日本大学英文学会  

月例会報告

 *2015年度

★1月例会(2016年1月16日)

【司   会】 文理学部准教授 前島 洋平
【研究発表】
1. 「John Milton, The Poems (1645) におけるラテン詩にみられる叙事詩性
       ―"Phoebus" との関係性を中心として―」

   博士後期課程1年 金子 千香

2. 「当為を表す should と had better
      ―訳語「すべき」と「したほうがいい」の意味考察とともに―」

  通信教育部助教 小澤 賢司

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11月例会(2015年11月14日)

【司    会】 聖徳大学兼任講師 深沢 俊雄
【研究発表】
1. 繰り返された罪と変化するアイクの意識―『行け、モーセ』に描かれた「愛」をめぐって

博士後期課程2年 和泉 周子

2. 言語進化論・文化記号学から見た人間の言語

日大豊山女子高等学校教諭 松崎 祐介 

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★10月英語学シンポジウム「Be going to をめぐって―英語史・語法・言語獲得の観点から―」(2015年10月17日)

【コーディネーター】 文理学部講師 秋葉 倫史

 英語の擬似法助動詞 be going to は、現在最も活発に議論されている構文のひとつである。本シンポジウムでは、英語史、語法、言語獲得の3つの研究領域から、be going to を取り巻く諸問題について検討してみたい。
 第1発表者の秋葉講師は、英語史の観点から、be going to の使用状況の変遷について、通時コーパスを用いて示す。
 第2発表者の佐藤講師は、条件文の帰結節中に be going to が生じる現象について、語法の観点から、その生起条件と意味機能を明らかにする。
 第3発表者の田中講師は、英語母語話者の幼児に見られる will と gonna の獲得順序の相違を示し、なぜそのような獲得パターンをたどるのかを明らかにする。
 複数の観点から、be going to とその関連現象を探ることによって、その本質に迫ること、それが本シンポジウムの眼目である。

【発題者】
1. 「近代・現代英語コーパスから見る be going to の変遷」

文理学部講師 秋葉 倫史

  本発表では、be going to について通時的な考察を行う。Be going to の発達について、Traugott (2003)では以下のようにその過程を説明している。
(1)Stage I      be going [to visit Bill].
     Stage II   [be going to] visit Bill.
     Stage III  [be going to] like Bill.
     Stage IV  [gonna] like / visit Bill. (Hopper and Traugott(2003: 69))
 Stage I では、方向を表す go の進行形に目的の意味を表す to 不定詞が続く。Stage II では、活動を表す動詞を伴い未来の助動詞として再分析され、Stage III では、類推によって状態動詞を含む全ての動詞に拡張 され、Stage IV では、単一の形態素に再分析される。
 Hopper and Traugott(2003)等の先行研究を踏まえ、本発表では3つのポイントについて検討したい。まず、be going to が準助動詞化した時期(Stage I-II)について、次に be going to が推量の意味を表すようになった 時期(Stage II-III)について、そして最後に gonna が使用される時期(Stage III-IV)について、通時コーパスを用いてそれぞれ頻度の点から考察を行う。引用コーパスとして、初期近代英語では、Penn-Helsinki Parsed Corpus of Early Modern English(PPCEME)、後期近代英語では、Penn Parsed Corpus of Modern British English(PPCMBE)、また、近代から現代英語コーパスとして、Corpus of Historical American English(COHA)を主として使用する。ここから抜粋した例文を基に、近現代における be going to の変遷を示す。

2. 「条件文の帰結節における be going to の語法」

文理学部助手 佐藤 健児

   一般に、未来時に言及する条件文の帰結節では、will は用いられるが、be going to は用いられないとされる(Cf. Leech(1971, 1987, 2004)、Quirk et al.(1985)など)。例えば、Leech(1987: §94)は次の(1a)と(1b)を比較して、帰結節に be going to が用いられた(1b)は “unlikely” であると主張している。
(1)a.  If you accept that job, youll never regret it.
        b.*If you accept that job, youre never going to regret it.
 しかし、実際には、次の例に見るように、条件文の帰結節に be going to が用いられた例は数多く存在する。
(2)“Look, George. I’m telling you, George, if you do not ask Lorraine to that dance, Im
        gonna regret it for the rest of my life.”(映画 Back to the Future
 そもそも、未来時に言及する条件文の帰結節では、be going to は用いられないとされるのはなぜだろうか。また、帰結節に be going to が用いられた場合、そこにはどのような時制構造や意味機能が存在するのだろうか。本発表では、条件文の帰結節における be going to について、その生起条件と意味機能を明らかにしてみたい。

3. "An Excursion into Language Development in Children: the Case of English Future Expressions"

文理学部講師 田中 竹史

 本発表では、英語母語話者の幼児による未来表現の獲得を概観し、なぜそのような獲得パターンとなるのかについて、Nakajima(1996)、Rizzi(1997)、Cinque(1999)以降進展著しい Cartography Project の視点から検討を行う。
 まず手始めに、大人による未来表現(will, ‘ll, shall, going to, gonna)の分布を確認し(Berglund 1997, 2000)、続いて、未来表現のうち特にwillとgonnaに焦点を当て、幼児による獲得パターンを概観する(Klecha et al. 2008)。その後に、なぜそのような獲得パターンとなるのかについて議論を進める。議論の過程では、大人の文法、幼児の文法、失語症患者の文法、言語計算・言語処理にかかわる言語以外の認知能力、などに触れる予定である。
 本発表では、観察される獲得パターンが、Catasso(2012)や Harwood(2014)で議論されるIP領域の構造と、IP領域を中心とした任意の場所おいて tree-pruning / truncation が起こるという Martinez-Ferreiro & Mata-Vigara(2007)の提案から導かれることを示したい。

★9月アメリカ文学シンポジウム 「アメリカ文学と東洋」(2015年9月26日) 

コーディネーター】 文理学部准教授 堀切 大史

 本シンポジウムのテーマを決めるにあたって、今回の発表者のおひとりと話しあっている際に、「アメリカ文学と東洋」というテーマではどうかという提案を受け、私は日頃から、文学において大切なことは、作品と読者である自分自身のアイデンティティーとの関係性を探ること、いいかえれば、文学作品からいかに普遍的価値を見いだせるかであると考えているため、これはよいテーマであると思い、今回のシンポジウムのテーマとさせていただくこととなりました。
 三名の発表者からはそれぞれ、エマソン、ホーソーン、フィツジェラルドという三人の作家とそれぞれの東洋との関わりについてお話しいただくことになっております。
 本シンポジウムをとおして、オーディエンスの方々が、あらためて「自分にとって外国文学とは何か?」ひいては「日本人にとって外国文学とは何か?」とご自身に問いかけるきっかけになればよいと考えています。

【発題者】
1. エマソンにおける東洋―“Brahma”の一側面について―                                             

博士後期課程1年 一瀨 厚一

  「ブラーマ」(“Brahma”)は1857年に発表された、エマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-82)の代表的な詩である。この詩はヒンドゥー教の経典の一つである『バガヴァッド・ギーター』から着想を得て書かれており、エマソンの東洋思想に対する強い関心と理解が窺える。東洋思想は、西洋思想を基盤とするエマソンの思想と結び付いたのである。〈東洋〉と〈西洋〉という一見交わらない概念には、共通の接点が存在し、エマソンはそれに気づいていたのではないか。したがってエマソンの考える〈東洋〉は、窮極的には、この接点のことであると考えられる。
 ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、『論議』(Discusión)(1932)に収められている「ウォルト・ホイットマン覚書」(“Nota sobre Walt Whitman”)において、エマソンの「ブラーマ」を、ヘラクレイトス、プロティノス、アッタール、シュテファン・ゲオルゲらの作品と比較し、それらに共通の普遍性を見出している。 またエマソンは『評論第二集』(Essays, Second Series)(1844)に収められている「経験」(“Experience”)において、“The history of literature—take the net result of Tiraboschi, Warton, or Schlegel,—is a sum of very few ideas and of very few original tales; all the rest being variation of these.”と述べている。これらを手掛かりに、エマソンは、東洋と西洋の間にある思想的障壁を越えて、両概念の背後に存在する普遍性を観ていたこと、そして東洋は、エマソンにおいて、その普遍性を表現するための単なる一つの方法であったことを「ブラーマ」を通して考察する。

2. 『緋文字』における「植物」と「罪」の相関性                            

文理学部講師   尼子 充久

  アメリカ文学で最も宗教的な作品の一つとされるThe Scarlet Letter (1850) で描かれている、アーサー·ディムズデール(Arthur Dimmesdale)とへスター·プリン(Hester Prynne)の姦通事件が意味するものは、単なる男女の一時の過ちにとどまらず、全人類が各々に持っているとされるキリスト教的な原罪までも含まれています。そのことは、第一章The Prison Doorで語り手自らがこのロマンスを「人間の弱さと悲しみの物語」("a tale of human frailty and sorrow")と説明していることからも明らかですが、Nathaniel Hawthorne (1804-64)は、この「罪」という極めて抽象的な概念を描くために全作品を通じて多くの工夫を凝らしています。特に、『緋文字』のなかでの最大の悪人であるロジャー· チリングワース(Roger Chillingworth)の「罪」の描写には「植物」が効果的に用いられていると思われます。また、その植物は部分的にではありますが、オリエントという概念とも結びついていると言えるのではないでしょうか。チリングワースが復讐という罪を完遂させるためにディムズデールに飲ませている薬は、植物から生成されており、インディアンの薬草の知識と西洋医学が融合したものが基礎となっています。チリングワースはオランダからアメリカに渡った直後はインディアンに捕獲されて、そこでしばらく過ごしている間に薬草の知識を学び、その後、イギリス人の住む植民地に連れて来られたわけですが、インディアンの語源はコロンブスがカリブ諸島に到着した際にインド周辺の島と誤認したことであることは周知の事実であります。つまり、インディアンあるいはインディアンの薬草の知識、さらには、チリングワースの医者としての超人的な能力の一部はオリエントの表象の一つであると考えることが可能なのではないでしょうか。

3. 村上春樹を通した東洋のフィッツジェラルド受容―『ノルウェイの森』を中心に―

日本大学講師 岡田 善明

 日本フィッツジェラルド協会会長の宮脇俊文は、F. Scott Fitzgerald (1896-1940)の後継者は村上春樹であると述べている。村上春樹『ノルウェイの森』(1987)は東洋の多くの国でベストセラーとなっている。作品の中で主人公のワタナベがベストワンの書物はフィッツジェラルドのThe Great Gatsby (1925)である、と述べているが、『ノルウェイの森』はフィッツジェラルドのThe Great GatsbyTender is the Night (1934)の影響を受けている。
 本発表では、アメリカ人の潜在意識にあるinnocentな「アメリカのアダム」からくるモラルの精神を確認したうえで、村上春樹がフィッツジェラルドの「アメリカのアダム」を必ずしも受容せず、欧米のモダンまでの伝統的なモラルをそのまま作品の基本として使わずに、日本的ポストモダン的な考えで、モラルの仮想化により創作活動を行っている点を、『ノルウェイの森』を中心にフィッツジェラルド作品と比較しながら考察していく。村上春樹におけるフィッツジェラルド受容の実相とあわせて、東洋でベストセラーとなっている村上文学の本質を究明し、フィッツジェラルド文学の東洋における意味を探りたい。

 

★6月例会・特別講演(2015年6月20日)

【司     会】 佐野短期大学教授 佐藤 秀一
【研究発表】 Toni Morrison 作品における排除される者の描き方の変化:Tar Baby に焦点を当てて

文理学部講師 茂木 健幸

 トニ・モリスンは『白さと創造力』(1992)のなかで、初期アメリカ文学において白人作家たちがどのように奴隷やアフリカ系アメリカ人を描いているかについて、「アフリカニスト」という言葉を用い指摘している。モリスンが指摘するその構造には、生贄の排除の構造を読み取ることが出来る。つまり、肌の色が違う絶対的な他者をスケープゴートとして、創成期のアメリカが求める価値から排除することで、白人作家たちはその価値(自由や新しさ、権威など)を自分たちの特徴として描くことができるのである。本発表では、そのモリスンの作品において、排除される人物がどのように描かれ、扱われているのかを考察する。
 モリスンの処女作であるThe Bluest Eye(1970)で描かれる幼い少女ピコーラはコミュニティのスケープゴートとなる人物である。物語を通して、ピコーラのコミュニティや家族、友人から排除される姿が眺められている。Tar Baby(1981)において排除の対象となるのは主人公サンである。ピコーラと違い、成人であり、雄弁なサンは排除のヴェールの内側に侵入する。排除されることなくとどまり続けるその存在は、モリスンに混沌、そしてその混沌から新たな秩序を想像することを可能にさせている。同様にBeloved(1987)で描かれるビラヴドも、排除される存在である。母セサに殺された娘の蘇った姿であるビラヴドは「124番地」に、生と死、現在と過去の入り混じる混沌を創り出す。サンもビラヴドも作品の最後では排除の内側へ向かおうとする姿が描かれているが、その描かれ方には違いがある。つまり、その場面で作者は、忘れ去られようとするビラヴドの姿を描き、さらにはその名を呼ぶのである。そこに、ビラヴドを排除するのではなく、作品の内側に受け入れようとするモリスンの態度を読み取ることが出来る。

【司   会】 文理学部教授 高橋 利明
【特別講演】 早わかりフォークナー

東京大学名誉教授 平石 貴樹


5月例会2015年5月16日)

【司     会】 文理学部准教授 一條 祐哉
【研究発表】
1. Paradise Lost における母胎としての楽園

博士後期課程2年 加藤 遼子

 17 世紀イギリスの詩人 John Milton (1608-74) の長編叙事詩 Paradise Lost (1667) には様々な場所が描かれているが、その中で本発表ではエデンの園に焦点を当て考察する。エデンの園は神が人間の為に創造した空間であるが、開けた空間ではなく、周囲は木々で囲まれた閉ざされた空間となっている。庭の閉ざされた空間と母胎の閉ざされた空間はしばしば同一視される。その伝統的な考えを念頭に置き、Paradise Lost に描かれたエデンの園が母胎としていかに機能しているか明らかにすることを目的とする。

 

 2. ラベルの不可視性と最小探索

博士後期課程3年 賀美 真之介

 本発表では、ラベル付けされた統語対象物が最小探索にとって非可視的であるという仮説と、併合のためのリソースは二回の最小探索により決定されるという仮説を提案し、その仮説をもとに、目的語移動を含んだ例文(補部/付加詞からの抜き出し、残余部移動、分詞的副詞句からの抜き出し、絵画名詞を含んだ疑問文)を分析し、その妥当性を検証する。

 

4月例会(2015年4月18日)

【司   会】 文理学部教授 保坂 道雄
【研究発表】
 1. Beowulf における法助動詞

博士後期課程2年 今滝 暢子

 本発表の目的は、現代英語では専ら助動詞として用いられている modal verbs が、古英語叙事詩 Beowulf においてどの程度助動詞的な性質をもって使われているかを考察した内容を報告することである。具体的には、willan, shulan, cunnan, magan, motan の5つの語の用例について、形態・意味・統語の3つのアプローチで分析し、文法化の観点より考察した結果を述べる。
 先行研究として、古英語における
modal verbs の意味特性を論じた小野・中尾 (1980) および Beowulf における法助動詞の特徴を分析した Bliss (1980) を取り上げる。その上で、自らの研究結果として、資料中の法助動詞の用例を 

(1)
屈折を保持しているか(形態的特性)
(2)
補部として共起している要素は名詞か不定詞か(統語的特性)
(3)
根源的用法・主観的用法•間主観的用法のいずれの意味で用いられているか(意味的特性)

以上の3つの観点より分類し、得られた分析結果を踏まえてそれぞれの文法化の度合を考察する。

言語資料 

Fulk, R. D., Robert E. Bjork., & John D. Niles, eds., 2008. Klaeber's "Beowulf and the Fight at Finnsburg." 4th ed. Foreword by Helen Damico. (Toronto Old English Series, 21.) Toronto; Buffalo, N.Y.; and London: University of Toronto Press.

 参考文献

Bliss, Alan. 1980. Auxiliary and verbal in Beowulf. Anglo-Saxon England, 9, pp 157-182. doi: 10. 1017/S0263675100001150.
Donoghue, Daniel. 1987.
Style in Old English Poetry: The Test of the Auxiliary. Yale University Press.
Mitchell, Bruce. 1985.
Old English Syntax. volume 1. Oxford: Clarendon Press.
Ogura, Michiko. 1996. Verbs in Medievel English: Differences in Verb Choice in Verse and Prose. (Topics in English linguistics; 17.) Berlin: Mouton de Gruyter.
Suzuki, Hironori. 2006.
Word Order Variation and Determinants in Old English. Nagoya: Manahouse.
Traugott, Elizabeth Closs. 2010. "Revisiting Subjectification and Intersubjectification." in Kristin Davidse, Lieven Vandelanotte, and Hubert Cuyckens, eds., Subjectification, Intersubjectification and Grammaticalization, 29-70. Berlin: Mouton De Gruyter.
小野茂・中尾俊男. 1980. 『英語学大系8 英語史Ⅰ』東京:大修館書店.
中川良一. 1982.『ベーオウルフ研究韻律と文構造』東京:松柏社.
保坂道雄
. 2014. 『文法化する英語』東京:開拓社.



2. ジェイン・エアの旅

理工学部講師 北原 安治

  ヴィクトリア朝の女流小説家シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を取り上げる。この小説は自己形成の小説であり10才から20才までの出来事を、ジェイン自身が振り返って述べる自伝的小説である。ジェインは5つの場所を巡り歩き、辛いことにあったり励まされたりしてロチェスターと結婚に至る。今回の発表の目的は5つの場所に進む際の決断に焦点を当て、ジェインの決断する自我がどの様に作られていくかを説明するものである。

 

 

 

 

 

 

 







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