日本大学英文学会  

日本大学英文学会通信74号(2000.10)

ご挨拶

日本大学英文学会会長 関谷武史

今年の夏は海外語学研修の学生と共に,7月23日に成田を発ち,英国のKent大学で1ヶ月間を過しました。Kent大学はCanterburyの市を眼下に見降ろす広大な丘の上にあって,周囲は木々に囲まれ,緑が多く,精神的ストレスを全く感じさせない理想的なキャンパスを有しております。キャンパスからfoot-pathを降って参りますと,30分程で市の中心部に到着します。学生達と歩いた道には櫻並木がありました。今から23年前と4年前に大聖堂を訪ねましたが,今回も,何人かの学生,それにイギリス,ドイツを一人旅の途中の娘も加わって大聖堂を見学しました。石壁に「Thomas Becket,大司教・聖人・殉教者,1170年12月29日,ここに没す」と刻まれている場所に来た時,学生の1人が,「ここで,Henry11世の遺わした4人の騎士に囲まれて殺されたんですね」と私に問い掛けました。海外語学研修のための事前授業でT. S. EliotのMurder in the Cathedral の福田恆存訳『寺院の殺人』をコピーし,これを読むようにと配布しましたが,学生達がきちんと読んでいることを知りうれしく思いました。程なくして,パイプオルガンの音と共に少年聖歌隊による聖歌が聞こえて参りました。大聖堂の大きな天井に響き渡る荘厳な聖歌に,私達は足を止め,一時間程聞き入っていました。その時学生の1人が「聖歌は正に,この大聖堂で聞いてこそ価値があるんだなあ」とつぶやきました。学生達は,直かに歴史に触れ,本物に接しながら,大きな体験を通して成長していることを,私は,実感致しました。
 Kent大学から市へ向う途中にSt. Dunstan's Churchがあり,この教会内にThomas Moreの首が葬られております。HenryⅧ王の権威に逆ったとして,Moreは1535年7月6日に処刑され,その首はLondon Bridgeに晒されました。CanterburyのRoper家に嫁いでいた娘のMargaretは父親Moreの首を手に入れ,ここSt. Dunstan's Church内のRoper家の墓に葬りました。私が訪れた時の教会の中は静かで,Moreを讃えるステンド・グラスが美しく印象的でした。Thomas MoreはUtopia の作者として有名ですが,歴史書The History of King RichardⅢ の作者でもあります。この歴史書の中に描かれているRichardは残忍なmachiavellianであると同時に,ユーモアをも備えております。Shakespeareは,RichardⅢ の創作に当ってMoreの歴史書を参考にしたのですが,史実のみならず,主人公Richardの人物像の描写においてもMoreから大きな影響を受けております。もう30年以上も前のことですが,Yale大学出版のMoreの歴史書を求め,それとShakespeareのRichardⅢ を比較検討したこと,また,23年前の夏にロンドンの地下鉄Tower Hill駅前の処刑場跡を訪ね,そこにMoreの名が刻まれているのを確認した時のこと等を想い出しました。
 Kent大学では,大学院博士後期課程に在学しShakespeareを専攻している元氏久美子さんが日本大学海外派遣奨学生として勉強しておりました。今は論文を書くための基礎的訓練を受けておりましたが,9月下旬よりMartin Scofield教授の下で研究を始めるとのことでした。Martin教授の父親Paul Scofieldは有名な俳優で,中でも,1960年代にPeter Brookによって不条理劇として演出されたKing Lear に主人公として出演し,名演技振りを披露しました。このKing Lear 上演は,人々に大きな衝撃を与えたものとして今もなお語り継がれています。Martin Scofield教授も優れたShakespeare学者で,著者の一つThe Ghost in Hamlet は邦訳されております。以上,Kent大学でのこの夏の報告になりましたが,同行した井上悦男助手の働きによるところが大であることは勿論ですが,学生達もまじめに行動してくれたお蔭もあって,何事もなく全員無事成田に帰って参りました。
 さて英文学会の月例会も順調に回を重ねて参りました。9月30日にはアメリカ文学のシンポジウムが,平成13年1月20日には英語学のシンポジウムが開かれます。11月11日の学術研究発表会では文学3名,英語学1名の発表が予定されております。シンポジウム,学術研究発表会,共に,刺激的内容になるであろうことが予想され今から楽しみですが,多くの会員の参加を得て,活発な討論が持たれることを期待します。大学院の特別講義として,筑波大学の今泉容子助教授による「ブレイクの詩と絵―修正される女」が11月16日(木)と11月30日(木)に行われることになりました。今泉容子助教授はWilliam Blakeの研究によりYale大学よりPh.Dを取得した気鋭の研究者で内容の濃い講義が期待されます。
 今年度の年次大会は11月11日(土)に桜上水のキャンパスで開催することになりました。総会,学術研究発表に続いて懇親会が開催されることになっております。どうかお誘い合わせの上ご参加くださいますようお願いいたします。

2000年夏の出来事

元日本大学副総長・元国際関係学部長
日本大学名誉教授・日本大学常務理事 秋山正幸

 2000年の日本の夏は,むし暑く,夏が過ぎても残暑がきびしかったように思う。日本の暑い夏を逃れて,私は7月30日から8月4日まで“Oxford Round Table on College and University Leadership”と題するいわゆるオックスフォード円卓会議に参加した。アメリカからはデンヴァー大学,アメリカン大学など25大学,日本からは北海学園大学,早稲田大学,日本大学,南山大学の4大学,アルゼンチンからは2大学,その他ギリシャ,レバノン,インド,チリー,フィンランド,フィリピン,バーレン,ヨルダン,チェコなど12か国,40人の総長・学長またはその代理者が参加した。会議は主としてオックスフォード大学のSt. Antony's Collegeで行われたが,ReceptionやBanquetなどはSomerville College HallやCloisters, New CollegeやFounders Library Dinning Hallで行われた。
 会議のテーマは私立大学が直面している諸問題,1.世界市場における私立高等教育機関の国際的成長と発展 2.私立大学・短大が直面する経済的、財政的課題 3. 私立大学・短大の質と効果に対する評価 4.技術革新と改善に伴う高等教育機関におけるグローバルな可能性と取り組み,などが主要なテーマであった。トピックは,例えば,“Rising Costs and the Survival of Small Colleges,” “Opportunities and Challenges Created by Technological Advancement and Innovations in Higher Education,”“Elite Private Higher Education Maintaining Academic Leadership and Signature Focus in Networked Global Education”など,おのおのの大学が直面している問題が多かった。私は上記の四つの主要テーマについて,それぞれ小論文を提出したが,その中で特に「技術革新と改善に伴う高等教育機関におけるグローバルな可能性と取り組み」の中で,1.マルチメディア遠隔授業と 2.通信制大学院総合社会情報研究科の設置について論述した。1.では,「遠隔授業は日本大学総合学術情報センターを発信基地として,文理学部,芸術学部,国際関係学部,生産工学部,工学部など異なった学問分野の5学部を結び,卒業必要単位として認定しようとする,総合大学の特徴を生かした正課の授業である。今後はその他の学部や国内外の複数の大学と協定を結び,その協定大学との間で双方向授業を実施していくことも考え,21世紀に求められる大学像を追求していく所存である」と述べた。2.では「通信制大学院は,大学卒業後実際社会で働きながらも勉学意欲のある社会人に,さらなる研究の機会を提供するものである。本研究科の特徴は,パーソナル・コンピュータとインターネットを活用して,質の高い大学院修士課程の教育を目指すところにある」と述べた。
 この会議の期間中に伝統的な建造物を誇るオックスフォードの他のカレジ,チャーチルとゆかりの深いBlenheim Palaceや大英博物館に次ぐ規模をもつオックスフォード大学The Bodleian Libraryを訪れる機会があったことは大きな収穫であった。
 円卓会議終了後,8月4日の午後,ロンドンのチェルシー地区にあるChelsea Old Church を訪れた。この教会はヘンリー・ジェイムズがお祈りに通い,ジェイムズが1916年に死亡した時に,葬式が行われたところである。私はすでにこの教会を二度訪れて,ジェイムズのひざぶとん(kneeler)を鑑賞し,教会の壁にジェイムズの来歴が刻まれているタブレットを撮影していた。しかし,kneelerの写真をとらなかったことを残念に思っていた。何とかその目的を果たすためにその教会を訪れたのだ。しかし,教会の扉は締まり,中に入ることができなかった。さいわい,呼鈴があったのでそれを押し続けた。中年の女性の管理人がでてきた。訳を話すと10分間だけという条件で中に入れてくれた。私はやっとHenry Jamesと刺繍がしてあるkneelerの撮影に成功した。帰国後大きく引き伸ばして書斎に飾ってある。夏の日の思い出の写真である。
 その教会で入手したThe Treasures of Time の中でT. S. Eliotはジェイムズのことを次のように書き記している。
 That expatriate novelist, Henry James, who left America to write about her, as an artist steps back from his easel, found in Chelsea a home, and in England at last, in her time of danger, a homeland. He took British Nationality in 1914, and died in Chelsea in 1916. He was a fine interpreter of the society of two continents preserving a dual loyalty to the end. He was granted an Order of Merit for his services to literature, an honour given later to another literary genius also American and also a parishioner of Chelsea Old Church.
 外国文学研究者にとって,自分の研究している作家の足跡を辿ることは楽しみである。今回,ジェイムズのkneelerを撮影できたことは大きな感激であった。

光陰,矢の如し

法・文理学部講師 光永司雄

吾が人生の師
 8月を迎える毎に,日米開戦から沖縄戦の直前までの旧制中学(台北)に在学した者として,戦争末期,日々切迫していく学徒動員生活を思うと,遠い歳月そのものがどっと押し返し渦巻いてくる私である。
 さいわいに敗戦から半年後,家族ぐるみで引き揚げてきたので,どうにか旧制専門学校で中・高の免許状を取得した。八代白百合学園中・高部から都内区立中学教員就任と同時に,本学第二部三年に編入し職業との両立について古谷専三先生に述べたことがあった。この件については本学会の『古谷専三博士古稀記念特集』(pp.27~28)に書いているのであるが,さっそく,先生御自身による日曜日特別演習を実施して下さった。夜学生に徹するための一つの方法を現実の問題として,とりあげて下さったのである。実にありがたいことであった。
 三年間勤務の後,九州の公立高校に数年間在職したのであるが,区立中学校で使用したテキスト,『ジャック&ベティ』(戦後の英語教育史に一時期を画した)の英語がベースとなり常にsome problemsが脳裏に浮かぶのであった。その毎に,編著者の萩原恭平先生へは手紙で質問させて頂いた。その事が私の二度目の首都圏入りを促したことはいうまでもない。東京オリンピックの2年前で現在とは正反対に学校増設時代であった。千葉県公立高校(全日制,2年間)の後,定時制課程に転じることによって,一応の研修態勢ができた次第であった。私は難問にぶつかった時,しばしば先生のお宅にお邪魔し御指導をうけたのであるが,先生はいつも心良く迎えて下さった。(『英語英文学叢誌』第5号-萩原恭平先生追悼号-早稲田大学英語英文学会,1970 拙論pp.64~76)
 その後,本学の大学院にて石橋幸太郎先生から御指導をうけたのであるが,その前年に大修館から出版された先生の大著,『英文法論』を中心としての講義であった。実に,石橋文法のphilosophyの一端に触れたいと願い予習したのであった。先生は御経歴が物語るように徹底した英語教育者でもあった。(『追悼 石橋幸太郎先生』 「石橋幸太郎先生追悼文集」刊行会 大修館書店内,1980 拙文pp.270~272)
 いずれの方々も故人となられた。改めてその業績に敬意を表し,ご高徳を偲ぶばかりである。

学内関係
 1980年代に入って安田哲夫先生を中心とした,日本大学英語教育研究会などの段階を経て,日本大学教育制度研究所に語学教育の総合的研究(英語部門)という語学教育プロジェクトが3年間を目標とし,全学部と付属高校を対象とした一層の調査研究を行うべく1987年9月から正式に発足した。この事実は,かつて古谷専三先生が夜学生に示されたように,この場合は,本学の英語教育の現状を,現実の問題として理解し,ご支援下さった副総長園田平三郎先生へ,研究代表として厚く御礼申し上げたい。第1年目は,『報告書』(A5・51頁)であったが,第2年目から『英語教育論集』Ⅰ(A5・143頁)と改め,内容の充実を計った。そして,第3年目のⅡ(A5・168頁)において,第1期ともいうべきプロジェクトのまとめをした。(拙論「語学教育の総合的研究・英語部門のあゆみと展望」pp.1~5)
 3年目が終わる頃,更に向う3年間の継続が認められた。私はロンドン大学のSurvey of English Usage(現代語法調査研究所,以下SEUと略す)にvisitorとして4ヶ月間滞在し,帰国後,第2期ともいうべき3年間の研究代表を,大橋和男先生(生産工学部)に交代した。プロジェクト名も,“国際化に応ずべき英語教育”と具体的になり,『英語教育論集』Ⅲ(1990),Ⅳ(1991),そして,Ⅴ(1992)が同じく,教育制度研究所から発行され,全学へ配布された。
 願わくばこの様な歩みが,次のプロジェクトの出発点となるよう祈念する。
 この語学教育のプロジェクトとの関連において,あと一つ述べさせて頂くとすれば,短期間ではあったが,日本大学語学教育センター(仮称)設置検討委員会の発足である。この検討委員会は,プロジェクトの研究員全員の総意に基づき,請願書が総長と理事長宛に提出された結果スタートしたのであった。研究員から選出された数名の検討委員を含めた検討委員会は,答申書を作成し提出した。そして,平成3年1月25日に受理されたことは忘れられない。その件について1月28日付の通知を学務課から受けたことを記しておきたい。
 次に,語学教育のプロジェクト以外において司会や講演を仰せ付かった記憶を年代順に挙げる。1988年度特別・準付属高校夏季教科研修会 演題「大学と高校の英語教育」。1989年度付属高校夏季教科研修会の講師は,海外出張のため辞退。1991年9月,文理・英文学科と語学教育プロジェクトとの合同シンポジウム[司会]「英語教育の目標」。1997年11月,教育職員志望学生研修会 桜師会主催[スピーチ]題「教員免許状と教職」<要約は,日本大学通信教育部の部報1(平成10年1月)に掲載>。1999年3月,平成10年度法学部学内学会 演題「クワークほか『現代英語の文法』管見」。1988年度,1995年度,1998年度学術研究発表会[司会](語学の部)。


学外関係
 主として学会に関する事柄である。在任中JACETはじめ各種学会に所属し,学ぶところが多かった。その中でも,恩師の一人を中心に10名程の発起人の一人として,研修会(1982年)から3年目には改名されて発足した,日本英語表現学会(The Japan Society of English Usage and Style 以下略してJASEUS)は,現在学会顧問(1998年まで理事)を務める唯一の学会である。学会は3部会(紀要,ブレティン,大会)注(1)からなり,私は紀要創刊の1984年から14号までの期間は紀要部会に属し,創刊号から11号(1994年)までは紀要部会の委員長を紆余曲折しながら務めたのである。ブレティン,紀要ともに国立国会図書館・学術研究国際定期出版物番号を附されたのは前半の期間内であったが,後半に入った頃,当時の会長 小島善郎氏,副会長 中村匡克氏などの尽力により,さいわいにして本学会は日本学術会議の登録学術研究団体で,第1部「語学・文学」専門の「語学・文学研究連絡委員会」に属することになった。その後,紀要第12号から,私は部会委員長を辞書学の村田年氏(千葉大)と交代した。とにかく創刊号以来,欠番を出さずに,2000年の記念すべき年に『英語表現研究』第17号と号を重ねている。現在,理工学部の小中秀彦氏(評議員,ブレティン部会・副委員長),と薬学部の内田郁夫氏(評議員,紀要部会委員)が役員として活躍し,本学関係の会員は400名余りの中18名である。
 学会紀要編集の仕事は,相当な方が書かれるので非常に勉強になったことは事実である注(2)。本学会紀要では,対照研究,翻訳論,文法論,意味論,文体論,そして社会言語学というように多様な取組が行われている注(3)。というのは,あらゆる角度から学術的あるいは実際的な討議・研究のための場である。言語は実に複雑な構造を持っているので,それを狭い視野からのみ見るのではなく,英語表現のあらゆる面を捉えて英語の本質に迫ろうというのが,本学会が発足した時の目標であった。言葉が人間の社会と共にある限り,本学会の名称に含まれている,Usage and Styleは言語から切り離すことはできない。
 今ここで,新島通弘初代会長が『英語表現研究』創刊号に書かれた巻頭言と,Sidney Greenbaum教授(Univ. College London)のメッセージの一部を引用しよう。
 『ともすると学会及びその発行する紀要は学術的とはいえ,ややもすると,取り扱われる分野が余りにも狭隘に過ぎる傾向なきにしもあらずというのが実状であるように感じられる今日,専門分野とはいえ,できるだけ広範囲の人達に閲読していただけるような理想の境地にまで将来は到達することを念願してやみません。』
 次に創刊号へのメッセージである。私が,Prof. Sidney Greenbaum (Director, Survey of English Usage)に依頼した際,Professor Greenbaumは1983年に,Professor Randolph Quirk (The Vice-Chancellor of The University of London 1981-5年。ロンドン大学副総長)の後継者として,University of Wisconsinから着任されたばかりのご多忙な時期であった。次のようなメッセージを受けたことに感謝申し上げたい。

 English is the most important language for international communication in our time. Although the contemporary English language has enjoyed greater scrutiny than any other language, there is ample scope-and urgent need-for reserch into all aspects of English for communication. I am delighted that the members of the newly formed Japan Society of English Usage and Style are contributing to this research and wish them much success in their studies of English usage and style and in their comparisons of English and Japanese. 

 Prof. Sidney Greenbaumについて申し添えたい。1996年夏,私はかっての指導教授(1976~1977)であるLord Quirk(Professor Randolph Quirk)から次のような返信を受けた。‘I enclose for your sad interest one of the obituaries (The Guardian 31 May ’96) that appeared after SG’s sudden death (in Moscow-while lecturing).’ (アンダーラインはLord Quirkによる。) Professor GreenbaumはThe Times (5 June ’96 ) の記事にもあるように,正に努力の人でありました。
 私がQuirk et al., A Comprehensive Grammar of the English Language 1985 (以下CGELと略す)の内容の一端に触れたのはロンドン大学のSEUにvisitorとして滞在中の1983年8月8日のことであった。当日,The Vice-Chancellor of University of LondonによるSenate Houseでの昼食会に招待された折り,CGELの4名の著者のうち3名と日本人の研究者4名が同席したのである。当日,都合で欠席されたProfessor Greenbaumには,その翌週に会うことができた。更に,1986年にもSEUにてお会いし,SEUとBrown Corpusや,Lancaster, Oslo / Bergen Corpusの交流などを伺うことができた。なにはともあれ,JASEUSの紀要創刊号(1984)に掲載のメッセージを下さったお礼を,直接に申し上げる機会を得たことはまことに幸いであった。
 前述のようにJASEUSでは6月に全国大会を開催する。その大会の記念講演での講師は外部から招くが,12月の研究会の講師は理事が担当している。そして会員の研究発表者が2~3名である。’98年度の研究会の講演は私が担当し,さいわいにも思い出多き本学理工学部1号館の講堂を会場に,会員でもある桑山泰助氏と小中秀彦氏がお世話下さった。演題は,「クワークほか『現代英語の文法』Index管見-イギリス英語とアメリカ英語-」と題し,主として,冠詞,前置詞,その他に焦点をしぼり,その特徴と傾向などを論述した。(拙著『現代英米語彙・用法研究ノート』北星堂,1998 Ⅰ. 2, 3を中心として)
 あと一つの講演はJASEUSとは全く関係が無い。それは1984年にさかのぼるのであるが,日本大学会館に於て,日本アイルランド文学会第45回大会がSt. Patrick’s Dayを迎え,駐日アイルランド大使御夫妻御臨席のもとに開催された。本学出身の三橋敦子会長から声が掛かり,しかもアメリカ文学の大竹勝先生に続いて1時間の講演ということであった。私はアイルランド文学会の輪読会で何年か前に,私の編注書である,『Extracts from Mark Twain-Mark Twainの慣用語法を焦点として-』(北星堂)を使用したことを知っていたので,「Mark Twain, Huckleberry Finnの文体における語法」を演題とした。Phrasal Verbs. Adverb-Equivalents of Adjectives,とか,Double Negativesなどを場面を背景に特徴を述べたように記憶する。大竹勝先生とご一緒したのはこの時が最後となった。
 思えば昭和,そして平成の時代を生き,また世間から生かしてもらってきたことになる。これからは,懸案のライフワークを,できる限り続けていささかなりとも本学の学恩に報いたいと念じている。

注(1) 日本英語表現学会(学会番号10307)学会の活動は6月に全国大会,12月に都内の大学で研究会を開催する。
    (Fax03-3328-1259)日・時・場所などは,『英語青年』は片々録,『英語教育』は通信欄に掲載される。

注(2) 紀要創刊号から11号までの編集(特に英文のSynopses)に当たっては,次の方々から貴重な助言を受けた。
    厚くお礼申し上げる。Mr. Stephen Harding, Rev. Neal Henry Lawrence, Mr. William Patterson, Dr. John Power.

注(3) 今まで日本英語表現学会紀要『英語表現研究』に論文を執筆した日本大学関係者氏名(専任教員 のみ)。
    泉 琢磨氏(医学部)第2号,意味論;内田郁夫氏(薬学部)第4号,社会言語学;岩淵 悟氏(工学部)第5号,
    意味論;上杉 明氏(商学部)第8号,文体論;福島 昇氏(生産工学 部)第15号,翻訳論。 以上6氏

海外語学研修報告書

英文学科2年  松﨑 祐介

①海外語学研修の概要
 今回の海外語学研修に参加して,私達は皆,多くのことを学んで帰国した。
 研修の目的である英語の上達に関しては,皆それぞれ様々な方法で取り組んでいた。午前中の授業における外国人講師とのコミュニケーションにより,又さらに午後のsocial study(カンタベリーの街中での project work)を通して,コミュニケーション能力の上達に積極的に取り組んでいた。又,大学内にいる外国人学生や,English Language Unitの人と会話をしたり,外国人講師と授業時間外にテニスをするなど,イギリスにおける生活全体を通して英語を使うことができたことは我々にとって貴重な体験となった。
 私は,大英博物館を訪れた際に,日本の展示コーナーで,外国人に日本の文化について説明することができたのが楽しかった。英語によって東洋と西洋がつながる,さらに言えば,英語によって世界がつながる楽しさを感じた。
 また,我々はこのイギリスでの長期滞在を通して,様々な価値観や人間観,人生観を得た。したがって今後の人生において,必ずプラスとなるものを皆それぞれ発見しただろう。
 ところで,このケント大学の環境はすばらしかった。雄大な自然の地形をそのまま利用して大学が建設されており,その丘からは,カンタベリー大聖堂とその周りの街並みを展望することができた。早朝や夕暮れには,リスやうさぎを見ることができ,皆で楽しく過ごすには最適であった。又,カンタベリーの街へは徒歩で行くことができ,時間がある時には街へ降りて,大聖堂を訪れたりすることができた。
 授業のない土曜日には,全員で小旅行をし,又,日曜日や,授業のない午後は各地にそれぞれ旅し,有意義に過ごすことができた。特に,英文学科の学生を中心に,又他学科においてもシェイクスピアに興味のある学生数名で,関谷先生の案内でStratford on Avonを訪れ,偉大な文豪シェイクスピアを実際に見学することができたのは,貴重な体験だった。
 22名全員が楽しく過ごすことができ,すばらしい海外研修であった。私を含め,全員が大学時代のよい思い出を作ることができただろう。

②自分がこの研修で得たこと
 私の今までの英語学習方法は,あまりにも精密な問題点にこだわりすぎていた。例えばatを使うべきかonを使うべきかといった前置詞の問題や,(定)冠詞の問題,あるいは単数形,複数形の問題なのである。今までこういったことを中心に学習してきたが,また高校までの教育内容が,このような精密な問題中心であったが,今回の海外研修に参加したことによって,英語の学習方法,教育方法,さらには,英語を学習する目的が分かったように感じる。
 当地で外国人講師と会話をしていた時,以下のような文を私は話した。

  This afternoon, are you going to do what?

 又,次のような会話もあった。

  This film is imported from where to here?

 whatやwhereといった疑問詞を,直接結びつきのある語に接近させたり,又whereやhereといった副詞に前置詞を付けたりしたのである。しかし,私にとってはこれが自然な形であり,又,外国人として母語以外の外国語である英語を学ぶ我々にとって,このような表現は,多少systematicかもしれないが,自然な表現であり,むしろ正確な語順で話す方が困難である。
 したがって,英語の学習方法は,詳細のみを学習するのではなく,大きな枠組み,つまり統語を学び,繰り返し練習する必要があると感じた。
 現代社会の諸問題,いわゆる環境破棄や平和維持といったものは,すでに一国の問題ではない。より一層global化する中で,地球を一つにし,国と国との架け橋となる英語を学ぶことは,我々にとってとても重要なことである。私を含め,22名は全員,英語によって世界がつながる楽しさを感じていた。これは,今後とても役に立つであろう貴重な経験であった。
 
《大学院特別講義のお知らせ》
平成12年度大学院特別講義を下記の通り行います。

     日時:11月16日(木) 3・4時限
        11月30日(木) 3・4時限

    講師:今泉容子先生(筑波大学助教授)

    講義題目:『ブレイクの詩と絵―修正される女』

 

 

 

 

 

 

 







〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40
TEL  03-5317-9709  FAX 03-5317-9336 
inf-engl@chs.nihon-u.ac.jp