日本大学英文学会  

日本大学英文学会通信75号(2001.6)


ご挨拶

日本大学英文学会会長 関谷武史

 春爛漫の四月三日,新入生ガイダンスで,大学院と学部の新入生と対面いたしました。学部の新一年生が待っている大教室に入った時,私の目に,彼らが,大変品の良い若者として映りました。この事は決して否定されるべき事ではないのですが,現在,各分野で活躍している先輩達が,かつて,日大生だった頃に持っていたエネルギーを,残念ながら感じる事は出来ませんでした。
 ところで,われわれ大学の教員は,毎年,年末から二月末に掛けて,年末試験の採点,成績提出,リポート・卒業論文・修士論文の査読,面接(この中には通信教育部の英文学科の学生,通信教育部大学院院生の分も加わります),更に,学部の入試,編入学・転学科の入試,大学院入試と多忙を極め,三月に入ってこれらのスケジュールから解放されます。三月に入って四月からの新学期から使用するテキストの準備に取り掛かるのですが,同時に,日頃,読みたいと思いつつ,そのままにしている本を読んで,僅かな忙中の閑を過します。

 私は,この間に,新しく翻訳書として出版された岩波文庫の牛島信明訳セルバンテス作『ドン・キホーテ』を読みました。『ドン・キホーテ』は御存知のように,「騎士道物語」を読み過ぎて,妄想にとらわれたドン・キホーテが,やせ馬ロシナンテに跨って遍歴する物語です。作者セルバンテスは『ドン・キホーテ』を書く目的を「騎士道物語が世間に有する権勢と人気を打倒するため」と述べております。この事からすれば,セルバンテスは,ドン・キホーテという狂気に襲われた道化的人物を描くことによって,パロディーの形式を通して「騎士道物語」に登場する英雄達を諷刺している事になります。確かに,セルバンテスの目論見は,成功を収め,『ドン・キホーテ』出版後,スペインでは騎士道物語は書かれなかったと言われています。しかし乍ら,ドン・キホーテは愚弄され嘲笑される単なる道化的人物ではないように思われます。人々は,彼の一見狂気的と思われる言動の向う側に,目的に向って,情熱を傾け,一途に邁進していく純粋性を見,それに共鳴していくのではないでしょうか。

 話しを元に戻しますと,かつての日大生には,男子学生,女子学生を問わず,このドン・キホーテ的情熱があったように思われ,ある種の懐かしさを禁じ得ません。私は新入生が,何か目標に向って若いエネルギーを燃焼させていく事を,失敗を恐れずに,自分が価値あると信じた事に全力で向って行く事を希わずにはいられません。
 奇しくもセルバンテスとわれらがシェイクスピアは共に,1616年に亡くなりました。更に驚くべき事に,二人は共に四月二十三日に亡くなっております。しかし,当時スペインではグレゴリウス暦が用いられていたのに反して,イギリスでは未だにユリウス暦が用いられていました。そのためセルバンテスがシェイクスピアより十一日早く亡くなった事になります。




ご挨拶
2001年度を迎えて─

英文学科主任 原  公章

 今年も下高井戸の桜並木が見事に満開となり,また見事に散り果てて,瞬く間に青葉の季節となりました。みなさまには,お元気でお過ごしのことと思います。英文学科でも,学部の新入生160名,大学院新入生13名(前期課程10名,後期課程3名)を迎え,無事に新年度のスタートをきりました。本年は,私が田室前主任のあとを受けて,新しい主任を勤めさせていただくことになりました。どうぞ,よろしくお願いいたします。
 本年は文理学部創立
100周年を迎え,その記念の一環として,旧野球場跡地には「100周年記念講堂(仮称)」の建設が進んでおります(完成は11月を予定)。また,現在の英文学科は研究棟にありますが,来年3月には,現在建設中の新7号館3階に移ることが決まっております。他の学内の整備も着々と進んでおり,新図書館の建設も着手まぢかとなっております。
 英文学科の人事関係では,井上悦男助手と宇佐見京子副手の任期が満了し,それぞれの道に進まれました。代わって,水本孝二助手と加藤直佳副手が着任されました。また,昨年まで1年勤められた三並祐子副手は,3月末に急遽高校の専任教員の就職が決まり,その後任として5月より松木康子さんを迎えました。これまで,英文学科のためにご努力いただいた,井上君,宇佐見さん,三並さんには,心からお礼申しあげます。
 さて,今年も例年どおり,新入生ガイダンスは,学科全体のガイダンスのあと,全員がTOEICIP Institutional Program)テストを受験することからはじまりました。英文学科では,学生諸君の将来を考えて,積極的に資格試験対策にのりだし,2年目を迎えた新カリキュラムでは他にも全学的に,英検やTOEFL対策用の諸科目も設置いたしました。さらに,ビジネス英語,通訳英語,旅行英語,英文翻訳技能などなど,実践的な科目に加え,情報通信革命に向けた,メディア英語,インターネット英語など,新たな科目も今年から出発しております。これらは,時代の変遷・要請に対応した実学的な科目ということになります。
 しかしながら,大学は何といっても学問の場,とりわけ英文学科の本質は,やはり英語・英米文学の研究・教育にあります。そのための新カリキュラムは,これまでの経過を踏まえ,また学問領域・研究方法の変遷・進化も見据えたものとなったと,自負しております。たとえば,文学関係の場合,従来の諸科目に加え,授業対象の細分化として,エリザベス朝,ビクトリア朝,現代イギリス,19世紀アメリカ,現代アメリカなどに区分した科目が置かれています。また,ジャンル別にも,詩・エッセイ・現代批評・多文化研究など,きめ細かな科目が置かれています。また,英語学関係でも,従来の科目に加えて,社会言語学,心理言語学,意味論,統語論など,研究領域の広がりに対応した諸科目が設置されました。以上のすべての科目がセメスター制をとり,かつ,教室の定員も30名前後となっております。また,これ以外に特筆すべきことは,基礎科目の充実です。基礎英語演習,英米文学基礎演習,英語学基礎演習は,いずれも学生諸君の英語力・鑑賞力の土台になると,期待しております。ただ,従来,英文学科の卒業論文は全員が英語で書くことになっていましたが,昨年度より英語のほかに,日本語でも可ということになりました。ただし,英文のシノプシスを十分につけるという条件があるので,このやりかたは学生・教員双方に意外と好評でした。もちろん,従来どおり英文の卒業論文も出たこともご報告いたします。
 以上のように,英文学科はこれまでの75年の伝統を踏まえ,同時に新しい時代とともに進展しつづけていることを,お伝えいたします。なお,本年度の文理学部の入試情況は,少子化の波を受けた大学の多い中,受験者数はこれまでと変わらないか,もしくは上回りさえしました。学部長によれば,これは「文理学部の評価の高まりの現れ」とのことですが,これに甘んじることなく,ますますの努力が今後とも必要と,学科教員・スタッフ一同,決意を新たにしております。
 末筆ながら,みなさまのますますのご健勝をお祈りいたします。(20015月)




《体験授業報告》 

 本年313日(火曜)に,日本大学櫻丘高校全12年生を対象に,文理学部で初めて「体験授業」が開かれました。各学科でそれぞれ趣向をこらした授業が行われましたが,英文学科では,1時限目(10:00-10:50)に私が,「イギリス小説を読む」と題して,ジョージ・オーウェル『動物農場』について話しました。2時限目(11:10-12:00)は田室邦彦教授が、「言葉と文化」の問題を食器の英語を題材に,意味論的な視点より話されました。ここではまず私の授業からご報告いたします。 (原)

 

1時限目:

イギリス小説を読む
ジョージ・オーウェル
 『動物農場』をめぐって

 原  公章

 みなさんは,ジョージ・オーウェルという名前も,『動物農場(Animal Farm)』という小説のことも,初めてだという方がいらっしゃるかもしれません。これは,ジョージ・オーウェル(190350;本名エリック・ブレア)というイギリスの小説家が,1945年に発表した寓話小説です。本日なぜ,この小説をとりあげるのかといいますと,英文学科ではもちろん英語の勉強が中心ですが,同時に一つのまとまったすぐれた作品を十分に受けとめ,それをもとに「さまざまな問いかけを行う」ということが不可欠だからです。そのためには,この小説はうってつけです。というのも,これまで出版された英米の小説中,『動物農場』が世界中でもっともよく読まれてきたからです。出版されたその年に,早くも45万部が売りきれ,その後1971年までに何と700万部も出ています。それから30年たった現在では,優に1000万部を超えているでしょう。また世界33か国語に翻訳され,日本でも角川文庫始め,数種の翻訳が出ています。こんなに人気があるというのは,まずは,内容が面白いんでしょうね。
 ジョージ・オーウェルについて知りたい人は,本学教授の小野寺健先生が編訳された『オーウェル評論集』が岩波文庫から出ていますので,その本文と解説をお読みください。今日の私の話は,前もっての知識は一切不要です。物語を始めにかいつまんでお話し,それから,ここから考えられるさまざまな問題についてふれていきましょう。
 オックスフォード大学出版の『英文学案内』には,まずこの小説がsatire in fable formだという説明がでています。satireとは「風刺」のことで,英文学でもっとも有名な風刺文学が,みなさんご承知の『ガリヴァー旅行記』です。オーウェルはこの『ガリヴァー』から多くを学びました。また in fable formとは「寓話形式での」ということで,すなわち「お伽話」の様式で語られています。動物たちが英語を話し,しかも自分たちで農場を経営するというのですから,これは子供向けの童話のようなものですね。しかし,その内容はかなり深刻です。というのもこれは旧ソ連のスターリン独裁政治を批判したものと考えられているからです。それぞれの描写には,現実に旧ソ連で生じたさまざまな歴史的事実が反映されているのですが,今日のところはそれらには触れません。お話として楽しめれば十分です。
 さてそのお話は,牡豚のメージャーが動物たち自身による自主独立の理想的な農場のヴィジョンを語ることから始まります。その死後,残された動物たちが,偶発的に反乱を起こして人間たちを追放し,その理想の「動物農場」が誕生したかに思われます。このとき,リーダーシップをとったのが,去勢されていない豚(boar)のスノーボールとナポレオンでした。さらにこれに従うのが,それ以外の食肉用の豚とメスの豚たちです。彼らは,全動物たちのうちで,一番知能がすぐれていることになっていて,それ以外の馬,牛,鶏,羊たちは,その知能のレベルの低さから,結局,豚たちの一方的な指導に従わざるをえません。その後,人間たちが農場奪回にやってきますが,スノーボールたちの作戦が成功して,見事に彼らをやっつけてしまいます。こうして,動物たちは革命の勝利の喜びにわき,自分たちの農場の完全な誕生を祝います。しかし,やがて,指導者2人(匹)の権力闘争が始まり,犬たちを軍隊に仕立てたナポレオンによって,スノーボールは追放されてしまいます。これまでにも,豚たちの特権階級化の様相が見えはじめていたのですが,これをきっかけに,事態はますますナポレオン独裁体制に向かって進んでいきます。これにもっとも貢献したのがスクゥイーラーという名の宣伝係でした。言葉巧みに,一般の動物たちを操る彼の手腕により,他の動物たちは,ナポレオンの意向に従わざるをえません。中でもボクサーという勤勉で忠実な馬は,革命のために献身的な努力をしてきたのですが,この事情を飲み込めず,「ぼくはもっと働くぞ,ナポレオンは正しいぞ」というモットーのもとに,ただただ働きつづけ,悲惨な最期を遂げてしまいます。動物たちが自分たちのために作った「七戒」という憲法のような条例も,豚の手によって都合良く書きかえられ,あの理想の「動物農場」は,以前の「荘園農場」に増した豚一群の独裁的な農場に変わったところで,物語が終わります。
 いったい,このお話は何を表そうとしたのでしょうか?いくつか,考えてみましょう。まず,イギリス文学には,ユートピア文学という伝統があって,この作品もそのジャンルに入りそうです。けれど,ユートピアとは「理想郷」のことですから,独裁の恐怖政治で終わる『動物農場』はとてもそれにはあたりません。反ユートピアのことを「ディストピア(dystopia)」と言います。そして,イギリス文学の流れでは,16世紀のトマス・モア『ユートピア』,19世紀のウィリアム・モリス『ユートピア便り』など,純粋に理想的な社会のあり方を空想したものが,20世紀になるとH.G.ウェルズ「タイム・マシーン」や,E.M.フォースターの「機械は止まる」,A.ハクスレー『すばらしい新世界』,そしてジョージ・オーウェル『1984年』といった,絶望と恐怖の「ディストピア」を描くものに変わっていくという傾向が見られ,『動物農場』も,その流れの中に置くことができるでしょう。この小説はいわゆる「全体主義」がどのように誕生するか,そのプロセスをきわめて明確におしえてくれます。
 まず,農場の階級構成が「知能」だけを基準にして行われたことに注意しましょう。ABCを読ませて,その度合いによって動物を区分し,もっとも高いレベルのものが,低いものを支配するという図式は,いわゆる「偏差値」によって高校や大学の序列が振り分けられている今の日本の教育体制をも思わせます。果たして,「知能」の高さだけが判断の基準となるのか,あの,献身的なボクサーの死が私たちに問いかけてきます。次に,独裁を許すのは,「烏合の衆(the rabble)」の存在です。小説では,鶏と羊たちがそれにあたります。彼らは自分では一切ものを考えず,与えられた「モットー」をやみくもに繰り返すだけです。独裁者にとって,これほど都合のよい存在はありません。また,独裁の側は,「規律だ,鉄の規律だ,さもなければ人間たちが戻ってくる」などと,他の動物が絶対に反論できない「大義名分」と,誰も否定しようのない「統計」を振りかざし,それによって有無を言わさず,他の動物を完全に支配していきます。しかし,事の真相を他の動物たちは理解できません。抽象的な言葉が彼らを支配しているからです。しかも豚たちの中からナポレオン反対者がでると,彼は暴力を使って反対者を「粛清」してしまうのです。動物たちのよりどころであったメージャーの動物農場の理念「四本足いい,二本足悪い」は,やがて,二本足で歩き始めた豚により,「四本足いい,二本足もっといい」へと変わってしまっても,もうだれも反対できません。物語の最後は,豚と人間が入り混じり,見分けがつかなくなった様子が描かれます。これは,あたかも,現在の世界の独裁者たちの祖先がもともと豚ではないかとさえ,読者に思わせてしまいます。貪欲な豚を毛嫌いしていたオーウェルの気持ちがもっともよく反映された場面です。
 標語,抽象語,統計,暴力,そして過去の書き換え─ これが,全体主義への道です。『動物農場』の後に書かれた『1984年』は,もっとこれを鮮明に伝えています。『動物農場』のテーマは,結局「どんなに善意をもち,どんなに高い教育を受けたところで,一度国家権力を手中にすると,多数の一般民衆を圧迫しないではおかない」ということです。オーウェルは,この反ユ−トピア物語を通して,「人間の品位(human decency)」と,「人間の尊厳(human dignity)」の大切さを訴えています。そして,これを読む私たちは,高校大学などの高等教育機関で,いったい「本当は何を学べばいいのか」,問わず語りに考えさせられるのではないかと思います。これが,文学を読む本当の意義ではないでしょうか?




2時限目:

mug cup とマグカップ

 田室 邦彦(pxi05702@nifty.ne.jp

 英語の語彙の学習は古来の外国語学習法つまり漢学の学習法が連綿と引き継がれて改まっていないように見える。もちろん古代以来の方法であるというだけで誹る要はない。咎めるのは,弊のゆえである。C推薦と称する付属高校からの推薦入学(英検2級を条件とする),帰国子女・留学生試験,転籍・編入・転科試験の面接は,英文学科では,日本語母語話者の教員と英語母語話者の教員とが行うことにしている。後者の番の時に受験生を見ていると,英語の質問が反芻され,訳文が作られ,返答が日本語で考えられ,ついに英語に翻訳される様子が,目と唇を通じて見える。脳裏のテロップを透かし見るようである。英語は必ず日本語の翻訳装置を経るのである。外国語を日本語に還元し,日本語を外国語に変換する方法は漢学の伝統的方法である。
 文字を持たなかった古代日本語は中国語の文字を借りた。借りたのは,視覚的な媒体としての漢字だけでなく,音声はもちろん意味までも取り入れた。
 単に取り入れただけではなかった。日本へ来た漢字は,中国語の音を日本語風に訛らせた「音」と中国語の意味に近い日本語の音を当てた「訓」を,いわば一つの文字の両側に貼り付けられる。時には葛に覆われた松の木のように覆い尽くされていることさえある(下=シタ,シモ,モト,サガル;サゲル,クダル;クダサル,オリル)。日本語のたくさんの単語が漢字に収斂されたことを示している。逆に一つの日本語にいくつかの漢字が割り振られて,元は同じ語が分化したこともあった。「おさめる」という語の意味は,「首長(おさ)として統治・管理する」の意味からたくさんの意味に分かれたのであろう。それらの意味は「治める・修める・納める・収める」などの漢字によって,水が方円の器に随うように,あるいは漢字の意味を変えあるいは日本語の意味が漢字のいれものに合わされてしまった。「おさめる」の意味が変わっただけでなく,日本語の中の漢字として「修」,「納」,「収」も意味をそれぞれ変えてしまったはずである。単純化して言えば,同じ絵から無限に違うジグソーパズルを切り取れるように,世界の切り取り方は文化によって,従って言語によって異なる。かくて,日本語の語彙構造は地殻から変った。以上は,漢学的訓読の歴史である。
 文明開化の頃からは漢字は西洋の概念導入のために利用されてきた。靴下をはきながら,どう考えて靴上でも靴中でもなく靴下となったのだろうと思うときがある。カタカナ語の流行を指して日本語の退廃であるという非難があるが,なにカタカナ語は,一々漢字に訳すのをやめたまでで,事がさして変わっているわけでもない。その場合でも,カタカナ語はもはや英語ではなくて日本語の語彙の固有の意味体系の中に織り込まれているのである。だから借用の場合には,満員電車の中で一人一人の姿勢が変わっていくように,少々時間はかかっても日本語の枠内でいずれは調整されてしまう。問題があるのはむしろ翻訳の場合のように,英語と日本語という異なる意味体系の語に互換性があると思うことだろう。

 英語の単語の学習とは,英語の単語に日本語の単語を当てて覚えるものと信じて疑わない学生が少なくない。英語が本格的に学習され始めて百数十年未だに古来の学習法が繰り返されているのは悲しい。いつまでも単語暗記学習法が幅を利かせているのは,上の事情に十分な理解が行き届いていないこともあるだろうし,また熟知している日本語の訳語を与えると英語の意味がはっきり決まるという奇妙な錯覚もあるのではないかと思われる。錯覚というのは,日本語の単語だってはっきり意味が決まっているわけでもないことを忘れているからである。確かなものと思うためには,馴れるしかないのだが。
 数年前ケント大学で海外語学研修の学生が蜂に刺された。診療所で「蜂に刺された」と言ったのに,「蜂ではない」と言われた,という不満げな報告を帰ってきた学生から受けた。原因はbeeは「蜂」である,という思いこみにあった。人はhoney beeから蜂蜜,蜂蜜酒,蝋燭やワックスの材料になる蜜蝋を収奪している。bumble beeは花の受粉を助ける人の友と決めている。一方,beeに刺されてもたいしたことはない。その姿はずんぐりむっくりである。人の都合とその姿で同類とされてbeeと呼ばれる(約2万種)。その基本的な意味はOEDbeeの項の連語などが彷彿させる。

 bee ... 4.  In allusion to the social character of the insect (originally in U.S.): A meeting of neighbours to unite their labours for the benefit of one of their number; e.g. as is done still in some parts, when the farmers unite to get in each other’s harvests in succession; usually preceded by a word defining the purpose of the meeting, as apple-bee, husking-bee, quilting-bee, raising-bee, etc. Hence, with extended sense: A gathering or meeting for some object; esp. spelling-bee, a party assembled to compete in the spelling of words. ... 5. a. To have bees in the head or the brains, a bee in one’s bonnet: i.e. a fantasy, an eccentric whim, a craze on some point, a ‘screw loose.’
 一方には,姿は戦闘機,性は果敢,よく人を死に至らしめ,人には疎まれるwaspの類(約2万種)がある。人を形容しての使われ方がよくその意味を示している。
 waspish  Quick to resent any trifling injury or affront; irascible, petulantly spiteful. wasp-waist n. a very slender waist. cf. wasp-waisted adj.
 「蜂」に当たる類別は英語にはない。「蜂」は日本語の類別である。beeでもwaspでもないし,それらを合わせたものでもない。同様のずれは,思いつくままに並べても,rabbit & hare, squirrel & chipmunk, mouse & rat, tortoise & turtle, frog & toad,  monkey & apeなどと果てしない。
 誤りの大きな原因が英語に日本語の訳語を当て,英語を日本語で理解しようとしたところに,つまり訓読法にあったことは明らかである。高校生のための体験授業でも,その類のことを取り上げて英語の語彙の理解の仕方を考えさせたいと思った。

 rabbit & hareのような ‘natural kinds’ については他で取り上げたことがあり,今度は‘cultural kinds’artefacts)を取り上げようと思った。もっともこの区別が適当かどうかは疑問がないでもない。所詮,自然の分類も人間の文化の所産であるからである。蜂もbeewaspの別も人間の視点からのものである。強いて違うところを言えば,artefactsはわざわざ人の作ったものだから,類別の要因の最下層で働きがちなのは,感覚的な認知よりも用途についての認識にあるということである。
 地獄を定義してHell is a place where the cooks are Britishと言われるのももっともと思うほどイギリスの飲食物はまずい。イギリス人は世界中に進出してイギリス料理店は世界のどこにもない。中国人が中華料理を携えて世界中に進出したのと対照的に,イギリス人はイギリス料理を逃れて世界中に進出したからであろう。しかし,飲食に関する表現は,文字通りの意味も比喩的に使われる意味も,語彙の基本である。飲食にまつわる言葉を取り上げることにした。近頃食べ物にいやしくなったこともある。
 取り上げ方はいくつか考えられた。一つは,飲食物を口にする動作をどう捉えるかである。soupを口へ入れる行為は原則としてeatで表されるが,しかしある条件の時に渋々とdrinkが使われる。その場合に,意味のどこに焦点が置かれてdrinkが使われるのか,というふうに動詞に焦点を当てる方法である。
 また一つは,食べ物を口へ運ぶ道具の有無及び種類(spoon, fork, spork, knife)などを中心に考えることである。例えば,spoonはどういう場合に運搬道具となりどういう場合に混ぜる道具になるか,カレーライスの前にforkspoonを並べると英米人はどちらを取るかというような視点である。
 さらにもう一つは,口へ運ぶ出発点(dish, platter, plate, bowl, cup, mug, glass)に目をつける方法である。
 さらにさかのぼって加熱の仕方を構成する語彙の領域(bake, boil, braise, broil, cook; frizzle, fry, grill, parch, roast, simmer, steak, stew, toast, ...)の地図を調べることも考えられる。
 結局cupmugの別を考えることにした。この場合でも,あるものがそうでないものとの対比で定義されるとすれば,cupmugとだけの対比だけで,それぞれを理解することはできない。soup cup soup bowlのような対比,goblet, tankard, beakerなどのようなdrinkのための他の容器も考慮に入れる必要がある。しかし時間の都合で,cupmugとの対比だけを考え,他の対比には目をつむった。
 この二つを選んだのには理由があった。デパートなどでの「マグカップ」が気になっていた。NHKの「地球に好奇心」では,アメリカの「マグカップ」の80パーセントは中国産であるというナレーションがあった。マグカップを知ってマグを知らない学生が圧倒的である,ということもあった。しかし英語の母語話者はmugcupという英語はないと言う。「マグカップ」あるいは ‘mugcup’ について調べる機会と考えた。
 cupmugの別については,実はAnna Wierzbicka, Lexicography and Conceptual Analysis. Karoma Publishers. 1985. に緻密な分析がある。これを参考にし,主としてcupの特徴をmugと対比して記すと次のようになる。
 coffee/teaなどの熱い飲み物を容れるcupmugの差の根底には典型的な用途あるいは機能の差がある。cupは応接間を極とする改まった状況のためのものである。mugはのこぎりや電動ドリルの散らかった日曜大工の現場で飲むものである。
 cupはそれなりのマナーが要求される場の容器である。タバコののみ方に人それぞれにidentityについての主張があるように,coffee/teaの飲み方にも人それぞれの飲み方があるが,ここで言うマナーはもちろん社会的に要求されるマナーである。mugの飲み方には,もし必要だとしても,違った気取り方がある。人は人に見られてなくても気取るからである。
 場とマナーにふさわしく,cupの中味も高級で,濃く,少量をちびちび味わうのが常である。mugの中味はインスタントものやtea bagで差し支えない。
 中身が贅沢なら,容器も豪華でteacup, coffee cup, chocolate cup, demitasse cupなどと飲み物あるいは飲み方に応じて違ってくる。典型的な飲み場所の高価なテーブルやテーブルクロスを痛めたり汚さないようにsaucerに置くことになっている。teaは女性的なイメージが強いし,少しさまして飲むということもあり,teacupcoffee cupに比べて丈が低くて幅が広く,にもかかわらず糸底が小さくて全体に丸みがあって優雅である。また用心深く典雅に飲めるように縁が少し反り返り緩やかに傾斜して,肉薄で光を通して紅茶の色を美しく見せる。お上品で繊細で華奢の極みであり,磁器でなくてはならない。逆にcoffee cupは冷めないように肉太で円筒形で男性的である。
 冷めないことにさらに気を配って,mugは厚くて,量が多くなるように丈が高くて円筒形である。potに遠ざかったところで作業の合間に飲むからである。以上の形状は作業などに繋がって男性的であるということにもなる。割れやすい場にあることもあり陶器である。
 cup
setになっているのも,場に合わせるからである。guesthost/hostessの容器が違っては下司のかんぐりの余地が生まれる。internet上の商店でtea/ coffee setを検索すると,tea/coffee potcreamersugar bowlなどと3/6組のcupsaucerdessert platessetになっている。そろいのデザインで絨毯やテーブルなどの部屋の調度に合わせて選ばれるだろう。cupは飲むことを楽しむことの,あるいはもてなすことの,究極の場を演出する小道具である。mugは家族の一人一人が好みにまかせて選ぶものである。cupliving roomdisplay cabinetに飾られても,mugkitchenの棚あたりにある。
 熱い飲み物を飲むcupは取っ手が付いているが,取っ手はcupであるための必要条件ではない。重要なのは,飲むときに格好をつけるのが本来かどうか,他の道具類と組み合わせられるかどうかである。そういう点では,日本のお茶や酒を飲む容器もcupである。以下は1878年に日光,さらには北海道まで旅をしたイギリス女性の旅行記(Isabella L. Bird, Unbeaten Tracks in JapanAn Account of Travels in the Interior Including Visits to the Aborigines of Yezo and the Shrine of Nikko)からの引用である。
As soon as I got out at any of these [wayside teahouses], one smiling girl brought me the tabako-bon, a square wood or lacquer tray, with a china or bamboo charcoal-holder and ash-pot upon it, and another presented me with a zen, a small lacquer table about six inches high, with a tiny teapot with a hollow handle at right angles with the spout, holding about an English tea-cupful, and two cups without handles or saucers, with a capacity of from ten to twenty thimblefuls each. ...
Sake, or rice beer, is always passed round before the visitors leave, in little cups with the gods of luck at the bottom of them.
 soupも薄いと飲まれるが,soupがテーブルから離れることはないので,soup cupはあってもsoup mugはない。しかし,飲み物としての格から考えてビールを飲むのはmugである。
 soup cupがさらに延長されるとegg cupとなる。Somerset MaughamOf Human Bondageを読んだときthe top of an eggが何なのか判らなかったことがある。
 孤児になった9才のPhilipは伯父である牧師に引き取られる。場面はロンドンからケントの牧師館に連れてこられたところである。
 “What are we waiting for?” said Mr. Carey.
 “I told Mary Ann to make you an egg. I thought you’d be hungry after your journey.”
 Mrs. Carey thought the journey from London to Blackstable very tiring.... Mary Ann brought in the egg, and they sat down. ... and the Vicar, having said grace, cut the top off his egg.
 “There, ” he said, handing it to Philip, “you can eat my top if you like. ”
 Philip would have liked an egg to himself, but he was not offered one, so took what he could. ...
 “How did you like that top, Philip? ” asked his uncle.
 “Very much, thank you. ”
 “You shall have another one on Sunday afternoon. ”
 伯父のためのただ一つの卵のtopをくれるというのだが,topとは何なのか,cut the top off his eggというのだからゆで卵だろう。一方がわずかにとんがり,ゆで卵の反対側はへこんでいる。とんがった方を仮に上としても,何故topなのか。判ってみれば考えて損をした,というたぐいのことであった。しかしかつての筆者と同じように分からない人のために記せば,egg cupに収まっている卵は,cupを回しながら上の方をナイフでコンコンとやって上の殻をはずして食べるが,この上のほうを卵ごと切り取って分けてくれる,というのである。問題はeggcupという呼称である。飲むためには使われないし,取っ手もない。しかしまだ食卓の上にはある。卵がうまく鎮座ましますように形はteacupのように丸くつぼまり,これに糸底のようにスカートが付いているのが典型的な形である。上で機能がcupmugとの分かれ目であると言ったが,その分かれ目となる機能以前に共通である,飲む器という機能はここにはない。形の類似によってcupということになっていることになる。
 完全に食卓から離れながら形が似ているためにcupと呼ばれる場合もある。
 Antiques, Collectibles and Fine Art: Shaving CupMug Miritaria: Civil War  $185 USD ─ Civil War soldiers tin shaving cup (mug) ─ 4-1/4 tall × 5-1/4 long with handle. 3 diameter top of cup. (Item #D28)
‘Shaving CupMug)では,中に入れたお湯をブラシにつけて,傍らに付いている台に入っている石けんを溶かす。saucerはないが取っ手はあり,円筒形だが下つぼまりである。どちらとも言い難いが,形からはcupmugのどちらかではある。
 以上,cupmugの区別は基本的には用途によるものであることは明らかである。しかし,用途にかかわらず,形だけによって意味が広げられる場合がある,ということである。
 以下は付録である。
 上のshaving cupmug)の場合と同じ悩みを持つと,mug-like cupとかcup-like mugのつもりで,mug cupとかcup mugと言いたくなる。現に,上に記したように,近頃では,異なる機能を合わせて,しかも複合語より融合度の強いportmanteau wordの形の,sporkなるものがある。古すぎるかもしれないが,OEDにはbowl cupの記録もある。
bowl
1. a. ‘A [round] vessel to hold liquids, rather wide than deep; distinguished from a cup, which is rather deep than wide.’  J. Usually hemispherical or nearly so.
b. esp. as a drinking vessel; whence the bowl, drinking, conviviality.
c1205 L
AY. 14994 bene bolle heo sette to hire chin.
1548 L
ATIMER Ploughers (1868) 35 As manie as drancke of the pardon boll should haue pardon.
7.
Comb., as bowl-basin, -cup, -shaped  adj.: also
1420 E. E. Wills (1882) 45-6 A*bolle cuppe i-keueryd of syluer. Also a bolle pece.
 しかし,英語母語話者はmugcupなど英語では聞いたことがないと言うし,手持ちの辞書やinternet上の辞書にもcorpusにも載っていない。そういう場合に重宝なinternet上のfilemugcupkeywordとしてGooGoogleなどのsearch engineで探してみた。いっぱいあることはある。しかしほとんどは次のような日本語のページである。
The summary for this Japanese page contains characters that cannot be correctly displayed in this language / character set. www.frog.gr.jp/yuki/goods /photogoods/mugcup.html -5k-
USA, Japan, Taiwan, Mid-east Asiaを輸出先とする韓国の会社もあった。
Company: Kyung In Ind. Co.
Address:2L, 99B, #665-1, Kojan-dong, Namdong-ku, Inchon, Korea (Zip Code: 405-310).
Homepage: http://www.teakettle.co.kr/
もっとも,アメリカの会社もなかったわけではない。一つはmug cupであった。
“Harry Potter Hogwarts Crest Mug Cup-The only mug worthy of a true wizard’s daily potion!  Featuring the official crest of Harry Potter’s wizardry School, Hogwarts in all it’s rich detail. Navy ceramic. Top rack dishwasher safe. 14 oz.” [http://gifthome.com]
もう一つにcup mugというのがあった。Disney’s Mulan Mushu Kid’s Cup Mug.... Fill the motormouth Mushu up with your favorite drink! [http://zap2it. studiostore.com]
残念ながらこの程度の調べでは,mug cup(あるいはcup mug)という表現の発祥について確かなことは判らなかった。
 そこでマグカップ及び
mug cupの誕生について仮説を書いてみる。誰かが仮説のいい加減さに激高して,反証を示してくれるのでないかという期待がある。いわば,擬餌針である。
 仮説:おそらくマグカップという語は日本で生まれたのだろう。では,日本語は何故マグカップという語を作り出す必要があったのだろうか。ある頃までは,日本人はtea/coffeecupで飲んでいた。そのころ売られていたのはcupだけだった。しかし,instant coffeeとかtea bagができて,tea/coffeeが日本でも安価になり,気軽に飲めるようになった。それにはmugがよく似合う。日本のどこかのメーカーがmugを作ることにした。しかし,作ったmugを呼ぶのに,マグでは馴染みがなくて心細い。だからこれはcupの一種だよ,ということでcupを加えてマグカップとした。ついでにmug cupとしてアメリカなどに輸出した。こういう造語法は古くは「ドラム缶」にもある。
 そういうとき英語としてどうかということは気にしないのが普通である。例えば外国人は日本へ来てPocari Sweatの缶を見ると肩をすくめてJapanglishと苦笑いする。しかし英語風で日本人の購買意欲を駆り立てるつもりはあっても英語として使われるつもりなど毛頭なかったのである。そのことを報告したサイトがインターネット上にある。

「積年の謎の一つのポカリスエットの名前の謎ですが,…大塚製薬に聞いてみました。そうしたら,「ポカリ」という言葉の音が軽くて良い「スエット」つまり汗は日本人にとって勤勉とか努力とかいいイメージがあり,また,このドリンクの用途が分かりやすいという回答をいただきました。⋯ポカリの缶に書かれている英語はあくまで日本人が見てウケがいいかどうかがポイントなのだそうです。英語として意味が通るかどうかは二の次らしいです。この回答を聞いて,ぼくは気が抜けてしまって,⋯
[http://www1.sphere.ne.jp/mucci/mono/pocarie.htm]

 筆者も「フマキラー」の「フマ」について疑問を持ったことがある。語尾と姓に通じるところがあると理屈をこねてフマキラー株式会社への問い合わせを某君に押しつけた。昔はポンプ式だったのでfumeから来ているのだろうと考えていたのだが,なんとflyの「フ」とmosquitoの「マ」から作った名前だという返事だった。除湿剤「吸うぱあまん」[info@fumakilla.co.jp]をその後売り出しただけあって発想は一筋縄ではいかない。僕も気が抜けてしまった。
 だから「マグカップ」という単語を考えた人も英語としてどうかと深刻に考えたりはしないで,アメリカなどに輸出するときには,mug cupとした。
 しかしフマキラーのように商標とはしなかったので,mug cupは普通名詞として使われるようになった。この名称の商品の売れ行きを見て,韓国についで中国のメーカーがこの名を借りて日本へさらにはアメリカへ輸出を始めた。韓国ではもっぱら輸出用の名称であるのかそれとも国内商品名となっているかは判らない。日本や韓国などからの輸入物の陶磁器を販売するアメリカの会社が販売戦略からHarry PotterMulanPokemonのキャラクター商品を韓国などに発注するとき,mug cupがアメリカの商品名に紛れ込んでいった。英語がmug cupあるいはcup mugに抵抗しないだろうことは,上のbowl cupの例から明らかである。
 しかし,おそらく日本語から生まれたこの表現は,英語の一部にはならないだろう。マグカップそのものに相当するのはmugである。cupともmugともいいがたいものができても,わざわざこれをmug cupとかcup mugとか呼ぶことはしないだろう。saucerがあればcupと呼び,なければmugと呼んで用は足りるからである。現にサイズが一段と大きいcupmorning cupと呼ばれている。morning cupという言葉が使われ続ける限り,mug cupが英語で幅を利かすのは無理だろう。
 また警察が保存する犯罪者の顔写真の意味のmug shotのような,芳しくないイメージの熟した言い方も妨げになるだろう。
mug(Λ), n.3 slang. [Perh. a use of MUG n.1; drinking mugs made to represent a grotesque human face were common in the 18th c.]
 1. a. The face.
 b. A portrait or photograph of a person, esp. in police records. ...
 4. attrib. and Comb., as
 mug book U.S., ...
 (b) a book kept by the police containing photographs of criminals; ...
 mug shot orig. U.S. = sense 1 b above.
こういう紙面の無駄を称してmug’s gameという,という人もいるかもしれない。
mug’s game, a thankless task; a useless, foolish, or unprofitable activity.




Racism in Words; What’s “Gaijin” to a Gaijin Guy?

Stephen Harding

  The beginning of this academic year brought a visiting lecturer to this campus. Professor Larry Ray, who is head of the School of Social Policy, Sociology and Social Research at the University of Kent in England spoke on racism in Britain focussing in particular on “institutional racism”, the way in which organs of government-most  conspicuously the police-either consciously or unconsciously apply differing and often discriminatory standards in their dealings with “ethnic” individuals or groups. The outcome may be tragedy, as in the case of a young English black named Stephen Lawrence, murdered by white thugs who were then let go by the police authorities. Racism, as professor Ray pointed out in detail, encompasses far more than overt acts of local terrorismthink of the Klu Klux Klan) ; it is something, rather, that may be embedded in the attitudes of whole sections of a community, and manifested in the behavior of many individuals, be they shopkeepers, teachers, policemen or community leaders.
 Racist behavior may take many forms, one of which might be the kind of “inaction”  that characterized the police investigation of Stephen Lawrence’s death.  When we think about our own attitudes to “foreigners” it is perhaps instructive to imagine what we might do given a scenario where, for example, two people, one of whom is a foreigner, are in distress for some reasonare drowning, have fallen from a station platform into the path of an approaching train, etc.): would we be selectively inactive in our assistance?
 But the behavior I wish to address in this short article is far more commonplace than the kinds of episodes I have alluded to so far. I am referring, of course, not to what we may do or fail to do when it comes to “outsiders”, but what we might have to say about them, including the fact that we call them “outsiders”whether by choice, or because our language seems to give us no other option. This article is about verbal behavior.
 How we are called by others is a matter of peculiar sensitivity to everyone, and it is no coincidence that in English the idiom “to call someone names” means to insult them. Names don’t attach to persons as labels to bottles; the words we use to describe other groups, like the words we use to describe ourselves, have roots, and therefore meanings, as deep as history. Hence the outrage when Shintaro Ishihara, addressing the Self Defense Forces, used the word “sangokujin” (literally “third world person”) to refer to foreigners, those who “have repeatedly committed atrocious crimes. ” Hence an equal outrage in Britain when William Hague, the leader of the Conservative Party, warned that Britain was likely to become a “foreign nation” under a Labour government.
 Our racial sensitivity goes so deep these days, in fact, that it’s beginning to look like there’s no “neutral” word left in the vernacular of any language to refer to those who do not share our nationality. The word “gaijin” is a case in point. “Gaijin” differs from the English word “foreigner” in a respect that compromises any claim to neutrality it might have. “Foreigner” meant originally outsider (L. forinsicus), but present-day speakers rarely know this. But “gaijin” has undergone no such historical dilution. It still means outsider, and is thus analogous the French “etranger” (lit. stranger).
 Is this important? After all, it isn’t words in themselves that convey meaning, but speakers. Speaking personally, in fourteen years in Japan, though I have been called “Gaijin! ”, in ways that might be construed as mocking, I have never detected even the slightest intention to defame. It was always children, needless to sayand adults within earshot invariably scolded them for saying it!. What they were doing was merely to draw attention to each other of the presence of a human curiosity. Nobody, of course, enjoys being thought of as a curiosity, but what is unusual invariably gets noticed (stared at, etc.) in any human community. This is not a foible unique to Japanese school children. Significantly perhaps, too, it hasn’t happened recently-“gaijin” are not the oddities they once were. But neither the “innocence” of those childish exclamations, nor their spontaneity, serve to excuse them. It is important, I think, to note that Japanese culture clearly concurs with this view and does not countenance any behavior that mocks others (hence the scolding).
 The difficulty goes deeper, however. How one behaves, whether one is native or otherwise, is powerfully constrained in Japan. The very special emphasis the Japanese place on the externals of behavior, on manners in short, in speech and action, is a powerful counterweight to racism, which tends if it arises to be rapidly localized and contained. The majority of Japanese, too, will always disavow racism in themselves-sincerely, I think. Nevertheless, the fact that “gaijin” does mean outsider is not fortuitous. For the children who addressed me in this way the term “gaijin” was functioning as an active cog in their acculturation. For Japanese culture, for better or for worse, marks “otherness” at every level, and the Japanese define themselves, as individual or nation, in terms of “belonging”, and hence, because the counterpart of belonging is a kind of cultural homelessness, in terms of “exclusivity.” This makes for the extraordinary cohesion of Japanese society. It also makes for an ethnocentricity under which xenophobia is bound to lurk.
 “Gaijin” notwithstanding, it is actually extraordinary how little these deeper undercurrents surface in forms of speech in Japanese. In contrast, the racist resources available in the English language are large enough to fill a sizeable special dictionary. Here are a few which were in very live currency in Britain when I was a student there: nigger, coon, Parki (for Pakistani), Jap (note how abbreviations may, like “gaijin” be derogatory), wog (explained to me as standing for “wily oriental gentlemen”, though probably that etymology is bogus), Wop (Italian), Frog (French), Dago (Spanish), Kraut (German), Yank and Limey. Though the only time I ever heard the Japanese described as “inscrutable” it was meant as a racial slur, there is a real sense in which the Japanese language presents the onlooker with an unfathomable veneer. What the natives truly think is not worn on their linguistic sleeve. But this, it seems to this Limey at any rate, is not necessarily a bad thing.




英国観劇記

博士後期課程3年 元氏久美子

 20007月後半から20013月まで約8ヶ月間,日本大学海外派遣奨学生として英国ケント大学に留学させていただきました。もちろんShakespeare作品の研究がこの留学の第一目的でしたが,Shakespeareの生まれた国で,Shakespeareの書いた言葉で演じられる舞台をより多く見てくることもその目的のひとつでした。
 8ヶ月の間に見たShakespeare作品の舞台は17Shakespeare作品以外の舞台も合わせると30以上の舞台を見ることができました。最初に,夏だけしかオープンしないLondonGlobe TheatreHamletThe Two Noble KinsmenThe Tempest3つの作品を見ました。Shakespeareの時代と同じ工法で建てられた屋根のない劇場は,一階のほとんどが立見席で,観客は約3時間の芝居の間ずっと立ったままで観劇しなければなりません。疲れたからと言ってちょっとでも床に座ろうものなら,すぐさま係りの人が近寄ってきて「ここは立ち見なのだから立ってください」と注意するのです。Shakespeareの同時代人たちとは違い,普段足腰を鍛えていない現代人にとって3時間立ちっぱなしというのはかなり辛いものです。それでもほぼ満席になっているのは,Shakespeare時代の観客と同じ体験がしたいという物好きが多いからでしょうか,それともイギリスには根っからの芝居好きが多いからなのでしょうか。時折,頭上の青空のかなたに小さく旅客機が飛んでいくのが見えたりするのは,Shakespeareの時代にはありえなかったことでしょうが,Hamlet 32場でHamletが空を指しPoloniusに向かって,「あの雲はらくだ,それともいたち,鯨?」と問い掛ける場面では,Hamlet役者の指差す先に現実の空が広がり舞台効果満点でした。主演はGlobe Theatreの芸術監督であるMark Rylance。狂気の場ではよれよれのシャツに穴のあいた靴下をだらしなく履き,人間味あふれるコミカルなHamletを演じていました。
 The Tempestでは女優Vanessa RedgraveMilan公爵Prosperoを演じていました。しかし彼女の達者な演技とハスキーな声,その背の高さ,そして額に刻まれた深い皺に惑わされ,私は最初Prosperoを演じているのが女優であることには気づきませんでした。そして幕間でプログラムにある配役を見て驚いたものです。そのThe Tempestを見たのは9月初旬,吹く風に秋の気配を感じ,屋根のない劇場での3時間に及ぶ観劇はさすがに寒く,Globe Theatreのシーズンもそろそろ終わりに近づいてきた頃でした。
 Hamletではもうひとつ忘れられない舞台があります。それはRoyal National TheatreSimon Russell Beale主演のHamletです。Bealeは銀座セゾン劇場(当時)での来日公演Othelloで見事にIagoを演じ,また‘the finest actor of his generation’Daily Telegraph)と評されている俳優ですがHamletを演じるには年齢的にもイメージ的にも多少違和感があります。その彼が一体どんなHamletを作り出すのかと思うと,絶対に見逃せない舞台です。案の定チケットはSold Out。しかしそんなことであきらめてはいけません。うれしいことにNational Theatreは最前列から数列を「舞台に近すぎて見えにくい席」と考え,なんとわずか10ポンドで当日券として売り出すのです。朝ほんの少し早起きをすれば簡単にこのチケットを手に入れることができます。私は最前列のほぼ中央でBealeHamletを見ることができました。なるほど舞台奥や舞台全体を見ることはできませんが,役者の息遣いを間近に感じることができることは芝居好きの私にとってなによりうれしいことでした。このHamletは随所に演出家の新しい試みが見受けられる舞台でした。一番驚いたのはFortinbrasが登場しないことです。Fortinbrasの存在によってこの悲劇が繰り返されることを暗示していると考える私にはとても意外なことでした。First SceneLast Sceneをまったく同じ設定,Horatioを中心にして他の登場人物が彼を取り囲むという設定にすることによって,演出家John Cairdはその歴史の歯車を表現しようとしたのかもしれません。BealeHamletは少し小太りで,貴公子然とした従来のHamletのイメージとはずいぶん異なりましたが,気迫の演技で観客を舞台にくぎ付けにしていました。
 Shakespeareの生誕地Stratford-upon-Avonには3度訪れました。かの地にはRoyal Shakespeare Companyの劇場が3つあります。Royal Shakespeare TheatreSwan Theatre,そしてThe Other PlaceTOP)です。Globe Theatreで偶然出会った某大学の教授にTOPで上演中のRichard IIの素晴らしさを伺っていたので,この作品はぜひ見なければと思っていました。ところがこのTOPはとても小さな劇場で,その上,評判の高い舞台のためチケットはすでにSold Out。イギリスの劇場の良いところはたとえチケットが売り切れていても開演の1時間前くらいからリターンチケットを売り出すということです。私はRichard IIのリターンチケットのために約2時間半並びました。人気の舞台のため何人もの人がリターンチケットの列に並び,待っている間に自然にそれぞれの観劇談が交わされます。皆鋭い批評眼を持っていて酷評される舞台もあれば,絶賛される舞台もあり,さすが芝居好きのイギリス人だと感心することしきりです。私は彼らから多くの舞台情報を得ることができました。またその建物の2階にリハーサル室があるのでしょうか,次々と役者がやってきて発声練習や台詞合わせをする声が聞こえてきます。これから見るであろうRichard IIに出演する役者たちです。素顔の彼らは全く役者然とはしておらず,彼らが舞台に立ったときどんな演技を見せてくれるのかと思っただけでもわくわくしてきます。私がようやくRichard IIのチケットを手にしたのは開演1分前,大急ぎで客席に着くと劇場内は白一色,舞台は平間でその舞台を見下ろすように客席が設置されていました。役者たちの衣装が黒と暗褐色のほぼ2色に統一され,白い舞台と良いコントラストをなしています。全体的に洗練され,非常に意欲的な舞台でした。この夏のシーズンは歴史劇,第二,四部作を同じ役者で一挙に上演するという画期的な企画が好評でした。
 2度目にStratford-upon-Avonを訪れたのは歴史劇,第一,四部作の中でもHenry VI 三部作を一日で上演するという企画が20011月にあったからです。Henry VI 自体上演される機会の少ない作品です。その三部作を一日ですべて見られるとあっては見逃すわけにはいきません。そう思う人が多いためか,11月に予約の電話を入れた時点ですでにチケットは完売,やむなく立見席のチケットを購入しましたが,一部3時間の作品を3部,合計9時間立ったままで見る自信はありません。リターンチケットに希望を託しましたが,かなりの人気でリターンチケットを手に入れることもできず,結局9時間立ったままでの観劇となりました。それでもあまり疲れを感じず,舞台に集中できたのはそれだけ舞台がすばらしかったということでしょうか。アクロバット的な演技が多かったことや,血なまぐさい場面に多少の嫌悪感を覚えましたが,一日でHenry VI 三部作一挙上演という快挙をSwan Theatreという小さな空間で役者と観客とが一体となって成し遂げたという達成感もありました。その日の終演後にはアフターパフォーマンストークがあり,一日舞台に立ち続けて疲れたであろう役者のほとんどが出席し,彼らの生の声が聞けたことも貴重な体験です。それぞれの役者がそれぞれの哲学を持ってそれぞれの役を演じていることを知り,英国Shakespeare役者の質の高さに感激しました。Henry VI-3Last Sceneは非常に皮肉に満ちた場面でした。暗殺されたHenry VIの血で染まる舞台の上で,その王を殺したGloucesterRichardが,生まれたばかりのEdward IVの世継ぎをいとおしそうに腕に抱き,満面の笑顔であやしてみせる。その姿にはその甥をLondon塔に送り暗殺させる後のRichard IIIの極悪非道なvillainの面影など全くなく,Richard IIIのストーリーを知る観客には偽善に満ちたRichardの笑顔がなんと憎々しげに見えたことでしょう。そしてそのRichard III 2月に上演されることを知り,さっそくチケットを購入したことは言うまでもありません。劇場を出たのは夜11時過ぎ,朝10時半に始まったHenry VI-1からアフターパフォーマンストークまで半日以上の観劇となりました。奇しくもその日はクリスマスから数えて12日目にあたるEpiphany。そろそろ街のクリスマスイルミネーションも取り外され,それまでのお祭り気分から平穏な日常へと戻らなければならないときでした。
 3度目のStratford-upon-Avon訪問は2月下旬。Shakespeareの最後の邸宅New Placeの庭に春の訪れを告げるクロッカスの花が美しく咲き始めていました。Richard IIIは約10年前に東京でシェイクスピアカンパニーの舞台を初めて見て以来とても好きな作品であり,卒論でも取り上げた因縁の作品です。日本でもこの作品は5つの異なる舞台を見ています。その作品をShakespeareの生誕地Stratford-upon-Avonで見ることができるとはなんとラッキーなことでしょう。前月のHenry VI三部作に引き続きSwan Theatreでの上演。Henry VIと同じ舞台,同じ役者たち。四方を客席に囲まれた舞台の中央にRichardが立ち,有名な台詞 ‘Now is the winter...’ が始まります。Henry VIでは脇役だったRichardはやっと自分に主役が回ってきたとばかりに得意満面です。Henry VIでは若く美しく魅力的だったHenry VIの未亡人Margaretがみすぼらしい喪服姿で現れ,栄枯盛衰の悲哀を観客に見せつけます。その他にもHenry VIYork公の亡霊を登場させるなど,Henry VIRichard III 連続上演の利点を大いに生かした舞台でした。私にとってこの舞台は夏以降見続けた第一,第二歴史劇,計八作品の最後を締めくくるものであり,また今回イギリスで見るShakespeare作品の見納めでもありました。近い将来の再訪を願いつつ,惜別の思いで劇場をあとにしました。
 イギリスでは芝居ばかり見ていたのではないかと叱られそうな気がします。しかし舞台を見るたびに今まで気づかなかった新しい発見があります。この観劇体験は私にとって貴重な財産であり,今後の研究に必ず役立つものと思います。最後に,私をイギリスに行かせてくださった大学,先生方,そして留学中にお世話になったすべての方々に心より御礼申し上げます。




卒業から1年経って

平成11年度卒業 上沼 陽高

日大文理学部英文学科を卒業して1年が経過しましたが,時の流れの早さにただ驚くばかりの毎日です。英文学科で過ごした4年間を思い出してみると,毎年入学式の時期には 正門前の桜が綺麗に咲いて,新学期のスタートに気持ちが引き締まりました。サークルの勧誘や新入生歓迎会をはじめ,秋には桜麗祭と1年の行事を通じて仲間も増えて,楽しい時間を過ごすことができました。文理学部における行事11つに思い出が残っています。卒業して,就職した人,進学した人,留学した人…それぞれ違った道を歩んでいるわけですが,自分自身は就職という道を選びました。
 就職してから感じたのは,人間関係の難しさや,仕事において自分に置かれる責任が大きくなるといったことです。会社における上下関係が厳しかったり,入社
1年目といえども責任ある仕事をこなさなければならなかったり,大学にいた時にしていたアルバイトとは比較にならない責任の重さを感じながら,この1年間過ごしてきたように思います。
 人間関係の点で言えば,年齢の近い人もいれば,離れている人もいるし,大学卒の人もいれば,短大卒や高卒の人もいて,いろいろな人達と接することが多かった1年でした。しかし,やはり会社であるので,学生気分で周りの人と付き合うのとはわけが違い,挨拶や礼儀といったものは,厳しく指導されています。

 社会人2年目に入り,1年目のような甘えも許されないことが,これから先,増えると思うし,後輩も入社してきて,先輩としての自覚も今まで以上に持たないといけないと考えています。
 現在,英文学科にいる学生のみなさんには,卒業する前に1人でも多くの友達や一生付き合っていける友達をつくって欲しいと思います。4年間でどれだけ多くの人に会ったか,どんな人に会ったかというのが,後々,自分の財産になっていくばずです。4年間という貴重な時間を大事にしてください。




大学時代の私と今現在

平成11年度卒業 高木 聰

はじめに
 
今回,英文学会通信の原稿を頼まれたことに対してはとても驚いたことでもありますが,逆に考えれば良い経験でもあり,とてもうれしく思っています。

 さて,今回原稿を頼まれたことは頼まれたのですが,「何でも良いから書いて下さい。」と英文学研究室の方々から言われたのですが,題材らしいものがなかなか見つからずに苦労致しました。いろいろ考えてみて,今回は大学入学時代から今現在の私を振り返ってみて,感じたことについて書いてみることにしました。

第一章 高校生から大学生へ
 都内の私立高校から英文学科に入学した時,まず始めに感じたことは,文理学部ということで学科がとても多く,規模が大きかったということです。他の大学においてもいろいろと学部や学科に別れていて,キャンパスも学部や学科によって異なっているというところもあるのに,文科系と理科系が混合しているというのにとても驚きました。
 もう一つ私が驚いたのは,高校時代の校舎に比べると,大学のキャンパスがとても広かったというのが,高校から大学に入学したときの第一印象でした。

第二章 大学の授業
 大学の授業を受けた時の印象としては,これが最高学位としての授業なのだろうかという疑問ばかりでした。例えば,授業中に携帯電話を使っていたり,出席を取ったら退出したり,そのときに先生が注意するかと思えば何も言わなかったりと,散々だったので,これではだめだなと思い,やめてしまって専門学校に行った方が良かったかなとも思いました。しかし,学費を払っているのは親であるということでもありましたし,自分としての責任もあるということで,大学にいようと決心したのであります。
 しかし,自分もよく考えてみると,この大学の授業を受けてみたことによってわかったことは,やはり高校の時とは違い大学というのは,自分から学んでいかなくてはならないというのがよく理解できた気がします。それにより,大学1年生の時から大学4年生までは,就職活動以外は一度も休まずに授業を受けていました。また,責任感も育成できたように思えます。

第三章 サークル活動
 私は中学時代からバレーボールをやっていたので,大学においてもやりたいと思い,バレーボールサークル中心でサークル勧誘の時は回っていました。すると,バレーボールサークルだけでも4つのサークルがあったことにとても驚きました。そこで,選択に迷ってしまったのですが,結局中間的レベルのサークルに所属しました。それでも,自分から見ると結構レベルが高くてついていけないかと思いましたが,本部とは違い,サークルであったので,とても仲が良く,雰囲気もとても良かったので,良い大学時代の思い出になったと思います。そのサークルは大会にも参加していたので,そこでも良い成績を収めているということだったので,ここならやっていけると感じていたのも選んだ理由の一つでありました。
 最後の大会のときにおいては,1年生のときから他の人からは下手に思っていた私を使ってくれて,いろいろな面で付き合ってくれた後輩たちには今でも感謝しています。

第四章 海外語学研修
 大学時代にしか経験できなかった思い出に,海外語学研修というのがありました。これは,語学力育成のために海外に行って勉強することや文化を学ぶことが目的であったと思ったので,自分はこれに行く以前にも海外には行ったことがありましたので,ある程度の会話はできると思っていたのですが,行く前日はものすごく不安,緊張,楽しみでいっぱいでした。行ったところはイギリスだったのですが,やはり日本とは違いとても景色が美しく,空気も綺麗でした。私たちが研修や宿泊をしたケント大学も日本の大学とはまったく違い,山の上にあったので,下の景色がとても美しかったです。
 また,たくさんの良い友達にも出会えました。その人たちとは今現在においてもよく会ったりしています。

第五章 就職活動
 私が大学時代において一番辛かったし,また人生の転換期へとなったのは,やはり就職活動だったように思えます。大学3年生の11月頃から手紙が多く来るようになってから,そろそろという感じがした時には,不安と緊張でいっぱいでした。
 私の時代の頃は,まだ今現在のようにインターネットエントリーが普及していなかった時代であったので,就職雑誌に載っていたはがきを使っていましたが,さすがに最初はどの業種にしようかと迷っていたので,とにかくたくさんはがきを出すことにしました。そして,学年末試験が終了した後から,説明会や採用試験に積極的にたくさん参加していましたが,私の時代においては,4月にはもう決まってもおかしくないと言われていたのに,全然決まらなくてスランプに陥り,少々考えた時期もありました。しかし,ここで終わってもこれからの人生が崩れていく一方であると思い,業種を絞って,とても興味があったコンピュータ関係の会社を中心にもう一度活動しました。その結果,6月には教育実習もありまして途中で途切れましたが,中旬に内定を得ることができたので,とても良かったです。それから,あと2社に内定を得ることもできました。学生時代と違って社会人となるのだから,学生時代のことは忘れて,4月に新社会人として歩んでいきました。この就職活動を通して,やはり私の時代の経済状況から見るととても厳しく感じたのですが,良い経験になったと思います。

第六章 そして今現在
 大学時代においていろいろ学んだことにおいては,今の社会人生活に生かせているような気がします。特に今の大学生をよく見ると,本当に大学とはこんなものでいいのかということを感じてはいます。
 そして,今現在は去年の4月に入社した会社は,一身上の理由で3ヶ月程で退社して,1年程勉強し,再就職活動をして決まった会社において,再び新入社員として研修をしています。
 いろいろな思い出がありましたが,これから今まで以上に大学時代で学んだことを,どんどん社会人の生活の中で生かせればと思っています。




助手着任にあたってのご挨拶

文理学部助手 水本 孝二

 春風駘蕩,風薫るよい季節となりました。さて,みなさん,はじめまして。この度助手として着任いたしました水本です。21世紀の劈頭にあたるこの2001年という記念すべき年に着任したことにタイミングのよさを感じています。しかし,実際には日々見知らぬこととの出会いで,とまどいと失敗の連続です。しかし,与えられた場所で全力を出そうと思います。サンドバッグのような打たれ強さを持つことはもちろんのこと,ドラえもんの四次元ポケットのように,みなさんの欲しいものが,何でもスッと即座に出せるような有能さも身につけたい,と思います。
 と同時に助手は研究職でもあります。研究者としても優れた仕事をして行きたい,と願っています。現在の私の関心は言語を工学的に考察することに対する批判です。たとえて言うなら次のようになるでしょうか。「人間は太古の昔から「鳥のように空を飛びたい」と願った。飛行機を発明,改良することで「飛ぶこと」を実現したけれどそれは「鳥のようにではなく」飛ぶことであって,「鳥のように」飛ぶことは出来なかった。」飛行機はいくら巨大で複雑な構造を持っていても,ボルト,ナット,鉄板,集積回路などの部分に分解できますしそれを組立てれば飛行機という全体になります。言いかえると全体は部分から成り立っていて,部分の総和がすなわち全体です。人間が作り出したものは全てそのような構造を持っています。しかし鳥に限らず生物の体や機能(人間の言語能力など)はこのような工学的分析を拒否するように思えるのです。すなわち全体は部分の総和以上のものであり,全体を他と切り離された個々の部分に分解する(要素に還元する)ことはできないのではないか…話が長くなりそうなので,これはここでおいておきます(
leave it at that)。
 私はこの新しい職場に少しでも早く慣れて,助手として一人前になりたい,と願っていてそのために一生懸命頑張りたいと思います。どうかよろしくお願いします。




英文学研究室に勤務して

文理学部副手 加藤 直佳

 私は,この4月から副手として英文学研究室に勤務し始めました。私には,大学生活の4年間の中で,サークル活動などを通じてたくさんの出会いがありました。そして,私は,その出会った仲間達と共に長くも短くも感じた充実した楽しい時間を過ごしました。それらの時間は,私の人生の中でも最も大切なもののひとつに挙げられる時間となっています。大学を卒業して,これから学生の頃とはまた違う環境で責任感を持って働かなければなりません。仕事を通じてこれからも学生達と接することが多いと思いますので,学生達のために少しでも役に立てるように頑張りたいと思います。まだまだ仕事に慣れず学生気分も抜け切れていなくて,みなさんに迷惑をかけっぱなしですが,一生懸命仕事に従事し先輩方のように学生達から信頼され立派な副手になれるよう努力していきたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。




新任のご挨拶

文理学部副手 松木 康子

 「始めまして」がふわさしいご挨拶になるでしょうか。皆さんよりも一足遅れで英文学研究室に勤務することになりました,松木康子と申します。3月までは学生として慣れ親しんだこのキャンパスに,再び通うことの出来る喜びや,社会人として新たなスタートを切ることの緊張と期待でいっぱいにして日々生活を送っています。
 振り返ってみると私の学生生活は素晴らしい友人や恩師に恵まれ,大変かけがえのないものでありましたし,今もなおそういった人たちに支えられていることに気が付きます。学生の皆さんが大学生活で得られる「かけがえのないもの」はそれぞれだと思いますが,それを得るためのお手伝いができたらいいなと思っています。至らないところが多いとは思いますが,私も学生の皆さんに負けないぐらいたくさんのことを学ぶ気持ちで頑張りますので,どうぞよろしくお願いいたします。




《研究室だより》



平成12年度行事

◆文理学部英語弁論大会(文理学部主催)

 1021日(土)に本館H409教室において開催されました。
 結果は次の通りです。
 1位 毒島法子(独文3年)
 2位 後藤麻恵(英文3年)
 3位 奥村光代(英文3年)

◆大学院特別講義
 1116日(木)の34限,30日(木)の34限に大学院生のための特別講義が開催されました。講師は,今泉容子先生(筑波大学助教授)です。講義題目は「ブレイクの詩と絵」でした。
 125日(木)の2345限に大学院生のための特別講義が開催されました。講師は,斎藤兆史先生(東京大学大学院助教授)です。講義題目は「英語文学の文体研究」でした。

◆卒業式
 325日(日)午前1000分より日本武道館に於いて卒業式が行われました。同日午後1230分より本学部3号館325教室におきまして学位記の伝達式が行われました。本年度は学部卒業者114名,大学院博士前期課程修了者8名,後期課程満期退学者は1名です。
 また,学部生の学部長賞は鎌田和宏くん,優等賞は増田弓子さんの2名でした。
 同日午後6時より京王プラザホテルにおいて謝恩会が催されました。


◆平成12年度大学院学位論文・卒業論文
 大学院生・学部生により提出された論文項目及び内訳は次の通りです。

平成12年度大学院修士論文

【米文学】
中村文紀
  A Catholic Southern Writer? “Religion” in Flannery O’Connor’s Wise Blood

【英文学】
大川さやか
 A Study of William Shakespeare’s Julius Caesar Envy in Julius Caesar

加藤慶子   A Study of Joseph Conrad’s Lord Jim What does Jim Need?

杉本久美子 A Study of Howards End Possibility of Ambiguity

政金 充  A Study of the Narrator in Tess of the D’Urbervilles

茂木健幸 The Darkness of William Golding

【英語学】
鈴木宏典
 A Study of Acquisition of English Sounds: Reforming Additive and Subtractive Methods

友方英文 The Possibility of May and Can



平成12年度 学部卒業論文

《内訳人数一覧》

【英文学】(55)
Austen, Jane (7)  
Brontë, Charlotte (9) Brontë, Emily (6) Defoe, Daniel (2) Dickens, Charles (4)
Forster, Edward Morgan (1)  Hardy, Thomas (5) Joyce, James (1)  Lawrence, David Herbert (3)
Shakespeare, William (15)  Wilde, Oscar (1) Wells, Herbert George (1)

【米文学】(30)
Anderson, Sherwood (1)  Faulkner, William (1) Fitzgerald, Francis Scott (1) Lee, Harper (1)
Hogan, Linda (1)  Hawthorne, Nathaniel(8) Hemingway, Ernest (8)  Kennedy, William (1)
Salinger, Jerome David (3)  Williams, Tennessee (1) Twain, Mark (4)

【英語学】(15)

【音声学・コミュニケーション】(11)

【英語教育】(4)



平成13年度行事

◆入学式・開講式
 48日(日)に日本武道館に於いて入学式が挙行され,同日午後230分より文理学部開講式が行われました。英文学科の入学者数は次の通りです。

  学部入学者 160名   大学院博士前期課程入学者 10
   大学院博士後期課程入学者 3

◆本年度在籍者数
  学部 2年生 153
   3年生 160名   4年生 181
  大学院博士 前期課程 18名   後期課程 6

◆大学院特別講義
 平成13年度第1回大学院特別講義を下記の通り行いました。
 日  時:629日(金)2345
 講  師:巽 孝之先生(慶應義塾大学教授)
 講義題目:「アメリカ文学思想史」

 平成13年度第2回大学院特別講義を下記の通り行います。
 日  時:①1011日(木) 34
       ②1018日(木) 34
 講  師:馬場 彰 先生(東京外国語大学教授)
 講義題目:①「コーパス言語学の回顧と展望」
        ②「生成文法の枠組みに基づいた歴史統語論と言語類型論」




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