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日本大学国文学会の研究集会。兵藤裕己さん、島村輝さん、山岸郁子さんの報告と討議。会員外からも高橋修さんや河添房江さん、榊原理智さん、大原祐治さん、内木明子さんらが聞きにきてくれていた。山岸さんはパソコンで映画のカットを見せたし、島村さんはミニ・アコーディオンを駆使して、歌声運動を再現。兵藤さんまで携帯の着メロで伊沢修二の「小隊」の曲を聞かせてくれた。もはや学会発表は芸がないとやってられないと、院生たちも唖然茫然としていました。予定の5時半を一時間近く超えて、6時25分に終了。その熱気につつまれたまま、下高井戸の「爺」で懇親会。院生がどっと参加して、30数名の宴会となりました。ゲストの兵藤さん、島村さん、そして聞きに来て下さった方々、遅くまでありがとうございました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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テアトル新宿で「AIKI」を見る。天願大介監督の映画は「妹と油揚」以来。その後は今村昌平らの映画の脚本を書いていたが、これを見ると健在ぶりにうれしくなる。映画の内容は半身不随の障害者が大東流合気柔術でたちなおり自立していく過程を描いたもの。とにかく映画としてよく出来ていて、加藤晴彦はもちろん、ともさかりえがいい。このタレントをここまで魅力的に描いたところが見事。むろん、その女性像は完全に幻想的なものなのだけれど、それをここまでチャーミングに出来たのがいいですね。全然強くなさそうなサラリーマンなのにめちゃくちゃ強い石橋凌の合気の先生もおかしい。ドキュメンタリーの「無敵のハンディキャップ」を見そこねていたのだけれど、こうなるとそれも見たいものです。どこかでビデオにしてくれないかな(あとで聞いたところだともうなっているそうな)。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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非常勤のあと、新宿で「夜を賭けて」を見る。梁石日の小説の映画化だが、監督が新宿梁山泊の金守珍。昭和30年代の大阪兵器工廠跡を舞台に在日朝鮮人たちのアパッチ族と警察との攻防を描く。小劇場ふうのおおげさな芝居と設定に慣れるまでがたいへん。それに慣れてしまえば、まずまず見ることができる。韓国につくったという在日朝鮮人部落のオープンセットが見ごたえがある。なかに北朝鮮帰国運動のことも出てくるし、韓国語でうたう「クレメンタインの歌」が生で聞けたのがよかったです。 帰りに紀伊国屋のDVDショップで、「にっぽん零年」「仁義の墓場」「極北のナヌーク」の3本を買う。さっそく「にっぽん零年」を見る。68年の新宿は出かけたことがあるはずなんだけど、あんまり記憶にない。日本映画データベースで調べてみると、この年は、大島渚の「絞死刑」をはじめ、山下耕作の「博奕打ち・総長賭博」もあるし、羽仁進の「初恋 地獄篇」や増村保造「セックスチェック 第二の性」、山田洋次の「吹けば飛ぶよな男だが」、渡哲也が出た「無頼・人斬り五郎」シリーズもあるし、藤純子の「緋牡丹博徒」も始まっている年なんですね。ふとみたら大映の妖怪もので「妖怪百物語」というのもあった。これ、見にいったことがあるから、そのとき新宿の空気を吸っていたはずだな。 映画話でいうと、1週間前には「ザ・リング」を見ました。鈴木光司の原作と、日本の映画版とこのハリウッド版とであれこれ話ができそうです。今度のは貞子のアメリカ人少女がかわいすぎるのが玉に瑕。 |
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このところ毎週木曜の3時限目に、新図書館建設打合せ会議を開いている。図書館事務、コンピュータセンター側と、建設業者、施工管理業者まじえての会議で、業者ぬきで3回、業者入れて4回目になる。後期の木曜3限はほとんどこれでつぶれてしまう。いま、キャンパス内ではクレーン組んで、工事は日々進捗しているのですが、それと同時並行して、基本設計と実設計のずれ、さらに建設業者による詳細設計との照合を行ない、微修正をおこなっていく作業をしている。躯体工事やコンクリ流し込みの前に修正していかなければならないことが多々あるので、気を抜くことができない。こういうことをどうしてぼくらがやらなければならないのか不条理な気がするけれど、この間の学内の建設工事でいろいろミスがあったり、不満が出てきたりしていたのは、こうした打合せを任せッきりにしていたからなんですね。そう思いあきらめて、毎週の会議にのぞんでいます。今日の傑作は新図書館のトイレを洋式にするか、1つぐらいは和式にするかの論議。最近のトイレ清掃状況や学生の要望などをふまえて結論を出すことにした。うーん、やれやれ。 教授会のあと、新宿で教員忘年会。食べ物に群がる教授たちのすがたが目に焼き付いてしまう。 |
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だいぶ更新をさぼってしまいました。この間のあれこれ。 11/26に保昌正夫さんの訃報が発表されました。心不全ということで急な出来事でしたが、やはり寂しい思いがします。最近は病気になられてだいぶお年を召した感じでしたが、横光、牧野はじめ、昭和文学の作家たちへの目配りのゆきとどいた方でした。研究者としては大著を嫌い、小さなすっきりした本を出しつづけられていました。ハガキをいただくと、青鉛筆で独特な文字遣いが踊っていました。10年近く、高校で教員をされていましたが、そのときの教え子で文学好きになった人もたくさんいます。木挽社の藤田三男さんがそうですが、このあいだ話していたら三谷邦明さんも高校時代に短期間教わったことがあったようです。ご冥福をお祈りします。 11/30に近代文学会例会。少女小説の特集で、久米さんや黒澤さんが発表。100名を越す参加者で、なかなかにぎやかでした。会議の後、市ケ谷に流れて、高橋修さんや鈴木登美さん、朴裕河さんたちと合流。 その翌日、12/1は日本文学協会。清泉女子大が会場だったのだが、五反田を降りてから迷ってしまう。それにしても高台のあたりは高級住宅街ですね。おいしそうな料理店がたくさんありました。大会は島村さん、垂水さんの発表を聞く。でも、日文協の大会、参加者60人足らずというのはいかにも少ない。朝から1日かけて1つのテーマで討論するというスタイル自体がむかしの民族主義、国民文学論などの大文字の政治路線からまるで変わっていないんじゃないかなあ。もうすっかり中味も違ってきているんだし、小文字の政治からの視点こそ大事な状況なのだから、大会場でマイクで討議するより、もっと近い距離でパーソナルな話題含めて話しあえる環境作りを目指す方が効果的なように思います。 |
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授業3コマの日。「映画論」は成瀬の「浮雲」のしめくくり。最後に「流れる」の冒頭を見せるも、そのリズムにあらためて感嘆する。 まだポスターが郵送されていないので、ちょっとお先にここで宣伝。 日本大学国文学会では、来たる12月14日に定例の研究集会を開きます。委細は以下の通りです。 テーマ:「声/身体/メディア―共同体を動かす言葉」 というような内容です。兵藤さんはいわずと知れた中世文学、「平家物語」や「太平記」の研究者ですが、近年は浪花節を論じた『〈声〉の国民国家・日本』(NHKブックス)が評判になりました。平家研究でも、その伝承の場や芸能者の身体にふれておられて、いまいちばん刺激的な研究者のおひとりです。そして島村輝さん。プロ文や宮沢賢治を専門にする島村さんは、知る人ぞ知る、楽器の名手。ピアノからバイオリンまでこなすこの天性の音楽的才能をもった近代文学研究者がなんと戦後の「歌声喫茶」について語ります。いま中国北京にいるはずですが、帰国後は、日文協、そしてこの日大と学会つづきになるそうです。日大側からは経済学部専任講師の山岸さん。久米正雄や大正文学を専門にする彼女は、文理の非常勤もしてもらっていますが、履修学生が殺到する人気講師。おそらくかなりおもしろい組合せになるはずです。仕切りは金子さんが行ないます。学会研究担当のぼくは全体のコーディネイト役で、助手たちとともに裏方を担当します。もちろん、会員でない方も自由に聴講できますので、関心のある方はぜひ足をお運びください。 |
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前夜、神楽坂で飲みすぎたのか、午前中は朝寝。ジムに行くつもりだったけど、これでは無理と、高円寺駅前近辺で猫の食料などを調達。ビデオをレンタルショップからかりて「学校の怪談」「学校の怪談2」を見る。どちらも平山秀幸監督。このときの野村宏伸はあの頼りなさそうで、人のよさそうな感じがとてもいいですね。かれが恐怖で絶叫する顔がまたいい。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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非常勤先の授業を終えたあと、渋谷の「カレー研究所」なるお店で「薬膳カレー」を食べる。ハスや里芋、ナスをいれたカレーで、クコノミがライスに散らしてある。この手の健康、癒し系を食べてしまうというのは慢性疲労かなあ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日本近代文学会思い出話(もう年寄りなのだ!)。 20代のときは、学会で一度だけ発表したことがあったのですが、そのときの自己嫌悪もあるし、高校教師で好きなこと書いていようと思っていたこともあり、ほとんど学会なるものに近づきませんでした。その後、文理につとめて88年度から、運営委員をやらされることになりました。当時、事務局は東洋大で、廣島一雄さんが委員長、鈴木貞美さんが補佐役で、実質的な活動を行なっていました。いちばん最下層の若手委員というわけでしたが、ひどかったのは2年目になって、御役御免というときになって、運営委員の人数の縮小と引継役の運営委員が少なすぎるという名目で、急きょ、運営委員の任期延長が決定され、当時の委員の年下から順に3年目もやるという羽目になりました。そのとき松木さん、庄司さん、野呂さん、そしてぼくの4人が指名され、否応なく、3年目を受けたのです。 で、事務局が國學院大学に移って、荻久保さん、傳馬さんのもとでようやく1年を終わろうとしていたら、今度は、学会の会則に積年の問題点があり、会則を改正すべきだという議論が起きて(まあ、そういう問題点を運営委員会が見つけたわけなのですが)、会則改正の小委員会をつくるという。そこで世代をまたがって委員を選ぶとか、ムニャムニャよく分からない理屈のもとに、田中保隆さんと山田有策さんとぼくがその役をやらされることになってしまった。これでその翌年は運営委員をはずれたけれども、会則改正のお仕事になったわけです。なにを変えたか、もう記憶はうつろだけれど、事務局を都内に限定する制約をはずしたり、入会ルールや支部ルールなど、実情にあわせることと、前時代的なものをやめる方向でまとめたんじゃなかったかな。このときの仕事のこと、確認のために「日本近代文学会五十年史」の年表見てたら、委員会のことも書いてくれてなかったなあ。ああ、無償の労働だったのか。 さて、それでようやく1年が過ぎようとしていたら、今度は事務局問題が起きてきた。日大文理で当番校をやれというわけです。理事だった曾根さんが懇願されて、そこまで頼まれたならば仕方ないということで、当時、サバティカル取得予定の笠原さんに運営委員長を引き受けていただき、曾根さんが補佐、ぼくが事務一切をとりしきることになって、日大事務局時代が2年間。結局、東洋大で2年、國學院で1年、そして日大で2年と、なか1年の会則改正委員はぬいても合計5年もやらされました。いまから考えたら、激怒してもおかしくなかったですね、ほんとひどい話だった。 とにかく、当時は運営委員会も編集委員会も両方とも同じ事務局ですから、ぼくは運営も編集もどっちも出なければならない。このときの編集委員長は池内さん。池内さんにはむろんのこと、当時、運営委員・編集委員になっていただいた方たちにはいまでも頭があがりません。運営委員同士はけっこう楽しい関係ができて、2年目秋の福島大学での大会のときは、終了後、みんなで飯坂温泉に一泊しました。ただ、仕事の方は、毎週土曜日はどちらかの会議があるか、例会・大会の開催といった状態で、諸会議の案内状から、機関誌原稿の授受から発送、査読結果の通知まで、何から何までやらなければならなかったので、もう、てんてこまい。この時期、日大側では商学部にいた佐藤健一さんにもたいへん世話になりましたし、助手になりたてだった山岸さんたちにもずいぶん助けてもらいました。この日大時代に、もう4月例会は不可能なので、例会の回数を減らし、6月、9月、11月だけにしてほしいとお願いし、現行みられる形になったのでした。 このときの事務局体験があって、運営と編集の事務局は別々のかたちがのぞましいと提言し、以後、2つの委員会を2つの大学が分担して受け持つようになったのです。5年のあいだ、裏方の作業をやってみて、いろいろ思うことはありました。そもそもが「学会なんて何だ」みたいなつもりでいたものだから、期待していたわけではないけれども、やはり草創期の人たちがいて、その人たちのボランティア主義が生きているなかでは、なかなか合理的な組織作りができないし、それこそ無償の労働、シャドウ・ワークへの配慮がなされていない。当然、世代間のギャップも大きい。ある意味、学会は研究を目的とする一方で、業績をあげ、履歴をつくっていく利益団体の一面があることをともすれば見ないですませてしまう。他方、業績追求ばかりかと見まがうような人もなかには出てくる。そうした矛盾のきしみがあちこちにあるように見受けました。理事だった鳥居さんが苦労されて、学会事務センターへの業務委託が行われたのは、ぼくが運営委員をやる直前ぐらいのことではなかったかと思います。 それからいつも思うのは、ぼく自身がやったときもそうでしたが、どうやったら学会の会員の意向というものを汲み上げられるのか、よく分からないということです。運営委員や編集委員は、当時は東京近郊在住じゃないとできないし、では、それで会員の代表ができるかといえば、はなはだ疑問。しかし、実際は日々、目前の業務があるので、ルーティンワークをすませていかなければならない。編集は比較的、仕事の型が決まっているからいいけれども、運営はすべてにわたるので、かなり大変です。例会、大会のテーマを決めてくださいと言われて、頭をひねるのですが、自分の興味のあるテーマと、会員のマジョリティの関心と重なるかどうかが自信がない。マジョリティを気にしないという手もありますが、1800人規模の学会で大会など500人近く参加者があるのですから、気にしないというのは無理。ある意味、大会がつねに不満をうみ、批判をもたらすのは進め方からしてしかたない部分があると思います。そのなかでどこまで頑張るかだと思い、そうしても来ましたが、いかんせん個々の努力以上のものをどうするか。だいぶむかしの懇親会のときに、もう学会は懇親会だけにしたらどうかという意見が出て、失笑をかったことがありましたが、でも、そのときも笑うに笑えない感じでした。 近年は、もう学会とは距離をおくといった発言をする研究者もちらほら出て来ています。ひとつはそれがふえていて気になる。だいたい、そういう人は専任職についている人です。だから、そうも言っていられる。それから、かつてぼくなどが20代のときに学会に近づかなくてもやっていけると妄想していた時代はともかく、いまは日本学術会議の登録団体か否か、補助金をとれているかどうか、各国の日本学研究との連携はどうか、といった視点で、チェックされ、評価を受ける時代になっています。学会発表や学会誌での掲載がますます研究業績としての価値を生んでいる状況になっています。学会の意味づけが変わってきてしまった。日本文学や国文学の学問領域と、大学での位置づけがそこに関わっているので、ことは深刻でもある。そうなると、かつての研究者が、互いに好きなことをシコシコと勉強して、それを報告しあっていればいいという大らかな雰囲気ではやっていけなくなりました。その部分を残しながらも、あれこれ切り分けていかなければならない。それが厄介で、つらいところです。さて、これからどうなるのか。学会以外の研究会や個人作家の学会の動向など、ますます多様化してもきたので、よく分かりませんが、まだ当面はこの学会の賞味期限があると信じて、とんがりながらも見守っていきたいと思っています。(ちょっと殊勝すぎますか。ほんとはどうでもいいと開き直りたい気持ちもあるけれど、そうはいきませんよね。) |
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小熊英二さんの『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)を読む。2500枚というけたちがいの分量にまず圧倒されてしまう。「戦後」の概念のずれから始まり、「政治と文学」論争や国民文学論、江藤淳や吉本隆明らについての言及に大きく章がさかれていて、文学関係のひとも必読です。内容は、これからじっくり読んでから。それにしてもこの厚さはすごい。紙も薄いものを使っているらしく、ふつうのものだと厚さがさらに増すらしい。 学術書では山崎一穎さんの『森鴎外研究』(おうふう)、山田俊治さんの『大衆新聞からみた明治日本』(NHKブックス)も出ました。跡見学長の山崎さんのお仕事については、30代の研究者にも影響力があると聞きました。今回のものはとりわけ余人の追随をゆるさない歴史小説を対象としているので、これも楽しみにしています。山田さんのものは、ペーパーバックではあるけれど、明治初期の『読売新聞』をめぐるフィールドワーク的な研究で、『万朝報』に関心のあるぼくとしては、やられた!という思いがあります。かつて、早稲田実業の紀要に山田さんが書いていた新聞メディアの文体と視覚の変容を論じたものなど、ぜひまとめてほしい、と読者は勝手に願っています。 |
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朝から本部でお仕事。そのあと文理にもどって「就職フェア」のお手伝い。国文学科就職委員(!)としてのお勤めです。参加学生はなんと1400人。1学年2000人規模の学部ですが、対象を3年生中心にしたわけですから、7割近くの学生が来たことになります。学生の就職意識が低いなどと言っていたわれわれがいかに現実を見ていなかったかを思い知らされました。つくづくと反省。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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非常勤先で授業のあと、本部で会議。 学会の大会印象記をここに書いたら、かつての教え子の人から、かなり辛口の内容なので大丈夫ですかという、心配のメールをいただきました。ありがとうございます。ま、べつに喧嘩を売っているつもりではなくて、批判は批判として出しておくという意味ですから、お怒りになるひともいるかもしれないけれど、こちらとしてはそれなりの異論表明の機会にした次第です。 新宿のDVDショップで「仁義なき戦い」シリーズと鈴木清順「野獣の青春」「殺しの烙印」を買う。とはいえ、これらのタイトル、べつに血がさわいでいるわけではありませんよ。誤解のないように。 |
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1限の授業のあと、研究室会議。そのあと大学院の第一期入試。今日はかなり寒い日でしたから、受験生は気の毒でしたね。暖房が入るには早すぎたらしく、間に合いませんでした。 夜、高円寺の「Planet 3rd」という新規開拓の店で食事。もともと渋谷の東横線の高架下に店舗を開いているらしいのですが、倉庫を改造したのか、内部がかなり広く、しかも空間をおもしろく仕切っていて、いいお店です。食事は多国籍風。パスタでピザをとったら、野菜がたっぷりのって、ハーブのドレッシングがとてもおいしかった。来年から住宅街に出店する計画で、あちこちに進出をはかっているそうです。オススメの1軒。 |
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附属高校の推薦入試の面接を行なう。高校でだいぶ指導を受けてきている様子でした。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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新宿へ出て病院で定期検診。そのあと北野武監督の新作「Dolls」を見る。うむ、どうにも奇妙な映画だ。たしかに山本耀司のデザインのファッションはきれいだし、背景の四季折々の自然も美しい。だけど、こうした審美的な世界にどんどん入ってしまって、人物の方はペラペラなのはどうしてなんだ。三橋達也と松原智恵子のエピソードなど、空疎すぎて、ほとんど笑い話かと思わされる。深田恭子もなんでここに出てこなければならないのか、まったく不明。いっけんまとまりのない断片的なエピソードをつなぎあわせることが得意だったはずが、今回は失敗に終わっている。通俗的なもの、陳腐なものが急に輝くような瞬間がこれまではあったけど、それもない。わずかに菅野美穂が見せる最後の笑顔がよかったです。文楽に重ねるというのも最後まで釈然としませんでした。北野武も偉くなりすぎて、黒澤明のような状況になっているのでしょうか。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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学園祭期間中、共同研究の研究会をひらく。中文の加藤先生と江田先生の発表を聞く。中国科学思想史が専門の加藤さんは台湾の代理母問題をとおして、地域の文化・習俗と科学技術の交錯をとらえた話。中国共産党史を専門とされている江田さんのは、中国のトロツキストと称される陳独秀の晩年の文章に新たな光をあてたもの。専門外で、聞いているばかりでしたが、いろいろ考えのヒントをいただきました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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非常勤先が学園祭でお休み。たまっていた雑用を片づける。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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研究日だけれど、大学で新曜社の渦岡さんと会い、打合せ。論文集から1本ぬいて、なんとか定価を3000円台にできるよう調整する。夕方、帰りがけに新宿で平山秀幸監督の「OUT」を見る。これはお奨めの一本、最近の快作です。原田美枝子は「大地の子守唄」以来、好きな女優さんだけど、近年ほんとに美しい。その原田が家庭崩壊した郊外の中流家庭の主婦を演じていて、最初は金に汚いおばさんなんだけど、事件に巻き込まれながら死体処理するようになって、だんだん目覚めていくところがいい。倍賞美津子が「知床行ってオーロラ祭りみたい」と、すごく俗っぽい夢を語るときに、原田が思いつめたような表情になって、「それいい、すごくいい。あたしには何の夢もなかった」とつぶやき、にっこりするところがホント綺麗でした。もちろん、われらが室井滋も秀逸で、最後に出てくる吉田日出子もよかったです。この監督、「ザ・中学教師」とか「笑う蛙」とか、常軌を逸したような暴力や、禍々しいものにふれて人が変わっていくところを、陽気に描けるところがいいですね。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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この間、完全に煮つまっていた頭をひねって、ようやく原稿20枚を渡す。ギリギリセーフ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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学会二日目。学会印象記を書いてみることにします。会報には印象記のコーナーがあるのだが、なかなかぼくには書かせてもらえない。たまにはここでやってみましょう。 昨日からの学会は、この日の午後、いよいよ最悪の方向へ向った。午後の特集は「太平洋戦争とメディア」というテーマなのだが、このテーマ設定自体がピント外れの感がある。「太平洋戦争」というかぎり、1941年以降の日米戦争に焦点をあてることになるのだが、その時点で「メディア」について考えるとなると、マスメディアレベルでは、情報戦とかメディア規制の完成段階ぐらいになってしまうので、そうではないべつのものを見付けてこれるのだろうかと、だれしも疑問に思うはず。発表予告でも懸念されたが、案の定、3人の発表は、みんないかに規制されたかの話ばかりになってしまっていた。最初の人が沖縄戦とメディアについて語ったが、これは要するに沖縄人の「内地化」の力がマスメディアや教育でいかに強化されたかという、あまりにも凡庸な中味の話で、しかも、個別テクストをほとんど相手にせず、したがって、いっさいの分析もなく、ただ、概括的な歴史叙述をつづけただけ。会場から質問がほとんど出なかったのも当然だろう。 二番目の発表は、制度的な翼賛体制とそれに呼応した家庭からの「翼賛」の対応を話題にしたもの。こちらも自家製年表を片手の歴史叙述だが、要するに上からの相互監視体制としての「国民常会」/隣組が作られ、「週報」のような政府広報メディアの動き、ラジオの効果にふれているだけで、そうした3点セットで翼賛体制が出来たという話になる。家庭からの「翼賛」は、まさに戦時下こそフェミニズムが女性の社会貢献をうたいあげられるようになったわけだから、特に目新しい議論とは思えない。この発表者はかつて文化研究がいかにイデオロギー批評を欠いているかについて、口をきわめて批判していたのだが、その言葉はそのまま本人に返すしかないだろう。しかし、それにしても意外なほどで、どうしちゃったの?というのが素直な反応。よほど、与えられたテーマが悪かったとしか言いようがない。 三番目の発表は、「演劇と太平洋戦争」というテーマで、いちばんコンサバな発表だったけれども、落ち着いて聞くことができた。しかし、提出された資料は大半が「昭和ニュース事典」等からなので、新味はなく、時間切れで言及のなかった捕虜収容所での演劇について関心が動いたぐらいだった。とにかく司会者がどうにも教条的な社会党的演説をふりかざすのでさすがに辟易。単純な二元論的な思考から抜けられないらしく、権力とは統制的な政治権力しか思い浮かべられないみたいだ。教条フェミニズムも困るけれど、教条左翼はますます政治的な思考からひとびとを離れさせていく。まいるなあ。質疑はほとんど理事たちぐらいからで、これは責任上のヨイショ質問みたいなもの。参加者が少ないのも、事前に予期していた人が多かったからかもしれない。 最後に、小説家の林京子さんが講演。長崎原爆の被爆者でもある作家として、アメリカ合衆国が最初に原爆実験に成功した場所、トリニティ・サイトを訪ねたときの体験をスライド入りで話された。この講演がいちばん聴衆に響きました。 というわけで、学会特集としてはきわめて低調。企画的に昨年度から比べてぐっと落ちているので、なんとか快復を願わざるを得ません。来春の大会テーマは「権力とことば―大逆事件をめぐって」だそうです。うーん、このテーマも、政府の権力と闘う文学のことばという対立構図になるのでしょうか。それだけは避けてもらいたいものです。権力の問題を、つねに政治家にあずけてしまうことによって、自分たちを免罪し、権力とは無縁な存在に位置付けることだけはやめてもらいたい。そして文学の言説であれ、非文学的言説であれ、とにかくきっちり言説の分析を行なうことを期待したい。そうじゃなければ、せっかくの週末、ストレスたまるばかりで不健康です。 |
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近代文学会一日目。会場は日本女子大。新しい運営委員会になって、学会のプログラムもだいぶ変わったのだが、いい方向に変わったというより、時間を逆さまにまわしている向きが強い。役員のひとたちはご苦労様だけど、だいぶ問題ぶくみであることはたしか。とにかく個別の学会発表でも、聴衆は日本人だけではないこと(当たり前のことだけど、自覚のない人が多い)、個人作家の研究会ではなく「日本近代文学会」なのだということを踏まえてほしいとつくづく思う。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大学1年のときのクラスの同窓会に出る。1974年のことだから、28年も前のことになる。担任はドイツ文学の棗田先生。先生も定年を迎えられたが、お元気で出席される。70年代の大学闘争はすでにセクト間の内ゲバをくりかえし、72年には連合赤軍事件が起きている。もう以前のような盛り上がりは欠いていたが、三里塚闘争などに局所的に運動がつづいている状況だった。入学直後の大学では革マルの女子学生がさかんにクラスにやって来ては、議論をふっかけ、オルグを展開していたのを覚えている。10年ぐらいの間隔で同窓会を開いているが、久しぶりの再会。みんないい歳のとりかたをしていたので少しうれしくなりました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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会議デー。大学院博士課程の院生に対する奨学金、TA・SAへの奨学金などが決まる。ま、けっこうなことではあるんですけど、どうして年度の途中でバタバタと決まるのかな。進学希望者へアナウンスするわけでもなく、入ってみたら、こんな細切れの奨学金話がポツリポツリと出てくる。不思議なやり方で首をかしげてしまう。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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早稲田でハルオ・シラネさんの講演を聞き、シラネさん、鈴木登美さんにお目にかかる。前からお会いしたかったのだけれども、実現できなかったので、いい機会でした。カノンをめぐるシラネさんの研究は、複数文化主義を背景にして制度や権力の問題を扱っているのでたいへん興味深いものだけれども、アメリカと日本の学問や文学が担っている権力のちがいをどう考えるかについて聞きたかったので、あれこれ話をする。たとえばアメリカでは近世の日本文学はまだカノン化されていないけれども、日本では戦前から東京帝国大学の講座として成立していた。また岩波の新古典大系のようなカノン形成を成すシリーズにたっぷり入っている。むしろ日本ではいっけん複数文化主義が成り立っているように見えてしまうところがあるにもかかわらず、実態はそうなっていない。それはなぜなのか。どうすれば、抗争的な複数文化の実践が可能なのか。むずかしい話題ですが、鈴木さんのたくみな話術に乗りながら、楽しい対話ができたように思います。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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非常勤の授業のあと、夕方から総合学術情報センターの会議まで時間があるので、イメージフォーラムで「旅立ちの汽笛」を見る。キルギスタン共和国の青春映画で、映像がいい。内容はむかしの黒木一雄監督の「祭りの準備」などを思い出してしまいました。渋谷の本屋によって新刊を物色。山田宏一さんの「次郎長三国志」の本(ワイズ出版)と、ちょっと前に出た本の再刊で、「仁義なき戦い」についてのこだわり本を買う。両方読み出して、とまらなくなる。深作監督は荻野目慶子の告白本で、一躍、ガン闘病だけでなく話題の主になっていますが、やっぱり魅力的ですね。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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会議デー。研究室会議のあと、企画常任委員会、FD委員会、就職委員会。ふにゃふにゃふにゃ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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研究室でクリストファー・スコットくんの送別会を開く。あっという間の1年でしたが、かれが来たおかげで院生のなかでもだいぶ刺激を受けた人がいました。かれらだけでも温泉旅行に行ったり、教員ふくめて横浜ツアーや済州島ツアーに出かけたり。今日はその打ち止めということで、3時過ぎから親しかったものたちが集まり、小パーティ。金子さんはお手製の料理を持参で、本鴨のローストをはじめ、牛肉のごぼう巻、鮭の南蛮漬け、水菜のじゃこ和えなど、いろいろな「作品」を披露。ほかにも買出しグループがサラダやチーズを用意し、5時間近い宴会となりました。そのときの写真がコレ。
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原稿締切り日なのだけれど、まだ完成せず、もう数日待ってもらうよう連絡する。ところへ別件の原稿の催促電話が。押せ押せで、迫り来る締め切りの数々にぼう然としてしまう。要するに、もっと早くからきちんきちんとしてればこうならないんですよね。でも、これって学生のいいわけに等しいので、またまたがく然とする。 ええい、メガネをかえて一新しようと、今日から買い替えたメガネをかける。地元のメガネ屋さんで作ってもらったもの。さっそく高さんに、最近の疲れ顔(!)を隠すのにぴったりですよと言われる。 |
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大学院の学術発表会。朝9時から10人の発表を聞く。1人20分、質疑10分というように制限したとはいっても、さすがに10人はきつい。午前5人、午後5人にしたが、近現代は4人教員がいるので、学生たちの質疑の末に教員がコメントしたりしていると、たちまち時間が過ぎてしまう。疲れ果ててのち、下高井戸の「たつみ」で打ち上げ。ここでも発表への注文はつづくが、あとは何が何だか。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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来週から始まる予定の朝日カルチャーセンターから連絡あり、講座の方は定員に満たなかったので、キャンセルにしますとのこと。おやおや。まあ、講座料が高いので、かなりむずかしいとは思ってましたが、やっぱりオーソドックスな文学史風ではダメですね。ちょっと残念だけども、研究日の一日がこれでまるまる空くことになるので、ホッとする。 午前中、非常勤先で授業。スライド見せながら、ブックデザインの歴史について話をする。いったん家に帰って原稿書き。5時過ぎにまた出かけて、川崎賢子さんの共著『岡田桑三 映像の世紀』(平凡社)の出版記念会に出る。150人も参加したすごい会で、現役タカラジェンヌの乾杯もあり。さすが、『宝塚』の著者ですね。針生一郎、山口昌男、日高敏隆、黒木一雄、岩淵達治さんなど、美術評論家から人類学者、昆虫学者、映画監督、ブレヒト訳者と、異種混淆の錚々たる顔ぶれがスピーチ。川崎さんはしゃきっと着物で、かっこ良かったです。平凡社の小林祥一郎さんや、立教の築山さんとも再会。会のあと、高橋修さんと軽く一杯。 |
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日本学術振興会から「21世紀COEプログラム」の最終結果が報告された。人文科学の分野では、20件が採用され、年間1億〜5億の補助金が5年間にわたって出される。対象は博士課程をもつ大学院の専攻で、今年は5分野。そこに人文も入っていたので、この7月、しゃかりきになって申請書をまとめ、文学研究科国文学専攻で提出したのだが、残念ながら不採用という結果になってしまいました。短期間でまとめたにしては、そこそこのいい内容になっていたはずだけれども、いかんせん即席は免れなかったのだから落選は仕方ないとはいうものの、採用された申請案のタイトルや申請母体を眺めながら、うーむと腕組みせざるを得なかった。ほんとにこれでいいんですかね。私立大学からの採用は6件だけで、なかには「神道」というように特定の一宗教の研究分野に高額の補助を出すという。宗教学ならばともかく、キリスト教も仏教もイスラム教も除外して、神道だけを採用するというのは無茶苦茶な話だ。時間がたつにつれて猛然と腹が立ってきました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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近代文学会の例会。ただし、編集委員として事務所で半日、校正のお仕事で、発表自体は聞けずじまい。事務所の狭さについては、なんとか我慢できるのだけれど、運営委員会が買ったというパソコン、ずいぶんでかい割に使い勝手が悪いのでびっくり。まだインターネットにも接続していないという。プロバイダー契約がまだなのだそうだ。ちょっと試してみようかと自分のプロバイダーに接続すべく、あれこれやってみたら不思議なことに気づいた。事務所に電話は引いてあるので、そのケーブルを使ってつなごうとしたのに、PCに接続ポートがない。ユーザーガイドを読んでみたら、LANのためのEthernetポートはあるけど、モデム用の電話回線ポートはないんだって! ふーむ。これはあらかじめ分かって買ったのかね。編集委員会事務局の大野さんを通じて、運営委員会に確認してもらい、EthernetボードでいくならADSLにしてもらわないといけないし、そうじゃなければ電話回線につなげるボードを入れてもらわないといけない。せっかく事務所に設置されながら、インターネットが使えないPCって、ただのワープロでしかないですからね。校正やりながら書名の確認やらチェックするには、インターネットは不可欠ですゾ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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午前中、非常勤先で授業を1つやって、あとは国会図書館でお勉強。なぜか、うちの院生たち数人に出会う。来週の学術発表会のためのにわか勉強だなと思って、からかったら、先生も国会で見かけるのは久しぶりではないかと逆にやりこめられてしまう。ほんと、半年ぶりです。でも、ここにいると、たくさんデータが集まってきます。時間が足りなくなったので、また来週も出かけよう。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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授業のあと、院生ふたりに論文指導。教授会、大学院教授会に出る。そのあと高円寺近辺に住んでいる院生や留学生に誘われて、台湾料理店「高味園」で夕食。みなその味に満足する。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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朝日カルチャーセンターの「戦後文学」講座の最終回。村上龍とリービ英雄の話をする。次は、10月9日から「近代文学の流れ」という講座が始まる。いかにも文学史みたいなタイトルですが、センター側の希望で、明治から大正にかけての文学についてトピックをあげながら話す予定です。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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文理の後期最初の授業。担当会のあと、山口さん、加藤さんと夕食。なぜか話題が60年代の日活映画「遥かなる慕情 星のフラメンコ」の話になり、西郷輝彦の主人公が台湾の淡水に行くという内容で、二人が多いに関心を示す。あとで日活のサイトでビデオがあることを確認し、連絡してあげる。当時は「日中合作」と言ってたんですね。「日中」ねえ、フムフム。中国との国交回復前という感じです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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また更新をさぼってしました。少し日を飛ばしていきましょう。 この日は非常勤先の後期初日。今年で16年つとめたこの非常勤先を辞めさせていただくことになったので、キャンパスをしみじみ見直す。大学の授業を初めてもたせてもらったところなので、やや感慨あり。でも授業は淡々と。 中途半端に時間があいたので、映画館の時間を調べるも、うまくあいているのがない。しかたなくというわけでもないのだけれど、「オースティン・パワーズ」のおふざけ映画を見る。冒頭のいろんな映画のパロディがさすがに楽しい。しかし、日本を舞台にしたという場面はさっぱり。叶姉妹がオファーを受けたという双子の日本人役もしょうもない役柄でした。みんな親子兄弟みたいなメデタシメデタシの結末ですが、途中でサメに食われてしまった日本人のロボット産業のロボトさんはどうなるんでしょうか。食われ損というわけか。 |
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テレビで藤原紀香がアフガニスタンに行くという番組を見る。涙もろいぼくとしては、彼女と同行した通訳のアフガニスタン女性(子供の時に銃撃を受けていまは日本に留学している)がかつて育ててくれた叔母と再会する話で、もう目をショボショボさせてしまいましたが、この番組、実のところ、基本の説話構造は「伊豆の踊子」みたいなものでした。一高生が紀香で、踊子がアフガンの人たち! 芸能人の特権を駆使して、アフガンに旅する。プロダクション側にどんな不純な動機や思惑があるにしても、特権があるならそれを行使して、アフガニスタンの現実を見ようとする。それはすごい。でも、物語にすると、しょせんは旅人、「伊豆の踊子」の寂しい一高生さんが別れの涙にかきくれようと、踊子の生涯をどうすることもできない話になるわけで、同じように藤原紀香にアフガンの子供たちに何ができるわけでもない、でも風景が目に焼き付き、記憶に刻み込まれたと結ばれて行くわけです。国木田独歩のエッセンスもちょっと入ってる。圧倒的な現実にうちのめされてみたい、そんなふうなことを芸能人も考えている。おそらく共感する人も多いでしょうね。ただ、そのことを描こうとしたとき、話が「伊豆の踊子」とまったく変わっていない構造になってしまう。たぶん、そのことをきっちり考えていったとき、テレビとはべつの映画という表現にたどりつくのではないでしょうか。 |
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日本近代文学会の編集委員会で、早稲田にある学会事務所へ。最近、学会が事務局当番校探しに苦労したあげく、家賃を払ってマンションの一室を借りることになったもの。ところが、この部屋、向かい側にすぐビルが林立する角部屋で、二方の窓のうち、一方は薄暗くて用をなさない。しかも、部屋が斜めになっていて、ひじゃべた台形みたいなかたちになっている。10数人の委員が坐ると、もう手ぜまな感じで、これで今後、学会事務活動をやれるのかしらと心配になりました。天井も低いので、狭く圧迫感があるのがちとつらい。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大学で雑用を片づけたあと、国立市の図書館で読書会の講師をつとめる。今日の題材は、大江健三郎の『叫び声』(講談社文芸文庫)。大江評価は真っ二つにわかれましたが、これがもう40年前の小説なんですね(1963年)。40年といったら、明治末年に、西南戦争の頃の文学の話をしているよりもっと長いのだから、いかに昔の作品かということ。女性や同性愛の描き方に問題あるのはいうまでもないけど、それにしては、村上龍などと比べても、この小説、ほとんど古びてないですね。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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朝日カルチャーセンターの講座。今回は在日朝鮮・韓国人文学をめぐってで、金石範の『鴉の死』や『万徳幽霊奇譚』など。ちょうど済州島から帰ったばかりだったので、さっそく撮影した画像をとりこんで、PowerPointを駆使することにしました。参加者からは『万徳』の評価が高く、こんなに面白かった小説は久しぶりとの声も。 ところで、この日は、9.11。一年前のテロ事件についてさまざまな特集や特別番組が組まれている。日本テレビでビートたけしを進行役にして、あのときWTCビルの内部にいたカメラマンの映像が「世界初」と銘打たれて放送されてましたが、あれは、前に書いたように半年前にアメリカのTVで放送された映像のパクリでした。そこではロバート・デ・ニーロが司会役で、NYの消防士を追いかけていたフランス人のドキュメンタリー・カメラマンの兄弟がたまたま事件のときに、消防士とともにビルのなかに入り、九死に一生を得た、そのときの映像を再編集したものです。それにしても日本テレビがこの映像を入手し、世界で初めて放送するなどと言い放っているのは、とんでもないウソ。ひどいもんですね。 それでも見てしまいましたが、たけしがこういう番組の中ではまったく生きていない。もともと世界に対して拒絶的で暴力的な存在であることを表象してきたのに、むき出しのほんとの暴力の前に立ってしまうと、実に無力に見えてしまいました。 むしろ、注目したのは、この晩、TBSが放送した映画「セプテンバー11」でした。11人の映画監督がNYのテロ事件をめぐって、11分9秒ずつつくったオムニバス映画ですが、ここでのモフセン・マフマルバフの作品は実にユーモアがあって批評性がありました。イランのアフガン難民の集落で、事件後、アメリカのアフガニスタン攻撃があると報じられているときに、核の攻撃もあるかもしれないというので、核シェルターをつくろうと必死に大人や子供が働いている。シェルターといっても、土を掘って、土のうをつみあげているようなものだから、ほとんど役に立ちそうにない。女の学校教師は、子供たちを何とか教室に集めて、事件について伝え、犠牲者を追悼させようとするのですが、子供たちにはWTCビルも、飛行機が突っ込むということも、なにも分かっていない。どんな事件が起きたのかと問われると、井戸に大人が落ちて死んだ話や洪水の話しか、答えられない。先生のまじめさ、懸命さと対照的に、貧しい、泥だらけの子供たちは、テレビも携帯電話も知らず、したがって情報に接することもできず、自分たちの身近な日常から世界を組立てていくしかない。黙祷を求める先生の目の前で、べちゃべちゃおしゃべりする子供たち。その子供たちの笑顔やしぐさがかわいく、かつまた、どうしようもない貧富の格差、情報の格差を如実に示していました。これは「カンダハール」より傑作といえるかもしれません。 ほかにも、映像はほんのわずかで、あとは真っ暗な画面に音だけで表現したメキシコの監督(名前がむずかしくて覚えられなかった)、賞金目当てにビン・ラディンのそっくりさんを捕まえようとする貧しい小学生たちを描いたアフリカの映画も印象的でした。ダメだったのは、クロード・ルルーシュ。あいかわらず「男と女」なんだから。イマヘイさんのは、ビデオテープが切れてしまって、見そこねてしまいました。見た方はいかがでしたか。 |
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新図書館の内部施設に関する会議で大学へ。工事は進んでいますが、まだまだ時間がかかりそうです。 済州島ツアーの写真をアップしました。こちらにどうぞ。 |
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久しぶりです。8月は更新を休ませてもらいましたので、ひと月ぶりの日記です。 水俣から帰ったあとは、残りの前期授業の採点に精を出し、ようやく本格休暇が1週間。このときとばかりに、かねて計画中であった論文集の原稿チェックにとりかかりました。それでも20日過ぎからは、会議やら雑務やらが入り、同時並行の仕事となりました。 21日には日大附属高校の国語科の先生たちの研修会に参加。23日には院生たちと面談し、卒業生が夕方訪ねてきました。27日は地元高円寺の阿波踊りで、集まったお客さんたちと踊り見物。28日が朝日カルチャーセンターでの講義。29日は会議と、教科書編集委員会のかけもち。30日には、次年度客員研究員として来日される高麗大学の崔官先生(近世文学)が下見に来られたので、ご挨拶。午後に駒場の近代文学館で「文学館演習」の講座2コマをすませたあと、崔先生、粕谷先生と会食。9月に入って、2日は大学で院生と面談後、藤原書店で「野間宏の会」の事務局会議。3日にようやく、自分の原稿800枚を編集者の人に渡すことができました。半年ぐらいかけて本にしていく予定です。 4日から6日までは、韓国の済州島へ二泊三日の研修旅行に行ってきました。金子さん、小平さんはじめ、総勢16人という大所帯のツアーでしたが、研修と観光を兼ねての楽しい旅行となりました。ソウルからは朴裕河さんも参加。韓国のハワイといわれる島だけあって風光明媚な場所ではありましたが、日帝時代の軍事基地の跡や、1948年の4・3事件の記憶がまだ息づいている場所も訪ね、この島の過去と現在をわずかに垣間見ることができました。途中、済州大学の日本語日本文学科を訪問、向こうの先生方にお世話になりました。 さすがに疲れが残りましたが、昨日7日は、岩波書店の「文学」の座談会。映画の特集で、松浦寿輝さん、高橋世織さん、中山昭彦さんと。映画研究と文学研究の話から、ハリウッド、クリント・イーストウッドやゴダールについて話が弾みました。これは11・12月号に掲載される予定です。 |
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