日本大学英文学会  

月例会報告

 *2009年度

★1月例会(2010年1月23日)

 [司会] 金子 利雄 (薬学部教授)

 [発表者] 1.角田 裕子 (博士後期課程3年)
         『ドンビー父子』試論:フローレンスに関する一考察
 
     
2.秋葉 倫史 (博士後期課程3年)
          古英語の‘have + object + past participle’ 構文と完了形の発達
          ―Brooklyn Corpus を資料として―
         
            

 [梗概] 

1.『ドンビー父子』試論:フローレンスに関する一考察

角田 裕子(博士後期課程3年)

 チャールズ・ディケンズ (Charles Dickens, 1812-70) の第7番目の長編小説である『ドンビー父子』(Dombey and Son, 1846-48) は、彼が作家としての円熟期を迎えたことを告げる作品である。これは、ディケンズが小説としての構成をきちんと考えずに複数の作品を同時に執筆していたそれまでの姿勢を改め、『ドンビー父子』で初めて本格的に創作メモを取り、用意周到に構想を練っていたことからも明らかである。
 『ドンビー父子』の中心テーマは、
19世紀イギリス中産階級の典型的人物ポール・ドンビー (Paul Dombey) の人間性回復である。ドンビーは会社や個人的野望のみに心を奪われ、家庭を蔑ろにしたために数々の不幸に見舞われる。「ドンビー父子商会」が破産し、自殺寸前にまで追い込まれた彼を救ったのは、彼がずっと避けてきた娘フローレンス (Florence) だった。多くの批評家が指摘するように、『ドンビー父子』は「社会小説」というより「家庭小説」である。最終章には、ドンビーの二人の孫との穏やかな生活が描かれており、「家庭」こそドンビーを不幸にも幸福にもさせたものであることが分かる。本発表では、家庭が様々な登場人物にとってどのような意味付けをされているのか、特にフローレンスを中心にして考察したい。

 

2.古英語の‘have + object + past participle’ 構文と完了形の発達
   ―Brooklyn Corpus を資料として―

秋葉 倫史(博士後期課程3年)

 現代英語(PE)に見られる完了形は、古英語(OE)の‘have + object + past participle’構文(以下、have+O+p.p.構文)から発達したとされる。

(1) … þa þa ge hiene gebundenne hæfdon
… then when you him bound had
‘… then when you had bound him / had him in the state of being bound’
(Traugott(1992: 190))[Or 6 37. 296.21]

(1)のhæfdon(have)は対格目的語をとる本動詞で、その目的語hieneと目的語を修飾する過去分詞gebundenneは性・数・格が一致した。その後、haveの本動詞の意味が薄れ、語順の変化に伴い、haveの目的語が過去分詞の目的語へと再解釈され、PEの完了形へと発達していく。
 以上は完了形発達の伝統的な説明である。しかし、このhave+O+p.p.構文はOE期にすでに完了形として確立していた可能性も考えられ、この点はいまだ議論される問題として残る。本発表ではこの問題を踏まえ、完了形の起源とされるhave+O+p.p.構文が、実際にどの程度完了形へと発達していたかを検証することを目的とする。have+O+p.p.構文と完了形の性質を分け、その基準をもとに、形式(形態・語順)と意味の観点からこれらの構文を分析し、OEのhave+O+p.p.構文の実態を探る。検証に用いる例文は、通時的コーパスであるBrooklyn Corpusを使用して収集した。このコーパスから抜粋したhave+O+p.p.構文を一つずつ詳細に検討し、OEのhave+O+p.p.構文の特質を明らかにする。

 

★11月例会(2009年11月21日)

 [司会] 中村 光宏 (経済学部教授)

 [発表者] 1.杉本 宏昭 (日本工業大学専任講師)
         大学英語教育再考:現代の要求に応えるために
 
     
2.森  晴代 (文理学部講師)
          /s/の機能と実像
         ~/s/+consonant cluster の音節構造における特殊性を考える~
            

 [梗概] 

 1.大学英語教育再考:現代の要求に応えるために
  (共同研究:日本工業大学専任講師 杉本 宏昭、同大学専任講師 平岡 麻里、同大学教授 寺尾 裕)
                              
                              杉本 宏昭 (日本工業大学専任講師)
  
エンジニアを取り巻く現状:
 
近年のグローバリゼーションによる経済活動の国際化により、現場を担うエンジニアの養成を行っている工学系大学でも、国際化に対応できる実践的な英語力をつけることが教育課題としてますます取り上げられるようになってきた。

工学系大学の学生の入学時の学力:
 しかし、少子化、「ゆとり教育」、AO(アドミッション・オフィス)入試などの学力試験を課さない選抜方式で学生を広く受け入れるようになったことから、本来ならば大学入学以前に学習・習得しているべき内容を、入学前後に補うリメディアル教育を行う大学が増えており、現在ではその内容は中学レベルから始まることももはや珍しくない。

日本工業大学の実践例:
 日本工業大学では、1・2年次英語必修科目におけるカリキュラムの見直しを行った。その中心となるコンセプトが、リメディアル英語教育から学生の将来の英語のニーズを意識した
ESPEnglish for Specific Purposes)英語教育への橋渡しとなる一般教養英語の実践である。それは学生の英語力の現状と、学生が将来エンジニアとして求められる英語力とのギャップを埋めるべく構想され、ESPを指向するリメディアル英語教育の一つの試みであると考えている。

具体的取り組み:
・共通シラバスの作成

・習熟度別クラス編成

Course of Studyの採用(共通シラバスでありながら、習熟度別クラス編成を採用しているため、各レベルの学生がそのレベルに)合わせて習得するための毎回の授業の具体的指導案)

・統一テキストの採用

・統一中間・期末試験の実施(ならびにその回収したデータの分析)

・定期的な担当教員ミーティング(FD活動を目指す)

Weekly Quizの実施(1年生全員(およそ1100名)を対象に度実施した、文字の筆記・判別小テスト。日本工業大学では基礎専門科目として位置づけられる数学教員の協力を得て、アルファベットの順番・書き方、ギリシア文字とアルファベット、アルファベットと数式内で用いられた記号との違いを、それを読む相手が判別できるよう筆記することを目的に実施)

 日本工業大学における試みは、大学英語教育ならびに大学英語教員が置かれた現状を示す一例であり、またその試みは教員個人の範囲にとどまるものではなく、英語教育全体そして今回は他科目の教員をも含めた側面、ならびにこれからの大学英語教育の1つの可能性を秘めたものとしてとらえるべき性質をもっております。発表を通じ大学英語教育の一つの具体的な取り組みを示すことは、英語教育を専門とする方々に対し新たな例示をするだけではなく、むしろ英語教育を専門としない方々にこそ一層の関心を抱いていただきたいと考えております。

 


 2./s/の機能と実像
   ~/s/+consonant cluster の音節構造における特殊性を考える~

                                     森  晴代 (文理学部講師)

 英語の音/s/は、音節構造の中で他の音と比べて特殊な性格を持つ。例えば一音節において、音節テンプレートにおけるonset(音節頭)には、最大3つまで子音連結が可能であるが、その一番端は必ず/s/である。(例: strike,  splash,  scream

問題となるのは、これらが聞こえ(個々の音が本来持っている音のエネルギー)による音配列に違反することである。通常音配列は、一音節内で母音が聞こえの頂点となり、母音から離れるに従って聞こえが減少していくのが原則であるが、/s/は上記の例で隣接している/p, t, k/より、聞こえが高いにも関わらず、/p, t, k /よりも外側に生起している。なぜ/s/のみこのような配列が許されるのだろうか。英語の辞書を見て/s/で始まる語が一番多いことも興味深い疑問である。

 本発表では、/s/の音節構造における機能と/s/の持つ実像を整理し、音連結上特殊な/s/+子音連結を数多く持つ英語の音配列について、extrametricality及び子供の発音習得の両面から考察する。

 

 

★10月英語学シンポジウム(2009年10月10日)

・10月例会 研究発表

 [司会] 塚本 聡 (文理学部教授)

 [テーマ] Accusative with Infinitive 再考 

 [発表者] 1.塚本 聡 (文理学部教授)
         通時的データからのアプローチ

     2.田中 竹史 (博士後期課程3年)
         構造からのアプローチ

                3.松崎 祐介 (日本大学豊山女子高等学校教諭)
         意味からのアプローチ

 [梗概] 

 本シンポジウムでは、Accusative with Infinitive(不定詞つき対格)やExceptional Case Marking (ECM)(例外的格付与)と呼ばれる(1)~(3)にみられる構文を扱う。

 (1) John believes her to be an honest girl.

 (2) John persuaded the doctor to examine the boy.

 (3) John wanted the doctor to examine the boy.

 (1)におけるherは、意味上、不定詞の主語として働きながら、形態的には主格のsheではなく、目的格のherで表現されている点で、きわめて特異な性質を持っている。このように特殊な構文であることから、常に焦点が当てられてきた。

 上記の構文は、通例用いられる学校文法での5文型による分析を適用すると、いずれもSVOCのタイプとなる。さらに、当構文と関連して、従属節を用いた(4)の構文との同義性もしばしば取り上げられる。

 (4) John believes that she is an honest girl.

 (1)において形態上herとなっていた補文中の主語が、(4)ではsheという主格で表示され、(4)は形式と意味が一致した表示形式となっている。しかしながら、5文型分析では、(1)はSVOCと分類される一方、(4)はSVOに分類されるが、異なるタイプを同義として扱うことは、説明力を欠くと言わざるをえない。さらに、より詳細に分析すると、これら(1)~(3)を同列に分類、分析することは適切ではないことが分かる。例えば、不定詞部分を受動化した対応文(5)~(6)を参照。

 (5) John persuaded the boy to be examined by the doctor. (← 2)

 (6) John wanted the boy to be examined by the doctor. (← 3)

 (6)は(3)とほぼ等価であるのに対し、(5)は(2)と等価とはならない(persuadeする対象が異なる)。異なる意味構造を有するという事実は、両者が異なるタイプであることを示唆し、より厳密な分析が求められる。

 本シンポジウムでは、本構文について、下記の3つの視点から、検討を行い、それぞれのアプローチの特徴、適切に説明可能な点、扱いきれない点などを相互に明らかにする。

 

  1.通時的データからのアプローチ

                                       塚本 聡(文理学部教授)

 史的事実をさかのぼり観察すると、現代英語の原則が当てはまらない例が見つかることがある。下記は、現代英語における不定詞・動名詞の一般的区分が適用できない例である。

 he is the blessed man .., that neuer wylleth doinge euyl, and euer willeth doing well. (1525-30 Th. Lupset Wks 208)

 Taxing the poore king of treason, who denied to the death not to know of any such matter. (1624 Capt. Smith Virginia iv. 157)

 上記例では、未来的意味を有する場合にto不定詞を使用するという一般原則とは合致しない例と言えよう。このような例を考慮すると、現代英語の実状のみで意味の原則を捉えることには危険がある場合がある。

 当アプローチでは、Denison (1993) を分類の基本とし、Visser (1963)のデータを活用しつつ、いわゆるAccusative with Infinitive構文が、ほぼ同義であるthat節構文との競合関係の中、どのような経過で現在の形となったのかについて、史的データを示す。また、現代英語のコーパスから、一般原則と異なる用例を検索し、データ検証の必要性にも言及する。

 

  2.構造からのアプローチ

                                   田中 竹史(博士後期課程3年)

 学校文法でSVOCと分類されるいわゆるAccusative with/plus Infinitive構文に付いて、構造的(特に生成文法の)視点から、近年の理論展開(Koizumi 1999, 2002; Lasnik 1999, 2005等)を考慮しつつ、どの様な分析が可能であるのかを検討する。

 具体的には、ECM構文(I believed/expected/proved John to be better than he was)を中心に、Object-Control構文(I persuaded/compelled/forced John to be better than he was)など他のAccusative with/plus Infinitive構文や、SVOと分類されるthat節構文との比較を通して、当該構文の(特にpostverbal NPの)文法的振る舞いに焦点を当てる。これにより各構文の性質を浮き彫りにさせ、「特異な性質」がどの様に分析されるのかを議論する。

 検討するアプローチでは、that節・不定詞節間の平行性、つまり、「表面的相違にもかかわらず文法的振る舞いが平行する」という事実や、ECM構文やObject-Control構文などAccusative with/plus Infinitive構文間で見られる「表面的同一性にもかかわらず文法的振る舞いが異なる」という事実を内部の統語構造から自然に導き出せる事を示す。

 

  3.意味からのアプローチ

                         松崎 祐介(日本大学豊山女子高等学校教諭)

 形式の違いが意味の違いを反映するという前提のもと、無限に広がる意味(叙述機能)に対して、形式の側には制限(構造制約)があり、どこまでがどの形式かという境界を明らかにするのが意味論・認知言語学の重要な役割である。

 これまで主に、①主節動詞と補文の意味的整合性についての考察、②文法形態素の原義に注目して、それぞれの補文形式にはどのようなスキーマ的意味があるかの考察、あるいは③それぞれの補文形式を独立して扱うのではなく、ING動名詞・分詞から原形不定詞・TO不定詞を経てFOR-TOパターン・THAT節までが段階的な連続性を形成し、その中でそれぞれがどのような位置づけになっているかの考察などがなされてきた。

 本シンポジウムでは、主にGivón(1991・1993)による統語的・意味的距離の程度理論(主節と補部との間の統語的な距離感は意味的な距離感とアイコン的に一致する)、Wierzbicka(1988)やDixon(1991)が提示するそれぞれの補文形式の意味的不変化要素(それぞれの補文形式が有するスキーマ的意味)を紹介する。それらを基盤に、その欠陥部分を補い、またさらに発展させ、特に本シンポジウムの研究対象とされるTO不定詞とTHAT節を「モノ的 vs. コト的」(松崎(2007・2008)で議論)という観点から説明する。人間の行動様式・認知処理のプロセスが言語形式に反映されるという立場で、THAT節補部はコト的(全体的状況の認識)で、TO不定詞補部はモノ的(出来事そのものに限りなく近い)であることを提案する。

 

 

★9月アメリカ文学シンポジウム(2009年 9月26日)

・9月例会 研究発表

 [司会] 高橋 利明 (文理学部教授)

 [テーマ] アメリカ演劇における〈異端〉の表象
                   -オニール、ウィリアムズ、ミラー、ホアンの作品をめぐって 

 [発表者] 1.長田 光展(中央大学名誉教授)
                  『楡の木陰の欲望』(1924)――父権文明への情念からの反逆

     2.堀切 大史(文理学部専任講師)
         『欲望という名の電車』(1947)と異端者への眼差し 

                3.高橋 利明(文理学部教授)
         『るつぼ』(1953)John Proctor と魂の異端

       4.宗形 賢二(国際関係学部教授)
      『M.バタフライ』
(1988) とオリエンタリズム―

 [梗概] 

  1.『楡の木陰の欲望』(1924)――父権文明への情念からの反逆

                                  長田 光展(中央大学名誉教授)

 19世紀中葉のニューイングランドを背景に物欲と愛欲を描いたこの作品は、オニール劇中最もポピュラーな作品でありながら、鋭い文明批判の劇として、幾つか重要な着目点を用意します。一つは、有名なト書き。キャボット家を覆う2本の楡は、酷使された女性のイメージとして描かれ、「女性」が作品の隠れた主人公であることを明らかにします。これを女性系のシンボルとすれば、明らかな男性系のシンボルも用意され、それらは、この家を囲む「石垣」とキャボット家の人物構成ということになります。石垣は家長エフライムの「石の心」を明らかにし、男ばかりの家族構成は、文明のシンボルともなるこの家がきわめて男性的な偏向を持つ文明の場であることを示しています。

 2番目の妻が死んで10年目の春、突如3番目の妻を娶るエフライム、そんな父親に対する息子たちの反抗、母の代理人を自認して父エフライムと新しい母アビーに敵対する三男エベン、そのエベンとアビーとの近親相姦的な愛と愛欲の成就、出産、子供の死。一つ一つのエピソードを通して、オニールはそこに規範としての父権的枠組みを遥かに超えて存在する異端の視点、「情念」と「情念の浄化」による救済という新たな視点と枠組みを提示しようとする、というのが、私のとりあえずの論点となります。
 

  2.『欲望という名の電車』(1947)と異端者への眼差し

                                  堀切 大史(文理学部専任講師)

 エドガー・アラン・ポーの詩を暗唱する感受性豊かな元英語教師ブランチは、酒とポーカーを好む暴力的な肉体労働者スタンリーを家長とするニューオリンズの家では、明らかに異端者である。また、白をイメージさせるブランチは、黒をイメージさせるスタンリーと対立し、かつジャズ発祥の地であり黒人の多く住む街ニューオリンズという土地にも溶け込めない。異端者であるブランチは結局、スタンリーによって、彼を中心とする社会から排除されるわけだが、そのブランチもまた、もうひとりの異端者というべき同性愛者の夫アランを排除し、自殺へと追いやった過去を持つ。異端者を排除しつつ自らも異端者となってしまうブランチを中心として、作品における様々な象徴を手掛かりに、『欲望という名の電車』に描かれている異端とその意味について論じたい。
 

  3.『るつぼ』(1953)―John Proctor と魂の異端
              
                                     高橋 利明(文理学部教授)

 人間が良心に従って生きることの難しさ、また人間が自己の魂の尊厳を守り抜くことの難しさを、ジョン・プロクターが体現しているが、早くも形骸化しているピューリタンの正統性に対するアンチテーゼとして、極めて人間的な故に表出してくるプロクターの異端性は、周縁に追いやられていく人間への共感の重要性を裏打ちしていると思われる。つまり、中心と周縁の概念で言えば、周縁こそが、中心を批判的に活性化させる役割を担っているのである。そこで本論において論者は、人間の良心、あるいは魂というものが、本質的に異端的であることをジョン・プロクターが身をもって示したことを論証したい。また、魔術を通じてこの劇作品のプロット展開の元を作ったバルバドス島出身の周縁的な異端性を体現する黒人奴隷ティチュバが、当時のセイラム村というピューリタン共同体を根底から揺るがす事件に関与したことの意味も吟味したい。
 

  4.『M.バタフライ』(1988) とオリエンタリズム―
 
                                  宗形 賢二(国際関係学部教授)

 ある演劇が人種や性の問題を扱う時、どのような配役をするかによってその作品の解釈と評価は大きく左右される。中国系アメリカ人デイヴィッド・ヘンリー・ウォン(David Henry Hwang, 1957- )の『M.バタフライ』(M. Butterfly, 1988、同年トニー賞)はまさにこのような演劇的問題を扱ったある種政治的な作品である。

 作品執筆のきっかけは、1986年、ある仏人外交官と中国人女優との恋愛/スパイ事件の新聞記事であった。20年間もの間恋愛関係にあり、さまざまな情報を漏らし続けた相手が、実は男であったとわかる。舞台では、北京の大使館でのガリマールとソンとの出会い、不倫、妊娠(?)、仏での再会と同棲、裁判、独房での自殺と、全3幕の物語として展開する。

 ウォンの狙いは、西洋のオリエンタリズムの「脱構築」だが、東洋人と西洋人の二項対立の中でジェンダーとセクシャリティの問題を取り上げることで、父権制的共同体内部の同性愛嫌悪も露呈してしまっている。今回のシンポジウムでは、「異端の表象」として、東洋人の性と同性愛嫌悪を取り上げ、いわゆる「オリエンタリズム」の中での人種・ジェンダー・セクシャリティを再検討したい。

 

 

★6月例会及び特別講演会(2009年 6月27日)

 

・6月例会 研究発表

 [司会] 原 公章 (文理学部教授)

 [発表者] 杉本 久美子(東北女子大学講師)
                The Longest Journey 一試論 それぞれのrealとRickieの死について

 [梗概] 

 The Longest Journey (1907)はE. M. Forster(1879-1970)自身 “The Longest Journey is the least popular of my five novels but the one I am most glad to have written.”と述べている問題作であり、彼の長編小説の中でも最も評価しづらい作品でもある。作品を難解にさせている要因はいくつか挙げられるが、作品を特徴付け、かつ難解にさせている最大の要因は、多用されるrealという表現である。realという表現自体が多義的であるにもかかわらず、登場人物たちにとってのrealが個々の視点からのものであり、交差し縺れ合う個々のrealがさらに作品を複雑化させている。そして他の長編小説との最大の違いは、主人公Rickie Eliotの死である。Rickieの死によってForsterが表現したかったのはいったい何なのか。登場人物それぞれのrealを検証しつつ、Rickieの死の意義について考証したい。

 

・特別講演会

 [司会] 関谷 武史 (文理学部講師)

 [講演者] 加藤 行夫 (筑波大学大学院教授)

 [演題] 悲劇の座標軸

 

 

★5月例会(2009年5月16日)
 

  [司会] 塚本 聡 (文理学部教授)

 [発表者]

    1. 野村 宗央 (博士後期課程2年)
       Paradise Lost 及び Paradise Regained に於ける
                         “the true orator”vs.“the false orator”

     2. 田中 竹史 (博士後期課程3年)
               On Dative Alternation:
         What does Morphology tell us about the Syntax of the Alternation?

 

   [梗概]

   1.Paradise Lost 及び Paradise Regained に於ける
                     “the true orator”vs.“the false orator”

                                  野村 宗央 (博士後期課程2年)

 本発表では、John Miltonの叙事詩Paradise LostParadise Regainedを主に取り上げ、作品中に見られる “the true orator” と “the false orator” との違いについて考察する。
 両作品に於いて “orator” としての地位が与えられているのは、ChristとSatanであり、結論から言えば、 Miltonが考える “the true orator” とは、Paradise Regainedに於けるChristを指し、 “the false orator” とは 両作品に於けるSatanを指している。本発表では、これら登場人物達の言動を比較検討し、またMilton自身 “orator” となって持論を展開したAreopagitica等の散文作品も考慮に入れ、Miltonの “orator” 観を明らかにすることを目的とする。

 

   2.On Dative Alternation:
      What does Morphology tell us about the Syntax of the Alternation?
 

                                  田中 竹史 (博士後期課程3年)

 英語には“deverbal compound”や“synthetic compound”或いは“argument-head compound”等と呼ばれる(1)の様な語形成過程が見られる事が良く知られている(Roeper & Siegel 1978, Selkirk 1982等)。

 (1) tiebreaking, name-calling, fact-checking, paper-cutting, truck-driving, fact-finding, housekeeping, noisemaking, can-opening, mind-reading, storytelling, page-turning, script-writing (Harley 2004: 7)

この過程は極めて生産的であるものの、以下に示す様に、与格動詞においては主題項と着点項とで非対称的な振る舞いを見せる(Baker 1997, Grimshaw 1990, Levin & Rappaport Hovav 2005等)。

 (2) a. *spy-telling (of secrets), *child-reading (of books)
   b. secret-telling (to spies), book-reading (to children) (Levin 2005: 13)

 本発表ではこの様な語形成過程に着目し、与格動詞の統語構造に関してどの様な事が言えるのかに付いて議論する。
 

 

★4月例会(2009年4月18日)

 [司会] 野呂 有子 (文理学部教授)

 [発表者]

    1. 佐藤 健児 (博士後期課程2年)
       知覚動詞構文のアスペクト

     2. 山本 由布子 (文理学部講師)
       『闇の奥』と『嵐が丘』 ―その共通点から見えるもの―

 

 [梗概]

 1.知覚動詞構文のアスペクト

佐藤 健児 (博士後期課程2年)

 本発表では、see, hear等の知覚動詞を取り上げ、その補文に原形不定詞が生じた場合と現在分詞が生じた場合の意味的相違を考察する。

 (1)a. I saw the man cross the street.

    b. I saw the man crossing the street.

 知覚動詞の原形不定詞補文と現在分詞補文の意味的相違を巡っては、従来、「完結・非完結説」、「有界・非有界説」、「非進行・進行説」等、様々な立場からの原理的説明が試みられてきた。本発表では、これらの説の中から「完結・非完結説」の立場をとり、そこでの問題点を議論していく。具体的には、原形不定詞補文と現在分詞補文の選択要因や、両補文の意味的相違、各補文に生起可能な動詞句の種類や、補文主語の制約等を考察する。

 

 2.『闇の奥』と『嵐が丘』 ―その共通点から見えるもの―

山本 由布子 (文理学部講師)

 コンラッドの『闇の奥』(1899)とエミリ・ブロンテの『嵐が丘』(1847)は、その語りの入れ子構造と内奥に物事の本質を描く方法が似ている。『闇の奥』のクルツと『嵐が丘』のヒースクリフは、いずれも文明に相反し、時の概念に左右されない、「荒野」を体現していると言うことができる。彼らの魂は、日常から離れ、剥き出しで、それら自身の執拗な格闘を通して、人間の原初を表現する。クルツは“Benevolence”を、ヒースクリフは“pity”を否定し、残虐な行為によって自分たちの願望を満たそうとする。彼らの生はいずれもロマンスを真っ向から否定する死と地獄によって描かれる。彼らの魂の葛藤は、マーロウの語る“life-sensation”と言えないだろうか。本発表では、両作品に幾つかの共通点を見出し、コンラッドとブロンテが、クルツとヒースクリフの死を通して、人間の生について何を訴えようとしたのかを考察する。

 

 







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