀ぶりの上陸というわけです。 | ||||||||||||
|
02.09
|
卒論・修論の口述試問。14人のゼミ生試問のあと、修論で5人。そのあとで判定会議。それでも例年よりはやく7時半にすべて終了。ノドがかれました。 | ||||||||||||
|
02.07
|
4月からスタートの「特殊研究ゼミナール」についてのお知らせです。まず、次年度のゼミのシラバスをアップしましたので、こちらをご覧下さい。 とりあげる作品のなかで、春休み中に読んでおいてほしいものは以下の通りです。 内田百間『冥途・旅順入城式』 佐藤春夫『美しき町・西班牙犬の家』 宇野浩二『蔵の中・子を貸し屋』 室生犀星『或る少女の死まで 他二編』 志賀直哉『小僧の神様 他十編』 大杉栄『自叙伝・日本脱出記』(いずれも岩波文庫にあります。) ほかに岩野泡鳴「征服被征服」、宇野浩二「苦の世界」、中戸川吉二「イボタの虫」、大泉黒石「私の自叙伝」などをとりあげる予定です。ぼくが編集・解説をつけた『大正文学全集』第八巻(ゆまに書房)が図書館にあるので、目を通してください。いずれ解説はコピーで配布します。 またゼミに新たに参加する現2年生向けに「近代文学をめぐる古典的な必読リスト」もアップしてあります。きわめてオーソドックスで規範的なリストですが、最低限の文学教養と思ってください。 |
||||||||||||
|
02.01
|
『図書新聞』に関礼子『一葉以後の女性表現ー文体・メディア・ジェンダー』(翰林書房)の書評が掲載されました。この本は昨年の注目すべき成果のひとつです。院生のみなさんは必読です。 小森陽一・成田龍一編『日露戦争スタディーズ』(紀伊國屋書店)が刊行されました。このなかに「想像の戦争 戦争の記録ー『愛弟通信』『第二軍従征日誌』『大役小志』を中心にー」という文章を書いています。今年は、日露戦争から百年ということで、『古書通信』連載の「日露戦争下の雑誌から」と合わせてお読みください。『古書通信』はこのあと、「日露戦争実記」「日露戦争写真画帖」「戦時画報」「家庭雑誌」へとつづく予定です。 |
||||||||||||
|
01.23
|
大学で書類の片づけなどをすませたのち、新宿で「ミスティック・リバー」を見る。このクリント・イーストウッドの映画には驚かされた。うーん、素晴らしい。なんだかどんな言葉も平凡になってしまうのだが、この前には最近の映画がすべて吹っ飛んでしまいました。だからといってたいがいの映画のように涙を流させて感動させるようなことはしない。そんな癒し系とは無縁。ストーリーは、ほんと陰惨な内容で、ここまでげんなりさせてしまう話はめずらしい。イーストウッドだから映画に出来たんで、ふつうならばプロデューサーが降りてしまうでしょう。大スターの特権だけど、その特権をふるってやるべきことをやっている。癒しでもなければホラーでもない。ミステリーの装いのもとに虚仮脅かしをしているのでもない。娘を殺されるショーン・ペンがいい。この男に同情し、心揺さぶられていくうちに、観客はとんでもない展開につきあわされていく。「許されざる者」も良かったけれど、「オレが正義である、オレが法だ」と豪語したジーン・ハックマンの保安官はいったいどういう背景で誕生したのかを思わせるようなところがある。暴力の連鎖をめぐるこの悲劇的な考察に満ちた映画こそ、いまのアメリカ政治に向けた最高の批評でしょう。しかも、それが外在的でも超越的でもなくくりだされている。そこがすごいと思う。物語は、えっ、これで終わり?というような未解決の終わりを与えられている。1つの謎が明らかにされるとともに、べつの謎が残される。おそらくその謎はまたべつなかたちで襲いかかってくる。そんな予感と、それでもなおかつ生きているものへの励ましとに支えられたラスト。この年齢で、この映画!うちのめされてしまいました。 | ||||||||||||
|
|
大学の授業はじまる。最初から会議や打ち合わせが重なる。 | ||||||||||||
|
|
休日。「古書通信」の原稿を書いたあと、クリント・イーストウッドの「ブラッド・ワーク」をDVDで見る。心臓移植した元FBIの刑事が連続殺人鬼と対決する話。ハンディのある主人公が活躍するアクションはむかしからあるが、ここではメキシコ人の心臓が主人公に移植されたというところがミソ。ロスを舞台に、ヒスパニックの人々の増加、不法移民問題を抱えているだけに、イーストウッドの老いてなおの魅力に血の混淆がとりこまれる。保守派の代表のようにいわれたこともあるんですが、ナショナリティを超えたところでの友情や愛情に敏感な監督です。 | ||||||||||||
|
|
藤原書店で打合せ会議。そのあと文理学部図書館の新年会。新宿マイシティの7階で開いたのだが、ここのレストラン街の激変にびっくり。すっかり内装をかえたんですね。8階に行ったら、もっと雰囲気が違ってました。もう伊勢丹プチモンドでの待ち合わせなど出来なくなっていました。 | ||||||||||||
|
|
新宿で「ラスト・サムライ」を見ました。どうしてかと思うほど、客がはいっているが、ハリウッドの娯楽映画としても出来がいいわけではありません。この映画は、やはり笑うのがいちばんいい対応で、まじめに対応する必要はないのでは。ゲラゲラ笑って、真田広之の立ち回りはほんとキレイだとか、これで馬は何頭傷ついたのかなとか、時代劇ではやはり忍者は不可欠だとか、思えばいいんじゃないでしょうか。日本の役者が恥ずかしい日本人を演じたくないと言って、いろいろアドバイスしたそうなんですが、そういうことしたからって良くなるわけじゃないし、しょせん映画なのに真面目に日本を描いてもらおうなどと思わぬ方が花だったのです。 やはり、こちらもイマイチでしたが、「キル・ビル」では、真田くんのお師匠、千葉真一が沖縄に隠れ住む服部半蔵という刀鍛冶を演じていて、復讐にもえるヒロインのために刀をうつという、はちゃめちゃな役をやってます。なにしろ、この服部半蔵は、沖縄で居酒屋ふうなすし屋の職人になっていて、いまは堅気という設定。ヒロインが店に入ると、「いらっしゃい、なに握りましょう」と威勢よく江戸弁をつかい、二階にあがると、ずらりと名刀がならんでいる。この無茶さが映画の身上です。 「キル・ビル」はタランティーノが深作欣二に捧げた映画ということになってますが、藤田敏八あり、三隅研次あり、鈴木清順ありで、お遊び映画の極をいっています。「ラスト・サムライ」のズウィックは、たぶん黒沢明の「七人の侍」ぐらいしか見てないのでしょう。 それにトム・クルーズ扮するアメリカ軍人の脳裏をよぎるフラッシュバックがいただけない。この軍人は報復のためにインディアンの女子どもを殺したことを負い目に思っていて、そのトラウマがときどきよぎり、英雄としての条件を失ったと思っている。そういうトラウマ男が日本に来て、真の英雄とは何かを知るというちゃちなフロイディズムと異文化理解とを誤解したつくりになっているのです。 ああ、正月そうそう、まいったなあ。ま、真田広之だけ見たからよかったということにしておこう。 |
||||||||||||
|
|
あけましておめでとうございます(とはいえこの更新は13日になってから)。今年もよろしくお願いいたします。 | ||||||||||||
|
|