日本大学英文学会  

日本大学英文学会通信83号(2005.6)


 

ご挨拶
2005年度に向けて
 
日本大学英文学会会長 原 公章

会員の皆様には,お元気で新年度をお迎えと思います。本学会も新たな研究会員,同窓会員を迎え,順調に例年どおりの活動を始めております。すでに4月の月例会では,大学院後期課程在学中の二人の方が優れた口頭発表をし,茶話会もなごやかに行われました。さらに,本年はすでにご承知のように5月21・22日の両日に,37年ぶりに本学部で開催された「第77回日本英文学会」が,滞りなく終了したことをお伝えいたします。開催校委員代表の大役を務められた野呂有子先生をはじめとする,英文学科全スタッフ,またご協力いただいた学生諸君には,心からお礼申し上げます。
さて,本年度から日本大学全学部でGPA(Grade Point Average)制度という成績評価法が導入されました。これは全成績を平均して0~4の数字で表す方式で,いまやすでに日本全国で多くの大学が導入しております。本学も遅ればせながら,今年からそれを取り入れたことになります。この制度は学生の学習意欲を高め,さらに就職や留学などに役立つと期待されておりますが,半面,学生の総合成績を最終的に2.3とか,3.0といった数字で表す結果,何やら人間を機械的に扱う方式とも考えられます。アメリカ発のこの簡便な成績評価方式は,「国際化時代」にはやむを得ないのかもしれませんが,高校時代までは偏差値,大学ではGPAと,常に単純な数値で全人間を評価されることになる学生諸君の身になると,この制度を過大に扱うことがためらわれます。あくまでも,その限界をわきまえた,賢いGPA制度のあり方を今後とも考える必要があると思います。
数値化といえば,大学院生の奨学金返還免除規定も今年度から改定され,すべてを数字に置き換えたポイント制が導入されます。すでに研究業績などのポイント化もさまざまな機会に行われており,今後は一般の研究者も自分の業績を蓄積するごとに,それを数字のポイントとして合算することを余儀なくされそうです。たとえば,本学会で口頭発表すると1点,全国学会で発表すると2点,本学会の機関紙や本学の『紀要』などに論文を載せると2点,全国的な学会誌に載せると4点,などというわけです。それどころか大学全体の評価も数値化され,いまや,日本の教育環境全体が,このような「点取り合戦」のような姿になりかけているのが,実情と言えるかもしれません。
たしかに,研究業績などの機械的な数値化は一目瞭然で大変わかりやすいのですが,その際に例えば,その論文の実際の内容については,その数字は少しも反映していません。従って「数値」が即,その研究者の「真価」というわけには行きません。例えば本学会の機関紙に発表されたものと全国誌に発表されたものとではポイントに差がつきますが,発表者自身は学内向け,学外向けなどと区別して研究しているのでしょうか?どこに発表しようと,良いものは良い,悪いものは悪い,と私は思うのですが。学内誌に発表されたもので,文系・理系を問わず世界的に影響を及ぼした論文も数多く書かれてきたことは,周知の事実です。ポイントを意識するあまり,学内誌だからといってそれを低く見るようであれば,その人はすでに研究者として失格です。ここに私たちの真価が問われます。
数字といえば,現在どの大学でも語学教育の大きな目標となっているのが,英語の資格試験です。英語検定協会の試験STEPをはじめ,近年ではどの大学でもTOEIC,TOEFLなどの資格試験に力を入れ,その点数を競っております。到達目標も,英検なら準1級,TOEICなら600点などと,一応の目安も出来ており,それに達したものには英語の単位を与えさえしております。本英文学科でも新入生には入学時に一斉にTOEIC受験を義務付け,4年間の在学中にその点数がどの程度推移するか,統計も出ています。本学語学教育委員会でも,資格外国語対策として,自習用ソフトの導入や教材選定などに力を入れております。これはひとえに学生諸君の語学学習の動機付け,さらにはより良い就職のためという大きな目標の上に立ってのことです。就職時にはTOEIC,留学時にはTOEFLなどの一定以上の点数が求められることが今や普通のことですから,このような社会的ニーズに応えることも,大学の一つの責務といっていいでしょう。それに,時代の進展とともに語学教育も見直されていくというのは,当然だと思います。
ただ,私が懸念するのは,あまりに資格試験ばかりを眼目とした語学の授業をしていくと,学生たちは英語の勉強とは試験の点数さえ高ければよいということになり,それだけでよしとする学生が出はしまいか,ということです。さらに,資格試験は要するに本質的には「ドリル」ですから,断片的な試験問題の練習(主として4択問題)に終始し,頭脳の力もその方面ばかり高くなるのではと思います。英語コミュニケーション能力には,大学も非大学もないのでしょうから,このままなら英語に関する限り大学が英語学校化していっても仕方ありません。外国語学習の初期にはこのようなドリルが不可欠であることは申すまでもありませんが,しかし,大学にはやはり大学でしか出来ない英語教育がある,というのが,私の考えです。また,当学会の存在意義もここにあると私は確信いたします。
ジョン・ラスキンの『胡麻と百合』(1865)の前半部には,読書をめぐるラスキンの提言が聞かれます。それによれば,この世で書かれる本には「その時だけのもの」と「永続的なもの」の2種類があります。前者は情報を得てしまえばすぐに忘れ去られますが,後者は一度しっかりと読めば,それを読んだ人の一生に関わるものだと,ラスキンは言います。しかしながら,資格試験の勉強では,言葉が心に染み込む経験をもつというよりは,普通,1点でも多く点数をとる方が優先されます。大学は確かに情報を得るためのより良い訓 練を積む場所でもありますが,それ以上に,自分にとって自分の生きかたを左右するものとめぐり合う場所だと,私は思います。さらに,イギリスの批評家F.R.リーヴィスが言うように,大学教育とは「感受性を鍛錬すること」でもあります。
それゆえ,大学の英語教育は,教師が自己陶酔しながら,難解な文学論や言語理論などを振りかざす機会でもないし,だからといって,断片的なドリルばかりをさせて点数を争う場所でもありません。外国語に対して謙虚な姿勢で接し,自分の目を,また頭と心を新たにする場所だと思います。このたび在学生を主体とした『同窓会通信』第1号を刊行いたしましたが,そこに寄せられた学生諸君の文章から,私は現在の英文学科の学生たちが実際には何を望んでいるかを,教えられました。学生諸君は大学で真に自分の「経験」となる機会,また,人間としての「成長」の機会に沈潜したい,と願っていることが,どの文章からもひしひしと伝わってきました。それは形成期にある,真剣に生きることを望む若い人たちに共通する,時代を越えた願いでもあります。本学会もまた,そのような機会を提供する場でありたいと思います。
 
 
英文学科主任挨拶
― 2005年度を迎えて ―
 
日本大学文理学部英文学科主任 松山 幹秀
 
 
この4月から當麻一太郎先生のあとを受けて英文学科主任を務めることになりました松山です。文字通り私の膂力に余る職責ですが,なんとか務めを全うできればと考えております。よろしくお願い申し上げます。
さて,お蔭をもちまして英文学科も新たに学部新入生140名,大学院新入学生10名(修士課程8名,博士課程2名)を迎え,無事に新しい年度のスタートをきることができました。ここで,まず英文学科の教員・スタッフの異動についてご報告いたしますと,長年本学科の発展に多大なご尽力をいただいた,関谷武史先生と鎌形清喜先生が定年制の規定により,昨年度中にそれぞれ誕生日の前日を以って教授職を退かれました。
関谷先生は1990年4月に高知大学教育学部から文理学部にご着任になられ,爾来15年にわたり本学科の研究・教育・学内行政にご尽力いただきました。ご専門は英文学で,関連するご講義・卒論指導でこれまで数多くの学生・大学院生を情熱の限りを持って指導され,育ててこられました。とりわけ英文学を代表するシェイクスピアの研究者として学界ではつとに令名高く,詩・言葉・人間・精神の根源的な在り方を追求する各種の論文やご著書は広く深い学殖に富んだもので,英文学の研究を志す研究者に大きな刺激を与えてこられました。また学内行政においても学科主任,大学院専攻主任を始め数多くの重職に就かれ,学科の発展に多大の貢献をなされてこられました。次に,鎌形先生は1972年に着任なされて以来,33年間の永きにわたり本学科の発展に大きく貢献していただきました。先生のご専門は英語を中心とした音声学であり,英語音声学の講義・演習,卒論指導,さらには英作文の授業を通して大勢の学生を指導してこられ,研究者や中学・高校の教員となった幾多の優れた人材を育ててこられました。また先生は,ご自身の大使館勤務の経験を活かし留学生にも懇切に指導をなされ,国際的な研究教育の面でもご活躍いただきました。他方,学内にあっては入試に関連する数々の委員をお務めになり,本学科のためにご尽力いただきました。制度上の規定とは言え,両先生のご退任は甚だ残念なことだと言わざるをえませんが,有難いことに両先生ともに引き続き非常勤講師として教鞭を執っていただけることになっております。
スタッフにあっては4年間勤めていただいた助手の水本孝二さん,副手の加藤直佳さん,同じく副手の松木康子さんの三人が任用規定に従い3月末日をもって退職されました。英文学科の日常の様々な業務は助手と副手の方がたの,それこそ献身的な働きによって遂行・運営されていることは誰も知悉するところです。皆様と共に,お三人の本学科に対する多大な寄与・貢献に対し深甚の感謝の気持ちを表したいと思います。なお,水本さんは4月から,今度は非常勤講師という立場で英文学科を支えて下さっています。
以上のご退職になった方がたの後任として,今年度から五名の新しい教員・スタッフをお迎えすることになりました。まず,関谷先生の後任として商学部から飯田啓治朗先生が専任講師として着任されました。飯田先生のご専門は,関谷先生と同じくシェイクスピアと精神分析批評です。また,鎌形先生の後任として,電子コーパスを用いた英語の通時言語学の第一人者である保坂道雄先生を国際関係学部から教授としてお迎えすることができました。さらには,水本さんの後任の助手として国際関係学部英語兼任講師の前島洋平さん,そして,新任の副手として青木友理さんと前田京子さんを我々の新たなスタッフ・メンバーとしてお迎えいたしました。斯様に,英文学科の教員・スタッフの四分の一以上にあたる顔ぶれが入れ替わることとなり,その意味で,やや大袈裟ながら2005年4月,「新生」英文学科が誕生したと申し上げてよいでしょう。
  * * * * * * * * *
ところで,私の前任校は,ルソーが『エミール』で謳った教育理念を建学の柱とした大学でしたが,ご存知のようにルソーには『社会契約論』という夙に名高い書物があります。彼の云う「一般意志」なる概念が誤解されてファシズム擁護の書であるとか現実には存在し得ない夢を語ったに過ぎないなどと揶揄されたりもしましたが,『社会契約論』を国家や社会といった大きな共同体のみならず,「人の集合たるすべての組織体」の統治・運営についての理想の様態についての原理論として読み直してみると(ルソーも「家族は最初の政治社会のモデルである」述べています)非常に示唆に富む著作だと思われます。ルソーの「社会契約」の要諦は,(i)あらゆる権利(正義)や法(決定)の根拠は究極のところ合意 convention である,(ii)各人が「自由」を自覚するや否や統治の権限は構成員全員に対等な形で帰着する以外にない,ということであろうと思量するのですが,社会(国家)・統治・権限 vs. 個人・自由・権利の均衡問題を思想的に追究したこの古典からは,君主制・寡頭制・貴族制か,それとも民主制か(ちなみにdemocracyは民主ʻ主義ʼ= ismではないと考えます)という単純な二項対立では割り切れない奥深さが人間の社会集団の編成や運営にはあることを知らされます。ただ一つ言えますのは,寡頭制によって支障なく運営されてきた組織であっても民主制による意思決定へと大きく生まれ変わる転機(目覚め)を迎えるときがあります。(もちろん,民主制とて絶対至高の制度などではなく,チャーチルのかの名言,「デモクラシーは最悪の統治形態だ,ただし,人類がこれまで試みてきた他のどんな統治形態よりもマシだが。」が思い起こされます。)組織運営の在り様においてもまた,我が英文学科は「新生」の時代に入ったと申し上げてよいかもしれません。
言うまでもなく,いま日本の大学は大学改革の渦中にあります。大学自体が現在の状況から大きく脱皮することを社会的に強く求められています。少子化に伴う18才人口の大幅な減少などをふまえ国公私立を問わず,大学間の競争・選別は激しさを増すばかりです。大学の統廃合も現実のものとなってきています。過去の栄光と伝統にしがみつくのではなく,時代の流れを先取りすべく教員・スタッフ,在学生,卒業生が一丸となって更なる発展に努力すべき時期にきているものと考えます。こうした現状にあって,英文学科の組織運営が学科所属の教員・スタッフを中心に行なわれるのは当然だとしても,日本大学英文学科の将来という中・長期の指針や展望を考えるにあたってはOBの方がたを始めとする関係各位の叡智を集めて(理想的にはルソーの言う「一般意志」のもとに)行なっていくのが最良の道であろうと考えます。同窓会員,日本大学英文学会会員の皆様の識見,ご鞭撻を切に願い上げる次第です。
【追記】
去る5月21日(土),22日(日)の両日,日本英文学会第77回大会が文理学部で開催されました。(日本英文学会が文理学部で開催されるのは1968年第40回大会以来37年ぶり,2度目のことになります。)詳細については次号において開催校委員代表の野呂先生からご報告いただくことになりますが,まずもって成功裡に大会が終了したことをここにご報告申し上げます。大成功の最大の要因は,助教授,専任講師,助手の方がたが中心になって実務作業のフローチャートを綿密に作成し,指示系統に遺漏のないよう万全な配慮を行い,然る上で大会前日および当日2日間は副手,延べ130名にのぼる大学院ならびに学部の補助学生ともども,それこそ全員が一丸となって準備と運営に携わったことに尽きます。身内の称揚は決して褒められたことではないとは言え,大会運営に係わった英文学科関係者の奮闘ぶりはどんな賛辞をもってしても足りないくらいでした。日本英文学会会長の高橋和久先生からも,会長の任にあった過去5年の大会の中でも最も円滑にして適確な大会運営であったこと,特に学生アルバイトの対応ぶりがすばらしかったことに対し,格別の労いと感謝の言葉があったことを申し添えさせていただきます。
 
 
思い出をたどって
 
元日本大学短期大学部教授 福島 基裕
 
 
昭和25年か26年頃の,三崎町法文学部校舎での記憶をたどる。大和資雄先生の「英文学史」の時間で,先生がRobert Browningの詩の数行を板書され,朗読されていた。そのうち突然,先生の声が金切声に変わった。思わず吹き出しそうになった我々学生は息をのんだ。それは先生の嗚咽であった。驚く学生たちの方に向きなおられて,先生は「戦争で,私は沢山の学生を死なせた。終戦後,自分も死のうと思った時,偶然この詩を読んだ。そして・・・この詩が私に生きることを教えてくれた。私は生きようと思った」と言われて,黒ぶちの眼鏡をはずし,ハンカチーフで涙をぬぐわれた。この衝撃的な場に居合わせた先輩,同級生が何人生存しているであろうか。加筆すべきところがあれば,ご教示願いたい。先生が板書された詩を不肖の私は全く覚えていないからである。いま思えば,それはBrowningが亡くなった,その日に出版されたという,あのʻAsolandoʼの有名な数行ではなかったのか。
One who never turned his back, but marched  breast forward,
Never doubted clouds would break,
Never dreamed, though right were worsted,  wrong would triumph,
Held we fall to rise, are baffled to fight better,
 Sleep to wake.
「イギリス文学史Ⅱ」で,Browningのこの詩に出合うと,あの時の大和先生を思い出して,学生たちに話してしまう。
当時英文学科主任であった,森村豊先生の思い出では,鮮明に覚えていることが一つある。確かʻA Christmas Carolʼの演習で,先生は“the advantage of a distance”と板書されて,その意味を学生に問われた。悪戦苦闘している我々に先生はニヤッと笑って言われた,「夜目,遠目,笠の内」。してやったり,という先生の笑顔が忘れられない。酒を愛し,人生経験豊かな森村先生と,学問に対する真摯な姿勢を崩さなかった大和先生は戦後の英文学科の双璧であった。
大竹勝先生には,その欧米的雰囲気に魅せられた。「ホテルのbathを使う時,カーテンの裾をtubの中に入れるんだ」と教わった。テキストは確かプリントされたʻBooks and Youʼ。
古谷専三先生が森村先生の後任として着任されたのは,卒業を目前にした四年生になった時であったが,英作文の添削の厳しさには参った。先生には卒論を見ていただいた他,私的な面でも,種々お世話になった。
私の「英読法」も,高校教師時代にlisteningの英語の流れと,日常のreadingの流れとを,できるだけ近づけようとして独自に考案したものと自負していたが,いま思えば,ʻShirleyʼを演習で読んだ時の,大和先生の,文頭から訳し始めながら最後は見事な日本語にまとめる,卓越した訳読法と,古谷先生の「英文の科学的分析」とが基礎になっていることに気付く。私が学生にくどいほど言った,「(前置詞+目的語)」など,正に「古谷メソッド」そのものだからである。
私がJames Joyceの作品を少し分かるようになったのは,「Joyceに於ける時間と場所」に気付いたからである。この論文(英文学論叢-第36巻)は私の教授論文の前半なのであるが翌年(1987)に神戸大学の宮崎芳三教授から,「書誌を作っているので送って欲しい」とのお葉書をいただいた。
Joyceの小説に意図とか意味を探し求めるのは徒労であり,彼の関心は専ら「小説の方法」にあったと気付き,中村真一郎が同名の評論で,同じ趣旨を述べているのに,意を強くしたのである。
演習では私の訳読法でʻDublinersʼの数編を読んだ。他の小説と同じように読めば,これほどつまらない短編集はないが,「時間と場所」に留意して読むと,さんぜんと光を放つ。しかも,そこには,読者のよりよい理解のために必要と思われる説明を,数語で済ませる大胆な省略がある。その個所を学生に問いながら,私が分かる限りの説明を授業で行い,一つの短編を読み終わると,その最終場面を図示させる。登場人物の位置と,その時間を問うのである。各学生の理解度が分かり,それぞれがJoyceの作品の「重量」に気付く。皆勤の学生が良い点をとれるような授業とテストが,やっとできるようになったと思ったら,75才になっていたのである。
 
 
ケント大学での思い出
 
日本大学文理学部英文学科4年 平田 智子
 
 
2004年4月から2005年3月にかけての一年間,文理学部JYAプログラムを通してイギリス・ケント大学で勉強をしてきました。初めての海外での生活,大学での勉強ということもあり最初は不安と緊張で一杯でしたが,たくさんの友人やイギリスの人々に支えられとても充実したかけがえのない日々を過ごすことができました。
まず思い浮かぶのは大学での勉強です。特に7月から9月にかけてのPre-Sessional Programme という留学生のための授業は刺激的で実り多いものでした。IELTSの基準点ぎりぎりで留学した私は,授業についていくのもやっとの状態で最初は苦労の連続でした。しかし,信頼できる先生,同じ志を持つ留学生の友人との授業を通して次第に英語力もつき,英語を使うことに対しての違和感もなくなってきました。また様々な国の事情を反映した考え方や意見が飛び交う活発な授業は私の視野を大きく広げてくれました。この期間において,英語に対しての恐怖心や英語を話すことに対する不安がほとんどなくなったことは私にとって大きな成長であったと思います。
また大学の寮での共同生活もとても思い出深いものでした。私は9月から日本人2人,イギリス人3人と一緒に生活をしました。日本人とイギリス人の共同生活ということもあり,最初は文化や考え方,生活習慣の違いから衝突することも多々ありました。どうしたらお互いを理解し合えるかと一人悩んだこともありましたが,共に生活し,コミュニケーションを重ねていく中で相手に対する思いやりが増し,信頼関係を築くことができました。彼らとの生活を通して学んだことは,想いや考えは言葉にして言わないと通じないということです。そして,自分の考えを誠実に伝えようとすれば必ずそれは相手に通じるということを改めて感じました。留学も終盤にさしかかった2月に様々な奮闘を繰り返したハウスメイトの一人,ケイティーの家に招待され,泊まりに行ったことはとても嬉しく楽しかった思い出です。また,この共同生活でイギリス流の生活を知ることができたのも大きな喜びでした。留学前からイギリスに興味を持ち,本を読んだりしていたのですが,今回実際に一緒に暮らしてみてイギリス,イギリス人の魅力をより一層発見することができました。
大学での勉強や生活以外でも様々な貴重な体験をしました。そのひとつは,ケント大学で学んだフランス人作家ジョルジュ・サンドのふるさとであるノアンとブロンテ姉妹のふるさと,ハワースを訪ねたことです。両方の場所は壮大で美しい自然に囲まれた静かな村です。また,人々も温かく親切な方ばかりで旅行中に出会った様々な人に助けられました。本やガイドブックでは感じることのできない温かな国民性や雄大自然を生で感じられたこの旅行はとても貴重な経験でした。
緑豊かな心地よいキャンパス,優しい友人たち,歴史ある街並みと荘厳なカンタベリー大聖堂,そして,ノアンとハワースへの旅行。瞳を閉じれば楽しかった数々の思い出がよみがえってきます。恵まれた環境の中,多くのことを学び,経験することができたケントでの一年は私にとって一生の財産です。またこの一年の経験は私をひとまわり大きく成長させたと思います。この留学を通して学んだことや築いた交友関係をこれからも大切に,深めていけたらと思っています。そしてケントでの思い出を胸に,私自身,これからも成長していきたいです。
 
 
イギリスケント大学への留学で得たもの
 
日本大学文理学部英文学科4年 矢崎 夏子
 
 
出発まで何の心配もなかったはずだが,飛行機に乗ると急に不安に襲われた。ストレスに弱い私が,心の許せる人がいない未知の国で大丈夫なのだろうか。家族と別れた悲しみと不安で,12時間のフライト中一睡もできなかった。
その心配とは裏腹に,初めの一ヶ月は留学中最もリラックスした時期であった。イタリア・中国・ドイツのハウスメイトたちが私を温かく迎えてくれたのだった。彼らは勉強熱心で行動的でもあり,沢山の友達を紹介してくれた。毎晩遅くまで,自分の国の文化や友達の話など本当に様々な話をして盛り上がった。文化の違いの発見はいつも新鮮であり,同時に日本という国を客観的に見ることができた。住んでいる寮の良い点は,学生の家が一ヶ所に集まっており,いつでも友達が近くに居るということだ。そういうこともあり,ホームシックになることもなく,毎日があっという間に過ぎていった。
折角沢山友達ができたのに,前年の9月から留学していた彼らは,5月後半にはコースを終え,国へ帰ってしまった。とても寂しかったが,悲しむ暇もなくその直後に一ヶ月の夏休みがあり,6月下旬からはまた新しい英語コースが始まった。9月からの大学の授業に向けての準備コースだ。この三ヶ月間は精神的にとても大変だった。コースはアジア系の大学院生が殆どで,内容も難しくなり,初めはついていくのがやっとだった。新しい友達に初めはうまく馴染めず,毎日授業のあとは英語ドラマのビデオを部屋に引きこもって観る事も多かった。同じコースの日本人の友達はそれぞれアルバイトやボランティアなど自分なりに新しいことを始めていたが,私は新しい生活のストレスで何もすることができなかった。周りを見て,更に焦った。折角イギリスに来ているのに。時間を持て余すことも少なくなかった。日本にいるときはアルバイトや長い移動時間などで常に忙しかったが,ここではそれらがない分,時間が余ってしまった。何もしない時間というのは慣れないとどうすれば良いか分からず,悶々と自分のことを考えてしまう。不安定な時期はマイナスなことばかり考えてしまって,とても憂鬱になった。だが今思えば,自分についてゆっくり考える良い機会になったと思う。これほどじっくり自分について考える時間は今までなく,自分の苦手なことやペースが分かり,無理をして合わないことをするより,自分のペースで生活することが大切だということに気づいた。それからは大分気持ちが楽になり,何とか三ヶ月を乗り切ることができた。
9月からはいよいよ本番の授業がスタートした。文学のセミナーは週に一度,2時間,それまでに課題の本を一冊読み,それについて10人位で話し合うシステムだった。毎回手に汗を握り,目の前がクラクラするのを感じながら参加した。アジア人は私1人,このセミナーでかなり度胸がついたと思う。勉強面で一番良かったことは,やらなければいけない状況にみんな置かれていることだった。予習してこなければ恥をかき,適当なことを言えば,根拠のないことは言うなと怒られる。参加しなければ論文は書けない。難しい文学の授業をとっていた分,授業数は少なかったので,一週間殆どその二時間のセミナーのための予習をしていた。一つのことをこれほど徹底的に勉強すると,他の分野の知識も必要になってくるので,自分の知識のなさを痛感したが,自分に足りないところが分かったので,色々な意味で良い経験になったと思う。
この留学で得たものは,素晴らしい出会いと自分を知る機会,そして一生懸命勉強することで到達できた満足感だと思う。このようなチャンスを与えてくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
 
 
お世話になった英文学研究室
 
元日本大学文理学部副手 加藤 直佳
 
 
私は,2001年4月からこの3月まで,英文学科の副手として勤務してきました。この4年間で大変お世話になりました英文学科の先生方,英文学会会員の皆様に感謝の気持ちを述べさせていただきたいと思います。どうも有難うございました。
副手としての4年間の中で,私は貴重な経験を数多くしてきました。まず,1年目の終わりに研究棟から7号館への引越しがありました。ほぼ業者の方が作業をしていましたが,前もっての準備など自分たちでしなければならなかった為,大変な思いをした気がします。一番大変だったのは,引越し後の書庫の整理でした。そして,2年目の秋に原先生に初めて奈良へ学会出張に連れて行っていただきました。全国的な学会への参加が初めてだった為,他大学のいろいろな先生方にご紹介していただき,また素晴らしい発表を聞き,感動したことを今でも覚えています。4年目になると,日本ナサニエル・ホーソーン協会の事務局の仕事をお手伝いし始め,5月に大阪で学会が開催された為,私も當麻先生・高橋先生たちとご一緒させていただきました。日本大学以外で開催される学会で準備・運営などのお手伝いをさせていただいたのは初めてでしたので,どうしたらいいのか分からず,先生方には多大なご迷惑をおかけしたと思います。そして,勤務している中で,関谷先生や野呂先生など英文学科の先生方から人生の上で勉強になるお話をたくさん伺うことができました。それは,とても楽しい時間でした。
そして,仕事に関してではないのですが,この4年間で一番の思い出になっているのは,4年目の夏にイギリスへ訪れたことです。イギリスでは,研究のためにすでに行っていた原先生にいろいろな場所を案内していただきました。お忙しい中,ほぼ毎日私たちに付き合って下さいました。そのおかげで,短い期間でたくさんの場所を見学することができました。個人の旅行では決して行くことのできないケント大学やロンドン大学までも訪れることができたのは,大変貴重な経験だと思っています。イギリスの素晴らしさを教えてくださった原先生にはとても感謝しています。
4年間で経験してきたことは,ここでは書き尽くすことのできないほど,まだまだたくさんあります。卒業してからもこの英文学研究室にお世話になったこと,先生方皆さんにご指導いただけたことは,私にとってとても素晴らしい時間でした。最後に,私が4年間働き通すことができたのは,一緒に働いてきた助手の水本さん・堀切さん,同じ副手だった沼尻さん・山下さん・松木さん・三和さんがいてくれたおかげだと思います。本当にどうも有難うございました。これからは,英文学会の会員として,英文学科の先生方・助手・副手の皆さんへ何か手助けできることがあればと思っています。
 
 
4年間を振り返って
 
元日本大学文理学部副手 松木 康子
 
 
この春までの4年間,副手として英文学研究室に勤めさせていただきました。今改めて思うのは,本当にあっという間だったなということです。
学生の時にはできなかった職場での貴重な経験と,たくさんの人達との出会いは私の大きな財産となりました。また,研究室で伺う先生方のお話は,教室で伺うのとはまた違う大変興味深いもので,その度に励まされたり,穏やかな気持ちになったり,新しい知識として私の一部になったりしました。中でも私の胸に強く残っているお言葉は,「今を大切に生きる」です。過去を悔やむでもなく,未来を憂えるでもない,今この瞬間をしっかり生きればきっと先につながる,そう思える強くて優しいお言葉でした。私にとってこの4年間は本当にあっという間でしたが,その4年間が今の私の大事な糧であることは間違いありません。今ある環境を当たり前に思わず,一瞬一瞬を大切に新しい社会でもがんばって行こうと思えるのもそのお陰だと思っています。
最後になりましたが,4年間お世話になった先生方,支えてくださった英文学研究室をはじめとするスタッフの皆様,「学ぶ」という刺激を与えてくださった学生の皆様に感謝の気持ちを述べたいと思います。ありがとうございました。
 
 
Good morning の恐怖について
 
元日本大学文理学部助手 水本 孝二
 
 
1998年から1999年にかけて日本大学派遣奨学金を得て,イギリスのレディング大学に留学した。渡英後,ほどなく友人も出来,かの地の生活にも慣れ,順調に研究生活を開始した。通学途中をはじめ,学内外を問わず知人に会えば,挨拶をする。挨拶は文化の差異に関係なく,地球規模において普遍的な現象であろう。挨拶用の語彙を欠いた言語(文化)を想像することは著しく困難である。Good morning! Good after­noon! Good evening! Good night! Have a good day! etc. 何の変哲も無い,最もありふれた挨拶の言葉である。しかし留学して数ヶ月が経つ頃,その月並みな“Good morning” が,私には次第に言い知れぬ恐ろしいものに思えてきた。たとえばこんな風である。向こうから友人がやってくる,フランス人のナタリーだ。これから彼女と挨拶をするのだ,と思うと非常な緊張感が私の中に漲る。向こうも私の接近に気付いたようだ。莞爾として微笑んで手など振っている。二人は更に接近し,声が届くほどになった。両者がほとんど同時に言う, “Good morning, Nathalie (Koji) !” 週末の予定などを軽く立ち話ししてそれぞれの授業に向かうため,別れた。挨拶が無事済めば,「ああ,よかった。今日もGood morning で本当にヨカッタ。」と安堵のため息つく。挨拶は一日に幾度となく行われるものであるから,その都度緊張と弛緩を繰り返していれば,一日が終わる頃にはヘトヘトになっていた。たかが,いち挨拶のどこがそんなに怖いのか,といぶかる向きが大勢であろう。私にはGood morning の形容詞, “good” が恐ろしいのである。
Good morning は話し手の「祈り」を表しているという。確かに,英語のもろもろの挨拶は,(I wish you a) good morning. の( )内が省略されて出来たものであろうことは容易に推察できる。「この朝があなたにとって,ことほぐべきものであらんことを!」と言っているわけであるから,正に「祈り」以外の何物でもない。しかしながら,“good” という形容詞を用いた途端,話し手と聞き手の関係はたちまち不安定になる。 Good morning はある場合には, Lovely morning! Wonderful morning! 等のさらに「ことほぐべき祈り」にもなるであろうが,その一方でBad morning! Evil morning! 等の聞き手の不幸を願う「呪い」の言葉にもなりうるのである。形容詞の使用によって,話し手と聞き手はparadigmaticな選択の関係に入ることになる。話し手は聞き手との関係を勘案し,「祈り」を述べるか「呪い」をあびせかけるかの選択をしなければならないのである。今日Good morningと述べた人が明日もあさってもGood morningと聞き手に,「幸あれかし」と言う「祈り」をするかどうか保証はない。話し手と聞き手との関係の変化に応じて,いつなんどき「祈り」が「呪い」に転化するかわからないのである。このようにparadigmatic な選択を挨拶に取り入れた人々の社会においては,人間関係が不安定で対人的な緊張を強いるものである可能性を示唆している,といえるかもしれない。
これに関連して,著者が昔読んだ本の中で紹介されていた次のエピソードを思い出す。
 tuがvousになると
 留学時代の話ですが,ある町での長期セミナーに参加していて,終わりが近づいた頃,10人ほど郊外のレストランに会食にいく話がまとまっていました。私の乗っていたボロ車ともう1台を使うという計画でした。ところが急に都合がつかなくなったので,リーダー格の女性(フランス人)のところに行って,おずおずと「実は……」と切り出したところ,それまでtuで話していたのがたちまちvousに変わりました。ほう,という感じで受けとめたのですが,行けないけれど車は提供すると先を続けたら,あっという間にtuに戻ったのです。ここまで露骨に使い分けるものかと,呆れる以上に関心したのですが,これは少々極端な例でしょう。
    篠田勝英『はじめてのフランス語』
    講談社現代新書(1992)176-177.
日本語では一旦固定された呼び方が車の貸し借りくらいのことで変化することなど到底ありえない事態である。車が借りられると思っていた時はtu(親称)で呼びかけ(すなわち友人として遇している),それが借りられなくなるかもしれないとなると,たちまちvous(敬称)に変わり(友人として遇することの中止),しかし結局借りられると分かった途端またもとの友人扱いが再開される,ということである。この一例からヨーロッパにおける人間関係の不安定さが示唆されている,と言えるのではないか。
また著者の友人(日本人)で米国に長く暮らす男性が次のような話を聞かせてくれたことがある。米国での話である。夜に女性が一人で道を歩いていて,男性が反対側からやってきたり,あるいは後ろから彼女を追い抜く(両者の歩く速度の差からこのような事態も当然起こるであろう)時には,必ず当該男性は当該女性に “Good evening.” と挨拶をするのだ,という。もちろん両者は面識のない他人同士である。なぜ挨拶をするかというと,このように挨拶することで,「自分はrapist でも street mugger でもありません。あなたに危害を加える意図はありません。もし私がそのような者であったなら,悠長に挨拶などしていないで,いきなり襲うでしょう。きちんと挨拶するということは,私はそのような者ではない,ということの証拠なのです。」ということを伝えるためであるのだそうだ。件の友人はこの慣習を米国男性の gentlemanliness の発露としてプラスの評価を与えていた。しかしながら,これは米国社会にいかにrapist や street mugger が多いのか,その犠牲となる女性がいかに多いのか,更には,米国社会がいかに治安が悪いのか,いかに緊張を強いる社会であるのか,を裏側から雄弁に物語っているのではないのだろうか。男性側も自分が強姦魔と間違われないかと常にビクビクしながら,「私は悪人ではありません。」「私は悪人ではありません。」と説明し続けなければならない(つまり “Good evening.” といい続ける)社会,それが米国なのではないか。
Good morning という,ありふれた挨拶に接するたびに,「この「祈り」がいつか「呪い」に転ずるかもしれないのだ。」と思い続けなければならない。つまり,一旦友人となり固定し,安定し,以降に変更の無い人間関係を築いたと私が無邪気にも信じたものは,幻影であって, good/lovely/wonderful/bad/evil/… などのpar­adigmatic な選択肢の中から,今日はたまたま “good”が選ばれたに過ぎず,今日の “good morning” は明日の “good morning” を保証するものではない,ということである。また「Good morning ですよ。私があなたに祈っているのは。」と主張することで,「私は悪人ではありません。」「私は悪人ではありません。」と常に説明し続けなければならない,緊張した人間関係の中に自分がいることの自覚を強いられている,とも考えることができる。以上述べてきたことに当の欧米人は全く無自覚である。明日の朝もナタリーは莞爾として私に微笑み,晴れやかな顔で言うだろう。 “Good morn­ing, Koji! Mon cher.”
 
 
着任のご挨拶
 
日本大学文理学部教授 保坂 道雄
 
 
本年度4月より文理学部英文学科に着任いたしました。昭和63年3月に日本大学大学院文学研究科英文学専攻の5年間の過程を終え,はや16年,万感の思いを胸に,今,母校の教壇に立っております。この間,百周年記念館,新しい研究室のある7号館,そして新図書館も完成し,文理学部のキャンパスも大きくその姿を変え,初めは本当に浦島太郎の気分でした。しかし,1号館や3号館の教壇に立つと,思わず学生時代を思い出し,気持ちが20年前にタイムスリップしました。やはり,母校は何物にも代え難いものがあります。
少しだけ,この16年間を振り返ってみたいと思います。平成2年4月,栃木県の佐野女子短期大学創設と同時に,当時の英文学科のスタッフの方々と共に英米語学科(事実上日大の英文学科が中心に作った学科でした)に赴任し,8年間教壇に立たせて頂きました。当時はまだ新設の大学のため,すべてが手作りで,教員も職員も一丸となって懸命に仕事をしていたことを思い出します。その後,平成10年4月に,日本大学国際関係学部に転任し,7年間お世話になりました。そこでは,主に学部の英語教育改革を任され,海外との提携プログラム,LL教室のリプレースやカリキュラムの改訂等,多くの難題と向き合い,もっぱら教育と事務仕事中心に奔走しておりました。幸い平成15年には1年間の海外派遣研究に行かせて頂き,再び教育者であると同時に研究者である自分に立ち返ることができました。今こうして母校の教壇に立てるのも,こうした16年間の経験とその間の様々な人たちとの出会いがあってこそと思っており,本当に多くの人たちに感謝しております。
さて,少子化もピークを迎え,日本の大学は今まさに試練の時代を迎えております。多くの大学で新たな改革の道を模索し,大学教育の在り方が問われています。確かにこれまであまり顧みられることがなかった授業技術や教育方法論等に関してより深い議論が必要であるとは思います。しかしながら,米国での研究生活を通じて,大学はやはり学問の真理を追究する場であることを決して忘れてはならないと感じました。高い志を持って真摯に研究にあたる姿は必ずや学生の心に深く残るものと信じ,これからも,学生と研究を大切にする教師でありたいと願っております。
今年は日本大学英文学会創立80周年という節目の年と聞いております。このような機会に赴任できたことを感謝し,この伝統を大切にしながらもまた新たな一歩が踏み出せるよう,微力ながら努力したいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
 
 
着任のご挨拶
 
日本大学文理学部専任講師 飯田 啓治朗
 
 
文理学部で2年間助手を務めた後,商学部に5年間勤務し,本年4月より再び文理学部に勤務させていただくことになりました。
商学部は文理学部と同じ世田谷区の砧の住宅街にあり,地図で見るとほんの少しの距離に見えますが,電車等を使って実際に移動してみると1時間ほどかかります。学部の目指す教育,キャンパスの雰囲気等々がそれぞれ異なるのは言わずもがなです。
一昔に満たない少し前に文理学部に勤務していた当時,英文学研究室は正門を入って左手の背の高い研究棟の4階に,先生方の相部屋の研究室が4階と5階にありましたが,今は,研究棟からほんの少し歩いたところにある新しい7号館の3階に学科研究室と教員の個室の研究室があります。もちろん,先生方,スタッフは変わられています。また,大学の心臓である図書館の場所も引越しをし,建物,蔵書へのアクセス,設備なども真新しく充実したものに変身していて,中に入るたびにたいへん驚かされます。
4月の着任以来,こうした時間的,地理的な差異により,ほんの少しが大ちがい,ということを実感しています。この実感がこれからの教室での授業と研究に何らかの視点をもたらしてくれないだろうかと考えています。シェイクスピアの作品を読んでいます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 
ご挨拶
― 助手着任にあたって ―
 
日本大学文理学部助手 前島 洋平
 
 
この4月より助手として英文学研究室のスタッフに加わりました前島です。今年は5月に日本英文学会第77回全国大会が,12月には日本大学英文学会創設80周年記念大会が行われる予定で,こうした節目となる大会の運営に携われることを嬉しく思います。思いかえせば,高校でパスカルの三角形に出会い,数学のもつ美しさに惹かれた私が,いまではこうして英文科の研究室で働くことになったのも,何か不思議な気がいたします。文学研究を進める現在では,パスカルを思想家(宗教家)として考えることが多いわけですが,当時の私にとって彼は偉大な数学者の一人に過ぎなかったのです。
『パンセ』のなかの有名な一節,「人間は考える葦である」に続く箇所で,パスカルは考えることの重要性を説き,「われわれの尊厳のすべては,考えることのなかにある」(中公文庫版-断章347)と記しています。私はこれを読み返すたびに,高校時代の体育教師の言葉を思い出します。
当時,体育館で畳の掃除をしていた私たち学生は,「デジタルにはなるな,アナログになれ」と怒鳴られました。やみくもに掃除をするのではなく,畳の目に沿って箒をかけろということですが,その教師が授業を通じて私たちに伝えようとしたのは,頭を使って状況判断を下すことの大切さでした。
人生に対して主体的に向かう姿勢を表している点で,この二人の言葉は似ているように思います。あれから技術は飛躍的に進歩し,いまではデジタル全盛の時代ですが,私は今後もアナログ人間であり続けるつもりです。それが尊厳であるかどうかは別にして,人間にとって大切な何かが,そこにあると信じます。
最後に,『パンセ』からもう一文引いて,私自身への戒めにしたいと思います。
「われわれの罪の二つの源泉は高慢と怠惰とである」(断章497)
 
 
「副手に着任して」
 
日本大学文理学部副手 青木 友理
 
 
正門前の桜並木が美しく彩られるこの季節,副手として英文学研究室で勤務するため文理学部のキャンパスへ戻って参りました。学生時代から憧れていた副手という立場で,これから英文学科の運営を支援していくことができることに対し,非常に嬉しい気持ちと新たな責任感を強く抱きながら忙しくも充実した日々を過ごしております。
在学中の私は,学業面においても活動面においても決して目立つ方ではありませんでしたが,温かい恩師や職員の方々,そしていつも私を支えてくれた大切な仲間に恵まれ,とてもとても“幸せ”な学生でした。いろいろなことを経験し,たくさんの人々と出会えたことで人間的に成長できたのもやはり大学時代であったといえます。
“幸せ”の基準は人それぞれ違いますが,当時を思い返した時改めてその思いに気づくことが多いと思います。私自身がそうであるように,学生の皆さんが将来大学時代を思い返した時「幸せだったな」と思えるよう,副手として精一杯お手伝いをさせていただきたいと思います。至らない点が多く,ご迷惑をおかけしてしまうこともあると思いますが,常に笑顔を絶やさず明るい心で英文学研究室を支えていけたらと思いますので,どうぞよろしくお願い致します。
 
 
副手の務めをいただいて
 
日本大学文理学部副手 前田 京子
 
 
本年度から,英文学研究室で副手を務めることになりました。今年も四月上旬には大学の前にとても見事な桜の花を見ることができました。本年度は,入学式と桜満開の時季がぴったり重なりました。その新一年生入学とともに英文学研究室での勤務を始めましたが,覚えも要領も悪い私はまだなにもかも手探りの状態で,迷惑をかけてばかりの毎日です。
私は,学校という場所と環境がとても好きです。これほどにたくさんの人々に出会える場所は他にはなく,特に大学は,共通の志や関心をもった仲間が集うことのできる環境です。そのため,大学生活の四年間では特に多くの気の合う人々に出会うことができ,深い付き合いができるのだと思います。私も英文学科で四年間過ごしたなかで,かけがえのない友を得ることができましたし,先生方からの授業で得た言葉や教訓に支えられ,今の私が形成されています。少なくとも私にとっては,かけがえのない場所です。その学校,特に大好きな英文学科の力になれる仕事をさせていただけることは,この上ない喜びです。
今英文学科で学んでいる学生の方々にとっても,私が感じることができた以上に素晴らしい大学生活を送っていただけるよう,副手としてせいいっぱい努めていきたいです。まずは,「今日よりも,明日はひとつ賢くなる」をモットーに,皆様の力になれるよう頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします。

 







〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40
TEL  03-5317-9709  FAX 03-5317-9336 
inf-engl@chs.nihon-u.ac.jp