日本大学英文学会  

日本大学英文学会通信73号(2000.7)


ご挨拶

日本大学英文学会会長 関谷武史

 会員の皆様におかれましては、御壮健にてお過ごしの事と拝察致します。
 桜が咲き誇っていた4月、英文学科では、学部に157名、大学院博士前期課程に6名の新しい仲間を迎えました。新入生の皆さんがこのキャンパスで大きく育つよう祈らずにはいられません。それには、先ず一人一人が授業に積極的に参加し豊かな主体性を築き上げる事が必要と考えます。私が大学生だった 1950年代から60年代に掛けて、サルトルの「人間はどんな事があろうとも自由である」とか、「人間はすべてを自らの意志で決断する」といった実存の思想が盛んでした。その後、構造主義によって人間の主体性が疑問に付せられ、現在では「新歴史主義」とか「文化唯物論」に顕著なように、主体は周囲の状況によって作り上げられるものでしかない、もともと、人間に内在するものは何もない、といった考えが幅を利かせております。しかし、人間には周囲の状況を選び取り自らをよりよい方向へ創造していく意志が本来的に内在していると私は考えます。このところ、ハムレットならずとも(' That it should come to this. ' Ⅰ,ⅱ,137)「一体世の中どうしてこんなになっちまったんだ」と叫びたくなるような、若い人達による凶悪事件が続いておりますが、わが英文学科に集まってきた新入生達が正しい選択と決意によって、前進していく事を信じて疑いません。
 昨年11月16日に薄井良夫先生が病気で亡くなられました。ここに、先生が生前和紙に残されました辞世の歌を紹介させていただき、共に、先生の御冥福をお祈りしたく思います。

                 大地より

                 永遠の別れよ

                 空はるか

 33年間の永きに亘って日本大学英文学科で教えてこられました川島彪秀先生がこの3月で退職されました。川島先生には今後も大学院と学部で教えていただくことになっております。飯田啓治朗助手が日本大学商学部へ講師(専任扱い)として転任致しました。また、黒川志保さん、飯田麻子さんの両副手が退職致しました。これらの方々に代わって、日本大学生産工学部の塚本聡講師が助教授として、また、CambridgeのPembroke CollegeのPh.D
コースに在学中の閑田朋子さんが助手として赴任されました。そして沼尻明子さん、三並祐子さんが副手として就任致しました。
 英文学会の月例会は、すでに、4月、5月、6月の会が終了しました。多数の参加者を得て、充実した発表と活発な質疑応答があり、いずれの会も有意義なものでした。特に、4月の例会には、雨の中を阪田勝三先生が、わざわざ仙台から参加して下さいました。研究発表の後、阪田先生より近況報告やら、文学研究についてのお話を伺う事が出来ました。先生の参加を知って駆けつけて下さった児玉直起先生の阪田先生の人柄を彷彿とさせるに十分なスピーチがあり、大変な盛り上がりの中で会を閉じる事になりました。月例会は、常任委員会での決定に基づき、この4月の例会より、午後2時より開始することになりましたので御報告致します。
 『英文学論叢』第48巻が近々刷り上がって参ります。掲載の論文は審査を経たもので、いずれも、一定の水準を行くものであると自負しております。多数の会員の皆様からの投稿をお待ちしております。
 この号から「学会通信」が活字印刷となり、頁数も増えました。常任委員会で審議の上決定された結果であります。
 またこの度、日本大学芸術学部教授小斯波泰先生より、多数の貴重な蔵書をご寄贈いただきました事を御報告させていただきます。
 これから暑い毎日が続きますが、どうか会員の皆様におかれましても、呉々も御自愛下さいますよう祈念致します。




英文学科はいま..

英文学科主任 田室邦彦

はじめに
 
 5月の連休の通信教育部福岡スクーリングの後、Pusanへ足を伸ばした。この前の一昨年は対馬へ行こうとした。フェリーは博多から4時間半、日帰りだと一時間後に同じ船に乗らなくてはいけなかった。9時間波を眺めて1時間島、とは歌の文句にもならないと、同行のHarding先生と相談して、志賀島一周に予定を変えた。しかし家のないあたりで雨に降られ、無人の喫茶店のベランダの軒に走り込んで、磯に潜る鵜をせんかたなく眺めた。埋め合わせてお釣りまで出るようにするにはPusanへでも行くしかない、と今度も同行するHarding先生と相談した。島は、福岡へ着いた日に玄海島を徒歩で一周した。そういうわけでPusanへ行った。福岡を出て2時間で対馬を見、さらに1時間でPusanに着いた。
 Tourist Information CenterでもらったTourist Map of Pusanを頼りに、3日間足と地下鉄とバスを使って街と山と海をうろうろした。港には今は福岡もPusanも暗さはみじんもない。かつて夏休みと冬休みの終わりに徳島から上京するたび、徳島の港に流れる「蛍の光」と小さくなる母の姿に涙し、「今鳴る汽笛は出船の合図、無事で着いたら便りをくりゃれ、暗いさみしい灯影のもとで、涙ながらに読もうもの」という文句が去来した。港にはどこかに去る者と残される者の悲しみが夜明け前の霧のように漂っていた。街は近代的なビルに装い、ホテルの一帯では、昼を過ぎると背後の道という道が色とりどりの露店でびっしり埋まっていき、若者がはしゃいでひしめき合い、ホテルのすぐ前方の港を取り巻いてこちらは魚の屋台がおしくらまんじゅうで、生きのいいオモニのおばさんたちが魚を売っていた。Pusanにも一点暗いところがなかったわけではない。地図にCH'ORYANG SHOPPING DISTRICT FOR FOREIGNERS The best shops, restaurants, bars and nightclubs are gathered here for foreigners. It is called a foreign country in Pusan, as many foreigners visit the market.と記されたあたりであった。解説の文句にたとえば古民具などを期待して出かけた。しかしそことおぼしいあたりは、爛れた腫れ物のようにじとじとしていて、空は晴れているのになにがなし薄暗く、ロシア文字があふれ、通りにはむれあって声高に話すロシア人と、古びた建物の薄暗い戸口にはどちらへ目をそむけても目を合わせようとするけばけばしい装いをしたロシア人の中年女性がいた。
 ジェットフォイルで3時間の距離も、visaがいらなくなっていることも、Pusanの高層ビルも、そしてロシア人の街さえも、世界が急速に縮まっていることを、そして絶えず流動するようになっていることを物語っている。

TOEICのIP test
 我が英文学科も流動の時代に対応するために変化している。今年の新入生には、4月のガイダンス週間の初日(4/3)にはTOEICの説明と模擬試験が、最終日(4/8)は、TOEICのIP (Institutional Program)試験が行われた。学部にTOEICの賛助会員となってもらい学生一人につき1000円の割引を得て、残りはこれまで新入生歓迎パーティの経費として学部から出ていた費用を充てた。英文学科の今年の新入生にはお寿司の代わりにTOEICの解答用紙が並べられたことになる。最高点は810点、最低点は215点、平均は381点であった。試験の結果は、入試やカリキュラムの今後の見直しの基礎データにもなるが、試験の最大の目的は、学生に英語の日常的能力の向上を意識させることにあった。Test of English for International Communicationのacronymとしてコミュニケーション能力を強調するTOEICを選んだ意図は何よりもそこにあった。英語を聞いて判らず、英語をしゃべれない英文学科の卒業生では、英語を読めたにしても、笑い話にもならないからである。年末あたりに、今度も英文学科の一年生には義務的にしかし他学年と他学科と一緒に、もう一度行い、今度は現一年生の来年度のクラス分けの資料として利用することになっている。一年間の勉強に期待し、またその後の3年間の姿勢を作りたいと思っている。
 一年生のガイダンス期間は、Kent大学のLanguage UnitのdirectorであるMrs Christina Danilewiczとthe Faculty of Social StudiesのchairmanであるProf Chris Haleによる講演で終わった。二年生は前日にProf Haleの講義を聴いた。その両日には、文理学部との学術交流協定の調印のために来日されたKent大学のVice ChancellorであるProf Sibsonとの懇談会が開かれた。この文章を書いている机上には、VCが神代植物公園の売店から買って帰った浦島草などが釣り糸を垂れているさまを報じた手紙が着いたばかりである。同じく持って帰られたサギ草の花が羽を広げて滑空する頃には、海外語学研修の学部生と留学した後期課程の学生がケント大学の広いキャンパスに羽を広げていることだろう。大学院留学生には、今年度から、学費の補助を渡すことができるようになった。定年を迎えられた川島先生から院生のためにと百万円をいただき、学科で協議して留学生試験に受かった学生に毎年その一部を差し上げることとし、川島先生の同意をいただいた結果である。

カリキュラムの改訂
 今年度は、改訂カリキュラムの初年度である。カリキュラムの改訂に当たり、英文学科はその教育目標を、一つには英語の能力の涵養、また一つには英語文学による多面的な世界観の把握、を通して世界市民を育成することとした。目標に応じて設定されたカリキュラムは、3つの系列からなっている。第一の系列は、the global languageとしての英語の実際的言語能力を身につけるための科目群である。the global languageとしてのという限定の意味は、これらの科目のいくつかの担当者の英語のアクセントをイギリスやアメリカのそれに限らず、幅をできるだけ広げることにもある。この科目群には英語基礎演習等が含まれるが、学部全体の「基礎教育科目」に「実用英語検定」、「TOEIC」、「TOEFL」、「通訳英語」、「ビジネス英語」、「旅行英語」、「英文翻訳技能」、等々の科目とのつながりが想定されている。第二の系列は、第一の系列で基礎付けする実際的能力を生涯にわたって診断し、方向付け、完成させると同時に、次の第三系列の知識を自ずから導き出す基盤としての英語学系統の科目群である。「心理言語学演習」、「社会言語学演習」、「意味論演習」、「統語論演習」等が従来の「英語学概説」等の科目に加えられた。第三の系列は、英語で書かれた文学を中心とする系列である。「イギリス詩演習」、「アメリカ詩演習」、「伝代批評理論演習」、「エリザベス朝演劇演習」、「ビクトリア朝文学演習」、「現代イギリス文学演習」、「現代アメリカ文学演習」等の従来の科目の化粧直しだけでなく、「マルティ・カルチュラル文化」、「英米演劇実践演習」などの新しい発想の科目が加わった。「イギリス社会論」、「アメリカ社会論」も、この系列の目的が広い視野を開くことにもあるのだから、ここに入る。
 これらの科目はすべて半期科目とした。学生が既修の成果を確認し以後の学習の方向を判断することが容易になるように、また留学を容易にならしめるためである。ケント大学との一般協定の後に、三年生の一年間の留学を目指すJunior Year Abroadの協定が準備されていることもある。

入試の多様化
 在学中と卒業後を視野に入れたカリキュラムの改訂は、入学生の選抜の改革と連動すべきである。カリキュラムはそれにふさわしい資質を前提とする。今年度の入試から付属高校を対象として新しい選抜試験を行う。全科目の評定平均値が3.5以上、英語の3年間の評定平均値が4.5以上、英検2級以上を応募条件とし、面接と小論文によって審査する。前者は英語のnative speakerの教師と日本人教師により、後者は日本人教師2名により、十分なaccountabilityが得られるような細かい基準に従い、選抜を行うことになっている。
 また櫻丘高校に英語科を設置し、カリキュラムの理念に繋がる一貫教育を行う企画も進み始めている。

ITの時代に
 英文学科が提供するものに合う学生を得るためには、英文学科では何を身につけることができるのか、どのようにすれば英文学科に来ることができるのかについて、つまり学科のカリキュラムと入試の方法について、十分な情報を広く伝えることが必要である。新しく英文学科の専任となった塚本聡助教授のホームページは、英文学科のホームページにリンクされて、彼の作ったデータ検索ソフトKwic Concordanceをdownloadするためのアクセスが盛んである。彼のコンピュータの能力を搾取して、英文学科のホームページを拡張するための、またこれにリンクする日本大学英文学会と大学院のホームページを新設するための、基本設計図を作りつつある。新しく助手となった閑田君と今や英文学科の生き字引と化しつつある井上君にはその基本設計の検討に、新しく副手となった三並君と沼尻君を含めた4人の副手の面々にはホームページの編集に、加わってもらうことになっている。英文学科などのHPのために新しくサーバーを設置する予定になっているが、このサーバーには英文学科に今やくまなく行き渡ったコンピュータを接続し、どの研究室からも、browsing roomからも院生室からも、辞書や文献類をonlineで検索できるようにする企画も進んでいる。レポートなどをemailで提出することも行われている。

おわりに
 移ろう社会に有能と認知される人材を作ることも大切ではあるが、一人一人の生の日々が新しく展開される基盤を与えることも英文学科の責務である。英文学科は、英語を用いる能力に加えて、人の生の根元にある言葉を再組織化し、自らの人生を構築する基盤を作る活力を持つ学科であるためには、絶えず脱皮しなくてはいけないと思っている。旧套墨守はすでに死の前兆であり、流動こそ命の現れである。英文学科の再生の活力がいつまでも続くことができるように、またそのための批判をいただけることを願っている。




公開講座「さようなら、文学?-文化と社会をめぐって-」要旨

文理学部教授  原 公章


 今年度の文理学部公開講座は「さようなら、20世紀」というテ-マで、5月~7月、10月~12月の毎土曜の午後、計16回行なわれています。私の担当は7月1日・8日の2回で、約120名ほどの聴講者を前に、それぞれ1時間半の話をいたしました。私のテ-マは「さようなら、文学?」です。近年、各大学では文学系学部・学科の縮小・衰退が目立ち、新設学部・学科からは「文学」の2文字が消え、代わって「国際・情報・言語・文化・コミュニケ-ション」などの言葉ばかり目につきます。これまで言われてきた若者たちの「文学離れ・読書離れ」はこうしてますます加速され、学生たちの「実際に役立つ学問」への志向、いわゆる実学志向は止めようもありません。何しろ、就職にシェイクスピアやミルトンの知識などまったく役立たず、それより、検定英語の点数を稼ぎ、電子機器の操作をマスタ-する方がよほど現実的です。このような傾向は、現在の社会情勢では、ある意味でやむをえないのかもしれません。
 それゆえ大学も、こういう社会の要請に応える教育を施さずには、この少子化時代を生き残れません。私たちの文理学部でも、外国語科目の新カリキュラムを見れば一目瞭然、社会と時代の要求に応え、資格英語対策の諸科目はもちろん、インタ-ネット英語、旅行英語、英語コミュニケ-ション、通訳・翻訳英語など、役立つ科目が目白押しです。「文芸作品鑑賞」という、かつての花形科目はどこへ行ったのでしょうか?一般英語の授業でも今や文学のテキストは少数派で、言語・文化・社会・時事・科学などを扱うものが大半です。かつて、文学部の王道にあった「文学」は、近年まことに片身の狭い存在となりかけています。「さようなら、20世紀」は、そのまま「さようなら、文学」となりそうなのが、現在の大学事情です。いや広く「教養の崩壊」は、昨今の少年犯罪の多さからもわかるように、今の日本の社会現象であるといっても過言ではありません。いや、アラン・ブル-ム『アメリカン・マインドの終焉』も、アメリカにおける同じような教養の崩壊を報告しています。英国ケンブリッジ大学でも、シェイクスピアを必修科目から外す、外さないの議論が沸騰しているとか。「さようなら、文学」は世界的傾向なのでしょうか? 
 しかし、この文学への攻撃は決して今に始まったことではありません。遠くプラトンが理想の共和国から詩人を追放して以来、文学は絶えず「何の役に立つのか」という厳しい問いにさらされ続けてきました。そこで私はこの機会に、「過去において文学がどのように自己を弁明してきたか」を振り返り、改めて21世紀に文学を読む意味を考えてみようと思いました。物質・科学・効率性・経済性を重んじる「産業主義」と、精神の涵養を主眼とする「教養」は、C.P.スノウのいう「二つの文化」の対立・拮抗となって、19世紀から20世紀のイギリスを席巻してきました。レイモンド・ウィリアムズ『文化と社会1780-1950』は、主として「教養・文化」の側から、この対立を跡づけた労作です。
 以上のような前置きの後、まず最初に文学・教養が崩壊した社会を扱う英米のよく知られた未来小説をとりあげ、「文学」のない世界がどう描かれるかを紹介しました。言及した作品は、ウェルズ「タイム・マシ-ン」、フォ-スタ-「機械は止まる」、ハックスリ-『素晴らしい新世界』、オ-ウェル『1984年』、それにブラッドベリ-『華氏451度』です。いずれも殺伐たる人類の精神状況が描かれます。ついで本題に戻り、「ミメ-シス(模倣)」をめぐる、プラトン、アリストテレスの対立を取り上げました。プラトンは『国家』で、文学は「模倣」であって実際の知識ではなく、しかも文学に描かれる悪を思慮のない若者が模倣する危険性をソクラテスに言わせています。それに対して「模倣」は人間の本能であり、「模倣」によって人は学ぶことができると対抗したのが、『詩学』のアリストテレスです。悲劇は「哀れみ」と「恐怖」の感情を浄化するというカタルシス論が、結局は文学の弁明となっています。プラトンも、問題は受け手の側にあって、文学そのものは「神の霊感」の生むものであることを認めています。
 それから英文学における「弁明」を、16世紀のフィリップ・シドニ-「詩の擁護」、19世紀前半のシェリ-「詩の弁護」、後半のア-ノルド『教養と無秩序』、そして20世紀ではア-ノルドを引き継ぐT.S.エリオット、I.A.リチャーズ、F.R.リーヴィスの著作を通して概観しました。加えて、ジャン・ポ-ル・サルトルの『文学とは何か』『文学は何ができるか』などにも言及し、結局、生かすも殺すも文学は、ひとえに「受け手」の意識にかかっているということを述べました。サルトルが言うように「読み」とは、読者による「発見・創造」です。また作品が交響曲だとすれば、読者はその演奏者です。自由な人間として、作者・読者ともに、文学は「創造行為」という「社会参加」です。
 これまでの文学擁護をあえて要約すれば、まず「喜びと教育」を二つながら可能にするのが文学であり、「地を這う精神」ばかりでなく、詩という「空の高さ」を見上げることが不可欠だと説くのがシドニ-。物質文明が進展し、植民地が拡大すればするほど貧しくなるのが精神で、それを救うのは文学しかない、私たちの目を覆う「日常の薄膜」を清め宇宙を再発見・再創造するのも文学であると言うのがシェリ-。つまりはステレオタイプな見方で固まりがちな精神を、新たに再生する力を文学は持つのだと彼は言います。感受
性と想像力の堕落が時代の堕落だとすれば、感受性を磨き、共感の力を拡大するものは文学です。このように立ち止まらずに、絶えず自己の「人間的完成」を目指し努力し続けることが「教養」の本来の意味であることは、ア-ノルドの著作が示す通りです。それをあたかも「身につけ」「飾り」「見せびらかす」ことだと勘違いしたところに、今日の教養衰退の原因があります。文学をよく読むことは、固定した精神に「動揺」を与え、自己の再編成を常に強いることになると、リチャ-ズも言います。それゆえ大学の中心は、文学
中心の人文学研究であるべきだと、熱く主張したのがリ-ヴィスでした。つまり、文学に無縁な人は、見れども見えず、聞けども聞こえず、先入観に凝り固まった自己中心の人間になる恐れがあるからです。精神を柔軟にし、共感の力を拡大するには、優れた文学の熟読をおいて、他に何があるでしょうか。この「共感の拡大」こそ、21世紀最大の課題だと、私は思います。 "I think aesthetic teaching is the highest of all teachings because it deals with life in its highest complexity." (George Eliot)




恩師 薄井良夫先生

神奈川県立有馬高等学校教諭 岡田善明

 薄井良夫先生が昨年お亡くなりになり、心になにか大きな穴が開いてしまったような気持ちです。先生は私にとってそして日本大学英作文研究会の会員にとって人生の恩人、そして真に尊敬できる恩師でありました。
 私が薄井先生に初めて教えを受けたのは、大学一年生の時でした。私は昭和46年に日本大学文理学部英文学科に入学しましたが、当時1年生の英語の科目は週3時間あり、講読が2時間と英作文が1時間でした。私は英作文の時間に薄井先生から教えを受けました。先生の作文指導は実に鮮やかで、学生が書いた悪文を、その場で名文に添削してしまうのです。受験英語につまらなさを感じ、英語に興味を失いかけていた私は、先生の実に生き生きとした授業に感銘を受け、再び英語に興味を持ち始めました。
 私は授業だけでは物足りなく、先生が顧問をなされていた、英作文研究会に入会しました。会では1年生から4年生まで英作文に興味があり勉強している学生達が週3回活動を行っていました。薄井先生は週1回活動を指導していただいていました。会員の中には英検1級を持っている先輩もいましたが、薄井先生の添削にあっては、皆ばっさりと斬られて名文に直されるのでした。その名人芸は今だに強く印象に残っています。先生は日頃から広く英文を読まれていました。ご専門の米文学から英字新聞やNEWS WEEK まで広く英文に接しておられました。先生の直された英文は実にフレッシュで生きた表現で満たされていました。先生は学生に常に「広くいろいろな英文に接しなさい」と言われていました。私は今でも先生のそのお言葉通りに、文学作品から語学書、時事英文まで広く英語に接しています。学生を指導するには広く英文に接していなければなりません。自分の専門分野の英文では真の英作文指導はできません。
 大学卒業後、私は薄井先生のご紹介で三菱製紙販売(株)に勤務しましたが、修士課程で学びたく思い薄井先生にご相談しましたら、いろいろとアドバイスをしていただき、朱牟田夏雄先生の『英文をいかに読むか』(文建書房)を読むように勧められました。この本は英文学の作品の中から筆者が名文を選りすぐり、英文和訳ではなく、英語を文脈により直読直解して英語のまま理解する大切さを力説し、PODの引用などの英英辞典による語義定義により真の意味を理解する方法を述べています。私はそれまでも英会話から入り英文和訳でなく直読直解による正則英語による勉強で英語を学んできましたが、この本により真に英文が読めるようになり、大学院入試に合格できたばかりでなく英語検定1級にも合格できました。またこの本で読んだ英文学の名作の抜粋により真に英文学が好きになりました。
 その後、私は神奈川県立高校の教員試験に合格しましたが、この時も薄井先生のご推薦があり校長面接を受けることができました。(当時は採用試験に合格しても推薦がないと校長面接までいきませんでした。)そして教員なりましたが、その後も薄井先生にはいろいろとお世話になりました。私が神奈川県教育委員会から米国メリーランド州の交換教員に推薦されたときも薄井先生は大変に喜んで下さいました。日本大学英文学会の『英文学論叢』に3年連続発表した私の「日本語と英語における表現構造の比較についての考察」の論文を英訳し薄井先生に添削していただき米国へ持参しました。現地で日本語と日本文化を教える際の参考にしました。米国から帰り、有馬高校の外国語コースを担当することになりましたが、外国語コースの公開授業を私が全て英語で行ったとき、薄井先生にも指導講評をしていただきました。薄井先生がご病気になり担当しておられた英検1級講座を私が代行させていただいたり、また先生が編集されている英和辞典の執筆を任されたり、本当にいろいろと薄井先生にはお世話になりまたご指導いただきました。
 薄井先生は英文学者というよりは英語教育者としての人生を歩まれました。英作文研究会は15代まで続き、先生に教えを受けた学生達は、皆英文の達人として、日本中の高校や中学また商社等で活躍しています。薄井先生を囲んでOB・OG会を時々開きましたが、全国から集まります。昨年の3月にも50人の薄井先生の愛弟子が集まり、結局その会が薄井先生との永遠のお別れの会となってしまいました。先生の学生思いのお人柄と英作文に対する情熱が日大英作文研究会を15年もの間、文理英文学科の中心的な研究会として存続させ、多くの英語教師を世に輩出してきました。そして先生のご意志を継いで、ご期待に添えるように、英語教育の分野で毎日頑張っています。その多くの愛弟子の一人として、ここに先生に対する感謝の意を込めてこの追悼の文書を書かせていただきました。




英文学科専任としての33年間をふり返って

文理学部講師 川島彪秀

 「貴方は私の最後の人事で英文学科に来て貰いました。」とお目にかかる度に大和資雄先生がおっしゃっておられたように、私は大和資雄先生の主任教授としての最後の人事で英文学科に着任さしていただきました。それは1967年4月1日、文理学部の本館が竣工した日でありました。そして、英文学研究室が3号館から本館の4階に移ったばかりの時でありました。学部長が鈴木知太郎先生でした。私はこの年度、専門科目3科目、一般教養の英語9科目、計12コマを教えることでファカルティ(文理学部の)をスタート致しました。
 翌年(1968年)、日大紛争を皮切りに日本全国の主要大学が大学紛争の荒波にのまれて大学の改革が大きくうたわれましたが、なかでも日大と東大の紛争は一番激烈を極めたため、学内の研究、教育は1973、4年頃まで大きな影響を受けたのであります。
 米国のアイゼンハワー政権の第一期からジョンソン政権まで米国および英国の大学院で研究生活を送り、ついで、助手(T.A.)、講師のポジションをも得て、カリフォルニア大学で教えた経験を持っていた私は日本へ帰国するにあたって、自分の研究領域全フィールドにわたって将来、優秀な教え子達を沢山養成していくことを念願していました。
 私はまず米国のかつての私の先生方、知友の先生達、友人達の協力を得て、米国の大学、大学院へ優秀な学生達を送り込もうと決意し、その実行に着手したのは1969年の夏でありました。幸いにもハワイ大学マノア校のスピーチ・コミュニケーション学科の主任教授リチャード・ライダー教授の協力を得て、その第1号として片山博君(現在、日大松戸歯学部教授)をアシスタントシップ(ツイション・スカラシップ付の)を貰ってあげてハワイ大学の大学院へ送り込むことが出来たのは大きな喜びでありました。片山君は苦しいながらよく努力して、学位を得て帰国し、今日の成功をきしている人物、学者となっています。
 ハワイ大学のリチャード・ライダー教授、スタン・ハーム教授、ドナルド・クロフ教授、ウェイン・オックスフォード教授(オックスフォード教授は私のカリフォルニア大学の大学院時代のクラスメートの一人)などの協力、さらにはカリフォルニア州立大学サンフランシスコのジョウジ・デル教授、インディアナ大学のジェフリー・アワー教授、ジョセフ・ガンダスン教授、マイケル・プローサー教授、ニューヨーク州のクウィーンズ大学のロバート・キャスカート教授、シンシナティ大学のマーティン・ブライアン教授、カリフォルニア大学ロサンゼルスのジョセフ・ワグナー教授、アール・ケイン教授、ジェス・トンプソン教授、バナード・ランデス教授、そしてレオ・グッドマンマラマス教授(後に同教授はガバナーズ州立大学の学長となり、1978年に私を学長招待で客員教授として同大学へ私を招いてくれて、学部、大学院の学生達そして地域社会の人達の一連の講義を行うことになった)などといった人達が、よく私に協力の手をのばしてくれたことを感謝しています。
 大なり、小なり私の影響を受けて、私の研究領域のいずれかの領域で、米国の大学院において修学し、立派にM.A.やPh.D.の学位を得て帰国し、現在、大学で教えている人々には前述の片山博君のほかに、成毛信男君(日大商学部教授)、西田司君(日大国際関係学部教授)、西田ひろ子女史(静岡県立大学教授)、白野伊津夫君(明海大学教授)、池田和子女史(青山学院大学兼任講師)、村井佳世子女史(日大兼任講師)、山上登美子(日大松戸歯学部専任講師)等がおり、すぐれた業績をつみ重ねながら活躍していることを喜んでいます。また、現在、英国のロンドン大学の大学院でPh.D.ワークを完成させつつある中村光宏君、米国のアイオワ大学の大学院でPh.D.ワークを進行中の松島綾女史がいますが、この人達の将来に期待するところも大きいものがあります。
 1971年の文理学部第1回米国研修旅行の際には私は副団長として(団長塩島一二三教授、事務局の蓜島さんとともに)54名の学生達とともに米国を訪問しましたが、その際には前述の米国の大学の先生方が全面的な協力をしてくれたことを今でも懐しく、嬉しく思い出します。
 つぎに私は日本大学文理学部英文学科を背景として国内、および国外における学会活動、研究活動をさせて貰うことが出来たことに感謝しています。主要なものは日本音声学会評議員、理事、日本時事英語学会理事、日本コミュニケーション学会理事、副会長、初代会長、七代会長、国際太平洋コミュニケーション学会副会長、世界コミュニケーション学会国際副会長、太平洋・アジアコミュニケーション学会副会長、米国スピーチ・コミュニケーション学会(現在のナショナル・コミュニケーション学会評議員(レジスレイティブ・カウンスル))、などでありますが、1970年以降、数多くの学会賞、研究賞、学会貢労賞を授与されてきておりますが、これも日本大学文理学部英文学科の先生方、英文学会の皆様のお蔭と感謝しております。さらにフランクリン・D・ローズベルト・ライブラリーに1992年に寄稿した私の研究論文“A Speech Analysis and Criticism of Franklin Delano Roosevelt's‘War Message to CongressandAmerica's Answer to Japan's Challenge’”に対して研究賞を貰うことが出来たのも大きな光栄であり、大変感謝しています。
 社会活動としては1973-74年のNHKの大学講座英語―音声学・スピーチ・コミュニケーション―を担当し、はじめての貴重な経験をさせていただきました。また、文部省の国際学術局の学術審議会の専門委員(言語学、音声学領域)を8期16年にわたってつとめさせて貰いました。
 学内の仕事、委員会等の仕事としては語学教育委員会(この委員会は就任時から委員として安田哲夫先生退任後は委員長、さらに委員)、図書専門委員、図書委員、研究委員会委員、人事委員会委員(委員長1年間)、国際交流委員会委員(委員長2年間)などの仕事がありますが、特に長年学術交流を続けてきているハワイ大学マノア校とわが文理学部との学術交流協定が現、島方洸一学部長、瀧澤事務局長の御協力で結ばれたことは大きな喜びでありました。
 英文学科のなかでは大学紛争時から退任するまでの32年間、学科内のカリキュラム委員の一人としてカリキュラムの改訂の論議に加わって参りましたが、現在のような英文学科のカリキュラムが出来あがったことは歴代の同委員会のメンバーの先生方の御努力、なかでも田室教授、當麻教授、原教授、関谷教授、特に田室教授の御努力によるところ大きく、感謝するところ大であります。
 英文学会の総会では口頭発表を、例会では司会を、また機関誌「英文学論叢」には度々研究論文発表の機会を戴きました。今後とも私は国内、国外ともに研究活動は続けて行きますので、よろしくお願いします。
 かつて、私の米国の大学院時代の指導教授であったジョセフ・ワグナー教授は「研究は継続して行うこと、研究論文もずっと継続して書いて行くことこそ大事である。」といいましたが、私は今後もこの教えに従って歩み続けようと思っています。
 最後に英文学会の皆様の御健勝と御多幸をお祈りしつつこの稿を閉じることとします。




過去数年間に起こったこと

文理学部助教授  塚本 聡

  文理学部で助手を務めた後、生産工学部に6年間勤め、この4月から再び文理学部にてお世話になることになりました。6年が経って、もっとも大きく変わった点は、OA化が大いに進んだことでした。当時は、学科事務用のコンピュータはわずかしか無く、またインターネットに関しては、その概略的な機能さえも全く無知の状態でした。その後12年ほどして、インターネットという言葉が世間に現れ始めました。それはちょうどNetscapeがやっと使われ始めた時期でもありました。余談ですが、そのソフトウェアにはMozillaという名前が付けられています。その語は、トカゲのような動物のロゴの姿からゴジラを連想させますが、Mosaic Killerがその意味だそうです。ちなみに、灯台マークになった今のNetscapeでも、Mozillaという名称は残っていて、Netscapeからメールを送るとMozillaから送っている旨のメッセージが添付されます。その後、Windows95の発売が社会現象として取り上げられてからのコンピュータおよびインターネットのブームについては、周知の通りです。
 ちょうどこのようなコンピューターの普及と歩調をあわせるようにして、コンピュータコーパスを使った研究分野であるコーパス言語学の拡がりも起こりました。Cobuild Dictionaryは、かなり前からコーパスをもとにした辞書づくりで知られていましたが、数年前にはJohn BenjaminsからInternational Journal of Corpus Linguisticsが刊行されたり、昨年はLongmanから、コーパス言語学の視点を大いに取り入れた、Biber他によるLongman Grammar of Spoken and Written Englishなる大著が出版されています。1億語のイギリス英語から構成されるBritish National Corpusをインターネット上で検索し、実際の用例を確かめることも可能になっています。以前であれば、大型コンピュータとそれ相応の技能がなければ扱えなかった(生の英語の集まりである)コーパスを、個人が簡単に扱える時代になりました。
 この数年を要約すれば、このように表現できるかもしれません。ひとときのブームで終わらないことを願いつつ、今現在、大きな注目を集めているコーパス言語学について研究をしています。




新任のご挨拶  

文理学部助手 閑田 朋子

  19963月に博士後期課程を満期退学し、イギリスに3年半留学いたしました後、本年の4月に助手に就任いたしました。同時に、ケンブリッジ大学のPh.D. Candidateとして、勉強を続けております。専攻はヴィクトリア朝のジャーナリズムと社会問題小説です。
 まだまだ仕事に不慣れな私を、先生方、もう一人の助手の井上さん、そして副手の宇佐見さん、斎藤さん、沼尻さん、三並さんが、助けてくださいます。この場をお借りして御礼申し上げます。いたらない私ではございますが、少しでも会員の皆様のお役にたてればと存じます。ご指導ご鞭撻の程を何卒よろしくお願い申し上げます。




THE TIME

文理学部副手 沼尻 明子

          どんな大事なことも どんな馬鹿げたことも
          どんな素敵なことも どんな皮肉なことも
          今日のいま このためと言える きっと言える

 この歌詞に出会ってから6年間、私はこの詞を常に心に留めてきました。
 今年の3月に日大を卒業したばかりですが、私の学生生活は、実に多くの友人に恵まれ、とても充実した4年間でした。そして今年の4月から、副手として英文学研究室に勤務し始めました。実際に働いてみると、学生の時に想像していたものとはかけ離れていて、学生の目からは見えない仕事ばかりでした。とにかく今は仕事を覚えることで精一杯の毎日ですが、この2ヶ月間、周囲に支えられ、わずかながら自己成長できたように思います。
 よく「人生何が起こるかわからない」という言葉を耳にしますが、その言葉通り、今自分が思い描いている人生と全く違った人生を送ることになるかもしれません。けれども、冒頭に挙げた歌詞のように、これから先、どんな状況に立ち向かっても「あの時やっててよかった」と素直に思い続けていくことでしょう。




英文学研究室に勤務して

文理学部副手  三並 祐子

 この4月から私は今まで学生として在籍していた英文学科に副手として働き始めました。ここで多くの学生を見ていると私自身がまだ学生であるかと錯覚してしまうくらいにいろいろなことが思いだされます。私にとって4年間は多くのことを吸収した時間でもあり、本当に貴重な時間でもありました。今ここにいる多くの学生もきっとそれぞれが自分なりに充実した楽しい時間を過していることと思います。これからこの英文学科で私はそのような学生達の為に少しでも役に立てたらと思っていますし、自分自身が多くの先生方、研究室の方々、また学生達から様々なことを学ぶことができたらと思っています。また英文学研究室の雰囲気が明るく楽しくなるくらい元気一杯で毎日を過していきたいと思っています。至らない点がたくさんあるかとは思いますが、よろしくお願い致します。




《研究室だより》



平成11年度行事

◆ 文理学部英語弁論大会(文理学部主催)
   10月23日(土)に本館H409番教室において開催されました。結果は次の通りです。

  1位 須藤康子(独文3年)  2位 後藤麻恵(英文2年)  3位 塚田裕美子(英文3年)


◆ 大学院特別講義
 10月20日(水)の3・4限、27日(水)の3・4限に大学院生のための特別講義が開催されました。
 講師は、高見健一先生(東京都立大学助教授)です。講義題目は「機能的構文論とDiscourse」でした。


◆ 卒業式
 3月25日(土)午前10時00分より日本武道館に於いて卒業式が行われました。同日午後12時30分より本学部3号館325教室におきまして学位記の伝達式が行われました。本年度は学部卒業者147名、大学院博士前期課程修了者7名、後期課程満期退学者は3名です。
 また、学部生の学部長賞は河村綾子さん、優秀賞は植田藍子さん、細野亜希子さん、合計3名でした。
 同日午後6時より京王プラザホテルにおいて謝恩会が催されました。



平成11年度大学院学位論文・卒業論文
  大学院生・学部生により提出された論文項目及び内訳は次の通りです。

平成11年度大学院修士論文

【米文学】
 尹玉梅  A Study of The Sun Also Rises

【英文学】
 若井絹世 A Study of The Millstone by Margaret Drabble and Hotel du Lac by Anita Brookner

 杉本宏昭 A Study of the Death of Giles Winterborne (Thomas Hardy The Woodlanders)

  今泉康昭 A Study of D.H.Lawrence
        ―His Thoughts and Their Expression in Lady Chatterley's Lover

  住吉優恵 A Study of George Orwell's Nineteen Eighty-Four

【英語学】
 玉川真美 The Semantic Differences between Make-Causatives and Have-Causatives:
                 A Study of Causation
 
  熊谷ゆり Is Women's Politeness the Index of Male Dominant?



平成11年度 学部卒業論文

《内訳人数一覧》

【英文学】(58)
Austen, Jane (8) Bronte, Charlotte (7) Bronte, Emily (8) Brookner, Anita (1) 
Burgess, Anthony (1) Chesterton, Gilbert Keith (1) Dickens, Charles (11) Eliot, George (1) 
Forster, Edward Morgan (1) Hardy, Thomas (8) Joyce, James (1) Malory, Sir Thomas (1) 
Maugham, William Somerset (1) Potter, Beatrix (1) 
Shakespeare, William (5) Wilde, Oscar (1) 
Woolf, Virginia (1)


【米文学】(46)
Dreiser, Theodore (1) 
Faulkner, William (2) Fitzgerald, Francis Scott (1) 
Hawthorne, Nathaniel (18) Hemingway, Ernest (14) 
James, Henry (1) McCullers Carson (1) 
Melville, Herman (1) Montgomery, Lucy Maud (1) Poe, Edgar Allan (1) 

Salinger, Jerome David (1) 
Steinbeck, John (1)Twain, Mark (3) 


【英語学】(16)

【音声学・コミュニケーション】(28)

【英語教育】(1)




平成12年度行事

◆ 入学式・開講式
 4月8日(土)に日本武道館に於いて入学式が挙行され、同日午後2時30分 より文理学部開講式が行われました。英文学科の入学者数は次の通りです。

   学部入学者 157名   大学院博士前期課程入学者 6名


◆ 本年度在籍者数
   学部 2年生 160名  3年生 154名  4年生 139名

   大学院博士前期課程 10名  後期課程  4名




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