E S S A Y.3

(加藤泰の映画について)

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●エッセイの3本目は、加藤泰の映画「車夫遊侠伝・喧嘩辰」についてです。これは、同僚の笠原伸夫さんが個人的に発行している雑誌『研究と批評 溟』創刊号(1995.3)に書かせてもらったものです。もう4年もまえの文章ですが、加藤泰という映画作家も好きな作家の一人なので、ここにのせておくことにしました。


 横たわる空間
  ――加藤泰の反・遠近法

紅野謙介

 映画館にいよいよ映画のはじまる気配が伝わってくる。場内の照明がおとされ、閉ざされたカーテンが開いてスクリーンがすがたをあらわすとき、それまで無関係だった人々は居ずまいを直しながら、急に観客としての姿勢をあらわにして、前方にひろがる真自い平面に視線をあつめる。

 芝居でもコンサートでもなく、映画を見ようとする観客の、期侍にみちたまなざしがどのようなものであるか、まだだれも確認したことがない。おそらくスクリーン全体に焦点を拡散させ、したがっていささかまとまりを欠いて無防備に映るまなざしを送っているのではないか。そのまなざしの先で、ときに可動式のカーテンは上下左右に微調整をくりかえす。スクリーン・サイズをととのえるその数瞬は、観客の不意にたかめられた期侍をはぐらかすようでもあり、これからはしまる映画の画面の縦横の比率や大きさをわきまえておくようにというさりげないサインのようにも感じられる。いまの映画館ならば、その至福のときは開映前に延々と流されるCFスポットによって著しくそこなわれてしまう。だが、スポットが終わって、予告篇や本篇がはしまるときには、やはりかすかながらも同じような心の揺れを覚えることがたしかにある。

 スクリーン・サイズの変えられるこうした瞬間が気になったのはいつからだろうか。映画の歴史をひもとくまでもなく、1:1.33の比率で枠取られたスタンダードのサイズからひたすら拡大への夢が実践されていくのは、一九五○年代のことである。試行錯誤のすえに1:1.85のヴィスタサイズ、ついで1:2.35のシネマスコーブやワイドがあらわれ、映画の画面は横にひろがっていく。それは映しだされる空間そのものを変える大きな技術革新だった。やがて比率はそれ以上のばすことなく、今度は七○ミリとかトッドA○といった巨大スクリーン化の時代が訪れた。映像の精度をあげてスクリーンそのものを巨大にすることで、驚くほどの大画面を用意したのである。「聖衣」や「ウェストサイド物語」を現在形で見たことのないぽくにとってみれば、シネスコなどのワイド・サイズがまずごく普通の画面の比率としてあった。むしろスタンダードは珍しいものとして眺められていた。そして巨大スクリーンとの最初の接触といえば、「ゴッドファ−ザー」や再映された「アラビアのロレンス」、焼き直された「風と共に去りぬ」あたりだったろうか。見方もよくわからないまま、尋常ならざる大きさに拡大されたマーロン・ブランドの顔や、炎が滝のように流れおちるタラ炎上のシーンを見上げて、首を痛くした覚えがある。大きすぎる画面を前にしたとぎ、人は離れて眺めなければ全体を見ることがでぎないのだということを体験的にそこで知らされた。

 考えてみれぱ、画面が大きくなればなるだげ、その全体を見る時問は長くかかるのは当然のことだ。一秒間に二十四コマのフィルムが流れる映画において、その進行する速度とまなざしの速度がほどよく同調しないと、まなざしは映画に追い付かなくなる。拡大された画面はただ小さいものを引き伸ばしただげの同じものではなく、映像の宿命として元のもの以上の多くの情報を負荷されることになる。ただ画面を大きくするというのは、いやおうなく観客の映画を見る能力を部分的に麻痺させる傾向をもつ。そうでないとそもそも見ることができない。つまり映画という媒体にとってだいじなことは、同し大きさと言っても、映しだされる画面の大きさではなく、縦横の比率にあるのだ。

 ところで映画画面のサイズのことを考えたのは、他でもない加藤泰の映画を見て、あらためて映画スクリーンの横のひろがりを再認識ざせられたからである。昨年暮れ、東京渋谷のユーロスペースで加藤泰監督の大焼模な特集上映がおこなわれた。加藤泰は、山中貞雄の甥という生粋の映画作家の血脈をひき、伊藤大輔を師と仰ぎながら、ながく束映のプログラム・ピクチュアの時代劇映画や仁侠映画を撮りつづけた監督である。すでに亡くなってからも数年がたつ。ぽくにとっては、鈴木清順とも三隅研次ともちがって大文字で書かれるべき作家である。その加藤泰の特集が組まれること自体がひとつの事件だが、昨秋には山根貞男氏らによる『加藤泰、映画を語る』(筑摩書房)も編まれ、ひそかな加藤泰リバイバルが企てられていたのだ。

 ふりかえればもう二十年以上も前、テレビで「遊侠一匹・沓掛時次郎」を見て衝撃を感じて以来、時期遅れながらも加藤泰の映画を追いかけてきた。すでにかれは「仁義なき戦い」の実録ものに向かっていた東映を難れて、松竹で三本、東宝で一本といったはやすぎる晩年の映画作りに入ってしまっていたが、それらを公開時に見やりつつ、名画座に通って加藤泰の旬をたしかめていった。むろん到底かれのフィルモグラフィのすべてをおおうことなど、ぽくにはできなかったのだが、なかでも見たいと思いながら果せなかったもののひとつ、「車夫遊侠伝・喧嘩辰」にそこでようやくめぐりあえたのだ。そしてこの決定的な傑作によって、加藤泰が東映スコープなどとも呼ぱれた横長のワイド画面を生かした数少ない作家だということをはっきりと確認したのである。

 加藤泰で比較的よく知られているのは、時代劇ではさっきの「遊侠一匹」や「真田風雲録」、任侠映画では「明治侠客伝・三代目襲名」であり、藤純子による「緋牡丹博徒」シリーズの三本、とりわけ「花札勝負」と「お竜参上」などであろう。中村錦之助や鶴田浩二、藤純子といった当時のスターを主役に配したそれらの映画は、プログラム・ピクチュアとはいえ一級品といえるだろうが、この「車夫遊侠伝」はまだ新人に近かった内田良平を主役にすえ、しかも自黒画面であまりぱっとしてはいない。しかし、これは明治半ばの大阪北を舞台に、東京から流れてきた誇り高き車夫・辰五郎(内田良平)と、やくざの親分に身請けされるはずだった大阪芸者の喜美奴(桜町弘子)との恋愛の顛末をえがいた真の恋愛映画だと言っていい。定井勇二氏らによるパンフレット「加藤泰女と男、情感の美学」(ビターズエンド)の言葉をかりれぱ、「これは同じ相手と三回も結婚式をあけるはめになる二人の男女の物語である。思わず吹き出さずにはおれない絶妙のユーモアと、涙なしには見れない美しい抒情とであらゆる場面を彩りながら、加藤泰はまるで全盛期のハリウッド製恋愛喜劇を思わせるこの設定から『悲しくてオカシイ』映画を仕立て上けた」ということになる。たしかにそのとおりだ。

 映画がはじまるとすぐ、辰五郎はついて早々の梅田駅で、威張った代議士の一行と言い争いになり、乱闘を演じる。次のカットでは翌朝、木賃宿でめざめる辰五郎となり、朝の光が雨戸のすきまから差し込む狭い部屋のなかで蒲団のうえにあぐらをかき、煙草をもうもうとふかしながら大阪市内の地図に見入るそのすがたが映される。荒くれ者の放つ向こう意気と孤独とが濃厚にただよってくるこの画面が暗転すると、一変して「ささら」をもった大道芸人が市井の客を相手に語っているタイトル・バックにつながる。このみごとな開幕シークェンスは、それだけでも一見の価値がある。しかし、映画はその荒くれ辰五郎がまさに一瞬の恋におちるところから、つまり最初のシークェンスで示された辰五郎の性格設定とずれてくるところから本格的に動きはじめる。おそらくこの映画を見たものはだれでもそこで目をみはるだろうが、画面の右端に正面を向いて芸者喜美奴の桜町弘子を座らせ、左瑞向こうむきに背中を見せながら、辰五郎がやくざの親分に彼女に惚れたことを告白する数分間の、長い長いワンカットのシーンが、この作品には用意されているのだ。人力車に生意気な芸者をのせて頭に血がのぽった辰五郎は、女を川に放り込んでしまった。しかし、すぐに飛び込んで彼女を救った。その芸者は大阪の北をしきるやくざの親分西川(曽我廼家明蝶で、これが実にいいコメディ・リリーフになっている)の思われ者だったため、辰五郎はたちまちのうちに捕らえられ、川べりの座敷でやくざたちにしめあげられるという場面である。親分の問いに対して、放り投げるとともに救うという予盾した自分の行ないをかえりみながら、命を捨てる覚悟をきめた辰五郎は喜美奴に一目惚れしたことを語っていく。不合理としかいいようのない告白だが、かれの命をすてる覚悟でつづく今生これかぎりの語りに、次第に桜町弘子の表情が変化をとげていく。そして嫉妬をおさえつつも心意気を重んじる親分が喜美奴に気持ちをたずねたとき、彼女はその求愛を受け入れるという映画的としかいいようのない反応を示すのだ。

 このトリッキーな展開を肯定する映画的な条件が実に1:2.35の横にひろがったワイド画面である。奥の部屋で内田良平は背中をみせて曽我廼家に対している。そのまわりを汐路章や原健策らが演じる子分たちがいまにも殴りかからんばかりに取り巻いている。その空間と連続した右半分のスクリーンのうえでは、手前の部屋の片隅で店の女主人にいたわられながら肩で息をしている桜町弘子の全身が低いアングルから映しだされている。隔たりをもった二人のそれぞれの空間がそれぞれのリズムと生理を抱えながら、ひとつの画面のなかに同居する。そして辰五郎の語りがつづくなかで、喜美奴の憤りから驚きへ、驚きから揺らめきへ、さまざまな感惰の錯綜する空間が織りあげられていくのである。このあと親分のきもいりで祝言をあげた二人が有馬へ向かう美しいシーンへと映画は高まっていく。それは黒紋付きの辰五郎が白無垢すがたの喜美奴を人力車にのせて雪ふる土手道を疾走するという、小林清親の絵を思わせるようなシーンである。スタジオ・セットであること、自黒であることが画面の抽象度をあげ、二人はここではひとつの溶げ含う動きとなってスクリーンの右奥から左へと流れるように移動していく。

 だが、そのような抒情的表現で終わるならば、この映画はまだ印象的な一篇であるにとどまったろう。やはり辰五郎は親分への義理やその荒っぽい正義感につき動かされ、たえず喜美奴の思いを傷つげざるをえなくなり、二人は牽引と反発をくりかえす。そしてそれも、それだけならば恋愛喜劇の常套とも言えるのだが、桜町弘子の演ずる喜美奴が男の価値観やモラルだげにしばられず、辰五郎と渡り合って強烈な「男と女、五分と五分」の世界を主張するがゆえに、もはやステレオタイプには収まりきらないきわだった映画的な個性を示すのである。たとえば二度日の祝言のとき、悪役たちの謀略で親分逮捕の警官たちがあらわれ、怒った辰五郎はみずから祝言をとりやめようとする。そこで喜美奴は激昂して、辰五郎に喰ってかかる。何が起きたにせよ、その態度は晴れの祝言に向かって無垢な心になって臨んだ花嫁の思いを踏みにじっているというのだ。そして辰五郎の意を越えて、みずから式だげでなく結婚そのものをとりやめることを宣言してしまう。「白無垢」という花嫁衣装をさす言葉の比喩をあらためて浮上させつつ差し出されるその言葉は、二人の関係性の倫埋をとことん問いつめる。そのとき画面のなかで向き合う二人は、そのうめがたい隔たりの空間をあらわにする。

 加藤泰には必ずと言っていいほど、橋のシーンが出てくる。この映画でも橋は何度かくりかえされるが、最後に喜美奴は悪人たちを斬って監獄に入る辰五郎と、あろうことか橋の上で二人だけの祝言をあげる。きわめて人工的なセットの橋の上で、しかも橋の真ん中で左右に向き合いながら、三々九度の杯をかわす。それは歌舞伎の橋のように、向こう側の空間は見えず、此岸と彼岸を結ぴあわす橋でありながら宙に浮いているようにも見える橋である。空間をわかつその橋の上で、さらに男女は左右にわかれて向き合う。二人が並んで橋から川をながめるときが、ようやく訪れた安らぎのときでもある。映画の画面はそのようにひとつに焦点をあわせる至福の瞬間をはさみながらも、その横のひろがりのなかで複数の焦点を結びつつ構成される。向き合う顔と顔、手と手を同時にひとつの画面に映しだしながら、そのそれぞれがべつの焦点をもち、絶対にひとつになることのできない存在であることを映画は語りつづける。いまここでひとつに溶け合うことができたとしても、つぎの瞬間にはまた隔たりが生まれ、葛藤と争いを抱え込むかもしれない。そうした予感すら、加藤泰の映画はいだかせる。したがってその映画には調和的な終りはありえないと感じさせるのだ。

 いささか乱暴に比較していえば、同じ東映のプログラム・ピクチュアの監督であった山下耕作は、奥行きを重視した作家だった。「関の弥太っぺ」(これも傑作であることはまちがいない)で、中村錦之助は最後、やくざたちの待つ村外れの場所へまっすぐ歩みさる。その後ろ姿はひたすら画面中央奥の死地に向かっていった。それはこれ以上ない遠近法の構図と言えよう。消失点こそ、弥太郎の死のポイントでもある。そしてその構図をまもった山下耕作があの三島由紀夫の絶賛した「博突打ち・総長賭博」の作家であることを思い含わせてみてもいいだろう。そこでは古典的なまでの秩序をもった悲劇がつくりだされていた。それに比べると、加藤泰には遠近法的な秩序はない。登場人物たちは、焦点を最終的に絶対化しうるヒーローたりえず、むしろ人物相互のあいだに横たわる空間にとまどいながらもひきつけられ、その空間そのものが喚起する感情の深みにはまっていくのだ。「男と女、五分と五分」という言葉がこれほどふさわしい作家も珍しい。

 ふと亡くなった中上健次の小説のことを思う。中上の小説はまぎれもなく「男と女、五分と五分」の世界だった。好評ではなかったし、たしかに成功作ではなかったが、新聞小説として書かれた『軽蔑』には、まったく同じ言葉がヒロインの言棄として刻み込まれていた。加藤泰が中上健次の『軽蔑』を撮っていたら、らちもない妄想をいだき、すぐれた映画と文学のもちうるひそかな共通性に思いふけった。