02.26
 いよいよ引越し作業、本格化。ということでPCも移動するので、日誌はここでいったんお休みです。3月中旬に再開いたします。
02.25
 朝から大学で研究室整理。しかし、花粉症はますますひどくなった。キャンパス内は講堂は解体作業中だし、研究棟のなかは引越しのため廊下や壁に養生して、一部の学科の移転作業がはじまっている。全体にほこりやすすが舞っているなかで、自分の部屋で本や書類をダンボールにつめているのだから、おかしくならない方がへん。マスクをして、くしゃみをしながら、黙々と作業にはげむ。ときどきため息が出るが、しかたがない。
 4時から担当会。そのあと戻ったら、院生たちが勉強会のあとに訪ねてきた。7時過ぎに帰宅しなければならなかったのだけれど、かるく「たつみ」で一杯やることにした。
02.24
 意外にすっきり朝めざめ、おいしい朝食をいただく。そのあと箱根遊覧ツアーで大涌谷見物。ところが、黒卵はうまかったのだけど、ここで硫化水素にやられたのか、鼻がむずむず、咽喉がイガイガしはじめた。目もしょぼしょぼしてきて、どうやらこれは収まっていたはずの花粉症! あわてたときにはもう遅く、帰宅してからすっかり調子がおかしくなってきた。
02.23
 教科書編集のスタッフと法学部の箱根仙石原寮で「研修会」。昨年につづいて2度目だが、仙石原寮はすこぶる評判がいい。文理学部の山中湖のセミナーハウスと段違いだ。山中湖はバス停からの距離がありすぎる上に決定的に食事がまずい。業者の管理や選定に相当な問題があるのだが、一向に改善されなかった。仙石原の寮は管理人さんがはるかにいい。集まったメンバーも調子よく、湯気の向こうに30万部が見えると、だれか言ったとか言わないとか。夜中の2時過ぎまで大酒のんで喧々諤々。
02.22
 午前中から来て研究室の整理。それでもまだ引越しの準備が4分の1ぐらい。ダンボール箱の数も10個をくだらない。しかし、まだ書棚には本のやまが。そこへたどりつくために前に積み上げられたものを片づける作業がつづく。東急ハンズなどへ行って、こまごました片づけ道具などを物色。
02.21
 理系の入試の日。試験監督からはずれ、待機になったので、またまた研究室の整理。
 夕方からポストコロニアリズムの研究会。今回は、近代朝鮮文学をめぐって、白川豊さんと神谷丹路さんに話を聞く。白川さんは戦中の朝鮮人作家たちによる日本語作品、朝鮮語作品について。「太白山脈」の訳者でもある神谷さんは、小説の背景となった解放後の朝鮮半島の混乱について。朝鮮戦争直前のこの時期の問題がまさにポストコロニアリズムの問題であり、現代の多くの内戦や紛争と連続していることを確認。そのあと「爺」でお二人を囲んで会食。
02.20
 また今日も担当会。教授会の前には必ずこの会議があるので、入試の時期は頻繁になる。
02.19
 文系の入試判定の教授会。そのあと大学院の会議も。
02.18
 研究室の整理。廃棄する書類が大量に出る。15年の垢ですね。こんなものがあったと思わずながめいるものもありました。夕方から担当会。
02.17
 社系の入学試験の日。試験は特にミスもなかったようで、ほっと一安心。そのあとはFD報告書の原稿を整理する。分量が去年の倍以上になっているので、構成作業がたいへん。
02.16
 大妻女子大で日本近代文学会の臨時評議員会・総会。前代未聞の臨時召集だが、要するに次期事務局を引き受ける当番校が決まらず、運営委員長だけは渡辺澄子さんに決定したが、彼女はすでに大東文化大学を定年退職した立場であり、当番校がないままになる。そこで「事務所などを借りる」などして大学から離れたところで運営にあたりたいというのが、評議員に届いた呼びかけ文の言葉だった。ところが、評議員会が始まってみたら、それも時間を1時間以上もたってから、じつは事務所を借りる案はナシで、この1年は渡辺さんと運営委員の分担持ち回りでしのぐという理事会案だという。ひどいことに代表理事の最初の経緯と提案説明を聞いても、何をどうする案なのかさっぱり分からない。当然、事務所案だと思って、いろいろ発言があいついだら、ようやく現・運営担当理事からそうではないという説明があった。さすがに集まった評議員たちもあきれ返った面持ち。会則改正の必要もないのだから、なんで臨時総会まで開いたのだろうか。いまの理事会のメンバーはひとりひとり個別には信頼できる方たちなのだけれど、代表理事を中心に理事会機能がまったく働いていなかったと言わざるをえない。要するに理事会のなかで意見が集約できないまま、1つの案だけで召集をかけてしまい、直前の協議でひっくり返ってしまったのだろう。とにかく代表理事は両案併記で評議員会でどちらか選んでもらいたいと言っていたけれど、1年に500万円以上かかるという事務所案はそれなりの裏付け調査をしていないと判断できるものではない。理事会できっちり借りられそうな事務所を確認し、雇える人材についても責任もっているのかと思ったら、何にも考えていないのだそうな。それならなぜ事務所を借りるしかないというような文書を出したのだろう。このあまりにもぶざまな出来事についてきちんと説明する責任があるのではないだろうか。
 そのあと数人と市ケ谷で夕食。怒りと呆れのあまり少し焼酎を飲みすぎて、帰りは足下がふらつきました。
02.15
 文系入学試験の日。風が強くて寒い。国文の受験生は昨年から350人も減ってしまった。1年前は200人近い増加で喜んだのもつかのまでした。入試終了後、すぐさま市ケ谷の本部で総合学術情報センターの運営委員会。来年度の「古典籍調査プロジェクト」の計画などを報告する。
 夜、ビデオにとっておいた前の国連難民高等弁務官・緒方貞子さんに関するドキュメンタリーを見る。冷戦後の紛争で生みだされた難民の総数は2200万人。緒方さんが担当した難民対策の「人道援助」の現場で殺された部下の数は55人だという。この数字、どちらも重い、重すぎる。2200万人にも倒れるが、仮に自分の部下にあたるものが1人でも殺されたらと思うと言葉を失う。この人の背景にあるものに少し関心をもった。
02.14
 2日間、研究室にこもってレポートを読みつづけ、成績をつける。「日本文学講義」「学校論」「メディア論」しめて、レポート総数350。肩はばりばり、腰はもうオジイサンのようになってしまう。5時半、ようやく教務課にとどけて重荷から解放される。
 かと思ったら、科学研究費の実績報告書の〆切りが22日という通知がとどき、さらに加えてFD委員会の活動報告書の編集という実務が迫ってきた。原稿はちっとも進まないし、重荷はふえるばかり。
02.13
 このあいだ三輪明宏のことを書いたけれども、最近、彼のアルバムがCDになって復刻されていることを知った。タイトルは「白呪」(びゃくじゅ)。おどろおどろしい題名だけども、中身もすごい。「祖国と女達」という曲は副題が「従軍慰安婦の歌」。これは日本人の慰安婦を扱ったものだけど、来る日も来る日も兵隊を相手にした慰安婦をヒロインにして「大日本帝国バンザイ」とうたい上げている。「ヨイトマケの唄」は何とか流せても、さすがにこれはマスメディアは自主規制するだろうな。ほかにも「ボタ山の唄」とかも。1960年代にこういう歌を作詞作曲していたんだから、この人、やっぱりただの芸人ではないですね。CDは研究室に置いてありますから、聞きたい人はどうぞ。
02.12
 午後はクリス君と隔週おきの面談。在日朝鮮人文学や李恢成について話をする。
 夕方から卒論ゼミの打上げコンパ。10人ほどが集まり、にぎやかに夜は更けていったのでした。就職先も教師や公務員系の他に、スポーツクラブあり、SEあり、コンビニあり、役者志あり、ライター志望ありと多彩でした。幹事さん、ご苦労さま。卒業記念に貧乏ヨーロッパ旅行に行くと言っていましたが、どうぞ気をつけて。
02.11
 「日本近代文学」で頼まれていた書評の原稿をようやく書き終える。わずか10枚の原稿ですが、さらさらっと書くことはできないもんですね。非力を痛感。
02.10
 日曜日なのに研究室に緊急の仕事がらみの書類を忘れてしまい、文理に出かける。正門で中文の山口さんにばったり。なんだ、お互い日曜日に研究室で仕事かと思ってたずねたら、中文学科の「就職懇談会」の開催中なのだそうです。学科でいろんなイベントをやらなければならないので、大学の先生もたいへん。
 文理の中文はすっかりスタッフが変わってきて、かなり面白い学科になっています。坂本ちゃんが入学したので妙に有名になったけど、ほんとは教員スタッフの質でみれば中国語、中国学でも都内ベスト3に入るんじゃないかな。いま12億人の人口を抱える中国は、台湾や多くの華僑まで含めた中国ネットワークで考えれば、これからきわめて巨大な東アジアの中心になっていくでしょう。関心のある人はぜひ文理学部へどうぞ(と、この場で宣伝)。
02.09
 午前中、通信教育部へ。今日は面接3人。文理よりはずっと気楽でした。そのあと判定会議をすませて、午後、文理へ。
 冬のオリンピックがソルトレークで開会。ダイジェストを見たけれど、アメリカのユニフォームの帽子がいかにもグリーンベレーみたいで、雰囲気悪かったですね。日本のユニクロはやはりユニクロでした。わずかにスティングの歌に耳をすます。つくづく冬のオリンピックは白人の祭典なのだという印象が強い。夏では白人は有色人に分が悪いけれど、冬は地球の北に住むおれたちの出番だぞとばかり。で、そこにくっついて騒いでいくのが擬白人たちの日本人というわけ。個々の競技は楽しみなのだけれども、こうしたセレモニーは必ずしも愉快ではありません。
02.08
 久しぶりの平日の休日。かと思いきや、明日は通信教育部の卒論面接。こちらの準備のためにまた講評用紙に向かう。手書きの卒論がまだあって、読むのに骨が折れる。
 テレビで三輪明宏が「ヨイトマケの唄」を歌ってました。「土方」という言葉が出てくるので、長いこと避けられていたけれど、今回は全部を独唱。三輪のあの格好で「お父ちゃんのためならエーンヤコーラ」と歌っているのは、とってもへんなのだけれども、いったんリアリティをなくした上で歌自体を抽象的に味わうということになるのでしょう。葛西善蔵の「哀しき父」にもヨイトマケが出てきますが、ぼくなどの幼いときの記憶の中にも「エーンヤコーラ」の響きは残っています。しかし、いかにも1965年という作曲された時期を思わせる唄ではありますが、現代の労働唄というとこういう選択になってくるのでしょう。「明日があるさ」にしても、過去のリニューアルでした。いま自分の仕事についての歌などないものね。
02.07
 会議の日。午前中、学生とのやりとりがあり、企画常任委員会を欠席。午後は合同教授会、教授会、大学院教授会。終了が6時。この日は、「おふろ」で金子さん、田中さんたちと。「おふろ」は、今月号の「ダンチュウ」の日本酒特集号に大きく紹介されていましたね。寒ブリがおいしい。その次のページに出ていた高円寺の「串兵衛」もよく知っている近所のお店でした。
02.06
 朝9時から卒論の口述試問。午後1時半まで、21人に面接。いっぺんに21人と面接するというのは無茶苦茶だが、なかなか口述2日案は通らない。先生たちも1日はやく副査の講評を出さなければならなくなるし、長年の習慣は変えられないらしい。それにしても20人以上はつらい。しまいに何を言っているのだか分からなくなる。学生たちも待ちくたびれたでしょうね。お疲れさまでした。
 そのあと修論の面接。今年の修論提出者は8人。大学院担当教員全員で面接。疲労もあるから辛口になってきてしまう。さらに卒論・修論の判定会議。すべての仕事が終わったのは、7時でした。空腹になったので、曾根さん、金子さん、藤木さんと「一風」へ。
02.05
 12時から会議。オープンキャンパスの日程案が2日になる。今年の受験者数は昨年が上昇した分、目減りの傾向。明治大学との入試も重なった模様。これが隔年変動で、来年もどればいいが、もどらなかったら地滑りでしょう。危ない、危ない。
02.04
 大学で残りの卒論を一気に読む。途中で移転の相談があり、新7号館を検分に行ったり、雑用もさまざま。
02.03
 昨夜からこの日にかけて卒論8冊を読了。頭がクラクラする。
02.02
 卒論がどっとたまっているので、昼前に大学に出かけて5冊を読み、講評を書く。結局、6時半まで。ふだんの年度末の仕事に加えて、新研究棟移転の準備があるため、助手もこの時間まで残業。ご苦労様です。自宅に卒論8冊を持ち帰る。
02.01
 帰りに大磯へ寄る。島崎藤村の晩年の家が大磯町の文化財になって保存されている。決して広い家ではないけれども、畳2枚分の幅のある広縁が魅力的な、日本家屋。1930年前後の建築だそうで、モダン化された和風住宅なんですね。藤村がひかれたのも分かる気がする。管理人さんと少しおしゃべり。
 旧伊藤博文邸の「滄浪閣」で、旧東海道の松並木を見ながら昼食。こゆるぎの海岸や吉田茂邸などを見てまわる。ブルジョアたちが開発した宿場町ではあるけれども、近さといい、ほどよい小ささといい、微妙な近代のひずみの現れ方といい、大磯を再発見した気分。
01.31
 昼過ぎまで、大学で会議。そのあと仕事で小田原に出かける。結局、このあいだ訪ねたスパウザ小田原で宿泊。塩分のつよい温泉のお風呂につかり、大海原を眺めて熟睡。
01.30
 東京在住の数人で竹盛天雄先生を囲んで昼食会。虎ノ門の「青柳」という割烹にて。十重田さんがご存知よりのお店らしく、とても手が込んだ料理で美味でした。プロフィールにも書いたように、竹盛先生は、いま甲南女子大にいる大橋毅彦、早稲田の政経にいる高橋世織、相模女子大にいる高橋広満やぼくらが大学院に入ったときに院の指導になったばかりで、なかなか活気がありました。当時、ドクターにいたのが柳沢孝子さん、宗像和重さん、小仲信孝さんでした。パリ第7大学のセシル坂井さんが留学してきたのも、その少し後だったかな。韓国・世宗大学の朴裕河さんとはやはりそのあとぐらいに会いました。なつかしい記憶がよみがえった昼食会でした。その後、文学館に行き、作業を終了したあと、院生たちと会食。渋谷で地鶏を堪能。
01.29
 病院で定期検診のつもりでいたら、日程を一週間まちがええていたことが判明。それは先週のことだった。予約をしなおして2週間後に。急に時間があいたので、阿佐ケ谷のうさぎ屋に寄って、どら焼きを買い、文学館で「労働」している院生たちに差し入れ。
 大学へ戻ってまたまた書類書き。年度末はこんなことばかりが多い。10年前の卒業生と会う約束があり、久しぶりの旧交をあたためる。「おふろ」で軽く夕食。
01.28
 大学で書類書き。そのあと某出版社の編集者の人と会う。昨日の150枚を渡し、一月後に残りを渡す約束をする。このところ謝ってばっかり。
01.27
 この冬、300枚書く予定だったけれど、なかなかはかどらず。明日、編集者に渡す原稿がようやく150枚。能率が悪い。
01.26
 一日、原稿書きに終われる。マフマルバフの映像がちらちらする。
01.25
 青山短大の成績を出しに行く。大学へ寄る前に新宿で、マフマルバフの映画「カンダハール」を見る。ほぼ満員の状態。この監督はなかなかにハッタリのある人だと思うけれども、やはり1時間25分で、まとめ、かつ感動させる手腕は見事だと思う。色彩のすばらしさ、上下左右への直線的な動き、浪花節ともみがうような泣かせの演出など、心憎いところがある。必見ですぞ。
 夕方から学内でやっているポストコロニアリズム文学の研究会で、台湾日本語文学を専攻している河原功さんに佐藤春夫をめぐる話を聞く。植民地を描いたり、扱ったりした文学を対象にする場合、どのようなポジショニングをとるか、方法論をどうするかがいつもむずかしい。毎回、そのことを自問自答するようになるものですね。
01.24
 研究室会議やら教授会やら、たくさん会議つづきの日。そのあいだにはY弘文館の編集者に来ていただいて、原稿の一部を渡す。
 会議終了後は、FD研究のための講演会。立教大で教養部を解体して作った全学共通カリキュラムセンターの初代センター長・寺崎昌男さんの話を聞く。いろいろおもしろい話が合ったが、なかでもカリキュラム改革に必要なのは、Stability(組織の安定性)、Prestige(組織の威信)、Support(大学からの支持)の3つだそうだ。それらを大学や学部が実行メンバーに与えなければダメ。委員会方式では絶対にうまくいかないそうだ。3年前の文理のカリキュラム改革のときは、われわれは、委員会方式のうえにNo Stability、No Prestige、Little Supportしかなかったなと追憶。なるほど、なるほど。
01.23
 一日あちこちを移動したあと、最後は全日空ホテルで、日大射撃部の祝賀会。副部長をしているため。射撃部というのに引かれて、やむなく引き受けたもの。50m先の的を0.5mmもずらすことなく当てるとうのは大変な技術です。祝賀会の会場にはレーザービームのシミュレーションを味わえるようにしてありましたが、そのうち、ぼくも本物を撃たしてもらいたいものです(!)。
01.22
 今日から近代文学館で中里介山文庫の第2次調査作業。院生8人に協力してももらい、書誌調査、目録カードの記入、そしてそのデータの入力作業を行う。前回のメンバーもいるので、安心しておまかせできる。それにしても介山文庫は和本が多い。ほこりだらけの山のなかで、黙々と作業にいそしむ院生のすがたは、ふだんの授業とはちがう風景でした。
01.21
 氷雨ふる。午前中、大学で100周年記念館と7号館の竣工式。会場が寒くて凍えそうでした。お昼にパーティがあるが、あまりに寒すぎたので研究室にもどる。それにしても会食の多い学校ですね。
 夜は某書店で座談会。ロバート・キャンベルさん、十川信介さん、藤森照信さん、園田英弘さんらと。3時間近く話がつづき、すっかり腹ぺこに。近所の咸享飯店で遅い夕食をとる。
01.20
 原稿やら準備やら。学習院の院生に向けて掲げたレポート期限をまちがって書いていた模様。失礼しました。ほんとの〆切りは1/28です。早く出した人は早く解放されたということでお許しいただき、21日だというのですっかり焦ってしまった人は落ち着いて残り1週間、がんばってください。
01.19
 明後日の座談会の準備で昼頃、大学へ。火曜日からの中里介山文庫第二次調査の準備も。
 卒論、修論の担当分がようやくとどく。これも読みでがありそう。
01.18
 「日本文学講義」最終回。後期は教科書にする予定の岩波文庫のテキストが次々と品切れになっていて充分にこなせなかった。最後はアジア主義の言説について。
 「メディアと教育」は先週上映できなかった「ドキュメンタリーごっこ」を紹介。メディア・リテラシーが見る側の批評性を強調するのに対して、つくる側の批評性について考察。撮影する主体と撮影される被写体との関係について。それにしても学生の様子を見ると、記録映画を見ることに慣れていないみたい。画面を次々に切り替えたり、ストーリーで引っ張ってくれるハリウッド映画の話法に身体が慣らされてしまっているのかもしれない。
 大学院はぼくが「島崎藤村と読者共同体のジェンダー」について講義。資料もしっかりつくって、2時間しゃべりました。これにて今期の授業はすべて終了。おつかれさまでした。
 授業のあと、数人が研究室に残っておしゃべり。新研究室のレイアウトなどの相談にのってもらったのだけど、かれらの主張は冷蔵庫だ、食器棚だ、TVだなどと、なんだか研究室ではないみたい。そのまま「たつみ」になだれこむ。
01.17
 「学校論」の最終回。近代の学校が抱えた管理と統合のシステムをもとに学校的価値観とふるまいが社会のなかで普遍化していくさまを論じてきたけれど、最後に「学ぶ」こと自体のもつ快楽に言及。キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ」やマフマルバフ監督のアフガン難民の学校をとらえたドキュメンタリーを紹介、しめくくりとしました。
 この日は会議日。長い長い教授会が終了したのは、もう6時前でした(-_-)゚゚zzz 。
01.16
 1限の代講演習も最終回。金子みすずと吉増剛造についてそれぞれ発表あり。今日は電話が10回ぐらい鳴る。デスクから離れたところにあるので取りに行くのが大変。5回目以降は、ムッとしてしまう。
 4〜5限は中国学専攻の大学院で特別講義として丸川哲史さんの講演を聞く。内容は「台湾ニューシネマと「冷戦」「ポストコロニアリズム」について」。前日の田村志津枝さんの台湾映画についての講演もおもしろかったらしい。丸川さんの話は「多桑」から始まってエドワード・ヤン、ホオ・シャオシエン、ワン・トンに及んだ。本省人・外省人・先住民が混在し、言語的な多様性をもつ上に、植民地時代の記憶、戦後の冷戦下の記憶がそれぞれに錯綜して「台湾」の身体に刻み込まれているありさまを映画をもとに分析。日本未公開の「バナナ・パラダイス」という映画などもなかなか面白そうでした。
01.15
 演習最終回。3人発表の予定が2人、ドタキャン。こうして舞台から降りていくひとたちがいるのは常だけれど、最終回でとは。2人には来年度の卒論指導からも降りてもらおう (-_-#) 。
 この怒りのあおりというわけではないけれど、学部の会議で新7号館工事の問題点を指摘。せっかくの新館に落胆したことを言い、今後の他の建物の改修に関して注意を促した。学務の某K先生より「紅野さんの歯切れの良い発言を久しぶりに聞きました」と言われる。「久しぶり」とは…… (;-_-;)。
01.14
 成人式のため休日。25年前、成人式の招待が住んでいた市からあったけれども、行かなかった。辞書がもらえるらしいという話だったけど、そんなもん行くもんかと思ってました。じつは寝坊しただけなんですが。それにしても20歳で成人という発想自体がおかしいわけで、すでに子供がいたり、80%近くが性の体験までしてしまうような時代にあって、なんでいまさら成人?という疑問は捨てきれません。要するに飲酒喫煙の権利と参政権を付与するというだけの話でしょう。ぼくの主張は15歳まで成人式を引き下げるという案。15歳以上になったら大人扱い。当然、犯罪をおかせば少年Aではなく実名。少年法も適用されない。選挙権もあり、というのが私案です。
 15歳ぐらいから20歳までを中途半端な少年にしてしまったのは、明治末から現代までの100年間だけのこと。それ以前は女性が最初に結婚するのは10代のうちが大半だし、就職していた男の子もたくさんいた。それをなにかいけないことでもあるかのように追い込んで、少数派にしたのが間違い。学業の機会を失うといっても、それこそ結婚して子供がいたって大学に行くことができるようにすればいいのだし、いったん仕事をしてから勉強に戻るという選択肢もふえたのだから問題はない。成人式は15の春! 知事のあいさつなんぞ不要のきわみ。ディズニーランドで20歳の成人式なんて超ナンセンス!!
01.13
 阿佐ケ谷のBOOKOFFに出かける。商店街を散歩したあと、北口の「Sawadee」で遅めのランチ。タイ料理で知られる店で、カォパ(炒めご飯)がおいしい。あとからやはり1人の男性客が来たが、肌の色や服装からタイ人のように見える。カォパを1つだけ注文していたが、とどいたら、さっとテーブルの上のナンプラーをスプーンですくって、どさっとかけていた。ふつうは唐辛子のところは避けて魚醤の液体だけをすくうものだが、赤い辛子もたっぷりご飯のうえに乗っかった。それをスプーンでたくみに口へ運んでいる。うまそうに食べるもんだなあと感心して見ていたら、ものの5分も経たないうちに食べ終えて、帰っていった。タイの人であるなら、もう少しゆっくり食べていると思うのだけれど、ファストフード馴れしたタイ人かな。それにしてもみごとな食べっぷり。うまそうだなと思いつつも、あんなに赤唐辛子入りのナンプラーをかけたら、口がひん曲がりそうなのでやめておく。先日、ベトナム、ホーチミン市の風景をテレビで見たときもそうだったが、こういうことがあると、またまた旅ごころが誘われてしまうのを抑えられない。
01.12
 卒論・修論提出期限なので、昼頃に大学に行く。やはり数人、脱落者が出た模様。残念。
 研究室でシラバスのつづきを書く。学部のゼミでは戦後占領下の文学として林芙美子らをとりあげることに決める。大学院ではサンフランシスコ講和条約の締結前後、「新日本文学」と「人民文学」の対立抗争を扱うことに決めて、ようやく書き終えることができた。
 夜、NHKで「世界は彼女の何を評価したのか―ファッションデザイナー川久保玲の挑戦」を見る。デザイナーは抽象的な言葉を投げかけて、プランナーに実質的なデザインを編み出させるという両者の関係がたいへん面白かった。デザイン案が出来てから、指定した生地がようやくプランナーに示されるのだという。しかし、そうだとするならば映像にならない部分で、ものすごい数のダメだし、やり直しが繰り返されているのではないか。デザイナーの型通りに動くのではないところが魅力だけれど、同時に消耗の激しい世界でもありそう。「批判されないようであれば、それはみんなの常識の内に収まるデザインになってしまったということだ」という彼女の言は、やはりいまのアート・シーンを駆け抜けているものの言葉だと思う。
01.11
 授業3つ。ようやく休みの気分が抜けてくる。足の方もだいぶよくなって、ふつうにしていれば意識しないが、でこぼこ道だとまだ痛みが残る。
 青山短大の郵送レポートを昨日の消印のもので打ちきり、リストを完備しました。メールの方は返信メールがいったはずです。郵送した人でここに番号のない人は至急、メールあるいは電話で連絡するか、その旨を書いて三日以内に再送してください。
01.10
 大学の授業が始まりました。研究室のポストにたまっていた郵便物や書類を整理。さすがに初日のためか会議がひとつもなかったのはいいのだけれど、シラバス原稿などを書かねばならず、これに四苦八苦。来年度のコマの関係で「映画論」も担当せざるをえないので、何をやるべきか多いに迷う。
 今日から卒論・修論の提出期間。どうかなと副手のところでチェックすると、まだまだ。残り2日、どうなることか。
01.09
 夕方から外出の予定でいたら、昼過ぎに某所から電話。会議の予定を入れていたのに、すっかり忘れていた。大慌てで着替えて、痛い右足ひきずりながらタクシーに飛び乗る。日程がなかなか確定しなかった会議とはいえ、最後の連絡をメモしそこねていた模様。出席のみなさんにはご迷惑をおかけしました。平身低頭です。m(. .)m
 でも、新高円寺から駒場までタクシーで20分というのはかなり速かった。まだ正月気分がぬけていないので、環七もすいていたのでしょうか。しっかり道順も覚えました。
01.08
 どうも右膝をひねったらしく、痛みがとれない。体重を右足にかけると痛くて、片足で歩いているような状況。年末年始で体重がふえたとか、体を動かさなかったので固くなっていたとか。年齢がいったもの同士が会うと、病気の話題が必ず出るものだが、この日記もそういう話題ばかりになったら、はやく店じまいすることにしようと思う。実際、疲れていることは書いていても、元気いっぱいだったという記述はほとんどないものね。
01.07
 お昼に新宿某所で編集者の人と待合わせ。ほんとは新書の原稿を渡す予定だったのですが、結局、完成せず、「まえがき」部分のみで許してもらう。残りは3週間後に。打ちあわせ中に声をかけられたので見上げたら、成田龍一さんがいるのでびっくり。吉見さんと奥のテーブルで対談だそうな。そのあと紀伊国屋書店、ビッグカメラなどをのぞいたあと帰宅。猫の食料を買って帰りました。
01.06
 一日中、お仕事。
 青山短大の「メディア論」のレポート郵送分について、とどいたひとの学生番号リストを掲げました。郵送したひとはこれで受取の確認をしてください。
01.05
 正月を日本で過している留学生の院生やレディースたちを招いて新年会。ハッピーは人気の的になっていましたが、いつも元気なQ太郎は怖がりのため、隅に引っ込んだままあらわれませんでした。久保木くんが映画好きのため、映画談義。マルクス兄弟初期の映画「ご冗談デショ」をLDで見たりしている内に、夜は更けてしまいました。意外にみんなマルクス兄弟の映画を知らないようでしたが、これは必見。ぼくは昔、深夜テレビで日本未公開の最後の作品「ラブ・ハッピー」を見てから大ファンとなり、ビデオやLDが出るたびに買い続けてきました。ハーポ、チコ、グルーチョの三兄弟(初期は四兄弟)の組合せが絶妙で、とりわけいっさいセリフのないハーポの不思議な個性がたまりません。サイレントからトーキーになった時期らしく、ナンセンスギャグとダジャレの連発。笑いが頂点に達すると、至高の世界にいたることができます。
01.04
 伊豆利彦さんからメールをいただき、リンクの申し出がありました。伊豆さんは75歳のご高齢ですが、昨年暮れから「伊豆利彦のページ」というホームページを開かれています。戦後文学、宮本百合子、天皇制と文学などについての文章を読むことができます。
01.03
 年賀状で亀井秀雄さんがホームページを開設されていることを知りました。「亀井秀雄の発言」というページで海外の研究会などでの発表内容が読めるようになっています。まだ許可をえていないので、リンクはいずれ。
 DNAメディア社のプロデューサーGさんからは荒俣宏の「新・想像力博物館」のページを紹介されました。ここはホームページコンテンツとしては質量ともに魅力的。図像をとりいれてなおかつ軽快に見られるというのがいいですね。
01.02
 年賀状の返事を書いたり、街の正月風景を眺めたり、デパ地下に入り込んだり。福袋もしっかりゲットしました。福袋というのはたしかに入っているものの定価を合計すると、値段の数倍しているのですが、しかし、そうだとするとふだんの定価とはいったい何なのでしょうか。売れ残りを入れているわけではないことも確認。仕組みを知りたいものですね。
 映画「ハリー・ポッターと賢者の石」を見ました。魔法学校って、ずいぶんえこひいきの激しい学校ですねえ。お話は児童文学のこれまでのゴシック的要素をコラージュしたような世界でした。この程度ならば映画的には「千と千尋の神隠し」の方が数段上回るのではないでしょうか。
01.01
 年明けです。といっても、何も変わってはいない。町内の静けさだけが印象的な元旦でした。
12.31
 大みそか。にもかかわらず、最後まで大掃除つづく。
 紅野という姓について電話などで説明しようとするとき、「紅茶」の「紅」とか言ってもピンと来ない人が多いので、「紅白歌合戦」の「紅」と言うと漢字が思い浮かぶらしい。それだけに(?)「紅白歌合戦」ぐらいは見てもいいのだろうけど、全然、見る気がしない。ザッピングしていたときに、志村けんとビートたけしがものすごい古典的なギャグをやっていました。花紀京のすがたがちらりと見えたのがわずかによかったです。
 さて昨日の話の補足。「首相に南京や盧溝橋で謝罪をさせるかわりに靖国公式参拝を認めようといういっけんリベラルな論調にみごとにはまってしまう」と書きましたが、単純に政治だけの問題からすれば、首相が形だけ外交に行くのではなく、韓国や中国、東南アジアに対する植民地化と侵略戦争について根本的な反省と謝罪の意を表明するのはきわめて大事な政治的行動だと思います。しかし、それをパフォーマンス的に行うかわりに、8.15の靖国参拝を認めよという話になると、それは取引きになってしまう。A級戦犯の合祀問題ふくめ、靖国参拝には戦争責任などもっといろいろな大問題があるのに、それがかき消されてしまうのは正しくない。しかし、韓国や中国などの国々にもそれぞれナショナリズムと少数派排除の論理は働いているわけで、小泉的なパフォーマンス政治と手を結んでしまう危険性がある。だから、よくよく注意しなければならないというわけです。
12.30
 ようやく渋谷イメージ・フォーラムで「日本鬼子(リーベンクイズ)」を見る。なかなか見に行けなかったのですが、すでに10日ほど前から朝9:30からのモーニング・ショーになっていました。年末、午前中の表参道近辺はふだんと違ってひんやりした空気。店も閉まっているところが大半でした。ところがイメージ・フォーラムに近づくと人足が。小さな映画館ではあるけれど、ほぼ満員で、補助イスまで出ていました。学生時代からの友人の池田裕之さんが勤めているところだし、米井Mさんはアルバイトしているしで、義理からいっても早く駆けつけなければ行けないところだったのですが、こんなに遅くなってすみませんでした。大入りとは聞いてましたが、30日の午前までこれとは大したもんですね。よかった、よかった。
 映画は元皇軍兵士14人の血まみれの告白を撮影した記録映画で、「ゆきゆきて神軍」や「SHOAH」に共通するものがあります。その語り自体が加害者たちによるものですから、被害者の語りを聞きなれたものにとっては強烈で、強い衝撃力をもっていました。10人、20人は当たり前、100人以上の殺人を犯した人が目の前のスクリーンでその行為について語る、そのこと自体にまず打ちのめされます。殺人や強姦、女子供殺しが平然と行われ、人肉食までしたことを語る主体を目の当たりにしながら、その主体がごくふつうのオジイサンの姿であることに慄然とさせられます。「SHOAH」では生き残りユダヤ人たちの語りがどうしても記憶の中で悲劇的色彩を濃くしていくのに対し、傍観者であったポーランド農民の他人事の様子が印象的でしたが、ここではいったん切れてしまったことのある加害者たちが、それでもなおふつうの日常に帰還して、穏やかな年寄りたちに見えることそれ自体がすさまじいことに思えました。たしかに、人は自分の守るべき一線を踏み越えてしまうことがある。何でもできるし、やってしまえるのが人間の他の生物との違いかもしれません。そしてそうでありながら、悔恨のときをへると、ふつうの時間に戻っている。畑仕事をし、日常会話を交わし、にこっと笑う。そこに映しだされているオジイサンたちが自分自身の姿でないとは言えない。そうじっくり腹に応えるものがありました。
 しかし、そうした語りをとらえた映像のインパクトに比べると、編集や構成にはいささか疑問が残りました。戦争の進行過程を新聞報道や写真、映像、ナレーションで説明しているのですが、それらの作り方がほんと紋切型で、凡庸そのものでした。最後にヴァイツゼッカー元西ドイツ大統領の「荒野からの呼び声」の一節が引用されるのですが、こうした引用もヴァイツゼッガー演説の複雑な要素、ナチス批判をなしうるかぎりにおいて持続されるドイツ・ナショナリズムへの信頼という、もうひとつの側面がまるで意識されていません。こういう結びをしてしまうならば、首相に南京や盧溝橋で謝罪をさせるかわりに靖国公式参拝を認めようといういっけんリベラルな論調にみごとにはまってしまうでしょうね。それは日本が誇りを取り戻すために必要だという議論になっていき、ナショナリズムそのもののもつ問題点の摘出には至ることはできないでしょう。オジイサンになった彼ら兵士の悔恨の言葉は聞くけれども、個々それぞれがどうすべきかについて追及の言葉はないので、どこかぼく自身ふくめて甘やかされた感が残る。客観的に中立に描いたということ、そのこと自体の弱さがあると思います。
 それにしても今年は日本国内でも多くの暴力事件が目立ち、実際、多く報道された年でした。子供が多くその被害にあったことに驚きを隠せませんでしたが、しかし、それは60年前には同じ日本人によりもっと拡大されて行われていたわけです。「鬼」はべつに奇異な顔も姿もしていなかった。それはずっとわたしたちのまわりに、そして内側にいた。
 年末はやっぱり一年の総括なのかもしれません。こうなったら年明けはアモス・ギタイの「キブールの記憶」を見にいかなければいけないですね。
12.29
 大掃除のつづき。ほこりまみれになって、すっかりアレルギー性鼻炎になってしまいました。不思議なことなのだけれども、本や雑誌を片づけていると、ああ、こんなのも持っていたな、買っていたなと思い出すことがあります。それはただ頭の整理というだけでなく、自分が何を考えようとしていたか、いくつかあったテーマのうち、いつのまにか陰に隠れていたり、しまいこんでいたもののささやかな発見につながることがあります。無意識というとオーバーだけれども、箪笥の下に入れ込んでいたものの再発見みたいなものすね。そのかわりにまた何かを崩したり、べつなものをしまい込んだりもしているのですが、そういう繰り返しを時々はやっていかないと酸素不足になることを感じました。
12.28
 遅れて「日本近代文学館」の館報を読む。仏文学者で作家の平岡篤頼先生がエッセイを書いておられました。ぼくが大学1年のときの「教養演習」の担当だったのですが、平岡先生、その当時のことをネタにして、おもしろおかしく書いている。どうも、ぼくのことらしいのだけど、先生、「私は白樺を憎む」などとは書いていませんよ。当時、現代ドイツ文学などに興味を持っていたぼくには、我が家で増殖しつづける日本文学よりもこちらの方がおもしろく見えたと書いたのです。白樺派でくりかえされた主題と重ねて、父子ものにあてこすりたいようですが、残念ながら現実はつねに散文的なんですよね。
 その館報の最後のページを見て仰天。いつもだいたい小学館の広告ページなのだが、今回はなんと猪瀬直樹著作集の宣伝でした。この著作集、編集委員というのがあって(なにを編集してるんだ?)、関川夏央、船曳健夫、大岡玲といった人たちの名前が並んでいました。ふーん。
12.27
 本の整理つづき。書斎のエントロピー増大をどうすればいいか。宿題がたまって、冬休みにやらなければならないことも山のようです。こういうときに古い写真が出てきたりします。思わず見入ってしまう。
 ようやく来年度の亜細亜大学経済学部での非常勤担当科目「近代化とジェンダー」の講義概要をまとめる。関礼子さんのサバティカルの代講で、前期がぼくの担当。後期は小森陽一さんだそうで、ちゃんと前座をつとめないといけない。もともとが関さんの代講だし、亜細亜大には原仁司さんとか、大野亮司さんとか曲者研究者がそろっているので、うかつなことはできない。で、なにをするかさんざん思案のあげく、「女優原節子」について、としました。彼女のフィルモグラフィをたどりながら、映画女優が担わされてきた女性ジェンダーの表象を追うというわけです。さて、原節子ともちろん同時代を共有したわけではないぼくが話して、いまどきの学生さんたちに通用するかな。
12.26
 大学に行く最後の日。院生、学部生らと面談。そのあと図書館で打合せの会議。本も数冊借り出しました。夕方から2年前のゼミ卒業生で、研究室や院に残っている数人で忘年会。「一風」でトムヤンクンや生春巻、春雨サラダを食べました。みなタイ旅行の体験があり、それぞれの記憶のなかの風景を語り、かりそめの旅情にひたりました。
12.25
 この日は某所で仕事にかこつけて、お昼にミニパーティ。クリスマス用の三角帽子をかぶらされ扮装させられたりしたが、なかでもクリスが一番似合っていました。さすがアメリカン。でも、日本でこんなことをしていると指導教授に知られたらどうなることか、と首をすくめていたことを、そっとここに書いておきましょう。このときのおしゃべりのなかで、レディース中谷が子供のころ、ムツゴロウ王国の犬に追いかけられて、顔をなめられたらしいことが判明。麻布時代の教え子でもある某社の編集者も参加していたのですが、彼がいかにプロレスとオペラに通じているかが分かりました。ぼくはすぐそのあと会議で、途中退場。聞くところでは、韓国語をマスターした日本人学生によるユン・ドンジュの詩の朗読があったとか。残念。レディース高の発言によれば、日帝時代の記憶を残すべく学校教育で使われてきたユン・ドンジュの詩は、問題を考えるための教材という色合いを濃く担わされてきたけれども、あらためて朗唱して聞くと、詩としてもたいへん美しかったそうです。
12.24
 目黒に用事があったので、駅から目黒通り近辺を散歩。権之助坂をくだって山手通りを渡ると、大鳥神社があります。この神社を過ぎたあたりから、左右に小さな家具屋さんや中古屋さんがあらわれてきます。エスニック系から50、60年代アメリカ系まで、かなり中身がクロい。のぞいて歩くだけでも気が晴れます。笑ってしまったのが、70年頃の“Playboy”誌のグラビアを飾った美女に似せた人形たち。このチープな感じは、横浜トリエンナーレの出展作「国際秘宝館」に通じるものがありました。しかし、さすがにイブだけあって、カップルが多かったです。
12.23
 外での会合がつづくと、さすがに体がボロボロになってしまいます。近所の指圧マッサージに出かけ、50分コースをやってもらうが、後半、ぐっすり寝込んでしまったらしい。こういう治療は寝てしまうと効果が半減するとか聞きますが、ほんとでしょうか。
 年末に向けて、たまりにたまった本や雑誌の整理を始めました。焼け石に水かもしれませんが、新研究室に送るもの、処分するものなどを選り分ける。一度、引越しをして以来、どこかに紛れ込んでわからなくなった本や、二度買いをしてしまった本などがたくさんあります。この数年、まったく整理が出来なかったのですが、それはすなわち頭の整理が出来ていないのと同じことなんですね。以前は、批評や研究論文、新聞の切り抜き等まで、ファイルボックスに分類して入れていました。いまはそのファイルボックスにたどりつくまでが大変です。
12.22
 久しぶりに明治30年代研究会。夏に小森さんが発表したときには出られなかったので、もう1年以上あいていました。この日は、品田悦一さんの『万葉集の発明』について五味渕典嗣さんが報告。そのあとは忘年会を兼ねた宴会になりました。
12.21
 大学院の補講。そのあと忘年会。はじめの5分だけ出て、そのあと図書館の忘年会に行き、2時間後に戻ったのですが、すでにヘロヘロ状態だったらしく、なにを話したのか、まるで記憶にありません。スランプについて語ったらしく、3ケ月に1度、スランプになっていると口走ったようです。ふむ、そうなると四六時中、スランプとの闘いということになってしまう。金子さんはあいかわらず多弁で、ぼくが行って帰ってくるまでのあいだも、ずっとヒートアップしていた模様。
12.20
 ハーバード大からワークショップの招聘状がとどく。来年4月13日。ジェイ・ルービン教授とテッド・マックさんが運営責任者でアメリカ北東部で日本近代文学をめぐるほとんど初めての会議になるらしい。亀井秀雄さんの『感性の変革』が英訳されてアメリカで出版されることになり、関連するシンポジウムがUCLAで開催される。それにも参加予定だったので、あわせてケンブリッジまで行こうというもの。どうなるか分からないけどちょっと楽しみです。
 完成目前の新7号館の内覧会があったが、内装のひどさに憤慨の声が続々。管財課に抗議して、修正を行うよう要求しようということになりました。新講堂の「国際会議場」なる部屋のイスが小さすぎて、到底、国際会議どころか、太った管財課長だって長時間座れないような状態になっています。この調子では新築の建物の建築管理はそうとうにズサンなことになっている可能性があり、新図書館についても油断できません。どうして、こんなに教員が関与しないといけないのか、ほとほと呆れはてますね。
12.19
 研究日。でも、日大本部で総合科学研究所に関する会議。文科省の大学改革に関わる「トップ30」構想の余波がこちらにも来ています。文理学部の大学院はどういうわけか呑気で、特に動きはありません。こういうときにトップ30に名乗りをあげるよう、必要書類を用意しろと叱咤すれば、老害教授たちのわんさといる大学院教授会などかなり大掃除できるんだけどなあ。どうも、そういう政治性はなさそうです。まったりと朽ちていく雰囲気。
12.18
 演習は中上健次『千年の愉楽』について。学部3年生の発表だったけれども、「物語の系譜」や『熊野集』などを読んできていて、なかなか面白かった。そのあと卒論面談が2人。
 年明けの2月下旬から新7号館に引越しするので、少しずつ書類の整理をしているのだけれど、15年間たまったものがなかなか片づかない。大半は廃棄するしかないか。しかし、大学内の紙を使った書類の多さにはお手上げ。ただでさえ片づけ能力がないのに。
12.17
 青短、学習院ともに年度最後の授業。年明けの月曜日がすべて休日のため、授業がないのです。年内で授業終了というのは初めてのことなので、なにかやりのこしたことがあるような気がします。ともあれ、1年おつきあいいただき、ありがとう。
12.16
 前の日、スパウザ小田原で2時間以上、スパに入っていたので、からだがほとびてしまい、終日ごろごろする。原稿を書いたり、掃除をしたり、猫の食料の買いおきをしたり。最近、ハッピーは洗面台で水を飲む際に前足を使うようになりました。蛇口から細く水を出してやると、顔を近づけて舌でペロペロしていたのだが、手を差し出して水をいったん手で受けて、そこから飲んでいます。両手を使って飲むようになったら、芸能界に売れるんだけど。でも、太り気味のハッピー、両手を差し出して飲みだしたら、バランスくずして洗面台のなかの方に落ちるでしょうね。
12.15
 前夜のつづき。なぜか根府川駅方面に迷いこんだ山口号、深夜のつづら折りの怖いこと。しかし、なんとか135号線にたどりつき、7時15分に網代のお店にたどりつきました。閉店までの残り時間は45分。あたふたと海の幸を食べ尽くしました。最後の釜飯も食べ、これでひとりあたり2500円。下高井戸での学生コンパ並みの費用はいかにも安かった。食後、玄岳にある黒田先生の邸宅を訪問。2年前に退職された数学の釜江慶子先生も参加されておられたので、11時頃まで文理学部の30年をふりかえっての回想談に盛り上がりました。
 翌15日に撮影した黒田邸の模様をお伝えしましょう。

崖際に立つ黒田邸の前景(左)と地下3階から見上げた景色(右)
サンルームと
リビング
ガラス工房をもつアーティスト
黒田さんの作品

12.14
 授業3つやったあと、山口先生の自家用車「火を吹く山口号」で熱海の黒田先生のお家に向かう。火を吹く山口号というのは、実際、以前に箱根から熱海におりた坂道でブレーキをかけすぎて煙をあげたため。さらにはアクセルふんで戻らないことがあったという恐ろしい車なのだけど、ちょうど桜上水から出かけるというので、こわごわ同乗させてもらう。熱海では、金子さんはじめ数人の先生たちが文理の将来を話し合うべく、伊勢エビを用意して待っているはず。しかし、東名高速に乗ろうにも環八が大渋滞で、なかなか用賀を抜けられない。網代の料理屋は8時で閉めるというのに、東名に乗ったのが5時半過ぎ。小田原厚木道路から真鶴道路に出るところで、さらに道を間違えてしまった。つづら折りの山道がつづく。ただでさえ危ない山口号。はやくも7時に近づき、伊勢エビもカワハギもなぜか遠ざかる。携帯電話で黒田さんたちに連絡とりながら、道の指示をあおぐが、受話器の向こうでは楽しそうに笑いさざめく声。さて、どうなったでしょうか。つづきはデジカメの写真付きで週明け18日に書き込みます。
12.13
 「学校論」でビデオ「学校の怪談 物の怪スペシャル」を使う。鶴田法男監督の「何かが憑いている」と、黒沢清監督の「花子」。朝2限の午前中なのに、学生は画面にくぎ付けになってしまい、「何かが憑いている」では叫び声やらどよめきやら。これは「学校」がここでどのように利用されて描かれているかを考える材料のつもりだったのだけど、完全に物語世界に飲み込まれているもの多し。「花子」の方は、こっちもよく出来ているのに、赤い服きた花子さんのえっちらおっちら歩くすがたがどこか滑稽で、恐怖と苦笑が交互に来ていました。
 会議デーで、5つほど会議を重ねたあと終了が6時少し前。金子さんと「おふろ」で軽く食事。ぼくが描いた北京前門での抱きつき少女事件のスケッチをえらく金子夫人が気に入ったとのことで、原画(ホテルのメモ用紙に書いた鉛筆画)を差し上げる。ずっと絵が下手といわれてたのになあ。対象がよかったからでしょうか。
 学期末レポート課題をアップしてあります。「授業について」から御覧ください。
12.12
 授業の代講で朝1限。ひさしぶりに非常勤に来てもらっている山岸郁子さんと会ったので、おしゃべり。仙川の温泉がなかなかいいらしい。
 11時過ぎから、来年5月に開く日本大学貴重書展覧会の打合せ。会場となる文理学部新講堂の多目的ホールを見に行く。昼過ぎに終えて、下高井戸の「英」で博多ラーメンを一杯食べる。ネギと煮卵をトッピング。ここは店が狭いのが難だけど、味は好きです。
 そのまま市ケ谷で私立大学連盟の広報委員会に。「大学時報」の編集作業。こうして毎週の研究日が消化されていくのには一抹の淋しさあり。
 帰ってから「群像」の「一月一語」の原稿などを書く。
12.11
 林達夫の「思想と風俗」が平凡社の東洋文庫に入り、解説を書いている林淑美さんから贈っていただいたので、感謝しながら読み返す。20年前、林達夫は論議の的になっていたひとりで、とりわけこの記号論の要素をもった「思想と風俗」は前田愛さんの仕事と連続して再検討の対象になっていました。いまでもその重要性は変わっていないと思います。
 今日から演習は中上健次の「千年の愉楽」。授業後、卒論面談。さらにその後、担当会。提携大学との交換教授問題などについて論議。北風ピューピュー、今夜はめっぽう冷えるぜ。
12.10
 非常勤の日。北風つよく、めちゃくちゃ寒い。今夜は学習院の院生たちとコンパ。目白の「海賊」というお店で飲む。べつなグループの学生のようでしたが、ひさしぶりにトイレで便器をかかえている若い衆を目撃する。そういえば下高井戸ではめったに「たつみ」に行かなくなったので、こういう光景を見る機会が減ったと思う。ま、見たくない光景だけど、ちょっぴりなつかしかったです。無事でしたかね、あの学生さんは。
 学習院の院生はかなり出身校にバラエティがあり、意外に共通な知人がいたりしておどろきました。このお店、目白通りをちょっと路地入ったところにあるのですが、路地の突き当たりが「Seed」というラブホテル。名前といい、立地といい、出来すぎの感あり。
12.09
 合唱をやっている卒業生がチケットを送ってくれたので、府中の森芸術劇場に第九を聞きに行く。年末に生の第九なんて、はじめてです。最初から最後まで第九を聞いたのもひさしぶりでした。むかし大学院の一年下にいた広瀬朱実さんが合唱にこだわっていたのを思い出しました。名古屋大院で古典を勉強して、東京で近現代をやりなおした広瀬さんは、二葉亭とマヤコフスキーが大好きでした。二葉亭研究でも嘱望されましたが、30才前後のときから皮膚ガンに侵されて大阪で亡くなりました。学年が下でも年齢がちょっと上だった広瀬さんにはよく名古屋弁でどやされたのを覚えています。
12.08
 大学院の学術発表会。今回は修士1年を中心にした発表。朝9時から8人の発表を聞いて質疑。努力しました賞、大胆にいきました賞、そつなくまとめた賞などあり。全体に活気が出てきているのが気持ちがいいです。曾根先生が最後に閉めのあいさつをしましたが、どういうわけか後半が乾杯の音頭のような言い回しになって、思わず手元のお茶碗をもちあげてしまいました。4時ぐらいに終わったので、研究室でワインなどをあけて飲み、そのまま10数人で打上げ会になだれこむ。ハットリ君の幹事がいきとどいていて、幹事体質の院生がふえたのを喜ぶ。ようやくお酒や食べ物の注文に気を使わないですむようになりました。結局、終電近くなって、寒さもひとしお身に染みました。
12.07
 「日本文学講義」では志賀重昂「日本風景論」について。政教社と文学の関係などを話す。「メディアと教育」の授業では、編集について。「週刊朝日百科・世界の文学」を例に使う。教室の窓から見える新7号館の建物がどうも気になってしまう。毎週、工事の進捗状況が手に取るようです。大学院では「枯木のある風景」について。前回の受容論的なアプローチと今回の表現分析とがそれぞれにおもしろかった。留学生試験に合格したエジプト人のアハマド・エメーラが参加。授業後、レディースの面々にクリス、エメーラで歴史的な日にちなんで「パール・ハーバー」について語る。映画のばかばかしさはともかく、アメリカのプロレスにおけるパールハーバー・アタックという反則技について蘊蓄を傾ける。
12.06
 会議の多い日。夜は大学の忘年会だけど、べつの会へ。あまりにたくさんの人に会って話をすると、頭がぼうーっとしてしまう。
12.05
 企画常任委員会のため研究日だけど出勤。
12.04
 12月に入り、4年生の顔つきもなにがしか真剣味を帯びてきている。面談の予定などについて相談あり。5限に担当会。
12.03
 青山短大で授業終えたあと、草月会館地下の「ふーみん」で中華丼を食べる。ひさしぶりにおいしい。ここのは大きめにざっくり切ったタマネギやタケノコが美味。渋谷まで歩いて三省堂をのぞいたあと、学習院へ。
12.02
 天皇家の長男のところに女児が誕生したということで、マスメディアはにぎやかです。皇居に記帳にいったひとも早くも2万人近いとか。その程度ですんでいるというべきか、やはりその手の感性のひとがこれだけいるというべきか。ともあれ「朝日新聞」で芹沢俊介までが堂々とお祝いのメッセージを書いているのにびっくり。うーん、旧吉本派はここまで来たか。
 女児だったというので、男子の皇位継承だけを決めた明治以来の「皇室典範」改正論議がすでに出てきています。中曽根から山崎拓、加藤紘一にいたるまで、つまり自民党右派からリベラル派まで改正賛成で、女性天皇を認知しているのが奇妙な構図に見えます。すでに夫婦別姓も認めるようになった政府としては、建前的な男性中心主義を捨てて、天皇制の存続と定着をまず企図していると言っていのいでしょう。「サンデーモーニング」に出演していた菅直人がこの典範改正論に歯切れが悪いのは、賛成することはそのまま天皇制維持論にもなってしまうからでしょうね。つまり、フェミニズム的な女性の社会参加論を天皇制にからめとるロジックが出てきたわけです。
 天皇制自体は戦後憲法の矛盾の露呈だと、ぼくは考えます。憲法発布が詔勅によること、そしてそのなかで規定された基本的人権について天皇家が除外されている点において、憲法の矛盾がそこに体現されています。ぼくは人権論をより根底的な規程と考えるので、天皇家の人々に人権が認められていないのは憲法そのものを無効にしかねない危険性をはらむことになり、少しでもはやくこの制度を解消するべきだと思っています。
 しかし、むずかしいのは、現在の日本社会において天皇制解消は現実的な選択肢として実効性が薄いということです。戦争直後に廃止できず、その後、マスメディアのなかでマスコット化してきてしまった天皇をめぐる制度を解体するには、革命、戦争という暴力的な手段のほか、当面のあいだは、ほとんど不可能でしょう。いまのところ、日本に革命が起る気配はまずないし、共産党ですら天皇制打倒のスローガンを引っ込めてしまいました。個人的には京都にもどって、静かに暮らすのもいいのではと思いますが、これだけの存在になると、この家族が無数のパパラッチや追っかけ、左右両翼のエキセントリックな人たちにストーカーされる可能性は極めて高いと思われます。怒りや恨み、崇拝や歓喜といった感情のるつぼの発火点になりかねない人たちであるがゆえに、そのようなかたちで放置するのも危ない。となると、現実的な選択は、「皇室典範」改正に乗じて、かれらに徹底した自由を与えることぐらいしかないのではないでしょうか。つまり、皇位継承権を放棄する自由、結婚・離婚の自由、職業と住居の自由などなど。個人としての責任において行動の自由を保証してあげることです。そして天皇制の歴史を究明するためにも、宮内庁の鉄のカーテンを開いて、天皇陵はじめとする非公開の場所を学問的な研究の対象にすることです。中野重治が「五勺の酒」で天皇の天皇制からの解放を唱えてから半世紀以上たちましたが、もっとも解放されるべきは、かれらであり、かれらの子供たちではないでしょうか。女性天皇といういっけん口当たりのよさそうな論議だけに焦点をあてるのではなく、そこまで突っ込んだ改正を要求したいですね。しかし、ひとの家の子供の話なんて、ほんとどうでもいいんだけどな。それが自分たちに関わってくるということが、うざったいですね。
12.01
 大妻女子短大で日本近代文学会の例会。「植民地と日本語文学」というテーマ。実際は在日朝鮮人・韓国人文学の話で、特集名とはいささか開きがありました。発表と質疑を聞いているかぎりだと、どうもまだこのテーマをめぐる研究の土俵が出来上がっていないように思えます。作家の金石範さんの講演つきでした。会場でいろいろなつかしい顔見知りと出会う。帰りに金子さん、大塚さん、高さん、クリス君と台湾料理の店で食事。
11.30
 この日は3つ授業があるので、咽喉がつらい。大学院の授業は中谷さんが宇野浩二「枯木のある風景」をめぐって受容の場の構成について報告。そのおりぼくが紹介したマイケル・ボーダッシュさんの論文は「転向と近代日本文学史という物語の成立―昭和十年前後における島崎藤村の再評価―」(文学・思想懇話会編『近代の夢と知性』所収、翰林書房、2000.10)でした。
11.29
 「学校論」の授業で北京大学の話をする。学校とそれをとりまく環境、規制と資本について。2時過ぎから図書常任委員会。そのあと5時頃からFD委員会主催の研究会「カリキュラム改革の理念と課題」。前学務委員長の山口さんに報告してもらい、現学務委員長の加藤さんがコメント。諸会議が重なったせいもあり、参加者数は10数人でした。そのあと人事委員会。
11.28
 研究日なので自宅で仕事。いくつか書かなければならない原稿を抱えていながら、なかなかはかどらない。たまには猫の相手もしてやらないと。
11.27
 学内はじめコンピュータ・ウィルスが猛威をふるっていて、つぎつぎと感染した添付ファイル付きのメールがとどく。幸いMac派であるため、被害がありません。ちなみに使用している機種は、自宅のものがちょっと古くてPowerMac7300、ただしCPUだけはPowerPCG4(処理速度405MHz)にしてあります。研究室のが、あの悪名たかきPowerMacG4Cube。いまや生産中止になったこの透明キューブ筐体のMac君は、冬になって乾燥してくると静電気のせいでなのか、タッチセンサー式の電源スイッチが勝手にOFFになってしまうという困り物です。でも、春、夏、秋は大丈夫でした。これからのシーズンだけ注意しないと。マイノリティMacはウィルスに対してだけは強いですね(相手にされていないという説もありますが)。
 3限が演習、4限に卒論の面談等。そのあと担当会議。学部100記念の行事関係の協議。
11.26
 10時40分から文理でお仕事。昼頃までに片づけたのち、非常勤先の学習院に移動。兵藤裕己さんや山本芳明さんとおしゃべり。
11.25
 さすがにくたびれたのか、日がなうたた寝。ホテルの空調で咽喉もやられてしまいました。イソジンのうがい薬が手放せない。それでも家の中を掃除した後、「群像」1月号の「一月一語」欄の原稿を書いて送りました。
11.24
 朝のうちに新東安市場などを見物し、買い物。博多のキャナル・シティと似たような巨大なデパート兼テーマパークみたいなところで、地下では古い北京の町並み再現などの催しをしていました。ほとんどのブランドのブティック類がそろい、広告も華やか。たまたまランジェリーショップの前を通りかかったら、下着をぬぎかかっている美女の大きな写真がかけられ、「新しい世界がひらけます」というコピーがついている。こうなると、もうここかどこか分からなくなってしまいます。古代から快楽の追求に人一倍長けていた社会が本気になってくると、止めようがなくなる。歯止めになっていたものが、ある時期は儒教、ある時期は戦争、ある時期は社会主義だったはずなのだけど、それがなくなってきたときに何が起きてくるのか。自由と抑制をめぐる壮大な実験が始まっているのかもしれません。この問題ですでに多くの失敗を重ねてきた身としては、まずは失敗から学ぼうと言う以外、なさそうです(などと言っていますが、快楽主義はぼくにとって骨がらみ。到底、たいそうなことは言えませんね)。
 軽い昼食をすませたあと、空港へ。6日間の旅でしたが、つめこんだスケジュールと仕事もあってみなの疲労も徐々にたまってきていたようです。幸い、ダウンするものもいませんでしたが、ここらで打ち止め。ぼくも毎日疲れたせいか、睡眠時間がいつもより長くなっていました。戻ってからの仕事を思うと、みな口が重くなりましたが、かなり満足度の高かった今回の出張、顔ぶれのよさもあって、楽しい旅行でした。
11.23
 午前中は景山公園にのぼって故宮を一望したのち、そのなかへ。やはり2度目の見物でしたが、「ラスト・エンペラー」の舞台となった太和殿前の広場に感慨。とはいえすうっと故宮を出たところで、中国古代刑罰展というのをやっている。入ろうと言ったところ、金子さんと施さんはやめておくという。なんだ、怖がりだなあと勇んで入ったら、なんと下手な絵で拷問の数々を図解しているだけ。学芸会みたいじゃないのと言っていたら、ここは浅草の縁日みたいなもんだと言われました。なるほどね。
 そのあと天安門にあがる。荷物をあずけたり、ボディチェックがあったりと、妙に検査がきびしいのが難でしたが、のぼってみると、やはり一見の価値がありました。しかし、広大な天安門広場を前にしてみると、結局は故宮の太和殿前の広場と構造は同じだと分かります。スケールが違うばかりです。共産主義も自分たちの権力の確認においては、過去の方法を踏まえなければならなかったというわけでしょうか。
 ここで山口さん、施さんとわかれ、中国語ができるのは垂水さんひとり。彼女のあとについて、男3人がお供する運びとなりました。天安門広場を抜け、前門に出ようとしたとき、ある事件が出来しました。地下道に降りようとしたぼくの背後で急に声がして、ふりむくと、4才ぐらいの女の子が走り寄り、金子さんの右足にとりついていたのです。

両手両足を膝から下に巻き付け、泣きまねをして、何かを訴えている。すわ、金子さんの隠し子が北京で登場かと思いきや、さにあらず抱きつき乞食の少女なのだ。垂水さんが離れなさいと言っても聞かず、「おかあちゃんもお父ちゃんもいない。ご飯が食べられない」と叫んでいる。振り放そうと、女の子の腕をとったけれど、ますますきつく金子さんの足にしがみつくばかり。どうしようかと思案して、しょうがない。小遣いでも渡すかとなって、小銭を渡したら、指1本たてて、「これじゃ飯が食えない、1元くれ」という始末。1元ちらつかせて離れるようにして、その子が離れた瞬間、走って逃げました。いやはや、はらはらどきどき。と写真をとらなかったのが唯一の心残りです。(左のような感じ。)
 金子さんは「いやあ、怖かった」と言ってましたが、中国旅行のトラウマにならないといいんですけどね。美食のたたりのようなものでした。
 さてさて、しかし、その後、懲りないわれわれは「都一処」でシュウマイを食べたあと、今度は盧溝橋へ。抗日戦争記念館で中国の抗日戦争史の語り方を見学したあと、盧溝橋をわたり、日中戦争発端の舞台を確認。タクシーの運転手にいわせると、「なかなか感心だ。しっかり勉強して他の日本人にも伝えてほしい」とのことでした。ふたたびホテルへ戻り、休息。夕方から京劇の湖廣会館へ行く前に前門で買い物をする予定のところ、タクシーはなんとふたたび金子さん受難の近辺にわれわれを運びました。また現われるのではないか、「怖いよぉ」とぼやく金子さんを囲みながら足早に地下道入口を過ぎましたが、残念ながらもう子供のすがたはありませんでした。湖廣会館では山口さん、張鳴さんと合流し、京劇の展示や舞台を見物。古い劇場の雰囲気を残したこの建物は見ごたえがありました。
 夜9時をまわったところで閉幕。遅い夕食をとるべく、今度は羊肉のしゃぶしゃぶへ。胡麻ダレが一種類だけなので味は単調でしたが、少女のことは忘れ、飽食の餓鬼に変じて、北京最後の夜を楽しんだのでした。

11.22
 この日は、北京が初めてという人たちのために、万里の長城、明の十三陵へ。18年ぐらい前にぼくは高校の国語科の教員たちで中国旅行をして、ここに来ていたのですが、そのときとは雲泥の差。すっかりきれいになり、周囲は高速道路がととのい、野生動物センターとセットになっていました。
 昼は十三陵そばのあやしげな食堂で、家庭料理を食べる。水ギョウザがメニューにあるのに、ないという。頼みたいものがことごとくない。ジャスミンの芽を長ねぎとあえたシンプルな前菜に、野菜炒め、麻婆豆腐などをとる。ふだん調理のうでをふるっている金子さんは手際があまいとコメント。いまにも調理場で指導に乗りだそうとしていたけれど、なかに入ってさらに呆然となる事態は避けたいのでやめてもらいました。夜がまた御馳走なので、昼食は我慢、我慢。
 別行動をしていた垂水さんとホテルで再会。本屋での成果を見せてもらう。CULTURAL STUDIES紹介の本もあるし、ポーズを決めた自分の写真を口絵にした派手な美人作家の本もありました。その後、張鳴さんおすすめの「無名居」へ。日本の鶏はブロイラーでおいしくないという張鳴さんはここの鶏が一番だという。実際、お腹にいろいろな材料をつめて蒸し焼きにしたメインディッシュがほとほと美味なり。さらに肉団子のスープがさっぱりしていながら、奥行きのある味でした。これで昼食の記憶はふっとんでしまった。
11.21
 この日は、午前中に友誼商店へ。途中、山口さんが謎のベレー帽をタクシーに置き忘れ、あわてて携帯電話でもらった領収書にのっていた電話にかける。ぶじ発見。運転手がとどけてくれた。たのまれていた土産物を物色。その後、瑠璃廠でお茶屋や骨董などを見る。前門まで行く途中の湖西飯店で食事。ぼくが麺類を食べたいと主張したためだが、刀削麺など、さまざまな材料の麺が出た。でも、6人分、あわせて80元(1200円!)。いろいろ見回った印象では、衣料品や日常雑貨はかなり日本の物価に近いけれど、食費はめちゃくちゃ安い。
 昼過ぎに北京大学図書館に行き、見学。3年前には落成したばかりで、オープンしていなかったが、いまは堂々たるもの。副館長さんの案内で館内を見せてもらう。面積は5万平米、蔵書量は560万冊、一日あたりの入館者数も延べ2万人という、ものすごい図書館である。働いている館員数は200人。文理とは比べ物にならない。ちなみに北京大学の学生・院生数は2万人。ほとんどがキャンパス内に寮住まいしており、日がな勉強しているわけだ。文理の新図書館はようやく着工を待つばかりだが、それが完成したとしても、北京大の規模の5分の1である。学生数が半分なのに、この差は大きいですね。金子さんの感想としては、唯一、コンピュータ機能ならば勝てるかもしれないそうだ。
 夕方からはふたたび陳平原氏はじめ中文系の先生方がそろい、歓迎のレセプション。郊外の大覚寺に向かう。煤煙とほこりで淀んだ市内とちがい、山に近いここは澄み切っている。おりから三日月もくっきり。まず別室でウーロン茶を飲み、しばらく談笑。夜の庭内を見物後、会食。ここの紹興酒がまたまた絶品。食通の金子さんも大満足の態で、すっかり真っ赤になっていました。
11.20
 シンポジウム本番の日。朝7時にロビーに集まり、北京大学に出かける。北京大学を訪問するのは2度目。見慣れた建物がなつかしかったが、とにかく広い。会場は留学生会館。かなり大きなホールで、その演台の上にはでかでかと「日中『大衆メディアと現代文学』研究会」という横断幕が飾りつけられている。3年前に文理学部で開いたときは、小さな会議室で30人前後だった。ところが、今回は発表者が16人、会場にはイスがびっしり並べられている。予想外のことにびっくり。最終的に来場者は170人を越えたそうです。シンポジウムの内容については、ここに詳細に書くと異様に長くなるので省略します。
 昼休みを1時間ほどとったけれど、あとはぶっ通しで夜6時まで。最後のセクションの司会を担当していたぼくが「ずっと聞いていた人は今夜寝るときに、頭の中がメディア、メディア、メディアというふうにグルグルするでしょう」と言ったぐらい、びっしり中身のつまった研究会でした。
 終了後、やはり大学内の会館で晩餐。日大側の6人に、ちょうど北京に滞在していてシンポジウムにも参加してくれた東大の大木康さん、北京大学20世紀中国文化センターの陳平原氏はじめ、北京大学中文系の先生たち、そして比較文学系の劉健輝さん、通訳をしてくれた陳平原氏指導の日本人大学院生たちも加わり、なごやかでにぎやかな会となりました。解散後も興奮状態がつづき、ホテルまで帰るマイクロバスのあいだ、一同、とにかくしゃべる、しゃべる。中国語のできないぼくなどからすれば、コミュニケーションの困難さもあって、自分の言葉が伝わっているかどうか不安なもの。それが伝わればうれしいし、反省モードにもなる。そうした気分が昂揚させたんですね。
11.19
 朝5時半に起きて、成田へ。この空港の不便さはとにかく遠いことにつきるけど、ともかくしかたない。8時40分に空港で、山口さん(中文)、金子さん(国文)、土屋さん(史学)、垂水さん(台湾日本語文学)、それに北京大学から文理に派遣されていた張鳴さん、通訳をしてもらう中国語講師の施ショウイさんたちと集合。一路、北京へ。
 山口さんは前夜、救急病院へ行く騒ぎだったそうだけど、なんとか無事に同行。コーディネイターの山口さんがいないとお手上げだから、安心しました。3時間ほどで北京着。寒いと聞いていたけど、それほど寒くない。空港を出るところで、さっそく白タクシーにつかまってしまった。タクシー乗り場で2台に分乗したのだが、あとの1台が小型で、スーツケースが入らない。乗り場でタクシーの手配をしているらしき男がこっちの方が大きいというので案内されていくと、タクシーのサインを出していない。案の定、法外な料金を前払いで要求してきた。最近はこんなになっているのかなと乗り込んで動き出したところで、警官がストップをかけてきた。運転手に降りろといい、同乗していた施さんに払わされた料金を聞いたうえで払い戻しをさせた。われわれにも降車を命じ、ほかのタクシーを探せとのこと。またまた重いスーツケースをさげて、あっちへふらふら、こっちへふらふら。ようやく乗り込んで、北京市内に入ったけど、最初いわれた料金の5分の1ですみました。いやはや、どこもそうだけどタクシー会社の係員だと信用すると、ろくなことはありませんね。ちなみにその後、タクシーのサインがついていて、メーターのあるタクシーはきちんと領収書つきで、ずいぶんよくなっていることも分かりました。
 ホテルで小休息したあと、夕食。山口さんの案内で魯迅の小説のタイトル「孔乙己」(クンイーチー)をつけたレストランに行く。ここで20年ものといわれる紹興酒をのみ、すっかり堪能。上海蟹や中国野菜の炒め物がまことに美味でした。
11.18
 旅行の準備に追われる。旅行中に〆切りが来る原稿やら校正刷もあって、その手当てにおおわらわ。北京にノートPCを持っていくので、メールの読み書きはしようと思うけれども、なにせ外国のことだから行ってみないとわからない。1週間は、この日記も更新しませんので(いつもだいたい1週間おきなんですが)、よろしく。
11.17
 結局、土曜日なのに研究室に。ヨドバシカメラで旅行に必要なものを購入し、発表資料なども印刷。学術フロンティア関係の書類や、学科関係の書類を作る。
 加藤哲郎さんのHPからやって来られたという斎藤さんからメール。北海道の日高でサラブレッドの牧場をやっておられるとか。リンクをはらせてくれの申し出にもちろんOK。「斎藤スタッド」というHPを拝見すると、こんな日常とはまったく異なる世界が。すぐれた競走馬も生産されているようで、これは吉田司雄さんに知らせてあげなくては。牧場のHPと相互リンクできるなんで、こういうことがあるからインターネットはやめられないですね。
11.16
 昼休みに院生の論文指導。授業のあいまをぬって、北京行きの前にしあげなければならない書類作成に励むが、間に合わない。明日、土曜日に学校来るしかないか。院のドクターの女性陣(怖いレディース軍団とはもう呼ばないようにしたよ)から北京土産を頼まれる。しかも、品物指定なのだ。
11.15
 2限は「学校論」。選び出した写真とキャプションを書画カメラで紹介。書画カメラを授業で使うのははじめてだけど、たいへん便利でした。ただし、映写するのが天井つり下げモニターなので学生たちは気の毒。研究室会議、合同教授会、教授会、大学院教授会と会議はつづく。終了は6時40分でした。金子さんと「魚魚魚(ととうお)」で夕食とる。
11.14
 研究日だけど、今日は朝から会議。昼休みをはさんで、5時頃終了。うーむ。合間をぬって自分の作業しようかと思ったけど、あんまり時間がなかった。
 帰ったら「日本文学」11月号がとどいていました。中川成美さんの「文学研究とカルチュラル・スタディーズ―〈文化研究〉とは何の謂いか―」という文章が載っている。最近の「国文」研究者の「論文生産」のあり方を問うかたちで「カルチュラル・スタディーズの日本型導入である『文化研究』」を総括するというのが狙いだそうだ。たぶん、そうだろうなと思って読んだところ、やっぱり批判されていました。ぼくは「一見誠実で謙虚な身振り」で「『マジョリティ』に安住したままの骨抜きの似非カルチュラル・スタディーズの創始を促す危険」があるそうだ。そうか、そんなに危ないのか。でも、ほんとにそうかな。数年ほど前の林淑美さんの批判を継続したかたちの批判で、これはこれで論争がうまく機能していないことの証しでしょうね。その一端につらなるものとして反省しなくては。はてさて、どう対応しましょうか。北京でゆっくり考えてみよう。
11.13
 下高井戸の「木八」でラーメンを食べてから、大学へ。非常勤に来ていただいている高橋修さんと会う。演習では3年生の発表。「枯木灘」の登場人物ユキに注目した面白い発表あり。4限の時間は通信の学生が来て卒論指導。40分ほど話してから、今度は院生の論文チェック。学生にも院生にも風邪引きさんが目立ちました。
 TAの中谷さんに「学校論」の写真レポートチェックを頼んだら、なかなか面白いのが少ないという。写真一枚を撮ってきてキャプションを書くという課題なのだけれども、見たところ、たしかに文章が優等生を出ない。ユニークとユーモアを考慮しろと言ったのだけれど、どうも頭がかたいのかな。こんなやりとりをやっている間、金子さんははやばやと北京のシンポでの発表準備などにいそしんでいる。さすがに手早い。5限は担当会。気温が下がったせいか、寒くてしかたがない。こちらも風邪でもひいたかと悪い予感。6時半ぐらいに会議が終わってからは研究室を片づけ、はやばやと帰る。
 訂正1つ。11.08の日記に「早稲田の文学研究科と教育学研究科は入試日をべつべつにして、どちらも受験できるようにしたみたい」と書いたけれども、これは間違いでした。正確には、これまでべつべつだったのが、今年から同一日になったのだそうです。すみません、はやとちりでした。進学希望者はどちらかに決めてから受験しなければならなくなったわけですね。
11.12
 非常勤の日。いつものように青山で授業を終えて三省堂へ。岩波現代文庫、平凡社文庫、ハヤカワ文庫を数冊買って、喫茶店で読書。学習院では、竹内好・武田泰淳について充実した発表を聞く。
 帰りにヨドバシカメラに寄って、北京行きの際のPC用品などをチェック。丸ノ内線新宿駅におりたら、クリスとばったり。びっくりしたら、彼から「東京は狭いですねえ!!」と言われた。うーん、なかなかこういうことはないんだけどなあ。
 このHPのカウントが20000を越えた。2万人目のヒットは、社会人聴講生の桟敷マリリンさん。メールをいただいたので、展覧会の図録をあげることを約束しました。この日は、ビデオでカレン・クサマの「ガール・ファイト」を見る。ヒロインの目つきが鋭い。
11.11
 ようやく日曜日。ビデオを返しがてら、近所の本屋による。帰りにキャットフードとネコ砂を買ってかえる。いま高円寺は古本屋以上に古着屋の街になっています。近所の商店街などは、10メートルも歩かないうちに若い女の子向けの古着を売っている店が並んでいます。もともとの店が代替わりしたり、商売をやめて店舗を貸すようになってから急速にふえていきました。日曜日になると、そういう店をのぞいて歩く若い人がふえてきて、おばあちゃんの巣鴨に対して、おねーちゃんの高円寺みたいになりました。ま、いいんですけど、商店街がみな同じようになっていくのはちとつらい。住民にとっては、古着屋ばかりでは役立たないですからねえ。七つ森という喫茶店でコーヒーを飲み、本を読む。
11.10
 朝8時から市ケ谷の日大本部へ。2時間ほどいて、今度は文理へ移動。学部・大学院の留学生入試。採点と口述試問。そのあとも会議があり、予定していたC社の教科書編集会議に出られなくなってしまった。急きょ、電話で欠席を伝え、必要な原稿をメールで送る。
 帰宅後、疲れすぎたのでもうヤケになって、ビデオで映画「パッション」(むろんJ・L・ゴダール)と「特別な一日」(ソフィア・ローレンとM・M)を見る。和田誠が「真夜中まで」で試みていた、カメラがロングショットから建物に近づいて、1つの窓のなかに入り込んでいくという長いカットは、「特別な一日」の冒頭でもやられてましたね。ヒットラーがイタリア訪問をして、ムッソリーニが国をあげて歓迎したそういう「特別な一日」に、平凡な主婦が反ファシストとして孤立している男と恋に落ちるという話です。ファシズム時代のイタリアって「父か夫か兵士ではない男は男ではない」という格言があったみたいで、独身税という課税もあったそうです。すごいですね。マルチェッロの軟弱な色男ぶりというがこの時代においては反政府的になっているという設定。「パッション」の方は、……やはりゴダールでした。疲れたときにゴダールはつらい。この日は早々に寝る。
11.09
 2限は「日本文学講義」。自伝・文明論をとりあげたら、急にお客さん減ってしまってます。で、今回は松原岩五郎「最暗黒の東京」。でも、もうこのテキスト、岩波文庫では品切れで、重版してないんですね。この間、岩波文庫の品切れ点数はずいぶん増えていて、武田泰淳の「滅亡について」もあっという間になくなったし、前期に扱った福田英子の「妾の半生涯」もずっとなくなってました(この秋、復刊予定)。リクエスト復刊というやり方には恩恵をこうむっていますが、その分、ふだんの重版への制約が厳しくなったようです。
 ハッピーの写真をアップしたら、院生からストーカーがつきまずぜと言われました。猫にストーカー? 猫好きがふえた現在ならではの新しいことわざかね。ということで、第二弾。今度は弟のQ太郎の写真もアップしちゃいましょう。
 Q太郎が来たおかげで、ハッピーは一時期、うつ病にかかりました。猫にもうつ病ってあるんですね。動物病院で抗鬱剤を打ってもらったりして、ほんとたいへんでした。いまではじゃれあったり、喧嘩したりを繰り返しています。かわいい顔をしていますが、実際はかなりのイタズラ野郎で手を焼いています。
11.08
 授業1つやってから、研究室会議。それから大学院第一期入試の採点と口述試問がありました。今年は去年と比べると他大学からの受験生が減りました。大学院のある各大学は定員を維持すべく、囲い込みを始めたみたいですね。早稲田の文学研究科と教育学研究科は入試日をべつべつにして、どちらも受験できるようにしたみたいですし。国立大学になるとなおさらで、大学院の定員割れがあると、予算だって減る可能性がある。民営化の恐怖はそういうところにも響いているのでしょう。まあ、大事なことは大学院で勉強したいという学生さんたちがどこで何を学ぶかをきっちり考えてもらうことなのでしょう。
 4時過ぎから企画常任委員会。終了後、史学の加藤さんから「レディース」って名称は過激でよかったのにと一言。つづいて「あげ鳥」も見てるよ、とのお言葉。内輪のお話だけど、金子さんにも伝えてあげましょう。
11.07
 ようやく原稿終了。これから別のお仕事。教科書教材の「手引き」「脚問」が待っている。泥沼はまだつづく。
11.06
 早朝4時過ぎに起きて、原稿を書く。午前中に何とか書き上げる。北京シンポジウム用だが、まだ完全原稿とはいえないので、これにさらに手を入れるつもり。
 昼から大学で演習。今日から『枯木灘』。発表が立て込んできて、つづけて3人。ひとり20分以上、話をしたので論議の時間がとれませんでした。やはり人数の多さは問題ですね。授業後、図書館で職員と打合せ。会議がもうひとつあると思っていたら、急にキャンセル。6時過ぎまで研究室で仕事をし、帰りに下高井戸で「魚魚魚」という名前の割烹を見つける。生はたはた焼きを食べた。けっこういけます。昼に「瞬」が店じまいしていたのでショックだったけど、替わりがとりあえず見つかりました。「瞬」の主人に出くわして聞いたところ、赤堤かどこかに新たに店を出すそうだけど、まだ未定のようでした。
11.05
 徹夜したが、原稿あがらず。もう一日の猶予をお願いする。
 前からの約束があり、3時から十重田さん、城殿さんと会い、某所である映画監督の書き込み台本を見せてもらう。うーん、すごい。くわしく書けないのが残念だ。これはいずれ公開の手続きをとらないといけない。
11.04
 桜麗祭にもかかわらず原稿書き。毎年、見に行ってたのになあ。過労のせいか腰痛もひどい。原稿たいして進まず、ひどい渋滞。
 徹夜するにも元気を出さねばと口実をつけて、クリント・イーストウッド監督・主演の映画「目撃」のビデオを見る。“Absolute Power”が原題で、年老いた宝石泥棒が富豪のお屋敷で大統領にかかわる殺人を目撃してしまうというお話。クリントン・スキャンダルを当て込んだあいかわらず笑ってしまうようなストーリーなのだけど、ほんとに作りがうまい。NY市警のエド・ハリス扮する刑事や、スコット・グレンの演じる大統領警護官などの描き方が実にいい。イーストウッドは少ない登場人物のなかで脇役を立てるんですね。E・G・マーシャルの映画出演最後の作品でもあって、「十二人の怒れる男」以来のこの渋い役者にもちゃんと最後に見せ場を作ってあげていました。悪人の大統領をやっているのが、G・ハックマン。つまり「許されざる者」のコンビなんですね。いい映画を見ると、やらなきゃという気にさせられます。おかげで原稿はスイスイ……というわけにはいかないか。もっと早く見ておけばよかった。
11.03
 原稿書きに追われる。北京でのシンポジウムのための原稿を5日朝までにあげろという厳命がとどく。雨音をバックにサックス奏者Gerry Mulliganの“Night Lights”を聴きながら、仕事に励む。夕食はひとりで近所のイタリア料理店「ササキ」へ。最近、ここの東京Xという種類(すごい命名!)の豚肉を使った料理がうまい。でも、今日の包み焼きはいまいちか。ここはパスタもいい。以前、「ノンノン」というめちゃくちゃ気に入ったイタメシ屋さんがすぐそばにあったのだけれど、つぶれてしまったのです。で、いまは「ササキ」。いい腕があるのですが、ときどき主人がさぼって休業しているのが玉にキズ。
11.02
 院生たちと授業がわりの横浜ツアー。横浜トリエンナーレの現代美術展を見たあと、県立神奈川近代文学館で「野間宏と戦後派の作家たち」展を見学、そして中華街というコース。トリエンナーレでは話題の椿昇+室井尚による巨大バッタを見られなかったのが惜しかったけど、草間弥生の作品はしっかり見ることができました。オノ・ヨーコの作品は……。どこがいいんでしょうねえ、この人は。やっぱり写真での雰囲気とかかな。ジョン・レノンのかみさんになった日本人というのが、「日本人」にはうれしいんだろうな。食パン人間とおばあちゃんを撮った折元立身の写真も傑作。笑えます。ただし会場となったパシフィコ横浜と赤レンガ倉庫までが遠いのが難点。シャトルバスぐらいあるといいのに。おかげで2時に文学館前で待ち合わせていたグループを1時間待たせてしまいました。どうもすみません。
 野間展の方は、院生たちにとって馴染みのない作家ながら資料が多くて見どころがありましたとの感想。戦後派についても一望できるようにしたので、戦後文学を考えるにはいい展覧会だと思います。ただ、個人作家の展覧会をつづけるのはもう限度があるようです。新しいコンセプトの企画展を考えていくべきときかもしれません。
 中華街では「鴻昌」というお店で11人の宴会。みなすっかり満足していました。幹事役の森井さん、ご苦労様でした。
 行き帰りの電車のなかで、レディース軍団から「レディース」という名称はやめろ、一括するなとの注文を受ける。いよいよマスクマンの仮面をぬぐというので、今後は本名にします。高さん、中谷さん、これでいいでしょ。
 この日の究極の一言は「ラブラブ・ファイヤー・ナイト!」という小須田さんの発言。なんのこっちゃ。知りたい人はぜひ院の授業にどうぞ。
11.01
 今日から文化祭のため休校。同時に文理学部百周年の記念式典が野球場跡に出来たばかりの新講堂兼体育館で行われる。とはいえまだ竣工式もしていないぐらいで、まだまだなのだけれど、体育館部分だけで式典を開いたのです。祝賀会では昼からお酒。明日のことを考えて自重、めずらしくウーロン茶でとおす。金子さんは明日、ドイツ文学科から頼まれて、マインツ大学と日大の国際シンポジウムに出る羽目になっています。全然、事前の打合せがないのにあきれ果てていましたが、しっかりアルコールを仕込んでました。このシンポのポスターが出たのも一日前。うーん、きわどい国際化だ。
10.31
 床屋のHappyで散髪。この床屋には以前、ユキちゃんというかわいい子がいて、ひいきにしていたのでした。もう彼女は数年ほど前に地方の床屋さんに嫁入りし、いまぼくの担当はHappyのご主人。理容学校で先生をしていたこともあって、若い人によく修業させているのです。ということで(なんのことでかよく分からないけど)、我が家の猫の名前もHappyになったのです。
     
    *これはまだ小さいときのHappy。いまは6kgもあって大きい。
 4時半から日大本部で貴重書展実施プロジェクトの会議。1時間半びっしり反省会を開いた後、グランドヒル市ケ谷で慰労会。来年5月に今度は文理学部の新講堂内のホールを使って、ほぼ同じ内容の貴重書展を再度開催することになりました。前回、御覧いただけなかった方はぜひ次回の機会に。展示品はほぼ重なりますが、お見せする箇所や方法については新工夫をこらす予定です。図録もオールカラー、CD版なども用意するつもりです。乞御期待。
10.30
 演習で「十九歳の地図」の最終回。1つの作品を数回やっていく方がやっぱりおもしろいかもしれない。こちらも新しい発見ができてきます。学部の担当会議のあと、FD研究会。田中ゆかりさんが「授業評価」について報告し、その司会をつとめる。8時過ぎまでやったあと、田中さんを囲んで教育の北野さん、教育・院の山岸くんと会食。なぜか風邪気味で熱っぽいので、風邪薬をのむ。
10.29
 非常勤の日。青山短大のあといつもどおり渋谷で昼食。三省堂をのぞき、喫茶店で読書したあと、学習院へ。今度の学会の内容について学習院の院生たちと語る。さすがにこの日はまっすぐ帰る。
10.28
 学会2日目。午前中にレディース1号の発表。なんとか無事完了。おおむね評価もよかったようで胸をなでおろす。ほかの院生たちにも刺激になったようで今回の挑戦の効果があったようです。よかった、よかった。問題はこのあとですから、しっかり論文化してもらいたいですね。
 午後はむずかしいシンポジウム。議論かみあわず、空中戦。中山昭彦さんが孤軍奮闘してました。終了後、ふたたび栄で宴会。8時過ぎの新幹線で帰京。やっぱり3日間は疲れます。
10.27
 学会初日。午前中はレディース1号の最終原稿チェック。なんとPCもプリンターも持参とのこと。昼頃、評議員会に。次期体制をめぐってもめてましたが、この学会の運営に関する重大な分岐点をいとも簡単にまたいでしまったように思います。この日の決定がどのような結果をもたらすか、それは来年度以降になってみないとわかりませんが、現在の理事会には重大な責任が生れる可能性があることを明記しておきましょう。
 午後2時からいよいよ発表が始まるが、常軌を失した発言者あらわる。発表者に所属を言えと言って、こういう発表は指導教授の責任だと滔々と批判を展開したのです。質問内容は錯覚と誤解のうえにお粗末きわまりないものでした。発表自体は刺激に富むものだったのに、この人物のおかげで気の毒なことになりました。ちなみにこの人物は、学会懇親会で乾杯の音頭をとったあげく、途中でマイクをとってがなったり、急に唄をうたいだしたりと、異常なふるまいをしつづけていました。この学会がいかに「お達者クラブ」的な状態になっているかをよく示しています。
 懇親会をそこそこに栄に移動。こういうときでないと会えない研究者の知りあいたちと宴会。
10.26
 午前中から名古屋へ。明日の学会に向けて早々出発。院生ふくめ総勢7人。まず犬山に行き、「明治村」を見学。ライトの設計になる帝国ホテル玄関はヨーロッパ的でもアメリカ的でもない様式で、コロニアルな雰囲気でした。漱石・鴎外旧宅や、蝸牛庵、金沢監獄もおもしろかった。しかし、各場所に「お友達」からの一言というのがあって、これが傑作。鴎外のところなどは、一葉の写真があって「わたしの作品をほめてくださってありがたかったわ」などと書いてありました。
 途中の行き帰りで、学会デビュー予定のレディース1号から想定問答やら発表のしかたなどをレクチャーさせられました。なかなか大変。でも、さすがにレディース軍団の一員。度胸がいい。名古屋に戻って夕食をとろうとホテルを出たら、金曜の7時台はどこも満席。1時間あまり栄をうろついたあげく、結局、ホテルのとなりのビルにあった「やぎや」というエスニックな店に。しかし、この店探しでも、スタンフォード大から来たクリスの方が日本人の院生たちより名古屋にくわしいことがわかる。
10.23
 演習で「十九歳の地図」3回目。だんだん乗ってきましたぞ。授業後、学生の芳野さんからTAの中谷さんにケーキのプレゼントあり。研究室でみんなでいただきました。どうもありがとう。
10.22
 非常勤の授業が2つ。帰ってから土産にした北海道の味覚に舌鼓をうちました。
10.21
 朝8時に起きて、札幌の二条市場へ。買い物二、三。札幌にある山口組系の組長が病死したとかで、3万人のヤクザが葬儀に来ているという話。タクシーの運転手がそう語っていたけど、たしかに黒服の人が二条市場にもたくさん来ていました。でも、最近はヤクザ屋さんもなかなかそうは見えませんね。運転手は香典だけで3億円だそうですと不謹慎なことを言っていました。もし、ほんとうに3万人ならひとり1万円の香典になるので、ヤクザにしてはちょっと変ではないですかと半畳を入れたら、動揺した運転手はすっかり計算に夢中になって、運転の危ないこと。ハラハラしました。
 午前中、ふたたび文学館を訪ね、吉井さんと小笠原さんの話にふける。ここには小笠原さんの旧蔵書の一部(いったん散逸したのを吉井さんたちが集めているのです)、貴重資料として久保栄や本庄陸男の原稿などが収められています。常設展の展示は盛り込みすぎで、プレゼンテーションのしかたにいささか問題があるように見受けましたが、今後はせっかくの資料をぜひ生かした企画を考えていただきたいですね。昼過ぎの飛行機で東京へ帰る。
 今度の札幌行きは短時間だったけど、いろいろな思い出の錯綜するものでした。文学をほんとに好きだった人たちが亡くなっていく。ふだんは文学が社会や文化のなかでどのような働きをしてきたかを考えていますが、小笠原さんや高山さんのように無償の愛情を注いでいるかとなると、はなはだ心もとないかぎりです。寂しさが胸をついてきました。
10.20
 早朝に羽田に向かい、札幌へ。北海道立文学館を訪ねました。まず元「のぼり窯」の主人であり、いま文学館に勤めておられる吉井よう子さんにお目にかかりました。ちょうど「星座」の会の会場がこの文学館のホールになっているのです。講演は武田泰淳「ひかりごけ」についてで、いま学習院の院で扱っているテーマでもあります。だいぶ以前に羅臼を旅したことがあり、今回の講演は最初から昨年亡くなった小笠原克さんへの追悼の意をこめておこなうつもりでした。それが高山さんの追悼とも重なってしまったわけです。講演のあと、葬儀会場がすぐそばだというのでお悔やみにうかがいましたが、高山さんが多くの方たちに愛されたことがよく分かりました。そのあと「星座」の会の事務局の方々、札幌大学の木村真佐幸さん、吉井さんとで会食。話題は高山さんのこと、そして小笠原さんのことへと自然に広がっていきました。
 札幌はすでに木々が紅葉して、美しい景色でした。気温は16度。東京とは4〜5度ぐらいの温度差があります。日蔭にはいると涼しいですが、昼間はとても気持ちいい。夜は木村さん、吉井さんにススキノを案内していただきました。
10.19
 夜に「星座」の会の会長で、有島武郎研究家であった高山亮二さんの訃報が入ってきました。じつは明日、その札幌の「星座」の会で講演することになっており、3週間前にも高山さんから入院するけどよろしく頼むと電話でお話したばかりのところでした。高山さんは80歳を越えるご高齢でしたが、有島一筋で、ニセコ町の有島武郎記念館の設立・運営の中心となり、最近では有島が生涯にわたって80通もの書簡を交わしたスイス人女性ティルダ・ヘックとの関係について調査され、札幌、そしてスイスのシャフハウゼンで「有島武郎とティルダ・ヘック」展を開催するなどの仕事をされておられました。ご冥福をお祈りいたします。
10.18
 昼休みに加えて夕方からも研究室会議。来年度の授業担当のほか、新カリキュラムによるゼミ制度がスタートするので該当する学年への秋季ガイダンスの内容を協議。1つのゼミで1学年上限15人を確定し、希望者がオーバーしたときは課題を提示したうえで小論文・試験などのセレクションを行うことを決めました。専任14人分のゼミができるので、均等にいけば上限を越えないはずだけど、これまで150人の学生のうち80人位が近現代に殺到していました。そうしたところが上限15人となります。単純に近現代4人の教員で、60人の学生となるので、これまでどおりだと20人はあぶれることになり、べつな専門を考えなければならないわけです。かなり厳しい話ですが、ゼミの質をあげるためにはそうせざるをえません。いまの2年生以降の人たちは、上記の点をふまえてうまく希望ゼミを確定するようにしてください。
10.16
 クリストファー・スコット君が来日。教務課などを案内し、授業の打合せなどを行う。クリス君のおかげで、院生が学部内LANのIPアドレスを取得できることがわかった。これならノートPCを持ってきて、Ethernetで接続できるわけだ。研究室の端末は学部学生がかなり占有しており、院生室は2台なので使い勝手が悪かったけれど、これなら解消できるか。いずれにせよ来年2月には新研究棟に引っ越してIT環境は快適になるはずだけど、それまでのしのぎ方に工夫がいりそうです。演習、卒論指導をしたあと、担当会。
10.14
 静かな週末と行きたいところだったけれど、今日はC社の教科書編集会議。「現代文」の目次が最終案まで来て、また足踏みをしていたが、この日、4時間の会議をへてついに決定。みな大満足のフィナーレ。成城高校の大川先生はこれでこの教科書は20万部はいくとまたまた大胆な断言。編集会議の打上げは熱海だ!という声あがり、もう目の前にお宮の松がちらつきました。しかし、すぐそのあとに新教材の「学習の手引き」や「脚問」の宿題が。5人しかいない編集体制なので、とにかく仕事が多いとぶつくさ。帰り道、信州から来た和田さんにも疲労の色が……。朝は町内会で草刈りをしてから、東京に来たそうな。ご苦労様でした。
 気分をきりかえるためにビデオを見る。午前中に瀬々敬久監督の「RUSH!」、帰宅してから夜にジョン・ウォーターズ監督の「セシル・Bザ・シネマウォーズ」、イランのマフマルバフ監督の「サイクリスト」の3本立て。それぞれに材料も話法もおもしろかったけど、なかでも自転車に乗りつづけるアフガン難民の男を描いた最後の1本は印象的でした。キアロスタミともちがうし、「運動靴と赤い金魚」の監督のセンチメンタリズムともちがう。イランの代表的な映画だそうですが、3本みてなかなか元気が出てきました。
10.12
 授業3コマ終わったあと、八木書店編集部の滝口さん、恋塚さんが見えて、新しい仕事に必要なアルバイトの相談。院生数人にお願いしてみました。そのあと6時から日大人文研の共同研究会。山口、土屋、金子、近藤さんらのほかに、垂水千恵さんも登場。中文、史学、国文の分野にまたがるメンバーとなりました。それにしてはわれながら、雑誌の細目をながめ、口絵の変遷を述べただけの内容でした。帰りに院生たちふくめて、天喜与へ。北京シンポジウムのタイトルをめぐって、山口さんが呻吟。金子さんが冴えたアイデアを出すも、中国語に訳すとうまくないとかで、なかなか決まらない。最後に命令形で行け!というひとことで何とかまとまる。院生のレディース3人はそろって水曜の晩に、ぼくが夢まくらに立ったそうです。死ぬんじゃないかと心配してました。貴重書展の終わった翌日の火曜日はよほど疲れ果てた顔してたんですね。でも、まだ倒れてはいません、生きています。
10.11
 大学院の学内選考の日で、昼休みはつぶれたけれど、珍しく会議のない木曜日。卒論面談が1人。2時半から打合せをひとつすませたところで解放されました。お日さまのあるうちに帰る。どうぞ罰があたりませんように。
10.10
 「朝日新聞」朝刊に「野間宏と戦後派の作家たち」展の記事が載りました。
 研究日なのですが、あいている時間がないので卒論下書き面談日にしました。2限に3人、3限に5人。日大の展覧会の反省点・問題点を整理して、プロジェクトメンバーにメールで送る。
10.09
 休みなく、今日は授業。久しぶりの演習で発表を聞く。中上健次「十九歳の地図」が題材で、発表のなかに永山則夫の話が出てくる。永山の「無知の涙」や記録映画「略称・連続射殺魔」を見たことを思い出す。たしかあれは、足立正生らが関わっていたはず。いつものレビューシートを書かせたのに発表者に渡さず、すぐTAに渡したので、あとで手順のまちがいを指摘される。「お疲れですね」。うーん、そのとおりなのだ。卒論下書きを読んでの面談が5人。
 今週の金曜日が人文研の共同研究の日。今回の発表はぼくの担当なので、その準備をしなくてはならない。テーマは「総合雑誌『太陽』の口絵・写真の変遷」とします。
10.08
 展覧会最終日。雨模様で人出は少なかったが、トータル1500人を越える。お茶の水女子大の平野さんや学芸大の河添さんが来てくださる。金子さんも姿をあらわし、長時間、観賞していました。あとで係員の院生ふくめ、お茶を飲む。
 5時過ぎより撤収作業。院生たちも手伝ってくれて、何とか8時前に終えました。関係者のみなさん、お疲れさまでした。外はかなりの雨だったが、終了後、数人の先生方と向かいにある「でん」というお店で食事。おでんと焼き鳥が美味な店です。しんどい6日間だったけれども、「いい体験だった」「おもしろかった」という先生や職員の言葉がうれしかったですね。「でしょう!」と応えてしまう自分がこわい。
 前日よりアフガニスタンへの米軍の空爆始まる。しかし、海に接していないアフガンにインド洋上からトマホークを撃ち込むというのは、パキスタン人が見上げるとミサイルが家の上空を飛んでいきますというもんです。ひどい話。テポドンが日本上空を飛ぶだけでも大変な騒ぎなのに、アメリカならいいのでしょうか。
10.07
 日大会館の展覧会に出かける。この2日ほど、やはり200人以上の来場者、今日は300人を越えました。2時から有吉保先生の講演。「藤原定家と古典書写」という題で、定家における書写の意味、写本奥書を読むことで何が見えるかという話。「書写と印刷文化」と副題した展覧会にぴったりのいい講演をいただきました。聴衆、240人。この数もすごい。この日は、三谷邦明さんや三田村雅子さんが来場。先日は十川信介さんや浅田徹さんがお見えになりました。会場がようやく整っただけに、うれしいかぎりです。あと1日。明日8日が最終日で、夜は撤収作業となります。
10.06
 午前中、「書物が伝える日本の美」展について、「日本大学広報」に3枚の原稿を書いて送る。
 今日から神奈川県立近代文学館で「野間宏と戦後派作家たち」展が始まる。2時にレセプションがあるので、横浜に出かける。黒井千次さん、野間光子さんはじめ、50人ちかい参会者があり、たいへんにぎやかでした。展覧会の方も、「作家の戦中日記」(藤原書店)に収めた日記やノートのほか、「暗い絵」原稿や「真空地帯」創作メモなど、ずいぶん貴重な資料を展示してあります。また「戦後派」ということで、大岡昇平、埴谷雄高、武田泰淳、梅崎春生、椎名麟三、花田清輝、島尾敏雄、中村真一郎、福永武彦、堀田善衞、安部公房ら11人の作家のコーナーが設けられ、それぞれ原稿や創作ノートが展示されています。戦後文学に興味のある人は必見の展覧会です。花田や安部、武田、福永を修論、卒論でやる学生たちはぜひ。最後のコーナーにある解説ビデオを監修しました。黒井さんとともに顔を出しています。全体の構成はすごくよく出来ていますし、黒テントの新井純さんの朗読がなかなかいいです。編集協力をした関係で、日経、朝日、読売各紙から取材を受けましたが、できれば記事にしていただくとありがたい。
 夜は渋谷の「じょあん」でフェミニスト漆田和代さんの還暦を祝う会(!)。小森陽一さんが支配人で、世織書房の伊藤さんが料理長。最首悟さんが漆田さんと語り合うというトークショーあり。ピンク映画を撮りつづけ、最近「百合祭」という高齢者の性愛を描いた映画を完成した浜野佐知監督が過激に介入。これに社会言語学の田中克彦さんがこの場に似合わぬ反フェミ的な発言をして顰蹙を買うなど、支離滅裂、言語道断、痛快無比の会になりました。
10.05
 前夜、息苦しく眠れない。過労のピークかとあせったけれど、朝は何とか持ち直しました。この日は授業2つ。
 世田谷文学館で「志賀直哉展」が明日から開催されるので、そのレセプションが夕方からある予定だったが、どうしても仕事が終わらず、へとへとになって、やむなく欠席。図録にささやかな「豊年虫」論を書いています。手があいたら、見学に行くつもりです。
10.04
 大学の創立記念日で授業は休校。「書物が伝える日本の美」展覧会、本日の入場は220人を越える。学外の人にとっては平日だから、まずまずの数字。日々、キャプション等の誤植が発見され、訂正一覧表の直しもバージョンいくつか分からないぐらい。終了後、杉山、辻、唐澤先生たちと会食。反省しきり。夜に業者が「長恨歌絵巻」と「大斎院前御集」の壁紙張り替え作業をやっている。他の資料のことも気になって、11時頃、もう一度、会場におもむく。警備員さんに無理をいって、確認。サイズは小さくなっているが、きちんと張り替えてあるので一安心。安眠できると言いあいながら、帰る。
 この日の「毎日新聞」夕刊に「満身創痍の現場から―野間宏の戦争と文学」という文章(4枚)を書きました。神奈川での野間宏展の紹介記事でもあります。
10.03
 朝9時前に行くが、やはり会場は未完成。とりわけ高精細画像の絵巻等を大きくプリントして壁にはったものが、でこぼこして到底、展示品になりえていない。小さな傷も気になって仕方がない。展示業者も手順わるく、なんとも未熟な職人を頼んだものだとあきれ返る。センターの課長ともども激怒して、やりなおしを命ずるが、今日が開会式。プリントのしなおしと貼り直し作業はどうやっても木曜の夜になるという。初日と二日目はこちらの壁は見ないでもらうしかない。
 10時から開会。総長や理事長ら、出資者がそろい、内覧。辻先生や粕谷先生に説明役をお願いする。大学執行部は満足の模様。しかし、実態は……。どうも素人くささが抜けない。観覧希望の方は金曜日以降にしてください!
 昼食後、1時から文部科学省で編集にたずさわった「国語」教科書の検定結果を聞く。大きな問題はなさそうなので、ほかの編集委員や筑摩書房の編集者たちと安堵。3時にまた移動して、ふたたび市ケ谷へ。今度は日本私立大学連盟の広報委員会に途中出席。「大学時報」の編集会議。5時までの予定だったが、会議が長引きそうなので、少し過ぎたところで退席。また向かい側の日大会館に戻り、細かい修正作業。さらに打合せ。初日の入場者数は、約260人と聞いた。ようやく7時に解散。長い一日が終わりました。
10.02
 「書物が伝える日本の美」展覧会前日で貴重書の搬入、陳列などの作業のため、11時に市ケ谷の日大会館に集合する。前日、徹夜だというが、会場内の造作がまだ出来ていない。いらいらさせられながら、待った揚げ句、本をとりだして並べ始めたのは、予定より3時間遅れの4時から。結局、陳列をおえたのは、夜中の12時だった。それでも一部、造作が終わらず、業者に切れそうになる。しかし、図録も誤記・誤植があり、こちらも頭が痛い。直接、作業のなかった曾根先生も、「ぼくは何もしてないから」と11時近くまでつきあってくれた。早くも徹底した反省会の必要を痛感する。
10.01
 ついに10月。昨日の熱は下がったものの、どこかぼーっとしている。青山学院短大で午前中、授業をしたあと、昼食をとりに、草月会館地下の「ふーみん」に行ったら月一回の定休日。ここの「中華丼」や「ネギらーめん」は最高なんだけど、残念。雨の中、渋谷までしょぼしょぼ歩いて、途中、青山通り沿いにあった「満家苑」(だったかな)という中華屋に入る。表に出ていた坦坦麺がうまそうだったからだけど、風邪引きのときは辛いものにかぎる。舌がざらついているので、味覚音痴ぎみだけど、なかなか美味。そういえば数日前も高円寺の「天王ラーメン」で坦坦麺、食べたことに気づく。「天王ラーメン」は何しろ普通のラーメン1杯350円で商売をしている。黙々とよく働いている旦那のすがたも気持ちよくて、しばしば足をはこぶ店だ。いつも坦坦麺ばかり食べているから、もう覚えられているだろうな。しかし、数日前に食べたものを忘れるなんて、いかに目の前のものだけに対応して日を送っているかを示していますね。ちょっと生活変えないといけない。
9.30
 この間の疲労で風邪をひきついにダウン。終日、ふとんをひっかぶって寝る。ひとつ会議の予定があったが、もはや足腰たたず、欠席させてもらいました。
 夕方、編集と解説を担当した「秋声全集」24巻がとどく。「小説入門」などの講座ものを集めた巻で、ほんとに秋声執筆か、名前だけの代筆か分からないものがある。それだけに解説では苦労したけれど、秋声という名前で流通したことに注目したのがミソ。実際、描写論としてもおもしろいエッセイが入っています。大正期に成立する文学史のパターンがどのようなものかを知るにもいい材料になっています。これで第二期全集の担当分が終わったのでほっと一安心しました。
9.29
 大学院の学術発表会で近現代の院生10人の発表を聞く。途中で、べつの仕事で緊急事態が発生し、その対応におおわらわ。落ち着かないまま発表会を終える。あとで曾根さん、金子さんとともに院生の打上げで「たつみ」へ。しかし、10人連続の発表を聞くのはさすがにたいへん。黙って聞いていたほかの院生たちも疲れたでしょうね。
9.27
 会議ばかりの日。研究室会議のあと、合同教授会、教授会、大学院分科委員会、FD委員会と続きました。教授会では金子さんが広報副委員長としてオープンキャンパスのアンケート結果を報告。データの読み方でサジェスチョンをきちんとしてくれたので、これで自分の学科の状況を把握できない人はもう大学教員やめてもらうしかないですね。
9.26
 武蔵小金井にある中央大学附属高校で特別授業。ここの国語科は五味渕典嗣さんはじめ、たいへんな強者ぞろいで、1年間、ひとつの教材をあつかったりしている。今年の高1は井伏鱒二の「黒い雨」で、打合せ段階で詳細な教材資料を見せられ、びっくりしました。大学院の授業並のことを高校生相手にしているわけです。そういう授業のなかのオマケとして呼ばれたので、こちらも手が抜けませんでしたが、やはりなかなか手ごわい。パワーポイントやビデオ等を駆使しながら、わかりやすいことだけを目指しましたが、果たしてどうだったでしょうか。それにしても講堂は立派だし、制服はないし、ピアスも茶髪もOK。この高校は要注目ですね。これまでにも石原千秋さん、小森陽一さん、東郷克美さん、松村友視さんが特別授業をされているとか。夕方から先生方と懇親会。おいしい蕎麦懐石の店で日本酒をひたすら飲みました。
9.25
 文理学部の後期始まる。演習の時間に文学史の小テストをやる。「世界の文学」の5冊から出題すると言ってあったのだけれど、勉強不足がちらほら。
9.22
 日本近代文学会例会に出かける。テーマは「徳田秋声の再検討」。秋声全集の編集委員のひとりなので、興味津々で出かけたが、参加人数がやっぱり少なかった。この間の学会のテーマ設定が先端追っかけ系だったのに比べて、渋すぎたせいか。しかし、秋声自体は中上健次や古井由吉が注目したようにおもしろい作家のはずなのだから、もう少し何とか集客出来ないものでしょうか。そういえば会報とどいたのも遅かったですね。
9.21
 中里介山文庫の第一期調査が一段落しました。ざっと1600点の書誌カードができたので、今度はそのデータベース作成です。この日はアルバイトしてくれていた院生たちと打上げ。ちょっと涼しくなったので、ロシア料理のボルシチに舌鼓をうつ。調査期間中、ぼくはほとんど朝か夕方かにのぞくだけで、あとは下高井戸の文理学部や市ケ谷の本部、日本橋丸善などに行ったり来たりしているので、院生たちに呆れられる。フットワークが軽快とは言ってくれず、腰がおちつかない、落着きがないなどと言われる始末。
 そういえば研究室の副手たちが教員懇親会で温泉旅行に行く直前、国文研究室でつくる火曜サスペンス劇場「湯けむり殺人事件」なる企画を練っていました。それによれば、ぼくは温泉旅館の若だんなだそうな。法被来てとびまわって、どうもトホホの役みたい。ちなみに近世のK先生は、金田一シリーズで加藤武がやっていたすぐ「わかった!」と犯人を決めつける刑事役。事件が起きて10分でもう解決したつもりになってしまう。国語のY先生は地元の実直なおまわりさん。同じくS先生は温泉街振興会の理事長さん。金子さんは、刑事役という話もあったけど、やっぱり脱サラしてペンションの料理人をしてたのだけど、つぶれちゃって旅館の板前さんになっている役柄でしょうか。
9.20
 丸善にて展覧会図録の念校、および展示方法や映像関係の打合せ。うーん、終了は9時半。夕食抜きでさすがにこの時間帯はつらい。忍耐の限度まで来て、かなり切れかかる。他の先生方にほんと申し訳なかったです。
9.18
 アメリカの東部、アリゾナ、西海岸にいる知人・友人とメールのやりとりをしましたが、異様なナショナリズムの高まりを危惧していました。日本のメディアでもそうした声があがってきています。
 E・W・サイードが論評しているサイトを見つけました。イギリスの”The Obserber”に寄稿したようです。”Islam and the West are inadequate banners”「イスラムと西欧(という対立)は不適切な標識である」という題名で、事件の衝撃を語りながらも、イスラムもひとつでないし、アメリカもひとつではない。そうした複雑な現実を見抜く冷静な知性の必要を説いています。
 日本では中東経済研究所が今回の事件についてのさまざまな情報を報じています。主要な外交舞台となったパキスタンのシムシャールは、文理の「海外実地研究」という授業でもしばしば訪問先となっているところです。同じイスラム圏に属しながらも、国家予算の大半をアメリカと日本のODAに依存している国です。一連の出来事は、われわれから決して遠いところの事件ではないということです。
9.15
 メディアの論調がイスラム批判の大合唱になっているように感じられます。アフガニスタン侵攻に向けて、ブッシュは「世界戦争」と口走るし、ロシアや中国も協力を申し出る始末。たしかに数千人を殺したテロリズムには怒りを覚えるけれども、湾岸戦争でアメリカ軍がイスラム教徒をどれくらい殺したか、この間のイスラエルのパレスチナ攻撃をどれだけ黙認したかを考えると、そもそもこのテロ自体が憎悪に対する憎悪の反復にすぎません。「ランボー・怒りのアフガン」を思い返せば、ソ連が侵攻したアフガニスタンで反ソ・テロの戦術を教えたのがアメリカじゃないですか。それに根本問題はキリスト教とイスラム教の対立ではなく、経済格差と国際政治における発言権の格差が原因です。それにしても、特攻隊員の死には涙しながら、今回の自爆には「憤り」を覚えるという日本の首相の発言はめちゃくちゃおかしくないですか。
 もっとさかのぼれば、民間人の殺害といえば、東京大空襲や広島、長崎の原爆はどうだったか。もちろん、日本軍による南京虐殺だってそうです。そうした連鎖を無視してはいけない。あのとき世界中継できるテレビがあれば全然ちがう声になったはずです。そうしたことを踏まえて冷静に発言する必要があります。
9.12
 夜、アメリカでのテロ事件に驚愕。遅くまでテレビにくぎ付けになりました。すさまじい事件ですが、半世紀前の日本が散々やろうとして出来なかったことですね。
9.11
 相米慎二監督が亡くなりました。「台風クラブ」以来のファンで、「風花」に感じ入っていたところなのに。53歳という年齢は若すぎるとしか言えません。しかし「風花」のファーストシーンは心にしみました。それにしても死の気配が漂う、いい映画でした。
 日本近代文学館で中里介山文庫の調査を始めました。科学研究費補助金がとれたので、この費用をもとに介山収集の文庫の目録作成をめざします。約1万点にのぼるものなので3年がかり。院生のひとたちにアルバイトをお願いしての作業です。
9.08
 展覧会の図録および展示方法の最終調整のため、この日も朝10時集合で、終了は夜7時30分となりました。展覧会担当業務の丸善のひとたちや、総合学術情報センターの職員の方たちふくめ、みなさんおつかれさまでした。これでほぼ90%は固まってきました。
 この展覧会準備のため、10/2の火曜日の授業は休講です。10/5の大学院の授業も休講。補講等については追って連絡します。
 ほんとは、この晩は小平第二小学校の同窓会があったのです。早く終われば行きたかったのですが、やむをえませんでした。30数年ぶりの再会で、担任の先生もわざわざ来られるとか。60年代後半、小学生だったぼくたちは、理科実験室にこもって授業をクラス中でボイコットしたことがありました。なぜ、あのようなボイコットをしたのか、いまだによくそのときの背景が分かっていません。先日、同窓会の誘いの電話をくれた同級生も「それを知りたいんだ」と言ってました。あのとき完全に主導権を握っていたのは、女子生徒たちで、Hさんはリーダーだったはず。時代的には学園闘争があって、ストライキやロックアウトという言葉が小学生にもびんびん響いていたときでした。日和見で、先生に刃向かうなんでことは思いもよらなかった当時のぼくもにも、ボイコットを決めて実験室に閉じこもろうとした女子たちは颯爽としていましたね。それにしても、はっきり思い出せないような理由で女子に引きずられるまま授業ボイコットしてたなどというのは、どうにも戦後日本的です。でも、ほんとうのところは一体何だったのでしょう。人生というのは、そういう個人的に不思議な謎があちこちにあるものですね。
9.04
 昨日今日と、二日連続で会議。朝10時から始めて終了が6時過ぎ。大学人も体力勝負であることを確認させられます。
 まわりで川上弘美の『センセイの鞄』(平凡社)の評価が高い。実際、ぼくもすすめていました。世代、性別を越えて支持されているのがおもしろいですね。いま実はひそかに「中高年のための国語教科書」を構想していて、「新しい教科書を作る会」(!?)を立ち上げようかと。その筆頭にあげられるのが、『センセイの鞄』のなかの「月と電池」です。すごく好きな小説ですが、だれをも傷つけず、保守的なまでに文学しているところが中高年好みでしょうね。
9.01
 昨日は大学に行って書類の整理。
 10/3〜10/8に開催される日本大学総合学術情報センター所蔵貴重書展「書物が伝える日本の美〜書写と印刷文化〜」のポスター、チラシも完成し、各大学図書館や研究機関に郵送されました。場所は市ケ谷駅そばの日本大学会館です。丸善の「学鐙」9月号に「デジタルからアナログへ」という宣伝文を書きましたので、よかったら御覧ください。
8.30
 ほぼ1ヶ月ぶりの更新です。8月はまるまる抜けてしまいました。心身ともに絶不調に陥り、すべての仕事が渋滞してましたが、やや回復軌道に乗ってきました。しかし、そうこうするうちにもう9月。あっという間に仕事の山がたまって、またまた憂鬱になりそうです。
 この日は、神奈川近代文学館での「野間宏と戦後派作家たち」展のためのビデオ録りで駒場の近代文学館に出かけました。ビデオの監督が元岩波映画の方で、カメラマン、録音の方たちと映画談義。市川崑などは、マネージメント能力において群を抜いているそうです。だから、あの年でも映画撮れるんだね。中身はそれほどおもしろくないけど。夕方から、この夏いちばん心なごむ会食。
7.29
 オープンキャンパス当日。天気もまずまず。10時前に下高井戸駅を降りると、はやくも高校生らしい人の波が……。なんか入試日のような感じで、人の流れが切れない。これはしめたと思って、赤い学科Tシャツに着替えてから学科企画の教室を訪ねると、近世のK先生が展示コーナーをひとりじめして、自分の本とか関連書ばかり並べている。こらこら自分だけ売ろうとするな、とばかりに、予定していた本の陳列をはじめ、近世の本を隅に押しやる。あっという間に訪ねてきた生徒たちがあふれて、受付が足りない。急きょ、机をならべかえ、受付で記名を御願いする。これはあとでDMを送る貴重なデータだ。学部全体の訪問者チェックもあるけれど、国文を訪ねてきた生徒の総数や高校、地域などの情報をおさえるためには必要。現役学生の相談コーナーはあっという間に人だかりになる。
 展示したのは、書道から掛軸3点、授業説明・写真パネル、東海道名所図会、中古・近世・近代関連の書物、先生たちの著書、日本語学からパソコンによる声紋チェック、パソコンで見る学科ホームページ・世田谷バーチャル文学散歩・新入生オリエンテーションや卒業パーティ写真集などなど。それにビデオモニターで常時、学科プロモーションビデオと「映画にあらわれた文学」を流しつづけました。パソコン・ビデオ関係はすべて学生と教員(金子&紅野)の手作りです。なかなか手がかかってるでしょう。やはり学生がデザインした教員似顔絵入り学科ポスター、およびTシャツが大好評で、国文の異様な雰囲気に他学科の教員は圧倒されていた模様です。国文の教員は全員出勤で、最後は赤いTシャツのまま、記念写真まで撮りました。
 422教室での国文模擬授業も成功しました。120人以上が聞いていたのではないでしょうか。50分の授業を、古典、言語、近代の3人の教員で15分ずつ使って話しましたが、15分ぴたりでまとめる離れ業がなんとか出来ました。近代はぼくが担当しました。聞いていた院生いわく「聴衆が引っ張られていく様子を見ていると、ほとんど詐欺師の口上?という気がして」きたそうな。「詐欺師の口上」とはトホホですね。このときは以前に教えたことのある成城大学の卒業生まで遊びに来てくれていたり、高校生以外にもいろんなお客様がありました。
 結局、文理学部のオープンキャンパス来場者は総勢3300人となったそうです。去年が2000人でしたから、一挙に60%増。これは1学部としてはなかなかの数字です。新聞や電車のなかで派手に広告したわけではありませんが、広報委員会の先生たちが附属高校や周辺の高校をまめにまわり、宣伝活動につとめた成果です。オープンキャンパスに来た学生の受験率は高く、入学後もモチベーションが高いと一般に言われています。今後、その実態調査もしていく予定ですが、いずれにせよ教員たちが乗り気になっているかぎり、その熱意は伝わるものだと思います。オープンキャンパスが形式的になっていたり、事務方まかせで教員があぐらをかいているところはだんだんダメになるのではないでしょうか。広報副委員長の金子さんなどは獅子奮迅、前の晩は眠られなかったそうな。
 さて、今度は8月8日にお台場でリクルート主催の「進学わくわくライブ」に出る予定です。
7.28
 今日はオープンキャンパスの準備と、前期成績つけ。「テーマ研究」分を終了。あとは「戦争論」だけど、レポートの分量に思わずため息。書く学生もたいへんだろうけど、評価する側もたいへんです。
 あいまに川口晴美さんの新作詩集『EXIT』(ふらんす堂)を拾い読み。なにしろ帯のコピーは小泉今日子なのだ。キョンキョンも「風花」ではすっかりいい女優になっていました。川口さんの詩の言葉はほんとエロティック。ただ、風に吹かれているようなさわやかな官能性とでもいいましょうか。学生研究室に納入予定です。乞御期待。基本的に非常勤の先生のご本はできるだけ研究室書架に並べるようにしたいものです。
7.27
 明後日のオープンキャンパスの準備に追われる。パワーポイントのムービー版を作ってみたりしました。
 掲示板の調子が悪いので、サービス停止にしました。しばらく再開までお待ちください。
7.25
 箱根仙石原の寮で近現代大学院の研修。金子さんの授業の合宿バージョンだが、夜の宴会の部になんとかかけつける。院生その他、総勢20名近くいて、勉強スケジュールもびっしりでしたが、そのあとの余興がまたにぎやかでした。オープンキャンパス向けに、学科Tシャツ(学部の丹羽さんデザイン、和田誠ばり)を用意していたら、院の服部くんがさらに近現代版をべつに作成してくれました。特製団扇つき。すごい。こんなに院に活気がある年度もはじめてです。それにしても教師にタメ口をきけるのも、ここの院のいいところかもしれません。こんなにしてあげながら、金子さんはマスターの院生にまだ「もっと指導してほしい」と言われてました。でも、院生たちもこれから先が苛酷ですからね。大学院内の生き残りをかけてサバイバルしてみてください。
7.21
 以前、文理で映画論の非常勤講師をしていただていた内藤誠監督から御著書の『昭和映画史ノート―娯楽映画と戦争の影』(平凡社新書)をいただいた。戦時下の「日本映画学校」のカリキュラムとか、昭和の鳥人といわれたハヤフサヒデトというスターの話など、読み出したらとまらなくなって、電車を乗り過ごしてしまう。
7.19
 午前中に「秋聲全集」解説25枚をなんとか書き上げて、八木書店にメールで送る。校正刷はなんと夕方には上がってくるそうで、明日一日で校正チェックという離れ業。あんまりこういうことを公開すると最初からそのつもりで書きしぶる人が出てきてはいけないので、ここで読んだひとも黙っててくださいね。
 午後、大学ではFD委員会主催の講演会。東海大学の安岡高志先生に「東海大学の教育改革の試み―学生による授業評価―」という講演をお願いしました。慣れた話なのでしょうが、さすがにツボを心得た講演で、うまい授業のレトリックを見ているようでした。安岡先生は授業評価はどのような形であれ、即導入した方がいいというお考えで、われわれはまだ慎重派でしたが、具体的な方法論・技術論においては理解できることがだいぶありました。今年度はまず文理なりの教育改革プログラムの策定を急ぐことになりそうです。
7.17
 二カ月ぶりに病院で定期検診。毎月検査のはずなんですが、なぜか予約日に急用が入ったり、前日に飲んだくれすぎて、キャンセルつづきでした。二ヶ月前の数値を知らされましたが、若干γGPTが高いぐらいで、まずまずの成績でした。午後は大学で勉強と書類整理。
 夕方からは「本とコンピュータ」の座談会。津野海太郎さんの司会で、仏文学者の宮下志朗さんとロバート・キャンベルさんと。
7.15
 新宿で神奈川県立文学館で開催される「野間宏と戦後派作家の世界」展のビデオ内容の打合せ。そのあとヨドバシカメラで新しいノートPCのチェック。
7.14
 所沢にある総合学術情報センターで貴重書展の編集会議。朝10時に開始して終了したのが、17時40分。関係者のみなさん、お疲れさまでした。
7.13
 日本大学豊山女子高校で午前中2コマの体験授業。「映画にあらわれた文学」と「文学とデジタル環境」というテーマで2種類やりました。そのあと文理に戻って、大学院の授業。ちょっとテンションが高かったので、またまた口の悪い連中が「女子高生100人に会ってハイになってる」と陰口たたいていました。前期最後のオマケ授業だからなのに、理解力が足りないよと憤慨。授業後、院生たちの勉強会にも出たけど、ビール飲みながらということになりました。
7.11
 日本大学本部の講堂で「学生による授業評価」をめぐるシンポジウム。福井大学の前工学部長をゲストに、日大内で授業評価をとりいれている学部の教員がパネリスト。大学全体をあげて授業評価に取り組むというわけですが、すでに10年前にはじめた福井大学ではマンネリ化してきているというのですから、機械的に導入することは意味ないはず。まして文理のように学生総数8000人、開講コマ総数2000という大きな大学では、いくらマークシート方式とはいえ、各科目ごとのアンケートではコストパフォーマンスが悪すぎる。学生にとっても科目ごとにいくつもアンケートさせられてはますますおざなり、形式的になってしまうだろうし、無記名で評価することを教え込むのも、教育的には問題あるのではないか。学生の声をとりこむ回路を作ることと、授業のグレードアップをはかることを目的とするならば、より効果的な方法を探ることが大事ではないだろうか。日大全体の圧力がかかるなか、後発の文理独自のオリジナルなFD活動を探ってみたいものです。来週は、これに関連して文理でも講演会が開かれます。
7.10
 「戦争論」の補講を2コマ続きで行う。教室定員以上の履修者がいたためですが、あふれた人数(150人位)の割には、50人程度の受講生しかいませんでした。そのあと学術フロンティア計画をめぐる会議と、担当会。
7.09
 某ホールでスペイン王立セルビア交響楽団のコンサートを聞く。ひとりで聞くクラシックもたまにはいいものです。元気が出ました。
7.07
 日本大学国文学会総会。国語学のゲスト講演に、近代、近世、中古の発表3本。修士の院生たちに聴衆としての反応を聞くと、近代の発表は堂々としていて、余裕をもった話しぶりだったとか。やはり度胸はだいじ。しかし、それにしても4時間以上、412教室のイスに座っていると疲れる。あのピンクのイスはどうも前にお尻がすべりやすく、長時間には向かないね。
7.05
 「戦争論」の正式授業日程、終わる。最後は少し駆け足でした。後10日の2,3限に補講の予定です。
 教授会で新図書館の設計図について報告。これでいよいよ着工に向けて最終段階に入りました。関係者のみなさんに感謝。
7.04
 早稲田で映画の講演。「鴛鴦歌合戦」にはさすがに笑いがもれる。ディック・ミネはともかくとして、志村喬の茶碗の歌がうまい。このシーン、4つのばらばらの運動が1つのフレームのなかに共存し、なおかつ歌が全体を調律するという絶妙な場面になっている。ここと「次郎長三国志・殴込み甲州路」で敵地に乗り込むまでの長い道行きのシーンについて、奥行きの構図や複数の運動などについて説明する。
7.03
 前夜、飲みすぎて二日酔い。にもかかわらず授業2つをかけぬけ、3時過ぎから学術フロンティア計画をめぐる会議。そのあと学部担当会という教授会の議案等を決める会議に出て、新図書館基本設計の報告をする。6時からふたたび学術フロンティア計画の分科会。8時少し前に終わり、数人で食事。この時間帯になってようやく復活。夏休みにサンタバーバラやらツーソン、ナッシュビル、ボストンを回るとか、パキスタンに調査に行くとか、同僚の楽しそうな話題を聞きながら、つくづく自分の夏休みが寂しいことに悄然とする。
6.30
 駒場の近代文学館に行き、夏休み中の資料調査の打合せ。中里介山文庫の調査で科学研究費補助金がおりたため。たぶん、大半はデータ打ち込みのノートPCと人件費で消えてしまう。
 そのあと、土曜日にもかかわらず、大学に行って研究室で仕事。学術フロンティア計画の申請書を仕上げてから、ビデオの編集をはじめる。しかし、阪東妻三郎の「決闘高田馬場」を使おうと思ったら、これが行方不明。しかたなく、片岡知恵蔵の「清水港代参夢道中」を出してみたら、なんと画像劣化し、顔もおぼろなお化けビデオになってしまっていた。いやはやビデオの劣化問題は知っていたが、ここまでひどくなるとは。そうなってみると1950年代の森繁の出ている「次郎長三国志」も画面のエッジがぼんやりしてきていることが気になる。いよいよDVへダビングしはじめないといけないか。しかし、それには時間と経済が……。来週の映画の話は「プログラムピクチャーの経済学」と名付けたのだけれど、それ以前に映画好きゆえの経済学が必要ですね。
6.29
 来週、早稲田の十重田さんの授業で映画の話をすることになっているのだけれど、テーマについて迷う。先月、城殿さんが映画史をふりかえったうえで伊藤大輔のサイレント映画の傑作「御誂次郎吉格子」で結んだらしく、それならマキノ雅弘にするか、加藤泰にするかと思っていたけれど、やっぱりマキノを語る以外にないと結論。さて、材料をどうするか。
 夕方から人文研共同研究の研究会。金子さんが「日露戦争報道メディアをめぐる諸問題」というテーマで報告。11月に予定されている北京でのシンポジウムの柱がこれで出来たと確認。日本でも1月頃にワークショップを開こうかという話になりました。
6.28
 前日、まるまる一昼夜を費やして原稿を書く。早朝、しらじらした窓の明かりを横目に新聞配達とともに終了。朝6時半まで仕事したのは久しぶり。また完徹の体力はあることを確認しました。
 産経新聞の記者が「作家の戦中日記」のことで取材に見える。1時間ほど対応して、そのあと学術フロンティア計画の申請書、FD講演会のポスター作成、新図書館建設計画の教授会報告案など、次々とやってくる書類書きに追われる。
6.26
 いまになって大学院のコンパ。曾根先生の北京からの帰国を待っていたのです。ちょうどスタンフォード大から留学予定のChristpher Scottさんも来日していたので参加してもらう。平気で指導教授に軽口をたたく院生レディースにびっくりしていたようです。いやはや日本の大学教授は権威のない大衆知識人だからね。だから、おもしろいとも言えるし、ぼくなどがやっているのもそうだからかもしれません。
 前期末レポート課題を掲示しました。文理の学生と青山短大の学生は「授業について」のページから入って確認してください。
6.25
 非常勤の日。二ヶ所で授業をすませたあと、夕方から新宿で中央大学附属高校の国語の先生たちと打合せ。9月にそこで高校1年を対象に「黒い雨」の特別授業をやるため。附属高校としての特色を生かすべく、1年間、ひとつの小説を読む試みを続けているという。資料を見せていただき、歴史的なコンテクストやインターテクスチュアリティにも配慮した、たいへんユニークで緻密な授業を展開しているのに感心する。夏休みの宿題を出された感じです。
 そのあと早稲田にある藤原書店へ移動。この間、解題等で苦労した野間宏の『作家の戦中日記 1932-1945』がようやく完成したのです。上下二巻セットの大冊。18歳のときの日記から、大阪市役所時代、軍隊時代、軍需会社時代の資料類がたっぷり入っている。軍隊手帳やノート類はかなり貴重です。一部は白黒の写真版。さらに富士正晴や内田義彦、下村正夫たちへの友情あふれる書簡も入っていて、読みでがあります。限定1000部で、定価はなんと3万円! しかし、さすがに藤原書店。たいへんインパクトのあるいい本造りになっています。なかなか個人での購入はむずかしいでしょうが、お近くの図書館、公共機関に「ぜひ入れてくれ」と御推薦いただければ助かります。
 聞くところによると、うちの大学院で勉強しているレディース2人組は、このあいだの学会の日、会場の大妻女子大から市ケ谷駅への帰り道がわからなくなり、Tedに連れていってもらったそうな。もう7,8年も東京に遊学している北海道人と韓国人がアメリカ人に道案内されたわけです。まあ、そういうことでいいのかもしれないけど。
6.24
 日曜日なのに教科書の編集会議。和田さんに会って前日の下記の感想を伝えたら笑って「唐木順三の名前は出したじゃないですか」だとさ。でも、あれは地名を出すついでに唐木の生まれたところと言っただけだから実際はノーカウントです。
 さすがに土、日に出かけて仕事していると、疲労感が濃い。
6.23
 近代文学会の例会に行く。十重田さん、和田さんの発表に小田光雄さんの講演。150人近い人数が集まり大盛況。どちらも資料充実の発表でしたが、和田さんの発表にはついにひとりの文学者の名前も出てきませんでした。パワーポイント使った発表方法もさることながら、この文学無視がすごい。でも、文学を扱わないのはなぜだといった、いつもなら出るはずの批判的な質問がなかったのはどうしてなんだろう。あとで数人で飲んだときには、結局、パワーポイントで煙にまかれたのもあるだろうし、信州というローカルなテーマに幻惑されて、おれは信州人だとか、わたしは信州でなくてよかったとか、帰属意識にとらわれちゃったのではないかという結論になった。やっぱり出身地問題というのは大きいのだと妙に納得。
6.21
 「戦争論」で記録映画「ショアー」の冒頭について解説。昼からずっと会議がつづき、終了は8時半。それでも2つほど重複した会議を欠席している。さすがにこの日は飲まずに帰りました。
 ようやく『越境する知』のシリーズ第五巻「文化の市場:交通する」(東大出版会)が出ました。ぼくも「投機/思索の対象としての文学―懸賞・小説・相場」という論文を執筆しているのですが、原稿を入れたのがもう2年前のことになります。いくらなんでも刊行まで長すぎますね。でも、ぼくとしてはこの数年ではいちばん時間をかけた文章なので、興味がある方はぜひお読みください。ほかにも文学関係では、キース・ヴィンセントさんの論文が訳載されています。
6.18
 ビデオで高橋洋脚本の「新生トイレの花子さん」を見る。黒沢清のホラーが決定的に過去をもたないのに対して、高橋洋のは記憶とその反復に恐怖の感情の源泉を見つけようとしているのではないでしょうか。映画は高島礼子が登場してからは劇画でしたが、それまではおもしろかった。
6.16
 久しぶりに朝寝する。昨日は10時から本部で会議。文理に戻って院生と面談したあと、夕方から来日中のTed Mackと会いました。かれは菊池寛や円本前後の出版文化の研究者。去年、小森さんから紹介され、文理の院の授業をのぞいたりしていました。PhDの論文作成のため帰国していたのですが、調査のため短期間再来日。「一風」と「瞬」をはしごして快談。「青空文庫」の評価で意見が一致しました。
 今日は「秋聲全集」23巻の校正刷チェック。くたくたになって、深夜、宅急便を出しにコンビニへ。
6.14
 久しぶりに(ほんと半年ぶりぐらい)会議が1つだけという雨の木曜日。「戦争論」の授業では、アラン・レネの「夜と霧」を見せた。さすがに学生たちも絶句。夜は国立市で古井由吉『木犀の日』の読書会。
6.13
 私大連盟が「大学の破綻処理」案の検討をはじめたという朝日新聞の記事が話題になりました。多くの大学は銀行に借金をしてます。建物の新築とか、設備の重点化とか、そういう計画ができると、文部省は半額補助金などを出して促進してきたわけですが、残りの半額を借金してきたところが苦しくなってきているわけです。返せない場合、まさに銀行の不良債権問題につながるのです。で、もし、大学がつぶれた場合、学生をどうするかが次の問題。受け入れ先を決めなければならない。そのとき受け入れ先がまたつぶれるようではたいへんです。そこで経営内容をはじめとする情報公開をせざるをえない。しかし、これはグレーの位置にいる大学にとっては、首をしめる結果にもなりかねない。大学の総崩壊スパイラルが近づいてきています。さて、日本大学は大丈夫かな。

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