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校歌

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校歌

日本大学校歌

相馬御風 作詞  山田耕筰 作曲

一、 日に日に新たに 文化の華の
さかゆく世界の 曠野の上に
朝日と輝く 国の名負いて
巍然と立ちたる 大学日本
正義と自由の 旗標のもとに
集まる学徒の 使命は重し
いざ讚えん 大学日本
いざ歌わん われらが理想
二、 四海に先んじ 日いづる国に
富嶽とゆるがぬ 建学の基礎
栄ある歴史の 道一すじに
向上やまざる 大学日本
治世の一念 炎と燃ゆる
われらが行く手の 光を見よや
いざ讚えん 大学日本
いざ歌わん われらが理想
校歌余話

今、私たちが声高らかに斉唱している校歌は三代目である。初代・二代・三代と本学の校歌にもまた、秘められた歴史が存在する。

初代校歌は、一晩でいや徹夜でつくられた。大正9年5月、大学令による大学昇格の記念祝賀式に、「そこで歌う校歌がほしい」という在学生の切なる願いからはじまる。

式典の前日、学生委員は当時の司法省参事官・本学講師で随筆家でもあった大森洪太に作詩を、作曲は声楽家・立松久子にと、両家に押しかけ「明朝までに何とか」と依頼する。出来上がった校歌を学生たちが歌えるようになったのは、祝賀式典開会20分前だったという。

行動派・日大生の面目躍如ではないか。

この時の学生委員の一人、のちの政治家原惣兵衛のもとで政治の「いろは」を学んだのが、奇しくも、この100周年記念事業協賛会顧問をつとめる河本敏夫氏(衆議院議員・元国務大臣)である。

この”速成校歌”は、大学としての議はもちろん、正式な手続きを経ていない。

そこで大正11年秋、本学は校歌改訂を決定する。

歌詞は学生からの公募。翌12年1月、多数の応募作品から3点を選び、法文学部教授会で当選作品をアレンジしてつくった歌詞に、作曲家・梁田貞が曲をつけた。これが二代目校歌の誕生である。

作詞当選者3人のうちの1人、勝田香月は「出舟」(杉山長谷夫作曲)の作詞者として、作曲の梁田貞は「城ケ島の雨」(北原白秋作詞)の作曲者として知られている。

その校歌も、やがて発展をつづける本学にそぐわなくなってしまう。

新校歌制定の機運である。

昭和4年5月、相馬御風の詩に山田耕筰が曲をつけ、三代目つまり現在の校歌が生まれる。詩句は初代・二代目校歌の精神を受け継ぎつつ、斬新さを加え、曲は明るく軽快で、しかも荘重さを秘めており、世界音楽全集35巻(春秋社版)に掲載・紹介されているほどである。

相馬は自然主義派の詩人、山田は日本を代表する作曲家である。

この三代目校歌も戦時中の昭和15年7月12日から終戦までは、”正義と自由”という詩句を”八紘一宇”と改めて歌っていた。

まさに、”歌は世につれ、世は歌につれ”である。

「日本大学100年(日本大学発行 1989年)より」